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酒屋の若主人の話し(続き)  このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリー参照しているはてなブックマーク このエントリーをdel.icio.usに追加

マーメイドからの指摘事項で、昨日のブログには誤りがあるとのこと。「こうぞ…ではなく、みつまた」「大仏から15分…ではなく、大仏から5分」らしい。「謹んで、お詫びと訂正をする」ことを面倒くさいので拒否したのだが、10KGある砂袋を後頭部に叩きつけられた。 これ以上の打撃技を受けると明日会社にいけないので、ここでお詫びします。一応、謹んで。

「あの二代目なら、あの店は安泰だ」というところで、昨日のエントリーは終わったのだが、それに関連して。

ここからは、俺の独断と偏見であり、異論はあるかもしれない。しかし異論があったとしても、コメント欄に、適切な指摘をしたり、TBをうって、何処が間違っているかなど、詳述するのは、止めて欲しい。頼むから。 俺は、いたって気が弱いので、批判めいたことを言われると、とてつもなく萎縮する。

褒めて伸びる子と叱られて成長する子と2つのパターンがあるとすると、俺は前者の典型だ。ピュア100%の「褒めて伸びる子」なのだ。(物心ついて以来、ここ何十年、人に褒められた事がない。俺が齢45にして、未だに大成できないのは、俺を褒める人間に恵まれないからではないか…と最近うすうす感じている)

さて、独断と偏見だが、酒屋の主人は、相対的に、知的な感じがする。また、この酒屋と同様、料理人、画廊オーナーなども、とても知的な感じを受ける。これは何故なのだろうか?

昨日、歩きながら考えて思ったのだが、取り扱うものが「複雑系化合物」だからではないか?

お酒は、米を加工し色々な薬品と化学変化があり、製造される。

様々なものをミックスし、プラスαの性質変化があり、多くのパラメーターを、微妙な匙加減で統御しなくては、良いアウトプットとならない、デリケートな商材を、常に取り扱う職業の人は、直向にその商材と取り組むことにより、自然と知的になってしまうのでは?

お酒は、非常に多種多様な種類があり、夫々に歴史がある(昨日の「司牡丹酒造」は、405年前に創業。中村勘三郎と同じ位長い)

そういう多くの銘柄について目利きになるためには、製法・歴史・蔵元の特徴・性格など…幅広い知識が必要だ。ただ、知識が深いからと言って酒屋の主人にはなれない。酒のファンと、酒を売るのは、天と地くらい違う。

売るためには、こういう好みの客には、こういう酒というように、瞬時に適切な銘柄をお勧めする客観性、クールさが必要だ。酒が好きだ、薀蓄も語るなんていうのは、死ぬほど存在するのだろうが、酒屋の親父は、あくまで「酒を売ること」のプロだ。

酒というカテゴリー全体を俯瞰し、自らの嗜好を余り反映させることなく、しかも自分なりのこだわりも絶妙に反映させ、知識を整理し、位置付ける…頭の中に、酒ジャンルの巨大樹形図を完成させているに違いない。酒には、惚れているが、溺れはしない…みたいな、憎いぜ、アンチクショーというか、「貴方みたいな、男は初めてだわ」と女スパイに言われるような…というか。

仕事というのは、物凄く大雑把に言うと、他者に、何かの価値を提供することだ。趣味のように、自己満足でOKというわけではなく、色々な人の厳しい目にさらされる。

仕事ちゅうのは、甘いもんじゃおまへんで。若旦那、まだ話しの途中でっせ。先代が生きていらっしゃったら、どんなに嘆かれることか!!

どうせ努力するなら、努力しがいのある商材を選択するのは、重要かもしれない。売り物自体に、色々な種類があって、複雑で、深みがあって、何より愛情と誇りが持てるということは、重要ではないかしら。

「好きな事をする」=「幸せ」理論の本質は、「継続」すること。長い間つきあっても、中々よくわからない位の、難物と相対するほうが、人として成長するのではないか…とシミジミ思う、空腹マックス。

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