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中国製ギョーザとは、全く無関係のギョーザの話し  このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリー参照しているはてなブックマーク このエントリーをdel.icio.usに追加

中国製ギョーザ中毒事件の記事を読んだとき、不思議な感覚が体を襲った。

俺は、割と霊感が強いほうで、叔母の葬式の後、夢に叔母がでてきたり、その手の気配を敏感に感じる。その時も、何かそういう感じがして、あたりを見回してみた。何もいない。ふ~っとため息。そのとき、耳元で、囁く声がする。「私のことは、忘れてしまったの?」「昔は、もっと熱い気持ちをぶつけてくれたじゃない」 

俺は、即座に悟った。ごめんよ、ギョーザさん、長い間君の事を忘れていた…。激しい悔恨の情が押し寄せる。

我が一族は、食物に対する熱意において(のみ)、ただなならぬものをみせる。

最高級の、車海老の踊り、ブリの刺身があったとしよう、データは無いが、恐らく全員、必ず車海老、そしてブリの順番で食べる。これは、脂ののったブリを夢中で食べていると、繊細な車海老の味がわからなくなるからである。

また、応用問題として、車海老、ブリに加えて最高級の雲丹が加わったらどうか? 答えは、車海老、雲丹、ブリの順番なのである。まだ、親戚に一度も尋ねたことはないが、ほぼ100%皆、同じ回答をするという確信がある。因みに、これに、霜降り牛肉など加えても、順序は変わらない。

繊細な味重視、肉より魚重視という、不文律は、一族を束ねる重大な掟だ。

転勤・転職などで、色々な街に住んだ。下関の、あのラーメン屋とあの寿司屋、広島のお好み焼き屋、三重県のあのお好み焼き屋とあのギョーザ屋、新潟の蕎麦屋、鎌倉の鮨屋、イタリアン、ミートパイ…家庭では、どうしても追いつけないプロの技を追求する日々だったと言っても過言ではない。

家庭ではできない理由として、例えば火力、鍋の大きさなどもある。しかし、そういうファシリティ要素だけ、揃えても駄目。+αがなければ。スダチ、オリーブオイル、鰹節、塩、山葵、ジャム、醤油その他シーズニングを名人芸的に使い、「何、この味、マジ、チョーヤベェ」とうちの息子が言うくらいの驚きが求められるのだ。

下関の行きつけのラーメン屋でいえば、この複雑系スープをどうやって作るのかが、皆目検討がつかない。(危ないものは、入っていないのか一寸心配)鎌倉の鮨屋で言えば、鮨屋でヒラメにバジルソースはないだろう…でもウマ~イ。玉葱とニンニクだけなのに、何故こんなに深い味わいなの…教えてピザ。

嘗て、ギョーザは、俺の中で、同様の驚きを追求すべきメニューであった。それなのに、最近では、寿司、うどん、蕎麦、パスタなどに押され、滅多に想起することもない、普通の一品に成り下がってしまった。例えれば、オリンピック強化枠から外れて、一般参加選手になってしまったような感じだ。

余計な事を書いているうちに、ギョーザと俺の愛のドラマを描くスペースがない…というか、もう20分もかかっている。ここでやめちゃおうかな、でも、ここで止めると、何のこっちゃ意味がわからないよな。

幼い頃、父親が船乗りをしていたので、所属している漁業会社のアパートに住んでいた。うちの父親は遠洋航海にでるのだが、沿岸漁業に従事する方達もかなりいて、彼らは朝早く魚をとって、毎日帰宅をするという、サラリーマンに近い暮らしをしている。その当時、給与の一部は、現物支給。とった魚の一部を、船の役職順に、手当てとして分配する。

大体、一家族では、食べきれない位支給されるので、新聞紙に包んで、向こう三軒両隣に配る。色々な御宅に配るのは、我が家で言えば俺の役割だ。(といっても、うちが配るのは、魚ではなくて、魚のすり身の缶なので、子供には非常に重い) 俺は、幼いとき、利発な上に、いつもニコニコ、ご機嫌さんの子供で、「魚屋さんで~す」とか言って各家庭を回ると、美味しいお菓子があるとか、まあご飯を食べていけ…とか色々引き止められて、それはまあ人気者だった。(いかん、また脇道にそれている)

で、我が家にも、ほぼ毎日、沢山色々な魚介類が届けられるのだが、うちのお袋は、横着で、イカだのタコだのは、捨ててしまったりする。ヒラメもマナガツオも、本当に旨い一部以外は捨ててしまう。太刀魚なんぞは、最初から、食い物として認識されていないようであった。

下関という土地柄か、余り頻度は高くないのだが、カニを頂く時がある。こうなると、家族の中での期待ボルテージは、グ~ンと高まる。メニューは、もう聞かなくてもわかっている。カレーとギョーザだ。

カレーについては、カニを単にダシをとる為だけに使うのだが、思いっきりカニをぶち込んで、長い時間煮たカレーの美味いこと美味いこと。

そして、問題のギョーザだが、中味の90%以上がカニなのである。調味料がどうだ、隠し味がどうだ…等の小細工は無用。 取れたてのカニを蒸して、身を取り出して、ギョーザの皮で包んで、後は焼くだけのシンプルなものだが、これが、トビッキリ美味い。(もしかすると、他に色々はいっていたのかもしれないが、カニ以外の記憶が無い。)

成長をした、俺は、理想のギョーザを追い求めて、日本列島、北から南へ旅がらす。しかし、それは、失意と絶望の旅路であった。いつしか、俺は、ギョーザを忘れ、手の届く幸せに、安住するようになっていたのだ。

そして、今、俺の中で、再びギョーザの存在が大きく、クローズアップされつつある。

止まっていた時計が今動き始めた。俺のギョーザを巡る冒険は再開されたのだ。究極のギョーザ、名付けて(今名付けたのだが)"Crab Dynamite"(言っておくが上海蟹ではない)に、匹敵すると思われるギョーザをご存知の方は、ご一報いただきたい。

なお、「旨みが閉じ込められて、肉汁がどっとでますネエ」とか、片栗かなんかで、「パリパリした食感が」な~んてギョーザは、品位に欠けるので、得点はゼロだ。あくまで、「繊細な味重視、肉より魚重視」のノーブルにして、絢爛豪華な味を求めているということに、ご留意あれ。

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