再び、篤姫について
寒い。最近は、やたらと寒い。雪は降るし、ホントどうかしている。
前回、篤姫について書いたが、その後宮尾登美子原作、上下巻を一気に読んでしまった。
大河ドラマ篤姫の1~5回は原作になく、フィクションではないかと自信なげに書いたのだが、やはり宮尾本には当該部分はなかった。幼馴染で、準主役の小松帯刀は、名前すら出てこない。西郷隆盛とは、戊辰戦争後会ってはいる。ただ、篤姫は、身分が違う西郷と同席する事自体が、不愉快な余り、10分間で席を立った…と記されている。
勿論、宮尾本に記述がなくても、実際に、西郷、大久保、小松という維新の大物と10代の篤姫の間で、交友関係があったという可能性もある。 でも、やはり相当無理がありそう。まず身分上、直に会話ができる関係ではない(西郷、大久保の場合)。また、そういう事実があれば、メンバーが豪華なだけに、有名なエピソードとして語り継がれるはずだ。やはり、これはフィクションとみるほうが常識的だ。
それはそれとして…宮尾本を読んで感じるのは、篤姫の人生の悲しさ、寂しさ、切なさ。13代将軍家定は、余りに虚弱で、性交渉を持つ能力がなかった。22歳で嫁いだ篤姫は、24歳の時には後家で尼になってしまう。能力があって、美人で、体格がよく、思いやりがあって、大奥3千人を取り仕切り、「お止め」と言えば、蝉も鳴き止むと言われたほど権勢を誇った篤姫。 徳川宗家や大奥の女性、元幕臣などの崇敬を一身に集める存在だった。
でもなあ、24歳から、処女で後家で尼で、周囲女ばっかりで、義理の息子は15歳で、江戸城に送り込んだ島津斉彬は途中で死ぬし、慶喜はヒドイ奴だし…、大奥での生活も、水戸派、紀州派の将軍継嗣にまつわる陰謀・暗躍、皇女和宮との確執、夫,息子の毒殺疑惑など、もう陰惨な話ばかりで、正気を保つだけでも大変だったと思う。
宮尾本では、爽快な話は、欠片もない。読了後、正直、気持ちが冷え切って、落ち込んでしまった。余り、救いが無い人生なんだなあ。
このまま創ったら、とんでもなく平板で悲しい話になるので、大河ドラマでは、青春群像編の1~5回が製作されたのだろう。本来、この原作本を題材に選択したのは、何故なんだろう?
この友情やら小松帯刀から篤姫への恋慕の思いやらを横糸に(縦糸でもいっこうに差し支えないが)、攘夷運動、倒幕など歴史的事実を縦糸に、様々な思いが交錯し、運命にもてあそばれながらも、凛とした生き方を貫く篤姫とそれを支える仲間達っていう…割とポジティブなストーリー展開を目論んでいるとみた。
横糸がフィクションだとすると、進行するにつれて、歴史的事実との乖離は抜き差しならぬものになるに違いない。
敢えてストーリー性の少ない主人公を選んで、同時代の著名人との関係性を創作し、ドラマとして成立させるというのは、どんなもんであろうか?(最近の大河ドラマの歴史考証はフレキシブルすぎる)
まあドラマだから、致し方ないってことだろうか? NHKの大河ドラマという特別な性格から考えると、これを歴史的事実と思い込む子供もいそうだ。うちの息子は、「父ちゃん、篤姫はさあ、西郷隆盛とマブらしいぜ。まじヤバいって。」とか言いそうで怖い。(父ちゃんと呼ぶのはよせ。お父様、もしくはダディと呼べ)
明日もまた雪が降りそうだ。気温もかなり低そうだし、風も強そうだ。 そんな明日の天候にも似た、寒々とした世界で、強靭な精神力とプライドをもって堂々と生き抜いた篤姫というのは、大河ドラマのヒロインとしては、不適当かもしれないし、本人幸せだったとは、言い難いが、尊敬に値することは、間違いない。

