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2008年01月28日

日本対チリ、朝青龍、福士加代子、千葉真子

スポーツについては、素人だが見るのは好き。美しいか否か...だけを見ているような。

この休日、色々なスポーツ中継があって、珍しくテレビの前に長時間座ってしまった。

まずサッカー 日本対チリ。

オシムジャパンから岡田ジャパンになって第一戦目だったが、つまらなかった。岡田ジャパンの方針は、「接近・展開・連続」。これは、早稲田ラグビー部を率いた故・大西監督の言葉を引用したもので、「少ないタッチ数のパス交換で相手を一方のサイドに集め、そこから逆サイドに展開するという動きを、連続的に行う」ということ...らしい。

この「少ないタッチ数のパス交換」は、パスの受け手と出し手の距離が接近していることを必要とするのだが、この距離の短さだけが強調されて、ボールの近くに敵味方殺到してのボールを取ったり取られたりに終始しているように見えた。全然美しくない。何か、モワモワした感じっていうか。

俺よりも更にサッカー音痴のマーメイドでさえ、「俊輔か(この試合には、元々出場していないのだが...)遠藤が、バ~ンとサイドチェンジしないと面白くない」と言っていた。

次に、朝青龍、白鵬の大一番。これぞ、横綱。これぞ、相撲。スピード感、力感が溢れている。これだよ、これ。

サッカーしたり、うつ病になったり、セクハラしたり、夫婦仲が悪かったり、色々あるんでしょうが、やっぱ朝青龍は、凄い。もう、全部帳消しの、うやむやでも、しょうがないのではないか。負けた朝青龍のほうが、数段美しかったように感じたのは、俺だけでしょうか?

大阪国際女子マラソン。結局、最後まで観てしまったのだが、何か凄いものを目撃してしまった。

元々、俺は高橋尚子派(そういう派があるかどうかは、わからないが)で、福士頼むからコケてくれ...位の感覚でみていた。

福士加代子というランナーには、何か言動ががさつな感じがして、余り良い印象を持っていなかった。が、実際に、独走する姿をみて、ちょっと鳥肌がたった。余りに綺麗で。

160センチ、なで肩で、均整のとれたホッソリした体で、背筋を真っ直ぐ伸ばして、癖のない本当に綺麗なフォームで走る。全ての体の動きに、神経が行き届いている感じで、繊細な人なんだろうなあ...と感じた。

ご存知のように、30キロ以降失速して、35キロ以降は、次々と後続のランナーに抜かれていく。その映像をみて、なんて残酷で、絶望的で、美しいんだろうと感じた。福士選手は、一度も振り返らず、抜いていく選手を、目で追うこともなく、前だけをみて走り続ける。

競技場に入ってきたとき、既に走れる状態ではなく、何度か転んだ。でも、その度に立ち上がり、前進を続けた。意識もすでに失っていたのか、どうか。ただ、前に向かって走り続けようとする姿に、何か心を鷲掴みにされたような、衝撃を感じたのだ。

繊細で美しい走り、次々と抜かれていく絶望感、転んでも無意識でゴールに向かう闘争心、2時間40分の中にギュッと起承転結を凝縮させた。このレースの主役は間違いなく彼女だった。

ところで、この大阪国際女子マラソンの放送で気になったこと。 

アナウンサーが、突如、「バイクレポーターの千葉さん、福士選手の状況はいかがですか?」とふる。千葉?千葉ってもしかすると...。その瞬間、いやな感じの高音が響いた。

このバイクレポーターというのは、バイクの後部座席に乗った千葉真子が、注目選手の近くまで行って、その走りをレポートするものなのだが...ホント、ムカつく。

あのキンキンとした、平板かつ高声で、「福士選手、もう殆んどジョギングです」とかレポートする。見ればわかるんだ、そんなことは。「後続の選手は、虎視眈々と上位を狙っています」 「虎視眈々」って、言いたかっただけだろうか?

千葉真子がバイクで疾走する映像をみたが、注目の選手と並走するわけではなくて、ただ横を素早く追い越すだけなので、そもそも千葉真子は、選手を見ずに喋っていることも判明。

バイクレポーターって企画も、よりによって千葉真子という人選も、どうかしている...

2008年01月24日

サーキュレーションアタック

昨日のブログに関して、「たらいうどん」が不味かったことを除けば、全部嘘もしくは、大幅な誇張、妄想ではないか…というマーメイドからの猛烈な抗議があった。

俺のブログは、以前から言っているように、フィクションなので、そんなことを怒られても困る。

マーメイドの言うには、「あなたは、学生の時から嘘つきで、どれだけ皆迷惑をしたことか?」ということで、例によって、過去の記憶がやけに生々しく語られるのであった。

SNSの凄い所は、閉じたサイトの中に、更に自分の所属するコミニュティがあり、その所謂「お知り合い、もしくは、お知り合いのお知り合い」という濃い集団の中では、情報伝達スピードが異常に速いということである。

俺の大学時代所属したクラブにも、同じ特徴がみられる。
人間関係が非常に密だったため、情報の伝達速度が恐ろしく速く、昨日起こった飲み屋での諍い、先輩の失恋話などなどの各種重要情報が、部員間をあっという間に駆け巡る。

また、地方大学のため、田舎から出てきたおっとりした人が多い…という特徴もある。
この「田舎」というのも半端ではなくて、まず四国出身者は、「広島」を大都会と捉えており、地元から広島市内の下宿先にくるのに、交通手段がロバって奴もいるのだ。

薄れ行く記憶を手繰り寄せると、俺はこの田舎から出てきた善良な若者たちを、笑いものにすることに、大いなる喜びと情熱を持っていたように思える。勿論、狙いは、副部長として、クラブに馴染んでいただきたい、明るい気持ちになって欲しい…というような暖かくヒューマニスティックな気持ちからだ~なかなか理解が得られなかったのだが…。

その当時、俺の中で、割とハマッテいたのが、サーキュレーションアタックという荒業で、一種の情報操作である。

この善良な若者達の中から、特別にピックアップして、デマを流す。そして、そのデマが、色々な部員間を伝わって、俺のところに帰ってきたところで、「そうか、あいつ、そんなアホなことをしていたのか」と驚いてみせる。つまり、自分が発信した情報を、伝聞情報として自ら受け取り、事実として認定する。または、更にひねりを加えて、爆笑ネタとして磨きをかけていくという一連のプロセスのことである。

ある飲み会のときに、後輩が二人(仮にM君とO君としよう)口喧嘩になって、M君一人途中で帰ってしまった。俺は、まあありがちな事とはいえ、クラブの雰囲気を暗くする事を恐れ、これは、笑い話にしておかねばならないと考えた。早速、同級生のK君に、「MとOが昨日飲み屋で喧嘩して、Mが、Oに、いきなりキックかましたんで、ホントびっくりしたわ。」という話をした。M君は温和で暴力をふるようなタイプではない。かなり太っていて、突っ張りはしても、キックを放つようなムエタイ系の体型とは程遠い。まあ、そんな彼が、怒ってキックをしたというのが、かなり驚きで可笑しい。

K君は、驚いて、「おいおい、あんなに太ったMが、よくOの頭に蹴りを入れる事ができたな、そりゃあ南斗水鳥拳か?」と面白がって、合いの手をうつ。

このサーキュレーションアタックには、洒落がわかる奴に伝達する...という掟がある。そうでないと、えらくマジに受け止めたり、性質の悪い中傷にすりかわる。あくまで、目的は、殺伐とした現実を良質なユーモアに変えることなのだ。

K君はこのあたりの機微を十二分に理解しており、この段階で、キックをかました=頭に蹴りを入れる…という風に、あの短い足で、頭に届くかよ...という微妙なひねりを与えている。

その次の日の夕方、部室にいると、先輩がやってきて、俺に聞く。「おい、飲み屋で、MがOに、助走をつけてドロップキックしたってホントか? わざわざ2~3メートル後ろに下がって、勢いつけて、思いっきり蹴ったって聞いたぞ。お前も一緒に居たんやろ」

というわけで、話は、多くの人を経由するに従って、どんどん歪められ、尾ひれ背びれがついていく。ある意味、飲み会ネタとして洗練されていくのだった。

先輩には、「助走つけて蹴ったんじゃなくて、一度カウンターに飛び乗った後、側頭部に、膝蹴りをいれたんですよ。もう、驚くやら、おかしいやら…」と答えておいた。

こうして、仲間内の飲み会では、M君は「空飛ぶキッカー」なる異名をとり、その場によって、いや助走距離は10メートルだ...とか、膝蹴りでなくてダイビングボディプレスだろ...のような異説も飛び出し、部内の明るい雰囲気は保たれたのであった。

本当は、マスコミ報道の自家中毒ぶりについて論じ、シリアス社会派路線を突っ走ろうと思ったのだが、前振りが長すぎたので、今日はここまで、でした。

2008年01月23日

御所のたらいうどん

俺は、本州の最西端から、かなり離れた絶海の孤島で幼少期を過ごした。

毎日の飲み水を確保するために、ヤギの背中にのって、蝙蝠が乱舞する洞窟まで10キロ以上移動し、湧き水を、大きな樽に詰めて持ち帰るのは、子供たちの役目であった。集落の、入り口には、毎夜大きな篝火がたかれ、野犬の襲来を防ぐ。何かが憑依した巫女が、狂ったように踊りながら、叫ぶのだ。

マーメイドはどうかというと、人魚のくせに、山出身。巡礼者が、鈴をチリンチリンとならしながら、道なき道を山奥深く分け入ると、その村はある。陰々滅々、晦渋混濁、如法暗夜、暗澹冥濛...呪いと怨念が渦巻くスポットである。集落の長は、体全体に刺青を施し、髑髏を先端にさした杖を握って蹲踞の姿勢、山神と呼ばれる半身半獣の巨大な像を祭る。

そういう訳で(まあ、まあ、そういうことで)、我々は、海と山という、全く違う環境で育ったのだが、不思議に味覚が驚くほど似通っている。お互いの家で、夫々のお袋さんの料理を頂いても、何の違和感もない。旨いと思うものが、大体一致する。

我々のお気に入りの一品に、「御所のたらいうどん」がある。御所というのは、土御門上皇のことで、阿波の国に配流されていた。配所があったのが、吉野川の支流が流れるエリアで、現在においても、かなり野趣あふれる場所である。今から700数十年前には、もっと草深いところだったろう。どれだけ、寂しい思いをされ、遠い都を恋焦がれられたことか。(因みに、日蓮は、この土御門上皇のご皇胤といわれている)

さて、土御門上皇配所の近くで、現在製造されているので、「御所」という名を冠する~まあ割とイージーなネーミングの、この「たらいうどん」であるが、実際にかの地を訪れ、初めて食した時、麺類大好きの我々に、大きな衝撃を与えた。

麺は極端に太く、長い。箸ですくいあげても、優に一本70~80センチ以上はあって、簡単には切れない。断面は、円ではなくて、四角っぽい。極めて強いこしがある。ここまで、麺が個性的だと、どんな麺つゆがあうのか、普通途方にくれるところだ。しか~し、つゆがマタ凄くて、非常に淡口で、さりげなく品の良い特製つゆ。お陰で、幾ら食べても飽きが来ない。

つべこべいわずに、うどんを茹でやがれ、が~んとたらいにぶちまけろ...という豪快無比な男らしさと、ちょっとはんなり美しい、繊細なつゆが織り成す珠玉のハーモニーなのだ。

この「たらいうどん」さえあれば、俺は、どんなに辛くても、強く生きていける…と思うくらい旨い…いや旨かった。

先日、久しぶりに「御所のたらいうどん」が食卓に。

茹で上がったうどんと、少し暖かい麺つやを器にスタンバイ。高まる期待を抑えつつ、箸で、うどんをすくい上げた丁度その時、異変に気づいた。「め、麺が、細すぎる」、口に入れてみて、「こ、こしが全くない」、つゆをすすってみて、「あ、あだ辛~~~い」

本来の「御所のたらいうどん」とはかけ離れた何物かが、そこに存在していた。あんなに高まった期待感が裏切られた俺とマーメイドは、絶望の余り、言葉を失い、うつろな目を虚空に泳がせる。 「おれの、たらいうどんは、どこへ」”Where is my Tarai noodles? Come on!!"俺の咆哮があたりを震わせた。

マーメイドが号泣しつつ語る事情を聞けば、以前、訪れた「たらいうどん」の店がつぶれてしまい、別の店に注文したが、我々の求めるものとは、全く違うものであった…ということらしい。

「この不始末…かくなる上は、海に身を投げて、お詫び申し上げまする」というマーメイドを(と言っても、マーメイドなので、溺れはしないのだが)、必死に止めながら、俺は痛感した。この悲劇に隠された、現代日本の大きな歪を。

吉野川の渓流沿いにある、ひなびたうどん屋は、嘗て休日ともなると、多くの家族連れが、ハイキングがわりに訪れるような憩いの場所であったらしい。しかし...東京への一極集中、若者の都会への流出、過疎化、地方切捨ての政策、郵政民営化、イラク給油問題など、様々な問題が複雑に絡み合い、鬩ぎ合い、結果として、客足は遠のき、経営が立ち行かなくなり、店を閉めることとなった...と俺は睨んでいるのだ。これぞ、現代日本社会の歪といわずして、何というべきか(あくまで、俺の想像で、何の根拠もないのだが)

もう、あのシンプルにして豪華絢爛な「御所のたらいうどん」は、俺達のもとには帰ってこない。
人ごみに流されて、変わっていく私を、「たらいうどん」は、いつでも優しく叱って・・・くれたのに、これから、俺はどうやって生きていけばよいのだろう。正直、ちょっと途方にくれている。

2008年01月20日

始まりの始まり

先日、鎌倉駅のホームに降り立った時、何物かが俺に、「◎△□♪αγ」と囁いた。

断っておくが、俺は別に危ない人ではない。ヤバイ薬を服用しているわけでもない。起こった事は、super-naturalなのだが、俺は、驚く事もなく、大きく頷いた。

そうして、新しい何かが、始まった。何かが始まるのは、思いがけず、突然で、偶然だ。何かが、始まるのを感じるのは、とても気分が良い。

先週、高校の同窓生で集まって軽く飲んだ。27年ぶりの再会、学年が最高13年違う初対面のメンバーなど、実質知らない人ばかりなので、参加する前は少し気詰まりだったが、折角お誘いいただいたこともあり、渋谷に急行。

年甲斐もなく人見知りをする。業務だと、割と恥ずかしげも無く、相手の目玉が飛び出すようことも平気でいえるのだが、プライベイトになると、からっきし駄目だ。

約束の飲み屋に30分遅れで到着。 かなり緊張気味だったのだが、不思議な事に、いつになく短時間で、かなり打ち解けて話す事ができた。同郷で、同じ高校の出身...それ以外の共通点は何もない人たちなのだが...。他愛のない話しで大笑いしているうちに、時間は過ぎていった。

高校の同窓生と言っても、教師も違うし、校舎は建て変えられており、共有しているものは少ない。

同じ場所で、同じ景色をみて、最も多感な3年間を過ごしたという事実って、案外大きいのかもしれない...なんて思った。

またしても、思いがけない出会い、何かが始まる予兆。

本日、フレッシュアイがリニューアル。

フレッシュアイ、そしてニューズウォッチ社は、この6年間、成長への道を模索し続けてきた。そして今、何をどのように目指すべきかが、突然霧が晴れるように、明確になりつつある。
従来色々苦労をした経験にプラスして、新しい出会いが、大きな力として動き始めるのを感じている。

始まりは、いつも偶然で、「◎△□♪αγ」だ。 そりゃそうだ、「◎△□♪αγ」だ。何と言っても、「◎△□♪αγ」なのだった。


2008年01月13日

品格

ここ1~2年で、「品格」という言葉ほど、一般化した言葉ってないのでは...。坂東 眞理子.氏の記事をみて、漠然と、まあ、そんな感じがしています。

品がある、風格がある、上品、気品がある...という言い方は、以前もありましたが、「ホンニャラの品格」という言い方は、ここ最近顕著に見られる表現ではないでしょうか、皆さん。(と、訴えるほどのことでも、ないが)

国家の品格、女性の品格、ハケンの品格、トカゲの品格、お餅の品格、高品格(たかしなかく 俳優、『大都会』などの人気ドラマに出演し人気を博した。晩年である1984年の麻雀放浪記では主人公の青年に麻雀の積込み技を伝授する老人「出目徳」を演じ、博徒の刹那的な生き方を好演。1994年死去)など、バリエーションは色々。

辞書的な意味は、「その物から感じられるおごそかさ。品位」(三省堂国語辞典)ということらしいです。

「品格」という語の使用頻度が上がっているということは、現代日本には、「品格」が不足していることの裏返しでしょう。しかも、極端に...欠乏しているってことでしょうね。

また、日本人の多くは、「品格」がある状態を、非常にポジティブに捉えているってことなのでは...と愚考するわけです。

「品格」ある状態に憧れているし、できれば、そうなりたい。また、「品格」あるものを、所有したい、評価したい、味わいたい...という気持ちが、つよ~いのでは。 単なる金持ちではなくて、家柄も良くないとね、この器は、実はマイセンのうんにゃらかんにゃらで...って感じなんだと思います。

国家の、女性の、ハケンの、トカゲの、お餅の、ネコちゃんの、洗濯機の(たかしなかく...は一応除いておこう)...に続けて、意味が通るマジックワードだから、かなり幅広い意味を含むってことでしょう。

「品格」からイメージされるものも多様で...深み、伝統、歴史、重厚、高級...って感じでしょうか?

あくまで、独断と偏見で恐縮ですが、「品格」とは、不動、不変のルールや基準みたいなものを示していて、日本人は、時間の経過や流行などには影響されない、精神的な拠り所を求めているってことではないでしょうか?行動・考え方における絶対的価値観みたいな...宗教に近いもの...を欲しているのではないかと、再び愚考するわけです。(自信がないので、激しくへりくだる俺だった)

既に、「一生懸命働けば将来必ず豊かになる」と無邪気に信じている人はいないだろうし、「科学の進歩は、我々を幸福にする」ということにも、皆色々言いたい事はあるでしょう。前世代が抱いた、科学技術の進歩に基づく進歩信仰は、既に消え去って久しゅう御座います。

それに代わるものは、今のところ無い、無い、全然無い。価値観の多様化という、いかにもポジティブな表現で示されているが、裏を返せば、誰も、何も確たるものは、もっておらず、仲間はずれにならないように、キョロキョロ周囲をうかがっている状態なのでは...と思うわけです。

最近の新聞報道によれば、

東京の結婚情報サービス会社「オーネット」による意識調査
調査は昭和62年4月から63年4月にかけて生まれた男女計800人を対象に実施。選択肢回答。主な結果は以下の通り。(MSN産経新聞から抜粋http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080112/trd0801120959005-n1.htm)

・親の世代の暮らしぶりとの比較では、43%が「悪くなる」と回答。「自分たちの子供の世代では生活はさらに悪くなる」と答えた人も44%に上った。

・将来希望する生き方を「経済的な豊かさ」とした人は18%だったのに対し、過半数の51%が「家族や友人を大切にする暮らし」を選んだ。

・「フリーターになるかもしれない」との不安を抱える人は2年前の調査と比べると半減し4人に1人の26%。しかし「自分の求める仕事が見つかるまではあきらめない」とした人は18%にとどまる。

・「仕事に燃えている人はすてきだと思う」は49%、「自分のしたい仕事に就けるように今、努力している」は39%と2年前から大幅に減る。

新成人は、将来は、そんなに明るくないし、今より悪くなると思っているんですね。働ければ、就職先は拘らないし、仕事に燃えるなんてカッコワルイし...。俺、トランクス半分だしちゃうぜ...ってな感じなんでしょうか?

別に、新成人だけの話ではなくて、大人だって、オケラだって、アメンボだって、皆将来の不透明さに、恐れおののいているし、どうやって生きていけばいいかなんて、わからないんでしょう。

まあ、歳をとると、これまでやってきた仕事やら生活やらを惰性で続けることにより、思考停止、臭いものにはふた、難しい事は考えないでGOってことができるので、このあたり、反応のビビッドさが変わってくるのかもしれません。

まあ、そういう、不確かで、危うい生活の中で、時代の荒波を潜り抜けた、確固たるものには、憧れを抱いてしまうし、「あるべき」姿みたいなものを求めてしまうのではないでしょうか。

そういうコンテキストでの、「品格」ブームなんじゃないかなあ、まあ、荒っぽく言うと、そんな感じで捉えています。

ただ、品格あるものなど、そう簡単に身に付けたり、手に入れたり、理解できたりするわけはないし、何かを得る為に地道な努力を継続できる人以外は、難しいでしょう。 

俺だけの感覚かもしれませんが、「品格」という言葉って、使われる度に痩せていく気がします。「品格」のない多くの人々の手垢のついた「品格」という言葉は、どんどん「品格」を失っていく気がするのは、少し皮肉な結果です。

2008年01月12日

パナソニック

松下電器が社名をパナソニックに変える。

新聞報道によれば、2003年に海外ブランドをパナソニックに統一したことを契機に検討が開始された。

今回の社名変更の理由を、大坪社長は、以下のように説明をしている。 

<現状> 「松下」の社名と「パナソニック」と「ナショナル」にブランド名が並立することで、全社員の努力が3つの名前に分散している

<松下という名前への評価>
若干ローカルなイメージがある

<上述認識を受けて>
海外市場での販売拡大を成長の柱に位置付ける同社には、ブランド力強化の観点から社名変更が必要⇒一つの名前、一つのブランドの下にグループが結束し、ブランド価値向上を図る

<その他>
社名変更に伴う費用は今後1─2年で300億円前後になるとの見通し

既に、4年前には、海外市場における商品ブランドは、パナソニックに統一されているので、社名変更⇒ブランド価値アップ⇒売上増のように、ダイレクトに海外市場での販売拡大につながるわけではない。何故、これが2009年度までの、新中期計画で目標に掲げられている海外売上高大幅増実現のための、切り札になりえるのか?

また、国内白物家電の「ナショナル」、社名である、「経営の神様 松下幸之助」の苗字である「松下」というブランドは捨てることになる。これまで長い年月をかけて創り上げてきたこの2大ブランドを捨て去る損失は、前述社名変更に伴う費用300億円とは、比較にならない位大きい。

Panasonicというのは「pan」と「sonic」の合成語。「あまねく音」という意味で、もともと音響製品のファイティングブランドだ。デジカメ、洗濯機、冷蔵庫...などの非音響製品の冠が、「あまねく音」では、理屈にもあわない。また、会社の名前として、「あまねく音」株式会社というのも、実際意味不明。「パナソニック」は、それ自体余り意味をもたない「記号」として捉えるべき。

社名を松下からパナソニックに変えると、何故グローバル企業へと成長するのか、グローバル企業になるためには、松下をパナソニックに変えるべきなのか?そのあたりが、俺にはよく判らない。


もっと重要な事がある。

市町村合併により、我々は、多くの長い歴史をもつ地名を捨ててしまった。日本という国が、自らの歴史を如何に軽視しているかを示す「暴挙」だ。

今回、松下の行おうとしている事は、同様な性格をもつように思える。

そもそも、ローカルなイメージ=オリジンが力を保持...という理解も出来、一概に悪いとはいえない。

ただ単に、創業者一族の影響力が低下したことをシンボリックに表現したかったのかもしれない。

それが、目的であったとしても、「あまねく音」という意味不明、理解不能のカタカナ造語を、伝統ある「松下」を捨てて、社名とすることのどこが、グローバル化なのだ? 単なる、歴史的無形資産の破壊を意味するのではないか?ホンダもトヨタも、創業者へのリスペクトをその社名に残したまま、グローバル化を遂げたのだが、何か違うパスがあるのか?

大日本帝国海軍は、日露戦争で、世界一のロシア艦隊を粉砕した東郷平八郎を神格化することにより、近代化が遅れたという話しを聞く。同じ事が、「経営の神様」松下幸之助にも言えるのかもしれない。

企業は、生き物なので、新陳代謝を行い、環境に適応し、どんどん姿を変えていく事ができなければ、発展はない。そういう企業としての運動性を制約する「松下」という呪縛を解き、新機軸を打ち出す為には、荒療治が必要だったのかもしれない。

ただ、常に振り子は、オプティマムラインを超えて過剰に振れる。往々にして、余りに過剰な振り子の動きは、破壊のみをもたらす...そんな風に感じる。

2008年01月11日

占い

正月には毎年、占い師にみてもらうことにしている。

といっても、コンピューター占いで、手相と生年月日を打ち込むと占い結果がでてきて、その結果について1~2分占い師が、極めて大雑把なコメントをするという類の安くて、簡易なものだ。

別段信じているわけでもなく、どちらかというと、「貴方の前世は、フィレンチェで、宮廷画家をしていて、今青いオーラがでています」などと言われても、一体何を根拠に?と冷静に切り返す性質だ。

これまで、まるで嵐に翻弄される小舟のように、雨に打たれる野菊のように、両足をチョコンと揃えて座る猫ちゃんのように、運命に弄ばれてきた俺は、この馬鹿馬鹿しくも、不条理で、統御・予測不可能な人生にある種の諦念を覚えつつある。

そんな人生に「かりそめのスイング」「御籤と占いで弾丸ファイター」が基本スタンスだ。

2008年度は、ゼロ学占星術、六星占術では、最悪の年にあたる。所謂、天中殺、大殺界という奴だ。どんな酷いことを言われるのだろうと、正月早々ちょっぴり憂鬱に順番を待つ。

紺のネクタイ、白いワイシャツ、胡麻塩頭で、ガタイの良い占い師のジジイは、眼鏡を鼻の上にずらして、コンピューター占いの結果と、俺の手相、顔をかわるがわる見た後「あんた、自営業だよね」 

自営ではないが、小さな会社の社長をしている旨、モゴモゴと答える。

「あんたは今年大殺界やで」爺さんは、耳が遠いのか、かなり声が大きい。後ろに並んでいるOL風の娘が、ハッと息をのむ気配を感じる。 

ジジイ、そんな事はわかっとるわ、さあ言え、今年起こるであろう、悲惨かつ不条理な出来事の数々を、さあ言ってみろ、俺は充分覚悟はできているんだ…と心の中で呟く。

爺さん、馬鹿でっかい声で、「運気はあがってきとる。今年から最高や。手相に、ば~んとよくでとるわ」

おい、ジジイ、大殺界でゼロ地点にいるのに,何故、運勢が最高なんだ…。思いっきり、疑惑の眼差しを向ける俺に、爺さんは、たじろぎもせず、こう言うのだった。

「あんたは、自分の努力だけで、這い上がるしか方法がないタイプじゃ。アッハッハッハ」

爺、全然おかしくないぞ。

「ここまで、苦労して、努力しているのは、手相にでておる。これまでの努力が実を結び始める時期が来た…っちゅうわけやね」 

俺は、あの灼熱のザイールでハンマーを振り下ろした日々、極寒のシベリアで丸太を運んだこと、親父の投げるピンポン球を鼻先でかわす辛い練習など…ここ数年間の苦闘の記憶が甦り、熱いものがこみ上げてくるのを感じた。その時、

「どっちにしてもやな、あんたは、自分を信じて、思いっきり努力を続けるしかない。天中殺やら何やらは、あんたには、元々何も関係がないっちゅうこっちゃ」

はぁ~っ、「元々何も関係がないっちゅうこっちゃ」...って、何が?ジジイの言っていることを冷静に翻訳すれば…

1)努力をすれば、願いはかなう
2)つまり、努力が足らなければ、願いはかなわんのじゃ
3)元々天中殺なんか無関係→お前の運勢なんか俺にわかるかアホ
4)占いする暇があったら、仕事せえ、ボケが

今年、もし成功しない場合、「あんた、努力を怠ったようやね。手相にバ~ンとでておる!!」とこの爺さんは、涼しい顔で言うに違いない。

「因みに、あんたは太閤さんと同じ手相や。今年は、天下取りの年じゃ。ガッハッハッハ」

まだ言うか、くそジジイ、金返せ…俺は、心の中で激しく毒づきながら、その場を離れた。

この爺さんが、とんでもない食わせ物であることは疑う余地がない。

ただ、「自分を信じて、思いっきり努力を続けるしかない」というのは、真理だ。「これまでの努力が実を結び始める時期」が到来しつつあるのは、体が感じ始めている。ついでに言えば、「運勢」云々など、元々俺の人生とは、余り関係が無い。努力が充分であれば成功するし、足らなければ失敗するだけなのだ。

そういう訳で、何の根拠も無い思いつきをアドリブで言っている割には、いいところは突いている...ともいえる。

う~む。ジイサンもしかすると、タダモノではない?

足早に立ち去る俺の背後で、爺さんのやたらデカイ声が響いている。

「お嬢ちゃん、長女やね。そうそう、次女。末っ子やね。あらあら弟がいる…。そりゃ腹違いかもわからんなあ。今年は、最高や。三国一の花嫁になるわ…。何、もう結婚してはる?」

まあ、たまたま俺の場合のみ、いい所を突いていた...だけなのかもしれないね

2008年01月08日

目指すべき爺さん像とは?

今年の正月は、例年以上に、親戚と会うことが多かった。

老齢化が進む(新しく結婚するメンバーがいないので、結果として新生児が生まれない)傾向が強い。男性だけに限れば、俺の下には、36歳、15歳のメンバーがいるだけだ。(15歳は、俺の息子だ)

というわけで、俺はその集団の中で言えば、「若手のホープ」ということになる。

今回、物凄く感じたのは、年寄りが酔っ払うと、何故これ程までに、同じことばかり言うのだろうか?ということである。

「若手」なので、飲みの肴になることが多い。それは、それで全然結構なのだが、話題としては、俺が小学校1年生だった頃に集中する。

本人の記憶自体が曖昧なのだが、大体一晩に10回、また俺の子供に、「お前のお父さんが小学校のときは…」というのを入れると、15回は同じ話がon & on &on...。

また、年寄りは、自分の近況でも、余り多くのことが起こらない為か、同じトピックを語り続ける傾向が強い。これも10回は同じことを喋っている。

こういう年寄りを相手にするのは、実は俺は、そんなに苦痛を感じないタイプだ。考えてみれば、俺は生まれてこの方、こういうクドイ皆さんの中で、同じ話を何百回と聞いて育ってきたのだ。生半可な、クドサなど、物の数ではない。さあ、かかって来い位の話だ。

俺がここで問題にするのは、俺もいつかは、同じ話を何度も何度も繰り返す爺さんになってしまうのだろうか?という恐怖である。

45歳を超え、50歳の大台を完全に射程圏内に捉えた今、どんな爺さんになるかは、切実な問題となりつつある。幾つかの可能性の中で、「面白くない話を繰り返すジジイ」というのは、最も排除すべきオプションのひとつである。

「脂ぎったジジイ」「禿げて脂ぎったジジイ」「禿げて脂ぎってイヤラシイじじい」の次くらいに、恐れるべき未来は、まさにこの「面白くない話を繰り返すジジイ」だ。

もちろん、「面白くない話を繰り返す禿げて脂ぎってイヤラシイじじい」になった場合が、最悪なのは、いうまでもない。こういう状態に陥った場合は、潔くヘソ噛んで死ぬ覚悟は出来ている。

恐ろしいのは、自分が、前述のような「ヒドイ爺さん」になったときに、果たして、そういう自分を正しく認識できる「正気」が残っているのだろうか...ということだ。

親戚の爺さん、婆さんをみると、皆、毎年同じ話をするのであるが、「その話は、もう千回は聴いた」という指摘を許さない、独特の迫力をもって、50年前の事象を、まるで昨日起こったことのように、ビビッドに語るのだ。夫々十八番の話をもっており、笑いのツボは外さない。一族全員大爆笑だ。まるで、古典落語。(海老名家より、芸達者かもしれない) 

彼らは生きた昭和史であり、満州事変、魔都上海、第二次大戦、終戦、引揚から高度経済成長あたりまで、ダイナミックかつインターナショナルに話は展開する。どこまでが事実で、何処からが、エンタメ性重視のために創作されたエピソードかは、今となっては、話している本人もよく判らない(に違いない)

こういう環境で育った俺は、いつまで正気でいられるのか?それとも、もうかなり危険な兆候をみせているのか、その判断自体が、既に危うい。

そもそも、「くどい」のは大目にみるとして、「面白くない話し」を回避できるのか?

俺達の世代が、何百回も繰り返し「上演」できる面白い話し、語り継ぐに足る話...など出来るとは、とても思えない。 1962年生まれの俺の人生は、彼らと比較すると、思いっきり平凡かつ平板だ。どこをどう叩いても、「護身用のピストルを婆ちゃんは懐に忍ばせて、厳戒態勢の国境を越えて行く...その時婆ちゃんの背中におんぶされていたのが、実は僕で...」のようなスーパースペクタクルな話しは、俺達から出て来るわけは無いのだ。

それでは、ショーンコネリーのように、知的で、ウィットとユーモアに富み、暖炉の前で、割と口数少なくスコッチを飲むような、従来とは一線を画するお洒落な老け方では如何? そうなれば、いいのだが、世の中、そうはうまくいかない。(まず、暖炉がないし、日本人だし)

俺の目指すべき爺さん像をどう設定すればいいのか? 年初から、悩みは深い...。

高校同級生の飲み会

年末、高校時代の友人達と飲み会。

ほぼ同じメンバーで、20年以上飲んでいる。

途中、連絡が途絶えたり、転勤になったり等があり、途切れそうになった事はある。また、高校時代の友人と飲んで騒いでいる自分って、後ろ向きで、余り格好よくないのでは?等懐疑的になることも正直あった。

でも、今はこうやって、20年以上に渡って続けて飲んでいる事自体が素晴らしいことだと思うし、我儘な俺に付き合って飲んでいただいている同級生の皆さんには、感謝、感謝。

レギュラーメンバーは、自営、公務員、銀行マン、メーカー営業、損保、私と全く仕事上の接点が無い。毎回、同じような話題で盛り上がり、午後6時くらいから飲み始めて、1~2時で解散という割と大人しいパターンが最近は定着。(といっても、7~8時間は飲み続けているのだが)

何の利害関係もなく、馬鹿だアホだ、恩知らずだ、人でなしだ...と面と向かって極めて気軽に言い合えるのが、とっても楽だ。

お節介かもしれないが、他の奴らも、こういう飲み会があることを知ったら、皆参加したいと強く思うのではないか?そういうお年頃なのではないか?と突如ひらめいた。

今年の飲み会の席上、来年は、拡大バージョンでいこうぜという話をしたら、役所はアイツを押さえればかなり集まるな...とか、銀行もアイツのルートで、あの【可愛かった】子も来るに違いないなど、急速に話しは膨らんでいった。

飲み会メンバーで唯一几帳面で手堅いため、毎回幹事役を押し付けられている友人は、かなり当惑気味に、「金ちゃん、そんな事はないと思うが、念のために確認をするのだが、もしかして、もしかすると、ホテルの大広間とか借り切ってしまうようなイメージじゃないよね?」と尋ねる。

「あったりまえっちゃ。大広間借り切って、羽織袴で樽酒を皆で割って、ガンガン行くっちゃ」と、飲んだ勢いだけで答える俺をみて、彼は、何も深い考えの無い俺に呆れ果て、また完全に酔っ払っている俺に何か意味のある答えを期待した自分を責めているようだった。

「とにかく...10月位から準備にかからんにゃいけんね」と、小さな声で、友は呟くのであった。

そういう訳で、今年の年末は拡大バージョンで飲んじゃうもんね...。気持ちよく飲む事ができるよう、悔いのない一年を送ろう!!と決意を新たにしたのじゃ。

2008年01月06日

Gacktの紅白歌合戦

今年の元旦は、親戚が集まった。

新しい話題がないので、毎年同じ話しをする傾向が強い集団である~「小学校一年の時に、内向的で嫌がる俺を、説得して外に連れ出し、キャッチボールをした話」などは、一晩で約10回語られる。それが、どうした?という話なのだが、理由などは、元々ないのだ。

母から、珍しくニューアーギュメントとして提起されたのは、「Gacktは、あれでOKなのか?」ということであった。

大晦日、紅白、格闘技、ダウンタウンと、チャンネルを落ち着き無く回しながら、家族でTVを観た。で、偶然紅白をみているときに、Gacktさんが登場。

小林幸子の後なので、嫌な予感はしていたのだが、「風林火山」での上杉謙信のコスチュームで、300名位の甲冑に身を固めた武者を引き連れて登場。剣を抜いて、「生きんと欲すれば死す。死なんと欲すれば、うんにゃらほんにゃら」と叫び、唄う。

母は、あのナルシストぶりは、如何なものか?という問題提起をしたかったわけだ。

一年間、「風林火山」を一回も欠かさず観てしまった。

亀治郎の余りといえば、余りに過剰な演技の為、他の演技者が何をやっても、少々のことは大目にみるというユルイ状況は、最終的には、名優緒形拳の演技を茶番にするほどの末期的カオスを産み出した。

青いコンタクトレンズに金髪で演じたいという当初の希望を却下する代わりに、NHKが特別仕様の、西洋風甲冑とマント着用を認めたという経緯があるGackt。どんな交換条件か?という真っ当な疑問をよそに、一人だけ厚塗り、不思議な台詞回し、前述特注の銀の甲冑とマント。

そんなGacktは、何故だか判らないが、はまり過ぎるほど、亀治郎ワールドとしっくり調和することに成功したのだった。何か、嫌な感じの化学変化の末、意図せぬ極彩色の不気味な大輪の花が、パックリ開いちゃった感じ...だ。

Gacktは、自ら1540年生まれと称し、また最近では上杉謙信の生まれ変わりとも言っているらしい。元々危ない人で、茶の間との距離感は極めて遠い。

で、紅白歌合戦。

紅白歌合戦のように、国民の多くが、炬燵に入って、蜜柑を食べ、年越し蕎麦をすすりながら、家族和気藹々で観る番組には、Gacktがフィットするのは、やっぱ無理...というのが正直なところ。やはり、あのキャラは、亀治郎ワールドに包含される小宇宙としてのみ存在可能だったと思うのである。

ただ、Gackt本人は...

報道によると、歌唱後「戦国の男らしさ、強さ、優しさを音楽で表現したらこうなるのでは。戦国ロックみたいな。緊張感、緊迫感を感じてもらえたんじゃないかな」と満足そうだった...らしい。

そうか、そうなのか? 本当に、そういう総括でOKなのか? そういうことで、どこの家庭も、円く収まるのか?

2008年01月05日

帰京前

帰郷したと思ったら、もう帰京。

故郷では、全く無防備な俺。東京に居るときは、必死に気持ちを張り詰め、常にファイテ
ィングポーズをとっている健気なヘナチョコ。本当に健気で、涙、ナミダ、なみだ、波平だ。

親戚に会い、古い友人と飲み、行きつけだった店で、チャーシュー麺を食べ、高
校時代屯した喫茶店でコーヒーを飲み、海沿いの通りを散歩し、祖母の家が在っ
たあたりに佇んだ。

変わったもの、変わらないもの。喪ったもの、失わなかったもの。
時間の流れは優しく、残酷。
時とともに記憶が薄らぐ事がなかったら、羞恥心で瞬殺だ。押し寄せる思い出の処理だけで
グロッキーなのだ。

大学に入学したときに、「お前は、この街に住むことは二度とない。一回出て行
ったら、もう戻ってこない」と母親の言葉。何て事を言うんだと思ったが、実際仰るとおり。

年に一度帰郷の度に、変わらぬ顔ぶれと、飲んだり、遊んだりしているうちに、時間
はあっという間に過ぎていく。とても、リラックスし、楽しい。

でも、俺の場所は、もうここにはない。ここに在るのは過去と過去の残骸だけだ。
感傷に浸っても、何にも新しい事は生まれはしないのだ。泣いても笑っても、酔っ払っ
て看板を盗んでも、もう如何ともし難いのだ。

ここ20数年間、我知らず新しい何かを探し続けたような気がする。でも、まだ何
も答えを見つけてはいない…糸口すら見出せてはいない。
前途には、厚い靄がかかったままだ...。

何かが始まっているのか、終わりを告げようとしているのか、どこかに向かって
いるのか、足踏みをしているのか…不明。

ただ、まだ何も満たされていない、昔のままの自分が、相も変わらず居る。
45歳になっても、未だガキのままでいるという予想外の展開に、かなり戸惑っているのだ。

マーメイドからのFAQ、「貴方は、どうして、そんなに一生懸命なわけ?」
答えは、飛び去っていく現在と中々近づけない未来にしかないから。目の前の事に全力を尽くして
初めて見えてくるものがある筈だ...多分。

今年も、色々なことが起こり、その度に、悩んだり、迷ったりするのだろう…。

誰から強制されたわけでもなく、自分が選んだゲームなのだ…残念ながら。誰かのせいに出来れば、楽チンなのだが…、そんな事もできない。

もう、自棄のヤンパチで、2008年も、ガ~ンと*■γ♪◎なのだ。(占い師のオバサンによれば、今年の運勢は、最強らしい。でも、毎年、そう言われているんだよな。太閤秀吉と同じ手相らしいが、16世紀にしか通用しないのでは、ないでしょか)

まあ、2008年は、兎に角、そういうことに決めた。

つまり、そういうことだ。「そういうことって、どういうこと?」って聞かれても、ノーコメント。
正式コメントは、広報を通したい。

何と言っても、そういうことなので、よろしくお願い申し上げます、今年も。