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ブログを書き始めて、未だ嘗て無く更新しなかったが、別に死んだわけでも、病気になったわけでもない。ただ、ひたすら忙しかったここ1ケ月、皆さん如何お過ごしでしょうか?

この連休に、親戚の娘さんが結婚式があり、うちの母親を含む親戚が下関から上京した。昨日は、鎌倉見物。帰りに、拙宅で夕食。とても楽しい時間を過ごした。

幼い頃、家に親戚が集まることが多く、最盛期の正月には30人は超えていたと思う。その頃から、夜になって、一家族帰り、二家族帰り…と人が少なくなるのが、とても寂しくて、いっそのこと皆で一緒に暮らせないか…と思っていた。大家族は、煩わしいだろうが、楽しいだろうな…と今でも思う。15人位子供を作れば良かったと臍を噛むのであった。

今回、皆が帰るのを見送った時感じた寂しさは、幼い時とは異質なものだった。

昔の大人は、本当に大人だった。コミュニティで重きをなし、平凡な日常の中で、毎日を自信をもって過ごしているようだった。 誠実に今日と寸分変わらぬ明日を生き、予測可能な未来を着実にものにしていく。八百屋の息子は八百屋を継ぎ、魚屋の息子は魚屋を継ぎ、多くの友人に恵まれ、行きつけの感じのいい飲み屋をもつ。庭のある家をもち、休日には釣りをし、庭の手入れをし、犬と散歩し、夕方、子供とキャッチボールをする。

彼らには、迷いがなかった…ように見えた。その根幹には、地域にしっかりとした根を張り、地縁者、血縁者との密な関係があり、年長者というロールモデルがあった。

俺は、田舎に存在するそういう様々なシガラミが嫌でしょうがなかったし、そういうものから自由になるために、下関を出て、既に30年近くになる。

今回、皆を見送ったとき、痛切に感じたのは、彼らにはあって、俺にはないものを痛切に感じたからだ。生まれた街を遠く離れて、信じるべき原則、よって立つべき基盤を失い、未だに迷いの中にいる。

We are all a lost generation なのかもしれない。 色々なものから束縛されない自由は手に入れたものの、まだ確固たる何かを得てはいない、非常に不安定な存在だ。

マーメイドからは、「お母さんが帰ったので、寂しいだけなのね。」随分な言われようだが。(まあ、多少はそういう側面もあるかも。男は、大なり小なり100%マザコンだから、別に全然恥ずかしくないのだ。)

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