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2008年07月28日

スタンドの球児たち

甲子園大会が始まる。

息子が、高校球児になってから、少し見方が変わってきた。グラウンドで躍動する選手よりも、ユニフォーム姿で、スタンドに陣取り、応援する子供たちへ、気持ちが傾く。

野球部というのは、拘束時間が長い。一回戦や二回戦で敗退する高校であったとしても、かなりの高校で、朝練習をやり、夕練習を行い、休日も長時間練習をしている。家に帰ったら、既に勉強する体力も気力もなく、疲労困憊ということもあるだろう。

9人で行うスポーツなのに、部員数は、40,50名いるのはザラ。名門校など100人以上在籍していたりする。その多くは、中学から名門シニアチームで、硬式野球していたメンバーである。

つまり、多くの高校において、ベンチ入りの18人に選ばれるのは、非常に難しいことだし、レギュラーになるのは、更に難しいというのが現実である。野球という面白いスポーツをやりたくて入部したのに、試合に出られないという、非常に矛盾に満ちた状況に、多くの子が陥る。

今や、未経験者が高校から野球を始めるような、牧歌的な世界はなく、多くは、小学校から野球を本格的に始めた子供ばかり。小さいときから野球ばかりやっている彼らは、野球の技量や身体能力の差異などは、直ぐわかってしまう。

恐らく、大半のメンバーは、クラブ活動開始後、余り日をおかずに、自分は、将来レギュラーになれない、ベンチ入りできないのでは?ということは、薄々わかってしまうに違いない。

多くの一年生は、新チームになった当初の8月の猛練習で、また2年生は、新チームのメンバーが固まる初春に、多くの退部者がでると聞く。その時期に、自分の将来に対する疑問が、確信に変わるのだろう。

試合にでる見込みが、絶望的に低い状況でも、毎日長時間練習をして、泥のように眠る単調な生活を耐えている多くの高校生がいる。彼らは、スタンドでメガホンを叩いて、陽気にチームの勝利を応援している。

高校野球の予選をテレビ観戦しているとき、スタンドの球児たちは、どういう複雑な想いを抱えているのかとても気になるのだ。

目的が、野球をすることから、野球部に3年間所属することに、変わったのか?それは、妥協なのか、前向きな選択なのか? 野球部の生活が終わった後、心にぽっかり穴が開いてしまうのではないか? 進学、就職など、未来のことは、少しでも考えたことがあるのか?

彼らの気持ちは、さっぱり判らないが、悔いのない時間を過ごして欲しいと思う。本当に、心から。

2008年07月22日

凄いものを観て来ました

『真似は得意だけど、オリジナルなものを創造する力には、欠けている』…と言うのは、欧米人の一般的な日本人評である。

こういう知性と教養の欠如した与太話をする欧米人を見かけたら、即連れて行くべきだ、東京国立博物館に。

本日、マーメイドと、上野の東京国立博物館に行って参りました。お目当ては、2つの特設展で、「フランスが夢見た日本ー陶器に写した北斎、広重」、「対決 巨匠たちの日本美術」。

「フランスが夢見た日本ー陶器に写した北斎、広重」では、パリ・オルセー美術館所蔵ジャポニズム全盛時のテーブルウェア(皿です)を、元絵に使われた浮世絵の日本の版画や版本と対比して展示している。

要は、絵の描いてあるお皿なのだが、びっくりするのは、北斎、広重の原画と、色も構図もまるで同じということ。浮世絵にインスパイアされて、創造した…というのではなく、明らかに忠実なコピーを作成しようとしている。

原画のもつ圧倒的なまでの美しさをみると、如何にこれら日本の浮世絵が、当時のフランス人を魅了したか分かる。微妙なグラデーションをみせる色彩の深さ、細部にわたる描写力、あっと驚く大胆な構図。。。

北斎、広重を前にすると、オルセー美術館所蔵のテーブルウェアは、グレードダウンしたコピーにしか見えない。

昼食後、「対決 巨匠たちの日本美術」を見に行く。これは、日本美術界を代表する巨匠たちの名作を、対決形式でみせるというもので、国宝10件、重要文化財40件を含む100作品以上が展示されている。

対決するのは、
運慶と快慶、雪舟と雪村、永徳と等伯、光悦と長次郎、宗達と光琳、仁清と乾山、円空と木喰、大雅と蕪村、若冲と蕭白、応挙と芦雪、歌麿と写楽、鉄斎と大観。

時代も、作風も、全く違う作品が、このライバル関係にある巨匠達の「ガチ対決」という図式で、展示されている。

もう、言葉を失うほどに、呆れ果てるほどに、自由で、個性的なのだ。

スマートでセクシーな地蔵菩薩。雪村の描く人物のアニメ的躍動感。黄金をバックに、豪快な松。 墨一色で描かれた松林図の奇跡的な表現力。黄金と緑だけで表現した蔦の道。光琳の描く波は、雲海のようだし、菊は、飛び出してきそうな立体感をもつ。見たこともないほどカラフルな、仁清の壺と鉢。鉄斎と大観の個性的な富士山…など書き出したらキリがない。

別に専門家でも、美術愛好家でもない俺だが、そんな素人さえ、作品のまえで釘付けだ。

そんな中でも、俺がかなりビビッタのは、蕭白&若冲、応挙&芦雪。

蕭白&若冲について、一言でいうと、マジでヤバイ。もう違う世界にイッチャッテル感じ。強烈な色彩、ありえない構図、なまめかしい目つき、いかがわしい雰囲気。(解説書を読むと、蕭白すら許容した当時の日本美術界の懐の深さは、驚嘆に値する…とある)

応挙の虎は、既に虎ですらない。エイリアンチックな上に、目は深い緑で、不適な笑いを浮かべているように見える。芦雪の虎は、襖に書かれた虎としては、日本最大らしい。異様に長い尾、顔より大きな前足、そのうえ顔は案外可愛かったりする。

ユニークさ、爆発感、脈絡のなさは、一体何なのだろう。自由だ、個性的だという場合、何か予め基準になるものが想定されて、その対比で自由だったり、個性的だったりするのだろうが、これら作品群をみると、そういう次元ではなくて、突如出現した異物という感覚がする。上手く表現できないが…。こういう事って、作者個人に帰するものなのか、日本人のDNAに流れているものなんでしょうか? 

とにかく、凄まじいものを観てしまった。

この拙文を読んで,「何をオーバーな…」って思っている皆さん、ほんとビックリするから、観に行って頂戴。

2008年07月16日

雑記

先日、マーメイドとランチをいただく。

海沿いの、イタリアンのお店でコースをとる。真っ白なテーブルクロスのうえに、ガラスのコップが置いてあり、水を入れると陽の光を反射して、キラキラ輝く。

窓からは、サーフィンやカヌーをのんびり漕いでいる人が、小さく見える。コースを注文した客は二階で食事をするシステムになっている。我々をいれて3組がいたのだが、誰もが言葉無く、休日の海を見つめている。

唐突に気付いた。俺、かなり疲れている。スターターが、きっちり中4日でローテーションを守るように、張り詰めた思いで毎日を過ごしている。 気付かないうちに、色々なものが蓄積してきているのを、感じる。

マーメイドは、そんな俺の思いを知ってか知らずか、パクパク、パスタを食べている。初夏の太陽は、眩しく柔らかく注ぐ。コップの表面に水滴が浮かんでいる。

海鮮リゾットをいただき、ポークを使った怪しげなメインを平らげ、アプリコットをパイにして冷凍してソースをかけて、何やらかんやらというデザートをいただく。やけにメリハリの利いた給仕ぶりに、ちょっとイラッとする。

遠くでカヌーを漕いでいる人は、何度も何度も方向転換しては、同じルートを行ったりきたりしている。俺たちは、それをみて、彼の目的は何なのか?実は、ニッチもサッチもいかず、困惑しているのではないか等、他愛のない会話をポツリポツリしては、少し笑った。

考えなくてはいけない事が沢山あるけれど、記憶の彼方だ。呪文のようなレゲエが流れる店内には、喪失感*焦燥感*虚脱感で満たされ、トラップされている。

サヨナラと言えばいいのか、帰って来いと言えばいいのか、スタートでもなく、ゴールでもない、そんな取り止めの無い時間だけが流れていくのだった。

2008年07月10日

国会議員の要件

7日夜、加藤紘一議員が、2002年に北朝鮮から一時帰国した拉致被害者5人を「北朝鮮に戻すべきだった」と語ったとのこと。

加藤氏は、当時の日本政府が北朝鮮との約束を反故にし、同国に被害者を返さなかったことを、北朝鮮との対話が進まない原因としてあげ、この政府決定、またその際に主導的役割を果たした安倍議員を批判している。

ギリギリの状況下、拉致被害者は、自分達の意志で、日本人として日本で暮らすことを決めた。政府は、彼らの意思を尊重し、彼らを守りきった。

あの当時、彼らが、北朝鮮に送還された場合、最悪生命の危険を含め、様々な迫害、弾圧など深刻な不利益を被る可能性があった。 国民を守る為に、政府の為した決断は、妥当であったと思う。

日本には、言論の自由がある。どんな世迷言であれ、発言するのは自由だ。しかし、社会的責任の重い人たちは、語る内容について、責任と覚悟をもつべきだ。

2002年の状況を鑑み、事象から過ぎ去った6年という歳月を考えると、今になって「彼らを北朝鮮に返すべきであり、政府決定は誤りであった」と、当時も今も安全地帯にいる人間が、発言することには、極めて大きな違和感を覚える。非常に唐突であり、何らかの政治的思惑のみならず、その人間性に大きな疑問を持たざるを得ない。

彼は国会議員であり、政権与党の有力政治家である。
言うまでもなく、国会議員として、国益を重んじ、国土、国民を守ることを最重要に考えなくてはいけない立場にある。しかし、彼が守ろうとしているのは、本当に日本人であり、日本なのか? 

報道されているのは、彼のコメントの一部に過ぎない。何か深い考えがあるのかもしれない。そういう意味では、加藤氏には弁明の機会を与えるべきだと思う。

しかしながら、既に報道をされている内容が、彼の真意である場合は、少なくとも日本の国会議員職を務める要件は満たしていないのではないか?北朝鮮の国会議員には、向いているかもしれないが…。

2008年07月07日

引きこもりの週末

もうこれ以上頭が働かないので仕事は終り。

この週末、鎌倉は深い霧に覆われて、湿度が高かった。とても、外に出て行く気にはならない。除湿をかけて、自分の部屋に引きこもってしまった。

湿度が低く、涼しいお部屋で、アイス珈琲を飲み、音楽を聴きながら濫読生活。土日は、『甘粕正彦 乱心の曠野』『揚令伝』『ルーキーズ』『銀魂』(最新刊)を読んで過ごす。漫画も小説もノンフィクションもごちゃ混ぜで、多少混乱気味だ。登場人物が、皆暑い…じゃない熱い。

ルーキーズは最終刊から読み始めてしまって、2巻飛ばしで、後ろに戻っているので、途中経過は全て推測だが、各巻読みながら、肩を震わせて本気で泣いてしまった。真夜中、コミックを握り締めて号泣する45歳というのは、かなり不気味な図なので、人には見せたくない。(部屋に鍵をしめて読む)

「今を生きている。今生きなければ、死んだも同然なんです」熱い。泣けるぜ。

白洲次郎という人がいた。(FEペディアから抜粋)

白洲 次郎(しらす じろう、明治35年(1902年)2月17日 - 昭和60年(1985年)11月28日)は、兵庫県出身の日本の実業家。終戦直後GHQ支配下の日本で吉田茂の側近として活躍し、貿易庁(通産省)長官等をつとめる。独立復興後は、東北電力会長等を歴任した。夫人は、作家・随筆家の白洲正子

白洲は、GHQ / SCAPに対して当時の日本政府および日本人がとった従順過ぎる姿勢とは一線を画し、イギリス仕込みの流暢な英語(白洲は日本語を話す方が訥弁になった)とマナー、そして本人が元々持っていた押しの強さと原理原則(プリンシプル)を重視する性格から、主張すべきところは頑強に主張し、GHQ / SCAP某要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。

エピソード1
昭和天皇からダグラス・マッカーサーに対するクリスマスプレゼントを届けた時に、「その辺にでも置いてくれ」とプレゼントがぞんざいに扱われたために激怒して「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と怒鳴りつけ、持ち帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせた。マッカーサーは当時、神と崇められるに等しい存在だったが、白洲次郎に申し訳ないと謝り、ちゃんとテーブルを用意させた。

エピソード2
GHQ / SCAP民政局長のコートニー・ホイットニー准将に英語が上手いと言われ「あなたももう少し勉強すれば上手くなる」と逆襲した(米語に対する最大限の皮肉、後述)などGHQ / SCAPとの交渉の間に生まれたエピソードは数多い。)

エピソード3
昭和23年(1948年)、商工省に設立された貿易庁の初代長官に就任する。なお、就任にあたり優越を目的とした企業や関係者から贈り物が届いたのを知ると、知らせた者を一喝し受け取りを拒否したといわれる。少資源国日本が生き残る道として、経済復興には産業政策を輸出主導型へ転換させる必要があるとし、商工省を改組し、通商産業省設立の中心的役割を果たした。それをなし遂げる政治力は「白洲三百人力」と言われた。

エピソード4
昭和26年(1951年)9月、サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行する。この時、首席全権であった吉田首相の受諾演説の原稿に手を入れ、英語から毛筆による日本語に書き直し、奄美諸島、琉球諸島(沖縄)並びに小笠原諸島等の施政権返還を内容に入れさせた。吉田退陣後は、政界入りを望む声もあったが政治から縁を切り、実業界に戻る。

エピソード5
中曽根康弘が立ち寄った際、ゴルフコースから閉め出されたSPと新聞記者が双眼鏡を用いて中曽根の様子をうかがっていたところ、「なんだ?バードウオッチングか?」と強烈に皮肉ったといわれている(当時、中曽根は政治的立場をよく変えるため「風見鶏」と揶揄されていた)。

とまあ、ご存知のように凄い人なのだが、雑誌を読んでいたら、彼の物事についてのプリンシプル(原理原則)の一つが、"No Substitute" つまり、代わりがない、代替するものがない…というくだりがあり、心の琴線に触れる。

本来、彼が意図した事とは、違う理解かもしれないが、何しろ熱い男の話しを、ごちゃ混ぜにして読んでいたものだから…。
ニコガクナインの夏も、楊令の野望も、甘粕大尉の満州も、全て"No Substitute"。今が全てであり、後で何かを修正することも、追加することも出来ない。そんな芳醇な時間を持つ事が出来るのは、本当に幸せだと思う。どれだけの人間が、覚悟と責任を持って、今に向き合っているのだろう。

熱く燃えるのも大変だ…と、エアコンの効いた部屋で、妙な劣等感と焦燥感を覚える俺でした。やっぱ、引きこもってちゃ駄目ね。

2008年07月06日

無形なる者達

真夜中に、一人で仕事をしていると、時々誰かがいる気配を感じる。

実際には、誰もいない。
別に、変な宗教とかスピリッチュアルなんとかの信奉者ではないが、目に見えない物が存在しないと思うほど、単純でも、不遜でもない。

誰かは、わからないけど、そこには、確かに誰かいる。(正直少し恐い)

この7月で、信じ難いことだが、誕生日を迎え、46歳になる。

46年も生きていれば、色々な人に世話になり、迷惑をかけ、酷い事を言ったり、したりして…兎に角、多くの人と深い係わり合いを持っている。既にこの世にいない人もいる。

中には、「どれ、アイツが一体何をしているか、覗いて来るか」と思う人もいるだろう。だから、何か見えないものが、部屋にいても驚く事はない。(でも、やっぱり正直恐い)

一種の霊的存在を感じた時、いつも思うのだ。

俺は、余り多くは無いが、暖かくて優しい人々に囲まれて生きてきたし、いつもその人たちから見守られていると。

大聖堂に落書きをする人、他者を不当に死神呼ばわりしながら謝らない人、誰かに見られていなければ、何でもOKの人、色々な人がいる。

こういう人たちは、恐らく、無形のものの存在を感じる事が出来ない人だ。 自分以外の大きな存在を感じ得ない人が、「恥」を感じることはない。自分の感情、快・不快だけを基準に生きていくことになる。

全く、美しくない。

いつも、誰かが俺を見ている。そして、俺は、彼、彼女達(どっちかわからないけど)に対して恥じない行動をしなくてはならない…そんな風に思うのだ。(でも、突然化けて出られるのは困るから、そっと覗き見する程度にしておいて欲しい)