I am sorry no more.
安倍首相、国民への謝罪なしに辞意表明。
曰く、"I am sorry no more."
さて、本日はCommunications of the ACMからの引用。
ウィキペディア(というよりウィキピーディア)から間違った情報を得た米国の学生達が、
期末試験で一斉に間違った答案を書いたエピソードが紹介されている。
(ちなみに科目はHistory of Early Japan。)
But all too often, democratization of access to information is equated with the democratization of the information itself, in the sense that it is subject to a vote.Waters, N. L.:
Why You Can't Cite Wikipedia in My Class,
Communications of the ACM, Vol.50, No.9, pp.15-17 (2007)
これをフレッシュアイ翻訳に入力してみるとこうなる。
しかし、あまりにもしばしば、それが投票に従うという意味で、情報へのアクセスの民主化は情報自体の民主化と等しくされます。
上出来だ。
ようするに、誰もが情報にアクセスできるということと、
誰もが多数決的に情報自体の内容に関与できてしまうということは別問題だ、
情報自体は選ばれた人によって提供されるべきだ、ということ。
「何故おれの授業ではウィキペディアの引用を禁じているか」という記事のタイトルだけで論旨はわかる。
よく論文の査読をする私も、参考文献にウィキペディアを挙げてきた人には必ずダメ出しをしている。
ウィキペディアの信頼性についてはこちらで述べた通り。
「集合知」であるウィキペディアが興味深いものであることには変わりがないが。



