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不思議に感じる事  このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリー参照しているはてなブックマーク このエントリーをdel.icio.usに追加

俺は、最近色々なことを不思議に感じる事が多い。

激しい好悪の表現。何故激しく泣いたり怒ったりすることができるのか?色々な思い込み~大体の場合明確な根拠がない。強い意見や主張をもち、それを正しいと確信すること。

これらに共通するのは、感情量が大量で、かつダムが決壊するかのごとく、他者に対して表現されるということである。

俺が、とても不思議に思うのは、その感情量の増加と表現に至るメカニズムである…って、そんなに大仰な話ではなくて、最近の日本人は、簡単に、鮮明に感情を吐露するのは何故?ということ。

ダムが決壊するのが、早!!って感じなのだ。そもそも、感情をせき止めるダムをもっているのか?

通勤時、オフィス、家の周辺で、明け方の街、桜木町で、こういったシーンに遭遇することが時々ある(とはいっても、以前よりかなり頻度は上がっている)。

俺は、喋っていることの、恐らく数千倍は色々な事を考えている~真剣なことから邪までウッフンなことまで。そのうえで、悩んだ挙句、verbal communicationに打って出る…という感じなのだが、「簡単に感情・思い込みを吐露する人々」については、どうなのだろうか?

結論から言うと、未だ仮説の段階だが、自らの思いを開陳することは、良い事であるという思想(思い込み)があるように思える。「自分の気持ちを大切にしたい」「自分らしくありたい」「ナオちゃんが、どう思っても、自分の気持ちを大切にしたいの。だって、自分に正直でありたいし、後悔したくないから。ウフッ」っていうことでは、ないか。

つまり、この溢れる思いを胸に秘す、理性のダム自体が存在しないのではないか?喋ったことが、まんまその人そのものであり、深みも何にも無い。我が国固有の奥ゆかしさである、忍ぶれど色にでにけり…みたいな微妙な感じなど期待するべくもない。

言うまでも無く、周囲の人間は、多くの場合、いい迷惑なのだが、それでも構いはしない。だって、ありのままの自分を表現したいから…。というような話なのではないだろうか?

そうすると、これもある意味、「自分探し」の一貫というか、似たようなサイコロジーが働いているような気がする。

前のエントリーで書いたように、昨今の「自分探し」の根っこが、ポジティブシンキングという名のもとに、行われる安易な自己肯定と現実逃避とすると、非常にわかり易い。自分の思いが、正しいか、他者に受容されるものかどうか…等は、余り重要ではなく、熟慮すべき問題でもない。「くだらない社会や常識」に縛られることなく、express myself, just the way I am!!ってことが、一番さ…ということではないか。

個性重視~ゆとり教育は、その真の狙いとは別に、とんでもなく、自分勝手な奴らを産み出している…という気がしてきた。

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