兜は凄い
マーメイドから、NHKの新日曜美術館で、凄い事になっている…という話しを聞く。
「日本の美 飾りの喜びを探る」という特集。
その中で、取り上げられた兜の余りといえば余りのぶっ飛び方に、心を奪われてしまったらしい。
前述ホームページ、兜関係の掲示板(兜について真剣に語る掲示板というのがあるんです、驚くことに)などに掲載されている写真をみて、俺も度肝を抜かれた。
兜は、凄い事になっている。
上部に茶碗がついているもの、本物の鹿の角をつけているもの、ウサギをつけているもの、もはや構造物と言う以外形容できない巨大な屏風みたいなものをつけているもの、高さ1M位の円錐型のもの…。
これだけでも相当凄いのだが、更に圧倒的なのが、「黒漆塗執金剛杵形兜」
兜の上に、金剛杵をしっかり握り締めた右腕が突き出している。ここまでくると前衛、現代芸術の領域ではないか。
戦国時代~安土桃山時代には、これら兜を実際に着用し、武将達は戦いに臨んだ。戦場では、俊敏さがないと、あっという間に死んでしまう。馬を疾駆させ、槍を突き出し、鉄砲を避け…というように、スピーディに動けないと、屍を山野にさらす事になる。
ところが、これら兜は、戦闘とは無関係な装飾物を、頭にのっけているので、やたら重い。兜専門掲示板によると、試しに被ってみたら重くて立ち上がれなかったという記述もあるほど。
また、縦にも長いので、遮蔽物に隠れても、兜だけはみ出すし、戦いに敗れて山などに逃げ込んだ時などは、枝に引っ掛かりそう…というか、絶対引っ掛かる。
つまり、騎馬だろうが、歩行しようが、このような兜を着用することは、戦闘には圧倒的に不利なのだ。
では、どうして、こういう兜を被るのか?それは、各々の武将達の美意識。命を戦場でやり取りする殺伐とした時代だからこそ、戦いや死は美しく彩られなければならない。勝てば良いというものではなくて、男伊達を煌びやかに見せつけ、美しく勝たなくてはならないのだ。
実際、兜自体は、今見ると、「お前マジか?」と思うほど、圧倒的に奇抜で、滑稽だ。でも、やっぱり美しい、多分。やせ我慢、拘り、美意識…何と表現していいか分からないが、生命を危険に追い込んでまで表現したい、精神的なもの…というのは、現代の男が失ったものではないか?
人間以外のどんな動物でも、オスは、自らを美しく飾り、拘り、男伊達を競うものなのだ。(大抵の場合、目的はメスの気を惹くためだが) その目的の為には、彼らはとてもストイックで真剣だ。
人間のオスだけが、そういうものを喪失してしまったんじゃなかろうか?最近話題の「人前で泣く男」なんていうのは、美意識の欠如としか思えない。 その癖、この手の輩は、「優しくて良い人」だったりするのだ。ペラペラお喋りが上手とか、料理や洗濯が上手だとか、うわべの優しさとか、愛想が良いことなど、男の値打ちという観点からは無意味だ…と言い切るぜ、俺は。
そんな奴は、あの兜の意味など永遠に分かるまい。
スピード社製の水着など着ている場合じゃないぞ、諸君。着るのに30分かかって、3回着ると、破れてしまうものは、もう水着だとはいえないだろう。着用回数を数え間違えたら、真ッパになるではないか?
黒漆塗執金剛杵形兜を着用するくらいのダンディズムは見せて欲しいものだ。(重さのため溺れて沈んでしまうことを懸念する向きもあると思う。だが、その場合、水面からにょっきり突き出した右腕が助けを求めるので、大事には至るまい)

