« 年末だもの | メイン | ラストサムライ »

「日常の思想」から  このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリー参照しているはてなブックマーク このエントリーをdel.icio.usに追加

大体、常に数冊の本を併読している。

通勤カバンは、この読みかけの本と、ノートブックPCと、その時々の関連書類で一杯のうえ、使い方が乱暴なのか、いつも数ヶ月使用すると、見るも無残。現在のカバンは、何号目かわからないが、不自然に膨れ上がったカバンを無理やり閉める作業を継続していたら、ファスナー部分がズタズタ。

現在併読中なのは、宮尾本「平家物語」 「日常の思想」 「生物と無生物のあいだ」。

読み終わるスピードは、読み易さによるところが大きく、小説はストーリーが面白ければ一日で読み終わる。(その場合は、他にやるべき事は、全部後回しになるので、後で辛くなる。忙しい時に限って、面白い本に遭遇してしまうの)

ビジネス書を読む場合は、大抵業務の必要上に迫られて...という場合が多い。奥歯に予め仕込まれたスイッチをカチッと噛むと、加速装置が作動して、一応マッハ5で読める。右上方から45度下にざっと斜め読みするので、まあ2~3冊なら、ワードでサマリーを作りながら読む事が可能。ただ、この読み方は、サイボーグの俺でも、かなり疲れる。それに、楽しくない。

中々読み終わらないのが、「日常の思想」でやっと半分。これは、面白いし、文章も簡易明白、短文ばかりなので、読み易い。何故、時間がかかっているかというと、心の琴線に触れる部分が多く、割と考え込んでしまう部分が多い為。

著者は梅原猛。1970年代に書かれた文章が多い。

今日読んだ項目。「進歩信仰」。ラフに要約すると...

「近代人は何も信仰していなように思われるが、進歩信仰とも言える「信仰」をもっている。中世ヨーロッパ人は、キリスト教と歴史を信仰した。しかし、近代人は、歴史は進歩するという信仰のみ受け継いだ。この進歩信仰は、明治以来の日本人の信仰になった。

神を祈る信仰を、迷信とののしりつつ、歴史は無限に進歩し続けるという信仰は、疑ったことすらない。盲目的な信仰者である。無限に未来に向かって進歩を続けるのであれば、現状にはいつも欲求不満を感じ、そのことを理性的であることの根拠とみなしている。」...てな感じである。

この文章が書かれたのは、高度経済成長時代であり、進歩信仰が戦後最も高まった時期である。一生懸命働けば、給料は増え、新しい家電製品、乗用車を買うことができ、生活は豊かになった。そして、その進歩は無限に続くように思えた。

経営者は、終身雇用制度と年功序列制度を、絶対的教義のように唱えていた。

全ては、何の根拠もない幻想だった。30年経過をした今、その残骸が寒々とした風景を創っている。高度経済成長とバブルを踊った無責任な世代のツケが遅れてきた世代の背中にずっしりと食い込む。

将来が無限に進歩し、生活が無限に豊かになる...そんな事を今考えている人間は、相当御目出度い。
科学技術の進歩が人間の明るい未来を約束するとは、とても思えない。

著者が言っているように、神を迷信として捨て去り、盲目的に信じていた進歩信仰さえ幻想であることが明らかになった。現代人は、今拠ってたつ所、絶対的基準となりうる思考の背骨を失ってしまった。

人間関係の希薄さ、ワーキングプア、ネットカフェ難民...。生きていくことに困難を感じる放浪者の群れ。
多くの人間が絶対的なものを失い、価値観の混沌化、流動化に歯止めがかからない。

もし、人間の本質が変わらず、何か絶対的に信じる何物かを必要とするならば、更にこの傾向は強くなり、精神的難民で街は溢れてしまうだろう。行き着く先は、奇跡と予言でマインドコントロールするカルトの出現か、カリスマによる独裁か、無関心、無気力、無秩序な世界か...。

著者は、この短文の最後をこう結んでいる。「今は、近代文明原理そのものが、根本的な批判にさらされるべきときだと私は思う」 30年経過したが、この問いは未だ有効なままだ。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mvt.fresheye.com/mt/mt-tb.cgi/784

コメントを投稿