« 2008年09月 | メイン | 2008年12月 »

2008年11月22日

お引越し

本日引越しをした。銀座の数寄屋橋スクランブル交差点前のビルで、足掛け8年過ごした。この度、ビルのオーナーが替わり、建て替えることになり、新オフィスに移転することになった。


人数的にかなり手狭になっていたが、丸の内線、銀座線、日比谷線に直結で、有楽町線には徒歩5分、東京まで一駅という抜群のロケーションの為、こういう事でもなければ、このオフィスを出る気にはならなかっただろう。

今日は、午後から全員で引越し作業。俺は、実は昨日の午後ほぼ作業完了をしていて、邪魔になりそうだったのでオフィスを途中で出た。

オフィスを出るまでは、無造作にヒョイって感じだった。エレベータに乗り、地下二階に降り、銀座線の改札まで歩く。一歩づつオフィスから遠ざかっていく。何か大切なものを、置き忘れてきたような気持ちが、どんどん強くなっていくのだった。

この8年間で、多くの人とあのオフィスで出会った。今もなお、働き続けている人、病気でお辞めになった人、失意のうちに去った人、仕事をやり切ったうえで弊社を退職した人、中途半端なまま消えていった人、病魔と闘い亡くなった人…本当に色々な人との出会いや別れを経験した。

様々な思いが詰まったあのオフィスにきちんとサヨナラを言わずに出てきたような後悔の念が強くなっている。今頃、ロッカーや机、PCやサーバーは全て搬出され、何も無くなったがらんとした状態なのだろう。何か、とても悲しくて、寂しい。

オフィスは単なる入れ物にしか過ぎない。日頃、オフィスに何か思い入れを持つことなど無い。今となっては、というか今初めて、とてもかけがえの無い存在として、ズシっと重たく感じている。

でも、もうあの場所に戻ることは二度とないのだ。 嘗てそうだったように、過ぎ去った時間、別れた人々、失くした夢、猫の森には帰れはしないのだ。

喪失と再生のドラマを我々は生きている。そして、この寂寥感は、新たなストーリーのプロローグである事を俺は知っている、よ~く知っている。だけど、もう少し、このセンチメンタルな気持ちに浸っても、よろしゅう御座いますか?よろしゅう御座いますとも。

次のオフィスは、浜松町。浜離宮、増上寺が近くにあり、ビジネス街ではあるが、それほど騒がしくもないエリアで、悪くはない。 どんな奇想天外なドラマが待ち受けているのか、ちょっとワクワクする。(でも依然メソメソしている。 性格なのでしょうがない…です)

2008年11月18日

公立高校不合格問題

鎌倉の中学、高校は、土地柄なのか、割とのんびりしている。ただ、神奈川県内では、かなり荒れていて、授業が成立しないところも多々あるとは、聞いていた。

神奈川県の県立高校で、平成17、18、20年度入試において、願書受け付け時や受験日に「まゆをそる」「ズボンを引きずる」など髪形や服装などを独自に評価し、「入学後の生徒指導が困難」と判断した計22人を試験においては合格ラインを越えていたにもかかわらず、不合格としていた。県教委は「非公表の選考基準で選抜したことはルールを逸脱している」として謝罪した。

当該高校の校長は、処分を受け、その職を追われた。非公表のルールで、合否を決定するのは、フェアではないし、当然の処置のように思えた。

更迭された校長を学校現場に復帰させるべく、保護者、生徒らが署名活動を実施。嘆願書の署名は生徒234人を含む計3380人。県教委などには1300件を超える意見が寄せられ、その9割以上が「校長の判断は正しい」「風紀の乱れを事前に守ろうとした校長がなぜ解任されるのか」など前校長を擁護するものだった。

地元関係者の中では、この校長は圧倒的な支持を得ているのだ。

報道によれば、以前の同校は校内に飲食物が散乱し、喫煙やいじめ、盗難などが絶えず、近隣のコンビニエンスストアなどには「●●高生の立ち入り禁止」の張り紙が出され、アルバイトを断られたり、バスへの乗車拒否などがあった。中退者は全校生徒約350人に対し、年間100人。謹慎処分を受ける生徒も絶えなかった。

つまり、この高校は危機的状況にあった。

この危機的状況を保護者や近隣住民、生徒と密にコミュニケーションをとりながら改善していったのが、この校長先生で、結果として、学内のごみは消え、周囲住民からの苦情、補導数が激減した。 その施策の一つが、入試時点で問題を起こす懸念のある受験者を不合格とする~つまり今回問題となっている事象である。

この校長は、ハードワークの末、荒廃しきっていた高校を立て直した功労者であり、この改善を継続・発展させる為には、今後も彼の指導力が必要であると、関係者は考えている。

問題を起こす懸念を抱かせる「服装、髪型」の生徒は、入り口で排除すべしという考え方を是とし、非公表、公表は、更迭理由になるほど重要ではない…という考え方が、背景にある。

嘆願書で展開されている主張は、正当なのか? この不合格問題は以下のようなベーシックな議論を包含している。

・「服装、髪型」などが選考基準になるのは、常識の範囲なのか、やはりルールとして明文化し、公表すべきだったのか?

・そもそも「服装、髪型」などは、公表したからといって、公立高校の選考基準として、適切なのか?

・地元店舗やバス利用を、その高校に所属するからといって拒否され、3分の1が中退する状態は、危機そのものであり、ドラスティックな手段(今回のような)を使うことも止むを得ないのではないか?

・本来、幾ら「公立」高校と言っても、義務教育ではない機関に、家庭での躾に負う部分まだ肩代わりさせるのは、無理がないのか? 神奈川県には、授業が成立しないほど荒れている中学が、多々存在すると噂に聞くが、その問題は、単に高校に先送りされているだけではないのか?

今回のケースを、「選考基準の公表・非公表」のように矮小化して捉えると本質が見えてこない。

公立高校教育の役割、地域コミュニティにおける高校の位置づけ、家庭教育の機能不全…など根本的な問題についてオープンに討議を開始する契機とすべきではないか?

2008年11月17日

憂鬱な土曜日

ず~っと映画を観ていなかった。「落下の王国」のDVDは、PCが古いせいか起動しなかった。

土曜日にマーメイドと映画に行こうという話しになった。俺は、レッドクリフかICHIを観たいと主張したのだが、「重たいものは嫌」と言われて、彼女の主張する「ハッピーフライト」に付き合うことにした。

映画評でも、「スリリングで、テンポが良く、抱腹絶倒」などと高評価が多く、同じ監督作品である「ウォーターボーイズ」「スイングガールズ」は、結構笑えたので、そこそこは面白いのではないかと思っていた。

しかし、邦画は、テレビドラマの2時間物紛いで、何故これを大きなスクリーンで見せる必要があるのだろうと首を傾げるものも多いので、若干の不安も感じつつ東海道線に乗る。(鎌倉には映画館がない…悲しい)

最初の15分間位で、「こ、これは一体何だ?」という感じになり、30分位で、退席したくなった。結局、最後まで見たのだが、とても辛くなった。

飛行機関連の色々な業務に携わる人々をコミカルに描いている。飛行機を飛ばすのは、こんな色々な業務があって大変なんだ…ということは、良くわかった。航空会社のPRフィルムであれば、良く出来ている。

でも、ただそれだけ。夫々の登場人物が、とても類型的で薄い。誰が主役かわからない。共感したり、引き込まれるところがない。ストーリーも、かつて流行ったパニック物に酷似しており、ビックリすることは何もない。幾つかのエピソードが同時展開するのだが、どれもこれも中途半端で浅い。

それにしても、新聞、雑誌の映画評というのは、本当に観て書いているだろうか?全然スリリングでも、抱腹絶倒でも、なかったぞ。

この映画のために、平塚まで行ったのだが、シネプレックス平塚までの道が非常に寂しい。まるで、下関のグリーモールだ(と言っても、誰もわからないと思うが)。 シネコン+ショッピングモールになっており、パティオ状になった広場でミニコンサートなどやっている。キーボードとベースとヴァイオリンのバンドで、凄くお洒落な感じなのだが、見ているのは、近所のお子様と買い物かごを下げたおばさん、補聴器をつけた爺さんと婆さんなど。曲が終わった後の拍手もまばらで、妙に痛々しい。

退屈な映画、寂しい通り、痛いミニコンサート、日常感溢れ過ぎのショッピングモール~一部の隙もないドンヨリ感。 俺の貴重な週末の昼下がりは、こうやって物憂げに過ぎていったのだった。

2008年11月10日

ちょっとした刺激に反応してしまう話

普段なら、何も感じないことに、ビビッドに反応してしまうことがある。

ここ1ケ月色々と忙しくて、音楽や読書からも遠ざかり気味。 先日久しぶりに電車の中で、何気なく聴いてみると、一々感動した。乾ききった心に、水が染みとおる感じ…というのがオーバーじゃない位。「消えてしまう痛みなんて、本当の悲しみじゃない」みたいな歌詞が、妙に響いて、我知らず、涙を流しているという有様。横に座っているおっちゃんが、薄気味悪そうな目で見ていた。泣いている理由は、俺自身にも良くわからない。突然泣き出した40過ぎの男って、周囲の人間にとって、かなり不気味なんだろう。

余り、根詰めて仕事をすると、ヘンになるので、皆さんも気をつけましょうね。

何かの刺激に反応するといえば、大学の後輩で、飲んでいる時に、「お袋」「親父」などのタームを聞きつけると、激しく反応して泣いてしまう奴がいたのを思い出した。

「親父さん、熱燗もう一本」
「金田さん、僕…(既に涙ぐんでいる)」
「ど、どうした。気分が悪いの?もしかして、俺何か悪いことした?」
「親父が、事業に失敗して、お金がないのに、ぼ、ぼくを、大学に入れる為に、苦労して…(号泣)。それなのに、僕は浪人してしまって…」

世の中で、最も不幸な出来事の一つは、宴会のときに、偶然泣き上戸の人の前に座ってしまう事ではないか…と俺は確信をしている。俺は、その当時、飲んだら騒ぐぜ、騒ぐと飲むぜ&暴れるぜ…というノリの人だったので、こういうウェットなのは、無理無理、勘弁してくだせえ…という感じだった。

「そ、そうか、それは大変だったね。ところで、え~っと(兎に角、話題を変えたい俺)刺身の三点盛りは、何人前必要かなあ、さつま揚げもオーダーしておこうか? ここの、がんも、袋の中にお餅が入ってて美味しいよ」
「お、お袋も、僕を励ましてくれて(号泣)。でも、僕は浪人してしまって…。でもこうやって入学できて、お酒も飲めて…ぼ、ぼくは幸せ者です…」 彼が幸福に浸っている間、俺はとてもブルーだったのを記憶している。

これまで、数十回聞いており、筋も暗記している話なのに、必ず笑いのツボを、激しく突くものもある。

奄美大島出身の会社の先輩が、「奄美には、(人の背丈より)大きいソラマメがある」という与太話などは、既に何度聞いたか判らない話であるにもかかわらず、いつも可笑しい。

彼が、「奄美にはさあ…」と切り出した段階で、周囲の人間既に笑う準備OKだ。皆、心の中で、「あれだ、あれ、奴のあの話がでるぞ~。ついに、あの話が炸裂するもんね」と期待感が、急上昇カーブで、膨れ上がるのを、どうすることも出来ないのだった。

「実は、さあ、奄美には、象よりでっかいソラマメがあるんだよね」 話すたびに、豆が巨大化の一途をたどるのも、ビミョウなアクセントになっている。 

ということで、何かの刺激に、痛烈に同じ反応をしてしまう話でした。

2008年11月06日

ロストジェネレーション

ブログを書き始めて、未だ嘗て無く更新しなかったが、別に死んだわけでも、病気になったわけでもない。ただ、ひたすら忙しかったここ1ケ月、皆さん如何お過ごしでしょうか?

この連休に、親戚の娘さんが結婚式があり、うちの母親を含む親戚が下関から上京した。昨日は、鎌倉見物。帰りに、拙宅で夕食。とても楽しい時間を過ごした。

幼い頃、家に親戚が集まることが多く、最盛期の正月には30人は超えていたと思う。その頃から、夜になって、一家族帰り、二家族帰り…と人が少なくなるのが、とても寂しくて、いっそのこと皆で一緒に暮らせないか…と思っていた。大家族は、煩わしいだろうが、楽しいだろうな…と今でも思う。15人位子供を作れば良かったと臍を噛むのであった。

今回、皆が帰るのを見送った時感じた寂しさは、幼い時とは異質なものだった。

昔の大人は、本当に大人だった。コミュニティで重きをなし、平凡な日常の中で、毎日を自信をもって過ごしているようだった。 誠実に今日と寸分変わらぬ明日を生き、予測可能な未来を着実にものにしていく。八百屋の息子は八百屋を継ぎ、魚屋の息子は魚屋を継ぎ、多くの友人に恵まれ、行きつけの感じのいい飲み屋をもつ。庭のある家をもち、休日には釣りをし、庭の手入れをし、犬と散歩し、夕方、子供とキャッチボールをする。

彼らには、迷いがなかった…ように見えた。その根幹には、地域にしっかりとした根を張り、地縁者、血縁者との密な関係があり、年長者というロールモデルがあった。

俺は、田舎に存在するそういう様々なシガラミが嫌でしょうがなかったし、そういうものから自由になるために、下関を出て、既に30年近くになる。

今回、皆を見送ったとき、痛切に感じたのは、彼らにはあって、俺にはないものを痛切に感じたからだ。生まれた街を遠く離れて、信じるべき原則、よって立つべき基盤を失い、未だに迷いの中にいる。

We are all a lost generation なのかもしれない。 色々なものから束縛されない自由は手に入れたものの、まだ確固たる何かを得てはいない、非常に不安定な存在だ。

マーメイドからは、「お母さんが帰ったので、寂しいだけなのね。」随分な言われようだが。(まあ、多少はそういう側面もあるかも。男は、大なり小なり100%マザコンだから、別に全然恥ずかしくないのだ。)