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    <title>社長ブログ＠freshEYE</title>
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    <updated>2008-05-10T18:51:13Z</updated>
    
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    <title>珍しい生き物</title>
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    <published>2008-05-10T18:08:09Z</published>
    <updated>2008-05-10T18:51:13Z</updated>
    
    <summary>最近フレッシュアイニュースの「珍しい生き物」クリップに、はまっている。...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
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        <![CDATA[最近フレッシュアイニュースの<a href="http://news.fresheye.com/clip/6016615/">「珍しい生き物」</a>クリップに、はまっている。]]>
        <![CDATA[このクリップから最近の<a href="http://news.fresheye.com/clip/6016615/">「珍しい生き物」</a>を紹介すると…

イワナの背中にナガレヒキガエルが抱きついて遊泳。（なんとなく隠微な感じ）

目玉が、ビーチボールサイズの超巨大イカ。（全長は8メートル以上らしい。2本の長い触腕には鉤（かぎ）のようなものが最大で25個、また残りの8本にも19個ついているって…。このイカは、重さが最大750キロに成長する可能性があるらしい。）

もうイカとかタコとかいうレベルじゃない。げそ天換算で何人前になるのか？とか、妙に気になってしょうがない。

７つ葉のクローバー。（ラッキーなのかどうかわからない）

20枚葉のクローバー。（これをクローバーと呼んでも良いのですか、皆さん。）

タコにアンモナイトをかぶせたようなアオイガイのメス捕獲。（メスとオスの区別は、どうつけるのか気になる）

黄色のナマズ捕獲。（気持ち悪い。夢にでてきて、うなされそうだ）

八本足のイカ捕獲。（タコか？イカのアイデンティは何処へ）

世界最大のダンゴムシ展示（この世界最大のダンゴムシは、最大45センチまで大きくなるらしい。危険を察知すると体を丸めて身を守ろうとするのは、普通のダンゴムシと同じだが、大きすぎるため、「完全に丸くなることはできず、せいぜいコの字に曲げるのが精いっぱい」とのこと）

記事によれば…
<blockquote>それでも懸命に丸くなろうとする姿はユーモラスで、同館では「愛きょうたっぷりなしぐさをぜひ見に来てください」と呼びかけている。</blockquote>

愛嬌たっぷりのダンゴムシか…。ちょっと、勘弁。

これらは、全てこの1ヶ月以内に報道されたものである。自然界は、人間の常識では計り知れない神秘に満ち満ち満ち満ちているではないか。　

（強引だが）、ダイオウイカや巨大ダンゴムシに比べれば、ワッチなんか大したことはねぇなあ、ざまあねぇよ。ちっちぇえ、ちっちぇえ…と、呟くのさ、青い空に。
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    <title>道具じゃないのよ、パンダは</title>
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    <published>2008-05-09T15:21:10Z</published>
    <updated>2008-05-09T16:24:15Z</updated>
    
    <summary>悲しむべきことだが、俺の知識レベルは、恐ろしく狭くて、浅い。...</summary>
    <author>
        <name>金田直之</name>
        
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        悲しむべきことだが、俺の知識レベルは、恐ろしく狭くて、浅い。
        原因は明らかで、学生のころから、どうやって楽して、速く課題を終了させるかということに、血道をあげ、真剣に学んだ事が殆どないからだ。夏休みの宿題は、最初の３日で仕上げるのが常。

ビジネス書を読むと、頭が悪くなるので読みたくないのだが、業務上どうしても読まなくてはならない場合がある。その時は、目次をみて、関係あるところを選択し、かつそのサマリーページを探し出し、かつ斜めに読んで、終わり。

マーメイドからは、「よっ、お手軽専門家！！」等と、皮肉られるのだが、実際お手軽に尤もらしい事を言ったりするので、強くは言い返せない。大体において、尤もらしく喋っている時は、それが手持ちの知識の全てだったりするのだ。

「お手軽専門家」というと、何となく「手乗り文鳥」に、感じが似ていて、ちょっと微笑ましいし、心温まる感じかもしれない。

さて、そういう浅学無知の俺だが、先日も、マーメイドに、「ウサギって肉食？」などと聞いてしまった。「ウサギが、トカゲを銜えたり、口元を鮮血で濡らしてたりしたら、もうウサギじゃないでしょ。モグモグ、人参食べたりするから、可愛いんじゃないの！！」と、すかさず鋭く突っ込まれるのであった。

そりゃあそうだ、ウサギが、目を赤く血走らせて、赤ん坊の頭に噛み付いている図など怖すぎる。まあ、目は、血走らなくても、もともと赤いのだが…。

同様に、パンダが肉食だったら、イメージ変わるだろうな。あれも、笹の葉を、もしょもしょ食べているから、愛らしいのだ。　いきなり、猫とか犬とか、目の前の動物を、丸呑みしだしたら、もうパンダではない。

さて、この度、胡錦涛国家主席が、有難くも我々に貸与してくださる二頭のパンダも、肉食のパンダと同様、もうただの愛らしい動物ではない。

目の前の諸問題～毒入りギョーザ、チベット問題、東シナガス田、日本の常任理事国入りなど、全てウヤムヤになろうとしているが、パンダの貸与にはエラク明確に回答。おまけに、トキの保護にも協力してくれるらしい。本当に親切な方だ。（おまけに、１億円／年の、レンタル料請求書付なのだ。）

胡錦涛さん、でも、パンダは要らない。可愛くて、大好きだけど、今は要らんよ。政治ショーの道具じゃないのよ、パンダは。（飾りじゃないのよ涙は…みたいでしたね）
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    <title>ゴールデンウィークは苦手だ</title>
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    <published>2008-05-06T11:02:27Z</published>
    <updated>2008-05-06T14:30:37Z</updated>
    
    <summary>ゴールデンウィークは、苦手だ。...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
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        ゴールデンウィークは、苦手だ。
        1年間の区切りを、非常に重要視している俺にとって、年末、新年の休みは、とても心安らかに過ごせるのだが、新しい期が始まった中途半端な時期にある、ゴールデンウィークというのは、いつも何となく、心の安寧を得ることなく、過ぎてゆく。

GW中、やり残した仕事のことが気になって、仕方がなかったし、実際、多くの時間を仕事をして過ごした。これ以上はやめておこう…と、自分で必死にブレーキをかけて、ある程度でセーブしたのだが、そうしなければ、いつまでもダラダラ続けていたかもしれない。リフレッシュの効用を会社の人には、話しをするのだが、俺自身は、全く、とことんリフレッシュをするのが苦手で、自由な時間があっても、会社のことばかり考えてしまう。

気分を変えるために、外の空気でも吸おうと思っても、観光地に住んでいる悲しさ、鎌倉は観光客で、一杯で、リフレッシュどころの話ではない。

鎌倉というのは、大仏くらいしか、スペクタクルで、ド～ンとした物はなく、こじんまりとした見せ場が、分散している。よって、駅周辺直径１０KMの円内は、総じて人が多い。特に、所謂鎌倉、北鎌倉の2エリアには、どこもかしこも人だらけだ。

昨日、意表をついて、西鎌倉近辺に行ってみた。西鎌倉というのは、江ノ島はもう目と鼻の先。腰越という港も近くにあるエリアだが、観光客は少ない。左に江ノ電、右に海という、海岸通を、腰越から七里ガ浜まで、歩いてみた。

島育ちの俺にとって、海が常に近くにあるということはとても重要なことだ。別にマリンスポーツをする訳ではない。とにかく、近くに感じることで、正気を保てる…そんな存在だ。

海というと青色というのが一般的だと思うが、俺の心に広がるのは、いつも曇り空に鉛色の海だ。
実際、地元は曇りが多いという現実と、高校時代の憂鬱さが、ないまぜになって創られたのか？俺の心の中の海は、いつも不機嫌そうだ。

昨日の、湘南の海は、曇り空と海が、凄く微妙なグラデーションでつながり、まさにイメージ通り…少しどんより、ノスタルジックな気持ちになった。

というわけで、家に居ても、休まらず、外に出ても、どんよりし…ゴールデンウィークは苦手だ。（そういえば、昨年のゴールデンウィークは、発熱の為寝込んでいた。去年に比べれば、今年はマシなほうか）


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    <title>瀬尾准教授の問題発言</title>
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    <published>2008-04-29T12:55:18Z</published>
    <updated>2008-04-29T13:05:47Z</updated>
    
    <summary>28日をお休みにしたので、4連休。...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
    </author>
    
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        28日をお休みにしたので、4連休。
        <![CDATA[小心者の俺は、30日までに作成しなければならない提案書作成（２つ）が気になって、気になって、中々心の安寧にはたどり着けない。では、全力集中して、速攻で片をつけたらどうか？と思うかもしれないが、体が、仕事に対して、もっと正確に言えば、何かを考える事に、著しい拒否反応を示す。

パワポを開いた所で、生汗がでて中断。煙草を一服すると眠たくなって、全く無抵抗のまま御昼寝。じゃあ、まずは気楽にブログでも書いてみるか…と気を取り直す。やる気のない王国の王子様になった俺にとっては、ブログを書くという事も中々難しい話で、何も書く気にならない上に、また睡魔に襲われ、あっさり陥落⇒御昼寝。

人間は…というか俺は、安きに流れると、とりとめなく安きに流れて、御昼寝するのであった。

明日は出社という追い詰められた状況になって初めて、2つの宿題を終わらせることができた。それは、人間の尊厳をかけた、男と提案書の壮大かつ華麗な、めくるめく格闘絵巻であったと言っても過言ではない。クオリティはともかく、クオリティはともかく、クオリティはともかく、とにかく仕上げた。そうそう、まずは終わらせる事に価値があるのよ。

このように、俺のバケイションは、世間とは没交渉かつ、縦糸が睡魔、横糸が提案書で織り成すタペストリーだったのだ、えらく単調かつ見栄えのしないタペストリーであることが、悲しい。

フレッシュアイニュースで、ブランクをとりもどすべく色々なニュースを読んでみる。

殺伐とした事件が、惰眠を貪っている間も、起こっているようだ。特に、衝撃的だったのが、現在各所から批判が浴びせられている青山学院大学瀬尾准教授のブログ。彼女のブログ内容は以下のとおり。

<blockquote>光市母子殺人事件について
「差し戻した最高裁の判事の妻は、おそらく専業主婦で、TVばっかり見ていたため洗脳され、夫の仕事にも影響したのだろう」
「元少年が殺されれば、報復が果せた遺族はさっぱり幸せな思いに浸るに違いない。自分の血を吸った蚊をパチンとたたき殺したときみたいにね」
「永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ」

大阪府知事について
「大阪府知事なんかエロノックだって務まったくらいですから誰でもかまいません。ま、人間の廃物利用ってところでちょうどいいじゃないですか」

拉致被害者について
「（拉致被害者は）私の目から見ると信じられないくらい幸福です。なのにその幸福に感謝もしないで、いつまでもいつまでも『めぐみっちゃん』とか不幸面してられるアンタが心底うらやましいよ、とTVを見るたびに思います」</blockquote>

瀬尾准教授は、 筑波大学大学院社会工学研究科博士後期課程修了し、環境経済学, 環境リスク学, 公共経済学がご専門。

複雑で、ストレスフルな現代社会に暮らす我々は、自分では気付かなくても、どこかしら歪んだり、病んでいたりすることはあるかもしれない。また、言論の自由などと、堅苦しくいうまでもなく、ブログで何を書こうと自由である。そういう前提に立って、かなりハードルを下げて、瀬尾准教授のブログを読んでみても、この異常性には、戦慄さえ覚える。

瀬尾教授のコメントで一貫しているのは、生命に対するリスペクトの欠如、人間に対する共感の欠如だ。
赤ちゃんの命を、「0.5」と捉える感性、遺族が死刑判決を求める気持ちを「自分の血を吸った蚊をパチンとたたき殺した」ことに例える神経、拉致被害者を不幸面していると非難する感覚…何れも常軌を逸している。

有名大学の准教授を務めるということは、専門分野では高度なインテリジェンスを持っているに違いないのだが、その優れた知性と、このブログで表現される人間としてベーシックな要素の欠如というアンバランスさに驚く。

瀬尾教授のブログが、特異な個人的問題であるならば、別に深刻に考える必要はないだろう。どんな時でも、常識では計り知れない考えをもつ人は存在するのだから。

ただ、昨今の殺伐とした事件報道などをみると、ここまでデフォルメされた形ではないにしろ、こういう瀬尾教授的な感性を共有する人々が、現代社会には多く存在するのではないかという懸念を否定できない、もやもやした気持ちでいる。

皆、ある意味まともなのだし、普通に大学教授だったり、会社員だったりするのだ。　そういう普通の人間が、ある日突然何かをきっかけにして、暴発する。そういう恐ろしい社会に我々は生きているのではないか？と感じている。
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    <title>下関マジック</title>
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    <published>2008-04-20T00:52:49Z</published>
    <updated>2008-04-20T02:19:14Z</updated>
    
    <summary>金曜日に、古い友人と飲んだ。...</summary>
    <author>
        <name>金田直之</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://voice.fresheye.com/lcat/">
        金曜日に、古い友人と飲んだ。
        彼は、高校・浪人時代を同じ場所で過ごした。何と25年ぶりの再会。気付いたら、飲み始めて5時間以上も経っていた。

「あと一杯だけ飲もうか？」と言ってから、長かった。二人とも、冷酒各一升近く飲んだのでは？　と言っても、余り良く覚えていないのだが。

東京で飲む時は、余り量を飲んでいるわけでもないのに、帰宅してから気分が悪くなったり、変に疲れたりする事が多いのだが、金曜日は、極めて大量に飲んでいるのに全然平気だった。普段は、立場やら何やら、色々なものでがんじがらめで、完全に開放的になれていないのかもしれない。

金曜日は、そのあたりのストッパーが全て外れた感じ。酔いが気持ちよくまわりながら、俺っていつもより相当お喋りだよな…と感じつつ、家族、親、仕事、同級生、地元など色々と屈託無く語り合った。

飲みながら発見したこと…人間の記憶は、驚くほど曖昧だということだ。

俺たちは、高校・浪人4年間をかなり親しく過ごしていた気がしていたのだが、実際には、高校三年間は、クラスが違い、殆んど接点がない事が判明。つまり、親しくつきあったのは、浪人時代～大学1年の実質1年ちょっとだけなのだ。

また、俺は、彼が一浪で入学をしたものだと勘違いをしていたのだが、実際には、彼は三年間もご苦労をされていた。そうすると、合格後一緒に徹夜で飲んだり、大学一年の夏に、毎晩、滅茶苦茶飲んだ時は、二浪中ってことか？と聞くと、その通り。飲みに誘うほうも誘う方だが、来る方も…ねえ。

彼の弟と一緒に飲んだ事があるというと、そんなことはない、だってアイツは、4歳下だから、幾らなんでも中学生とか高校一年生を飲みに連れては行かない…と平行線をたどるが、上述大学1年生のときに、2浪中の彼が高校二年の弟を連れて飲み会に来たというのが真相だった。それにしても、高校二年生を飲みに連れまわす俺達ってかなりヒドイ。

結婚式に出ていただいたつもりだったが、彼は出席していないらしい。本人曰く行方不明中の時期に違いない…とのこと。　行方不明中何をしていたのか、聞き忘れたので、今度よく聞いてみよう。

ということで、記憶は、非常に曖昧かつ思い込みに満ちており、全然信用ならないものであることを改めて確認をした。特に、俺の記憶は。

それにしても、正味一年ちょっとの付き合いなのに、25年ぶりに会って、5時間以上も話しをすることができるというのは不思議だ。また、25年ぶりにあっても、つい昨晩も一緒に飲んでいたかのような、親近感と気楽さには、驚く。

同じ場所に生まれ、育ち、最も多感な時期を共有したということは、こんなに人を無防備にするものなのか？　俺としては、下関マジック、もしくは、下関ミラクルと名付けたいが、如何なものであろうか？

飲んでいる最中に、ニヤニヤ笑いながら、「金ちゃん、ブログでいい加減な事を書いてるよなあ。いつも読んでるよ」　「ホントは、広報目的で始めたんだけど、仕事の話も書けないので、雑記帳みたいになって●X□△♪(以下シドロモドロ）」　古い友人に、ブログの話しをされると、何故か言い訳がましくなる俺であった。

そこの貴方、俺のブログを読むのは止めて、フレッシュアイを一日100ページ位は見て頂戴…と心から思うのであった。
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    <title>誕生日を寿ぐエントリー</title>
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    <published>2008-04-15T14:27:10Z</published>
    <updated>2008-04-15T15:56:44Z</updated>
    
    <summary>時々本屋に行って、長い時間を過ごすのは、数少ない趣味といえば趣味だ。...</summary>
    <author>
        <name>金田直之</name>
        
    </author>
    
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        時々本屋に行って、長い時間を過ごすのは、数少ない趣味といえば趣味だ。
        面白そうな本を探して、立ち読みしているうちに、数時間は経ってしまう。

先日、誕生日事典（正しい名称は忘れてしまった）という、凄く厚い本を見つけた。生年月日ごとに、どんな人間で、どういう人生を歩むかということが、克明に書かれている。思わず読み込んでしまった。

例えば、44年前の今日4月15日に生まれた人間は、「どうしようもない人間を助ける為に血道をあげる…」なんていう事が、ここ数十年の全ての日について、書かれている。　

その詳細な記述には、ちょっと圧倒されるものはあったが、人生が、生年月日だけで決るわけないでしょ…と思ったりもした。

自分の事を考えても、ここ20数年間のうちに、複雑な変化が起こっている。

何度かこのブログでも書いたのだが、大学生の時の、俺の所業には、心痛むものが多い。

既に社会人になっている、先輩の御宅を、日曜の午前零時（というか、もう月曜ですね）に訪れ、飲みに連れ出すという、今考えれば、非常識極まりないことを、日常的に行っていた。(勿論、ヒドイ所業の一例に過ぎない）

就職シーズンになり、俺が一般企業に就職する事を聞いた、その先輩は、「お前のような、どうしようもない奴が、一般企業に大人しく勤められるはずがない」と、飲みながら、俺に言うのだった。

曰く
・毎日、同じ時間にネクタイと背広を着て、通えるはずがない。サークルの宴会にも、時間通りきたことがないではないか
・大体、お前のように、好き嫌いが激しく、自分勝手な奴が、上司と上手く行きっこない
・社会人の家を、日曜の深夜に訪ねてきて、強引に飲みに連れだすような、非常識な奴が、会社勤めなんて、絶対無理無理。顔を洗って出直せ

飲んでいるうちに、更にエスカレートして、結婚なんて、とてもお前には無理だし、堅実な人生など、てんでお笑いだということになったのである。

「じゃあ、俺どうすりゃいいんですか？」と聞いた所、「アルバイトをしながら学生をするのが、ピッタリ」という、何とも情けない結論になった。先輩にかかると、殆んど人格破綻者のような言われ方なのだが、実際、周囲の見方も、要約すれば、ほぼ同じ。実は、俺自身、内心、否定できないものを感じていた。　根無し草のように、独りきりで、流浪してしまうのではないか…という、実体のない将来に対する不安が明滅するのを抑える事が出来なかった。

広島の飲み屋で、不安に打ち震えた時から、既に20年以上経過をした。

周囲の期待を大きく裏切り、同期で一番早く結婚をし、一番早く父親になり、今では、子供は、大学生と高校生、毎日、まがりなりにも、背広にネクタイで会社に通っている。　

平凡で単調な毎日の積み上げが、何よりも重要であると信じている。また、人との出会いは偶然ではなく、出会うべき時に、出会うべき人に遭遇すると感じているし、そういう必然に感謝をする気持ちが、強くなっている。　大学生のころには、想像も出来ない、奇跡のような、変化が、内外面ともに生じている。

もちろん、「奇跡のような」であって、「奇跡」ではない。　「変化」を可能にした明確な力がある。

大方の予想に反して、色々な事はあったものの、案外普通に、真っ当に、生きて来れたのは、一重に、「どうしようもない人間を助ける為に血道をあげる…」運命を背負った方に、ここ20年以上、ずっと寄り添ってもらい、助けてもらったからだ。　（まさに、恐るべし、誕生日事典）

ということで、お誕生日おめでとう。これからも、よろしくね。

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    <title>銀座のカラス</title>
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    <published>2008-04-14T14:37:21Z</published>
    <updated>2008-04-14T14:59:51Z</updated>
    
    <summary>弊社の入っているビルは、屋上が喫煙所になっている。...</summary>
    <author>
        <name>金田直之</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://voice.fresheye.com/lcat/">
        弊社の入っているビルは、屋上が喫煙所になっている。
        以前の喫煙所は、エレベーターホール（室内）だったが、消防法の関係などで、今では、屋根はあるものの、完全なるオープンスペースだ。

夏は、炎熱地獄、冬は猛烈な寒さ…という、過酷な環境の中、それでも、喫煙者の数は減るばかりか増加傾向にある。執務の区切りに、長いミーティングの後に、頭が働かない時…などに、多くの男女が集う、憩いの場所になっている。とは言っても、多くの場合、会釈をして、無言で、うつむきつつ紫煙をくゆらせるだけだが…。

この場所で、タバコを吸うようになって、もう数年が経過した。最近では、若い女性のスモーカーがほぼ半分以上を占めるようになった。時代の流れなのだろうか。

この場所の住人には、様々なメンバーがそろっている。いきなり、パイプをくゆらせる部長さん（っぽい人）。（この場所に、どれ位滞在するつもり？）　オープンスペースに入ってきたときには、既に一服やっている女性（エレベーター内で火をつけたの？）　微動だにしない不動の姿勢から、チェーンスモーキングする中年男性。

中でも、「彼」は特別だ。タバコは喫さず、寡黙に、ただひたすら孤独な瞳で、彼方を見つめている。いつも、黒尽くめで、とびきりお洒落な奴。

「彼」、カラス君なのだが、その艶やかな毛並みの美しさに驚く。最近、顔つきに、哲学者然とした風格も備わりつつある。憂いに満ちた横顔に、思わず見とれてしまうことも多い。

その眼差しの向こうには、何があるのか？　聞いてみたい気もするのだが、周囲の人類を歯牙にもかけない峻烈な姿に、どうしても躊躇してしまう。（もちろん、カラス語を、俺が存じ上げないことも、大きな要因だ）

彼は、とっても、ミステリアス。
何を考えて、都会の町並みを見つめているのか？　インテリジェンスさえ感じさせる瞳に、何を写しているのか？　そして、俺様の熱い視線をいつまで無視し続けるつもりなのか？　全ては、謎だ。　

何かを決意したかのように、メガロポリスに飛翔する姿も、とても粋でいなせだ。

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    <title>4月に想うこと</title>
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    <published>2008-04-11T16:37:03Z</published>
    <updated>2008-04-11T16:42:23Z</updated>
    
    <summary>あれれ、どうして？？？といううちに、もう4月も半ば。この前、正月だったと思うのだ...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://voice.fresheye.com/lcat/">
        あれれ、どうして？？？といううちに、もう4月も半ば。この前、正月だったと思うのだが、もう1年の4分の１が終ってしまった。


        4月といえば、期の初め。多くの会社では、ファイナンシャルイヤーの初めの月であり、弊社もそうだが、新しい予算に基づいて、新しいスタートを切る時である。なんと、清々しいことよ。

動きの早いIT業界においては、年間予算を編成するのは、かなり難しい。予算編成根拠となる各要素が、1年の間に、かなり変動をする。　成長しないネットベンチャーなど、ただの中小企業なので、当然のことながら、ステイクホルダーは、高い成長を期待する。

昔、鋳物工場の予算担当をしていたことがあるが、弊社と鋳物工場の予算は、同じ予算編成・統制でも、全く違う性質のものである。ぶれても、売上が上下１０％である鋳物工場の予算は、各費目ごとに、ある程度予測可能な範囲での差異をマネジメントするものである。それに対し、ネットベンチャー企業のそれは、リスクに満ちたアドベンチャーだ。数字にコミットするといっても、ネットベンチャーの予算にコミットするのは、清水の舞台から身伸のムーンサルトで降りるくらいの度胸が必要とされる。

であるから、まだ予測可能な目先の第一四半期は、出来るだけ堅く行きたいのが、人情だ。そうすると、必然的に、最終四半期に、思わず息を呑むほどシャープな成長が課せられるという状況に陥る。この、予測根拠が、時間の経過とともに希薄になるにつれて、売上がどんどん上昇する予算を、その月別売上の折れ線グラフが、ホッケーのスティックに形が酷似することから、「魅惑のホッケースティック型予算」と称することが多い。（この呼び名は、俺の経験では、万国共通だ）

その芸術的なまでの反り上がりには、血と汗と涙と願望と神頼みとゼロ学占星術…など色々な要素が複雑にミックスされた、経営者の熱き思いが込められているのだ。　そういう予算をみても、「これ、ホッケースティックじゃん」のように、直截的な指摘をゆめゆめしてはならない。「ご苦労なさったことで」と、静かに声をかけるべし。清く正しい経営者は、「まだまだ、至らぬことが多いもので…」と軽く頭を下げつつ、静かにお茶を立てる。まあ、そういう、しきたりになっているのだ。

1年間の予算でも、こんなに人間模様が交錯するのに、（交錯といえば、島耕作は社長になったそうじゃないの、おめでとう）IT企業にすら中期計画（5年間）が求められる。なんと不条理なことか？
中期計画も、3年目以降くらいになると、（俺の場合は）想像力の限界を超えていて、エクセルの前で、心臓がほぼ停止し、生体反応が失われたまま、固まってしまう。気を取り直して、よ～し、毎月５％づつ売上上昇だ…などと大雑把にいくと、5年目には、おいおい何故、こんな天文学的な数値になるわけ？というような数値になって、髪が逆立つ。

このように、予算というものは難しい。よく、予算とは、過去の数値などを統計的に処理して作成をする、サイエンスに属する領域のように思っている人もいるが、大きな誤りである。それは、そのビジネスに関わり責任をもつ人々の意思の表現であり、それ以上でも、それ以下でもない。そういう意味では、純粋にアートの領域に属するものといえる。

さて、そういう訳で、兎にも角にも、4月だ。昔、使っていた英会話の教科書にあった一文を思い出す。
All kinds of experiences await people- new work, new friends, new adventures in April.

そう、4月は、何もかも動き出す月だ。




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    <title>桜</title>
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    <published>2008-04-07T16:28:54Z</published>
    <updated>2008-04-07T17:13:19Z</updated>
    
    <summary>鎌倉という街は、とにかくやたら桜の木が多い。...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
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        鎌倉という街は、とにかくやたら桜の木が多い。
        先週、鎌倉山、今週は、北鎌倉を散策してみたが、尋常ではない数の桜である。それも、古木が多い。山と坂と若干の平地により構成されているのだが、山にも、桜が咲き乱れている。

一体誰が、あのように大量の桜の木を植えたのだろうか？それとも、これらは全て野生種？それにしては、道の両側に、整然と配列されているのが不自然だ。

今回、かなりしげしげと桜の木を見て思ったのだが、思い思いに、滅茶苦茶avant-gardeで、asymmetryな感じに、ビックリする。一体どうして、こういう大胆なポージングをするわけさ？

マーメイドは、「日光の射す方向で、形状が変わる」と尤もらしいことを言っているが、本当にそうだろうか？ごく近距離にある桜の木でも、枝の伸びる方向も、幹のツイストする感じもまるっきり違う気がするのだが？　人為的に、あの形状を目指し剪定したとすれば、庭師は皆、前衛芸術家ということになるし。とにかく不思議だ。

帰りはバスにのって、鎌倉駅へ。鶴岡八幡宮の大鳥居の前を左折し、段蔓を並走すると、桜吹雪がバスのボディに降り注ぐ。段蔓を過ぎると、俺は最後列で、小学生みたいに、後ろ向きに座って、景色を眺めた。窓から見える景色は、まさに桜のゲート。両脇に並んだ満開の桜の木から舞い落ちる花びら。

はらはらと散る桜も潔くて良いが、最後まで、散らずに残っている桜の花も、懸命に生きようとしている感じがして、好きだ。　

野茂英雄　メジャー昇格おめでとう。


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    <title>北鎌倉散策中に考えた事</title>
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    <published>2008-04-06T12:08:02Z</published>
    <updated>2008-04-06T15:54:33Z</updated>
    
    <summary>桜も今週で見納め。段蔓から鶴岡八幡宮周辺は、桜は素晴らしいのだが、観光客で混雑す...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
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        桜も今週で見納め。段蔓から鶴岡八幡宮周辺は、桜は素晴らしいのだが、観光客で混雑するので、俺達は、北鎌倉へと。
        北鎌倉のとある坂をテクテク登り、かつ細い階段をよっこらしょ、息が切れたところで、もう一つ坂を越すと到着するのが、我々がお気に入りのお店。元々ギャラリーなのだとは思うが、湯呑やアクセサリー等の作品が、壁の周囲に展示されている。

残りのスペースには、ベランダも含め、バラバラの形の、椅子と机がおかれ、軽食と喫茶ができるようになっている。　ベランダの先には、竹林が風にそよぎ、その向こうには、桜が咲き乱れている山を、遠くに臨むことができる。

本日は、突き抜けるような青空も美しく、ベランダから入ってくる風は、誠に涼やか、何ともいえぬ良い気持ちだ。

濃い目のコーヒーに、お酒につけたプルーン、濃厚なチーズケーキをいただく。おいしい。最高だったのは、コーヒー酒をかけたバニラアイスクリーム。アイスクリームには、コーヒー豆がふりかけてあり、ガリッと噛むと苦みばしった香りがアイスクリーム＆お酒とあいまって、何とも言えぬ芳醇な味である。

息子は野球に、娘は友達の家にでかけており、マーメイドと二人で、贅沢な昼下がりを満喫した。

店の中は、俺達同様、色々な年代のカップルで、満員～といっても10人分くらいしか、テーブルは用意されていないので、スペース的にはゆったりしており、灰色にブチの大きなネコが、店内を我が物顔に歩き回っている～どのテーブルも、ほんわか明るいムードに満ちているのであった。

この店は、別れ話や、慰謝料の交渉など、ジメジメした話には、全く不向きだし、原価計算、資本政策などお堅い作業にも、むかない。色々な陰翳を醸し出すには、明るく、オープンすぎる環境なのだった。

静かな幸福感が溢れる店内に、40歳位の女性が独り、ベランダの席で食事をとっていた。中肉中背で、髪が長く、いたって普通の女性であり、通常であれば、記憶にすら残らなかったと思う。

ベランダ越しに、遠くの景色をみていたとき、偶然彼女と目があってしまった。　ハットするほど鋭く、険のある目付。俺のほうをチラッとみた後、視線をはずして、遠くの景色に視線を移した。ただ、その目付きは、鋭いままだ。

この店には駐車場も無く、近くには普通の住宅しかない。であるから、客は、この店に来る事を唯一の目的として、長い坂と階段を登ってきている。偶然、良さそうなので入ってみる…ということは出来そうもない店なのだ。

あの坂を越え、この店を訪れ、長い時間を過ごす…一人で。　帰り道に、円覚寺を散策しながら、マーメイドと、「一人で、あの店に行く人って、どんな気持ちなのかなあ」という話になった。

結論としては、「自由な人」。　帰るべき場所があり、そこに誰かが待っている場合、決して一人で、日曜の午後3時に、あの店に行こうとは思わない…ということになった。

「自由」であること…。　それは孤独であることも意味するかもしれない。何物にも制約されない～何の組織にも、全く帰属しないか、帰属したとしても、都会のオフィスのように、非常に薄いつながりだったりする場合なのか。

でも、それは、逆に言えば、存在しないこと、存在していることに気付いてもらえないことにも、近いのではないか？　学生の時は、自らを制約するものを、全て忌み嫌い、「自由」であることを、最重要視していた気がする。

そんな「自由」、「孤独」には、もう耐えられそうもない自分に気付く。40歳を過ぎ、自らが存在し得るのは、自分と深く繋がった他者或いは組織の存在故であることを、潜在意識の中で、深く感じていることに、唐突に気付いた。

そういった制約条件、しがらみ、云々は、煩わしくも感じる事も多々あるが、とてもそれらをいとおしく思えるのも事実だ。随分、歳をとったということか？

円覚寺のお庭で、抹茶をいただく。何組かの家族連れが、笑顔で、桜を見物している。

この狭い庭は、四方を山で囲まれた小宇宙だ。平面的スペースは、僅かなのに、立体的スペースは無限だ。

マーメイドが言う。「私が、いなければ、貴方がここに居ても、存在しないのと同じよ」　

やけに、自信たっぷりなのは、癪に障るが、全く仰るとおりなのかもしれない。







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    <title>柴咲コウの歌詞</title>
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    <published>2008-03-28T17:30:35Z</published>
    <updated>2008-03-28T18:36:10Z</updated>
    
    <summary>上原ひろみと柴咲コウのCDを購入して聴いている。...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
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        上原ひろみと柴咲コウのCDを購入して聴いている。
        上原ひろみリーダーアルバム「Time Control」のほうは、BGMで聴くには、いいかなあ…という程度。とても聴きやすいジャズ、一昔前のフュージョンチックな感じなのだが、最近は、聴きやすいから、単にポップだから良いというわけではない…と思っている。　心の奥底に突き刺さる感じがないと、BGMといえども、何度も聴く気にはなれない。

柴咲コウのSingle Collectionについては、何度も繰り返し聴いている。

歌詞を、１５曲中９曲で本人が書いているが、これが見事な壊れっぷりで…。不適切な語句の選択、用法に満ちており、実際のところ何を意味しているのかは、本人にしかわからない。例えば、「影」という歌のフレーズでも…。

「そうした重みを伏せても　交わうことはできぬ　愛すべき　連れ人」

重みを「伏せる」ってどういう意味？、「交わう」って何故ここだけ文語調？、連れ人？

「せめて底へ　沈まぬ為にも　未知なる種をもった　君の後姿」

文法は、あっていると思うのだが、さっぱり意味が取れない

「君を取り囲んで唯一の糧にする」

取り囲むのが、「鍋」だと意味は通じるのだが…。君を取り囲むのは、一体誰なのだろう？「僕」のモノローグという形式の歌詞なのだが。（俺は、このフレーズを最初に聴いた時、ファーブル昆虫記に書かれていた、自分の子供の餌になる昆虫に、毒針をさして、仮死状態にして卵をうみつける蜂の話しを思い出した。この場合は、取り囲むのは、生まれた幼虫で、君は仮死状態の昆虫だが…）

「～傍目になり祈ろう　少しの念こぼし　その先に残るのは　呼吸のあとだけ」

こうなると、もう暗号か、スパムブログか…という感じなのだが、「傍目になり」という言い方は、流石に「祈る」にかからないだろう。「念こぼし」というのは、「念をこぼすこと」なのだと推測するが、そもそも「念をこぼす」というのがわからない。

「呼吸のあとだけ」というのは、わかるような気もするのだが、でもやっぱり意味不明なのだ。
「呼吸のあと」だけが「その先に残る」と言っている。「その先」は当然「念こぼし」の先を意味しているので、「念こぼしの先には、呼吸のあとだけが残る」ということなのだが、じゃあ「念こぼし」って何よ？という上述疑問に、戻ってしまう。

ただ、彼女が歌詞を書いた曲のほうが圧倒的に魅力的なのだ。他の人の作品だと、普通の、それこそBGM。対して、自作の曲は、意味は全然わからないものの、語感とアレンジと歌唱力で、聴いていると鮮やかな色彩がパッと広がる。しかも、そのイメージの中で広がる色と、タイトルがバッチリなので驚く。
キラキラする曲だなあと思うと、タイトルをみると「Glitter」だったり、真っ暗闇な風景が広がった曲には、「影」と名付けてあったり…。

聴き手のイメージを膨らませる為に、意識的に日本語を「壊している」としたら、とんでもない才能だと思う。

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    <title>道を極めること</title>
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    <published>2008-03-27T18:50:20Z</published>
    <updated>2008-03-27T19:47:05Z</updated>
    
    <summary>柔道、剣道、弓道…日本人は、道を究めるのが大好きだ。...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
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        柔道、剣道、弓道…日本人は、道を究めるのが大好きだ。
        どんな、普通名詞にでも、「道」さえつければ、極めるべき対象に変わるのだ。茶道、華道、演歌道、ラーメン道など。

生来のオタク気質というべきなのか、ニッチなエリアに、どんどんフォーカスすることが、良しとされるカルチャーが存在するような気がするのだ。それに対して、細部は知らないが、大掴みにトータルを俯瞰する能力というのは、余り尊重されないし、そもそもそういうものを能力として認識できる人も少ない。

サッカー日本代表バーレーン戦敗北など、まさに、その俯瞰力の欠如がもたらしたということも出来るのではないか？

先日、ある雑誌をみていたら、この道を究める感じが強いものとして、住宅街にぽつんとあるコーヒー専門店、こだわりの蕎麦屋、天然酵母パン屋が、挙げられていて、思わず、その通りと、相槌を打ってしまった。

この手のものとして、隠れ家風こだわりの多国籍創作料理屋、紅茶専門店、ワッフル専門店、門外不出・秘伝のスープをもつラーメン屋等次々と挙げる事ができる。

これらの店主は、大体脱サラをして、「好きな事」をしているわけだが、寡黙で、頑固、でも、その蕎麦やら、コーヒーやら、専門エリアになると薀蓄を饒舌に語ったり（実はスノッブで、おしゃべり）、一口目は、つゆにつけずに、お召し上がり下さいとか、客の食い方に注文をつけたりするのだ。

コーヒー屋の親父は、セーターにジーンズ、蕎麦屋の親父は、作務衣にバンダナみたいな手ぬぐい、天然酵母パンの女性は、赤いバンダナに白い綿シャツをきて、化粧っ気がないと相場は決まっている。店は、住宅街みたいなところにあり、狭いのだが、大体ウッディな感じで、いかにも自然に優しい、清潔感溢れる佇まいで、コーヒー屋ではジャズが、蕎麦屋では喜多郎が、天然酵母パン屋では、ヒーリング音楽がBGMとして流れている。

TVで取り上げられると、大層に、ここからは企業秘密なので…とか言ってスープの材料は撮影させなかったりする。おいおい、どんだけのもんじゃ？
また、「春の有機野菜サラダ」みたいな、独りよがりのオリジナルメニューを作って、ボール一杯に生野菜を盛ってきたりする。俺は、ヤギさんか？

こういう店には、また、それなりの常連客がついていて、夫々のニッチなエリアについて、薀蓄を語り合ったりするのだ。ベレー帽をかぶった親父などが棲息するのも、こういう店だし、自分は本物志向なの、ちょっと他の人とは違うの、という自己主張をもった彼女達も集結しそうだ。

ここまでは、俺の妄想だ。妄想ついでに更に付け加えると、この集団は、ロハスやNPO、ボランティアや湘南生活とは兄弟みたいなものだし、千の風になって、コブクロなどとも、同じ地下茎で繋がっている…のではないかしら。

このカテゴリーにはいるお店と、それを取り巻く人々に、俺は、どうしようもない、いかがわしさ、紛い物系の匂いをプンプン感じるのであった。もしかすると、俺だけか？

いずれにしても、「道を極めている」感じって、凄いエクスタシーなんだろうなあ…って思う。だから、どうしたって話だが。



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    <title>KYについての私の考察</title>
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    <published>2008-03-26T16:41:02Z</published>
    <updated>2008-03-26T18:06:01Z</updated>
    
    <summary>人と話す時には、相手の目をみて…とよく言われるのだが、中々出来ない。...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
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        人と話す時には、相手の目をみて…とよく言われるのだが、中々出来ない。
        恋人同士なら、まだしも、相手の目を見て話すなど、かなり恥ずかしいので、何となく、明後日の方向をみて話すことが多い。

時々、視線を全く外さず、まばたきすらしない人にお目にかかったりするが、極めて居心地が悪いし、ドライアイにならないか、他人事ながら心配になる。

本日、最寄り駅に近づいたので、電車出入り口付近に、立っていた。午後１０時過ぎだった為か、酔っ払っている会社員思しき人たちが多い。電車の中では、係わり合いにならないよう、ひたすら、目線を落として、体を小さく、目立たないようにしている。

今夜そうやって立っていたら、誰かの視線を強く感じた。斜め横の４０代会社員風の方が、不機嫌そうな視線を俺に向けている事に気付く。　目があったところで、向こうが目をそらした。

５分後位に、また何か、絡みつくような視線を感じる。斜め前の、くたびれた管理職みたいな、酔っ払いが、俺の顔を、厭な目付きでみている。その男は、視線を外して、何故か小さく舌打ちをした。

別に、今日乗り合わせた車輌が悪かったわけではない。　東京勤務の背広を着た通勤者は、常に不機嫌そうで、非常に苛立った、殺伐とした視線を、他者に向けている傾向が強い気がする。　そういうムードに、いつまでたっても慣れないせいか、この手の不躾な視線を敏感に感じることが多い。

こういうオジサン達も、会社では、それなりに上手くやっているのだろう。
部長に、「ナイスショット、流石ですね～」などとゴルフ場で、ゴマをすり、社長には直立不動なんだろう、恐らく、根拠は無いけど。

「KY」がバズワードになっている。要は、殆んどの人間が、空気を読むことに長けているので、「読めない」奴が、揶揄されるのだろう。でも、空気を読むって、そんなに大した事かよ？と思う。

直接の利害関係者に対してのみ、異常なまでに、空気を読み、対立を避け、何となく円満なムード維持に躍起になっているだけのことではないか？　その癖、この手の輩は、一歩外にでれば、人を不躾な視線でジロジロみたり、雑踏で、お年寄りを突き飛ばしても、詫びもせず、すたすた歩いていくのだ。（あくまで、俺の想像だけどね）

新入社員の頃、会社の偉い方から、ご叱責を受ける事が多かった。

俺が担当になると、隠蔽されていた在庫の巨大な差異、クレームレポートの山が、倉庫に放置され適正な費用請求がされていないこと等が、何故か次々と明らかになってしまうのであった。正確に言うと、空気の読めない俺が、明らかにしてしまったわけなのだが…。こういう場合、実際に問題を起こした前任者の皆様ではなく、常に発見してしまった俺が、責任を問われ、厳しく叱責される…というパターン。

やはりフレッシュマンだったとき、部品の発注を担当し、引き継がれた通り、必要展開部品数ー現在庫＋安全在庫という式に従っての自動発注システムで調達をしていたら、部品が全く足らなくなって、現場から怒鳴り込まれた。

よくよく、調べてみると、部品展開システムがおかしい、在庫棚卸の精度が最悪、安全在庫と部品納入の標準リードタイムが不正確…と、自動発注数の計算根拠が全ておかしかった…笑っちゃうけど。前任者は、そのことを知っていたので、部品を置くスペースが足らなくなる位の数の発注書を手入力で発行していたのだが（ルール違反）、責任問題になるので、俺には何も申し送りしなかったのである。

KYとは、正しい事、真っ当な事を、ムラの掟を破って行う事を意味する…ともいえる。本人、別に他意はないのだ。別に正義感があるとか、信念に燃えているというわけでもない。気付いたら、隠蔽された問題を明確にしてしまっただけだったり、ルールに従って、馬鹿正直に行動しただけなのだ。

ただ、そういう事をする奴は、余り愉快な経験をしないように、世の中できている。

同様・類似の理由で、これ以降も、今日に至るまで、人一倍苦労が多い俺の、飲み屋でのカミングアウトには、皆号泣必至だ、。　俺が、不良になったり、グレたりしなかったのは、奇跡的とも言える。　「KYの皆さん、君達は、別に多くの場合において、余り間違っていない」…と大きな声で、訴えたい。

まあ、ここまでの俺の話は、KYと無神経は全く違うコンセプトであるという前提に基づくのだが…。


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    <title>下関商業野球部に捧ぐ</title>
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    <published>2008-03-23T12:27:07Z</published>
    <updated>2008-03-23T13:49:12Z</updated>
    
    <summary>俺の通った高校は、旭陵と呼ばれる丘の上にあり、涼やかな風の吹きぬける場所にある。...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://voice.fresheye.com/lcat/">
        俺の通った高校は、旭陵と呼ばれる丘の上にあり、涼やかな風の吹きぬける場所にある。
        その丘には、もう一つ高校が、隣り合わせで存在する。下関市立下関商業高校。

山口県で唯一の市立高校であり、１８８４年に創立。１９世紀には、既に野球部をスタート。
蔵書数８万冊を誇る校内図書館「万古館」は、全国一の規模を誇り、オープンに使用可能。前述野球部は、甲子園大会に、春１３回、夏８回出場し、優勝一回、準優勝二回の素晴らしい成績を残している。

校訓はなく、その代わりに、「仁義礼智信和」をバックボーンに、現在でも、各クラスには、この一文字が使われる（つまり二年仁組というように）。
野球部のユニフォームも、その創設から、今に至るまで、その基本スタイルは変わっていない。昨今、派手なユニフォームが横行する中、真っ白なユニフォームの胸にSの一字。なんとシンプルで、なんと美しいことか。　帽子にも、ブラスバンドの楽譜入れにも、全てSの一字のみが、清々しくプリントされている。全てのSの字は、大きさ、太さが厳格に決められており、守られている。

Sと言えば下関、商業といえば、下関商業…という強烈なプライドが、そこに表現されているのだ。

全国に、どれだけの高校があり、彼らが巨大な資金を投じ、選手を買い集め、専用スタジアムをつくり、甲子園請負人を監督して招聘して、甲子園に何回出場し、優勝したとしても、どれほどの事があるというのか？下関商業ほど、積み重ねた歴史と伝統のオーラを纏ったチームが、どれほど存在するだろうか？

長い間、低迷を余儀なくされた下関商業が、２９年ぶりに選抜大会に戻ってきた。選手名鑑をみると、他県の出身者はほぼゼロ。シニア出身者も１～２名しかいない。４番でキャッチャーは、俺と同じ中学出身。つまり、普通の公立中学で、普通に軟式野球をやってきた下関の子ども達の集まりだ。この子ども達が、中国大会４試合で、３試合サヨナラ勝ちをして、甲子園までやってきたのだ。

本日、大阪代表履正社と対戦。胸にS一字の真っ白なユニフォーム達が、グラウンドに散開する…。

初回と三回に一点づつ取られる。なおも、激しい攻撃を受けるが、追加点は許さない。二点をリードされた最終回。相手投手の出来からみて、これで終りかと思われたその時、ドラマは始まった。３番バッターが、美しい軌跡を描いて左翼スタンドにアーチをかける。スタンドのどよめきも静まらない中、５番でエースの島田キャプテンが、同点のホームラン。
１０回裏に、センターがフライを落球して、サヨナラ負け。

下関商業は、最も強い高校ではないだろう。でも…

歴史、品格、伝統、田舎の野球少年達、最終回での奇跡、悲劇的な敗北…プロ予備軍が席捲する甲子園大会に、突如舞い降りてきた、時代遅れの天兵のような、胸にS一字のユニフォームを纏った彼らは、この選抜大会において、最も美しく、記憶に残る存在であったように思う。

夏に、もう一度甲子園でお会いしましょう。待ってます。

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    <title>体温と気温</title>
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    <published>2008-03-17T15:57:17Z</published>
    <updated>2008-03-17T16:49:27Z</updated>
    
    <summary>風邪から中々完全回復しない。...</summary>
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        <name>金田直之</name>
        
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        風邪から中々完全回復しない。
        急に気温が上がって、お外は、相当春めいているのだが、まだ咳はでるし、喉は痛いし、食欲は回復していないし…。中々、気持ちは、華やがない。ドヨ～ンとしたままである。

前エントリーで、俺の体温計フェチぶりをご紹介したのだが、実は、母親からの影響もあるのかもしれない…とも感じている。

田舎の家というのは、基本的に大雑把にデカイ。俺が、中高を過ごした家は、平屋で、７ＬＤＫくらいあって、姉が大学に進学した後は、お袋と俺の二人で住んでいた。当然の如く、７LDKあっても、殆んど使わないので、「開かずの間」的な部屋もでてくる。

うちの母親は、この全ての部屋に、気温計と湿度計を設置していた。また、毎日チェックを怠ることもなく、今日は気温が、昨日に比べて２度高いなどのコメントを、非常に自然に、会話に織り込むのを常としていた。

彼女の頭の中には、各部屋の気温の差異、季節別、時間別の折れ線グラフの傾きなどが、整然と整理・記録されているかのようであった。

実は、俺は、恥ずかしながら、この状況を至極普通であると理解をしていたのだ。つまり、ついこの間まで、どの家庭でも、気温計と湿度計は各部屋に設置されていると思いこんでいたのだ。

しかも、それは、割とマメに計測され、家族メンバーに、確実にシェアされるべき情報種として、一家の主婦が把握すべきあることを、露ほどに疑うことはなかったのだ。

気温や湿度に対して、我が家のような情熱をもって、各家庭が、接しているわけではないことを知ったときの、俺の精神的ショックは、筆舌に尽くし難い。　そんな馬鹿な、一体何を信じて生きていけばよいのか？　俺の生活は、荒んでいった。あの日、君に出会わなければ、今でも、賭け花札に命を張るような生活をしていたに違いない…。

さて、各部屋に、気温計と湿度計を設置し、更に毎日その数値を、何十年にも渡ってチェックを続けたのは、如何なるモチベーションによるものなのだろうか？

我が母親のことながら、そのあたりが全く謎なのだ。マーメイドからは、母親は気温を、息子は体温を、理由もなく激しいパッションでチェックする不可思議な親子と思われている。

温度計と体温計の間には、何があるのか？何もないのか？心が早鐘を打つ。

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