パナソニック
松下電器が社名をパナソニックに変える。
新聞報道によれば、2003年に海外ブランドをパナソニックに統一したことを契機に検討が開始された。
今回の社名変更の理由を、大坪社長は、以下のように説明をしている。
<現状> 「松下」の社名と「パナソニック」と「ナショナル」にブランド名が並立することで、全社員の努力が3つの名前に分散している<松下という名前への評価>
若干ローカルなイメージがある<上述認識を受けて>
海外市場での販売拡大を成長の柱に位置付ける同社には、ブランド力強化の観点から社名変更が必要⇒一つの名前、一つのブランドの下にグループが結束し、ブランド価値向上を図る<その他>
社名変更に伴う費用は今後1─2年で300億円前後になるとの見通し
既に、4年前には、海外市場における商品ブランドは、パナソニックに統一されているので、社名変更⇒ブランド価値アップ⇒売上増のように、ダイレクトに海外市場での販売拡大につながるわけではない。何故、これが2009年度までの、新中期計画で目標に掲げられている海外売上高大幅増実現のための、切り札になりえるのか?
また、国内白物家電の「ナショナル」、社名である、「経営の神様 松下幸之助」の苗字である「松下」というブランドは捨てることになる。これまで長い年月をかけて創り上げてきたこの2大ブランドを捨て去る損失は、前述社名変更に伴う費用300億円とは、比較にならない位大きい。
Panasonicというのは「pan」と「sonic」の合成語。「あまねく音」という意味で、もともと音響製品のファイティングブランドだ。デジカメ、洗濯機、冷蔵庫...などの非音響製品の冠が、「あまねく音」では、理屈にもあわない。また、会社の名前として、「あまねく音」株式会社というのも、実際意味不明。「パナソニック」は、それ自体余り意味をもたない「記号」として捉えるべき。
社名を松下からパナソニックに変えると、何故グローバル企業へと成長するのか、グローバル企業になるためには、松下をパナソニックに変えるべきなのか?そのあたりが、俺にはよく判らない。
もっと重要な事がある。
市町村合併により、我々は、多くの長い歴史をもつ地名を捨ててしまった。日本という国が、自らの歴史を如何に軽視しているかを示す「暴挙」だ。
今回、松下の行おうとしている事は、同様な性格をもつように思える。
そもそも、ローカルなイメージ=オリジンが力を保持...という理解も出来、一概に悪いとはいえない。
ただ単に、創業者一族の影響力が低下したことをシンボリックに表現したかったのかもしれない。
それが、目的であったとしても、「あまねく音」という意味不明、理解不能のカタカナ造語を、伝統ある「松下」を捨てて、社名とすることのどこが、グローバル化なのだ? 単なる、歴史的無形資産の破壊を意味するのではないか?ホンダもトヨタも、創業者へのリスペクトをその社名に残したまま、グローバル化を遂げたのだが、何か違うパスがあるのか?
大日本帝国海軍は、日露戦争で、世界一のロシア艦隊を粉砕した東郷平八郎を神格化することにより、近代化が遅れたという話しを聞く。同じ事が、「経営の神様」松下幸之助にも言えるのかもしれない。
企業は、生き物なので、新陳代謝を行い、環境に適応し、どんどん姿を変えていく事ができなければ、発展はない。そういう企業としての運動性を制約する「松下」という呪縛を解き、新機軸を打ち出す為には、荒療治が必要だったのかもしれない。
ただ、常に振り子は、オプティマムラインを超えて過剰に振れる。往々にして、余りに過剰な振り子の動きは、破壊のみをもたらす...そんな風に感じる。

