「ウェブ社会をどう生きるか」からの引用
西垣通「ウェブ社会をどう生きるか」岩波新書1074
を読んだ。米国流の考え方を一神教と結びつけていて興味深かった。
印象に残ったくだりをノーコメントで書き写しておく。
八〇年代と現在の相違点は、一台のコンピュータのメモリー内の知識の代わりに、 ウェブに蓄えられた知識をベースにできる、というだけです。 むろん、知識(機械情報)の量は桁外れに増えるわけですが、 知識が増えれば検索エンジンが知能をもつという発想は、 八〇年代のCYCの発想と基本的に全然変わりがありません。Cyc(サイク)については例えばこちらをどうぞ。
- 西垣通「ウェブ社会をどう生きるか」岩波新書1074, p.88
シャノン情報理論は「客観的世界」を前提として組み立てられています。 そして世界中の情報の検索をめざすウェブ2・0の考え方が、 このシャノン情報理論のモデルを拡大解釈したものであることは明らかです。
- 西垣通「ウェブ社会をどう生きるか」岩波新書1074, p.126
グーグルの創業者であるラリー・ペイジやセルゲイ・ブリンはともに名門スタンフォード大学大学院計算機科学科の出身ですし、グーグルはいわゆる「ベスト・アンド・ブライテスト」を尊重する会社です。 つまり優秀な精鋭で固めようというわけです。 こういうエリート指向は、グーグルのみならず、ウェブ2・0関連の米国企業に共通しています。 そして、日本のウェブ礼賛論者たちの本音は、巨利を得ている彼らのお仲間に入れてもらうこと、 できればお裾分けにあずかることではないのでしょうか。
- 西垣通「ウェブ社会をどう生きるか」岩波新書1074, pp.169-170
ウェブ情報検索機能は一般ユーザーにとって非常に便利だが、 すべての情報が検索サービス業者に集中的に管理されてしまう。 また、検索エンジンに頼りきりになると、人間の思考力や想像力が衰えていく恐れもある。 検索エンジンには人間にとって重要な情報を選別することなどできないので、 機械的に集合知が得られるという主張は楽観的すぎる。 リンク数によってサイトの重要度を定めるアルゴリズムのもとでは、 民主的討論ではなく大衆的な同調作用が起きてしまうのである。
- 西垣通「ウェブ社会をどう生きるか」岩波新書1074, p.174




コメント
御社の場合は自然言語処理という必殺技があるのですが、世間一般じゃ、情報と知識の共有やアクセスには結構原始的手段が使われていたりします(つまり「人が読んで分ける」という奥の手です)。世間一般じゃWeb2.0と囂しいですが、ほんとに取っておきたい情報は当分この奥の手が通用しそうな気がしております。
投稿者: any | 2007年07月03日 15:58