目指すべき爺さん像とは?
今年の正月は、例年以上に、親戚と会うことが多かった。
老齢化が進む(新しく結婚するメンバーがいないので、結果として新生児が生まれない)傾向が強い。男性だけに限れば、俺の下には、36歳、15歳のメンバーがいるだけだ。(15歳は、俺の息子だ)
というわけで、俺はその集団の中で言えば、「若手のホープ」ということになる。
今回、物凄く感じたのは、年寄りが酔っ払うと、何故これ程までに、同じことばかり言うのだろうか?ということである。
「若手」なので、飲みの肴になることが多い。それは、それで全然結構なのだが、話題としては、俺が小学校1年生だった頃に集中する。
本人の記憶自体が曖昧なのだが、大体一晩に10回、また俺の子供に、「お前のお父さんが小学校のときは…」というのを入れると、15回は同じ話がon & on &on...。
また、年寄りは、自分の近況でも、余り多くのことが起こらない為か、同じトピックを語り続ける傾向が強い。これも10回は同じことを喋っている。
こういう年寄りを相手にするのは、実は俺は、そんなに苦痛を感じないタイプだ。考えてみれば、俺は生まれてこの方、こういうクドイ皆さんの中で、同じ話を何百回と聞いて育ってきたのだ。生半可な、クドサなど、物の数ではない。さあ、かかって来い位の話だ。
俺がここで問題にするのは、俺もいつかは、同じ話を何度も何度も繰り返す爺さんになってしまうのだろうか?という恐怖である。
45歳を超え、50歳の大台を完全に射程圏内に捉えた今、どんな爺さんになるかは、切実な問題となりつつある。幾つかの可能性の中で、「面白くない話を繰り返すジジイ」というのは、最も排除すべきオプションのひとつである。
「脂ぎったジジイ」「禿げて脂ぎったジジイ」「禿げて脂ぎってイヤラシイじじい」の次くらいに、恐れるべき未来は、まさにこの「面白くない話を繰り返すジジイ」だ。
もちろん、「面白くない話を繰り返す禿げて脂ぎってイヤラシイじじい」になった場合が、最悪なのは、いうまでもない。こういう状態に陥った場合は、潔くヘソ噛んで死ぬ覚悟は出来ている。
恐ろしいのは、自分が、前述のような「ヒドイ爺さん」になったときに、果たして、そういう自分を正しく認識できる「正気」が残っているのだろうか...ということだ。
親戚の爺さん、婆さんをみると、皆、毎年同じ話をするのであるが、「その話は、もう千回は聴いた」という指摘を許さない、独特の迫力をもって、50年前の事象を、まるで昨日起こったことのように、ビビッドに語るのだ。夫々十八番の話をもっており、笑いのツボは外さない。一族全員大爆笑だ。まるで、古典落語。(海老名家より、芸達者かもしれない)
彼らは生きた昭和史であり、満州事変、魔都上海、第二次大戦、終戦、引揚から高度経済成長あたりまで、ダイナミックかつインターナショナルに話は展開する。どこまでが事実で、何処からが、エンタメ性重視のために創作されたエピソードかは、今となっては、話している本人もよく判らない(に違いない)
こういう環境で育った俺は、いつまで正気でいられるのか?それとも、もうかなり危険な兆候をみせているのか、その判断自体が、既に危うい。
そもそも、「くどい」のは大目にみるとして、「面白くない話し」を回避できるのか?
俺達の世代が、何百回も繰り返し「上演」できる面白い話し、語り継ぐに足る話...など出来るとは、とても思えない。 1962年生まれの俺の人生は、彼らと比較すると、思いっきり平凡かつ平板だ。どこをどう叩いても、「護身用のピストルを婆ちゃんは懐に忍ばせて、厳戒態勢の国境を越えて行く...その時婆ちゃんの背中におんぶされていたのが、実は僕で...」のようなスーパースペクタクルな話しは、俺達から出て来るわけは無いのだ。
それでは、ショーンコネリーのように、知的で、ウィットとユーモアに富み、暖炉の前で、割と口数少なくスコッチを飲むような、従来とは一線を画するお洒落な老け方では如何? そうなれば、いいのだが、世の中、そうはうまくいかない。(まず、暖炉がないし、日本人だし)
俺の目指すべき爺さん像をどう設定すればいいのか? 年初から、悩みは深い...。


コメント
こんな爺さん発見!http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080109/crm0801091226015-n1.htm
投稿者: ひろし | 2008年01月09日 13:13