大学時代は、英語クラブに4年間所属。
このクラブは、文科系にもかかわらず、時間的にハード。朝は週5日、昼は週5日、夜は週4日練習がある。春夏秋冬の休みに、夫々英語キャンプを行い、それ以外にも、クラブ主宰のオープンディスカッションミーティング、部内のディベイト大会、他大学のキャンプ、その他イベントへの参加。スピーチコンテスト、レシテイションコンテスト、ディベイト大会への出場など。
俺は、授業への出席率は異常に低いのだが、部室と溜まり場になっていた近くの喫茶店、練習への出席率は高く、毎日かなり長い時間をキャンパスとキャンパス周辺で過ごしていた。
顔つき合わせている時間が長いので、人間関係は非常に濃い。
2年生のときに、4年生の女性の先輩に呼び出されて、「金田君は、女性の扱いが、ぞんざい過ぎませんか?」俺は、後輩を全て、男女関わらず苗字呼び捨てで呼んでいて、留学帰りの先輩からみると、それがとても乱暴に見えたらしい。せめて、ファーストネームに「さん」付けで呼ぶべきではないかと。
男の悲しい性なのか、若くて、可愛い女性には弱い。ちょっとキュートだと,ちやほやするし、甘くなる。
男性先輩諸氏の割と露骨な、その傾向が、とても嫌だなあ...と感じていた俺は、男女関わらず苗字呼び捨て&超ワイルドな態度で接していた...ようだ。(若くて、可愛い女性に辛く、厳しく当たるという、割りの合わない事をしていたのね。完全なる若気の至り。)
「無愛想で、エラそうで、高圧的で、自分勝手で、仲のいい人間でグループを作り、突然変に盛り上がるし、それ以外の人は排除する雰囲気が強くて、大嫌いだった」と、当時、俺の後輩だったマーメイドは、語る。誰についての話か、全くわからなかったので、尋ねると、「貴方以外に、誰がいるというのよ」。(トホホのホ)
俺は、大学二年の初夏、教授が主催した日中友好団に参加し、帰国した後、黄砂を吸いすぎた為か、軽い肺炎になって、医者に通っていた。丁度、通院の帰りに、その当時、まだ単なる後輩だったマーメイドに会い、「お元気ですか?」と声をかけられた...らしい。(俺の記憶は既に消去されているが、彼女の記憶は、何故か生々しく、年々強化されている感じさえする)
俺は、その時、冷たい視線を彼女に向け、こう言い放つと、彼女を無視して、ずんずん歩いていったらしい。「病院通いの奴が、元気なわけないだろう。馬鹿」
過去の事例を文字にすると、呆れる位ヒドイ奴。とても自分の事とは思えない...。しかも、マーメイドの話によると、この手のエピソードは、あと200以上あるらしい。
学生『ちゃん』付けパワハラ 山梨 大男性教授を減給処分
2007年11月30日 東京新聞夕刊
山梨大(甲府市)は三十日までに、女子学生を「ちゃん」付けで呼び不快に感じさせたのはパワーハラスメント(パワハラ)に当たるとして、同大大学院医学工学総合研究部の五十代の男性教授を減給一万七百四円(一回)の懲戒処分にした。
同大によると、教授は昨年の九月から十一月にかけ、指導する研究室に所属していた女子学生に対し、名前に「ちゃん」を付けて呼ぶなどしたため、学生が不快に感じていたという。
女子学生から相談を受けた大学側が教授らから話を聴き「地位を利用した嫌がらせ」と判断した。教授もパワハラだったと認めているという。以下略。
パワハラとは、辞書で引くと
パワーハラスメント(Power harassment)とは、日本語で権力や地位を利用した嫌がらせという意味で用いられる言葉である。会社などで職権などの権力差(パワー)を背景にし、本来の業務の範疇を超えて継続的に、人格と尊厳を傷つける言動を行い、就労者の働く環境を悪化させる、あるいは雇用不安を与える行為である。
ウィキペディア 以下略
人の呼び方は、とても難しい。苗字+ちゃん付けは、俺もオフィスでしている。他者の快・不快というのは、正直よく判らないことも多い。気付かないうちに、何らかのハラスメントを与えている事もあるかもしれないと考えさせられる。
このパワハラの結果、被害者がうつ病、PTSDといった精神疾患を発症したり、退職や自殺に追い込まれてしまう事も少なくないとのこと。
俺の大学時代の所業も、先輩という立場を利用して、後輩に対して、理不尽な行為をとっていたという読み方をすれば、立派なパワハラになるのかもしれない。
多くの企業においては、パワハラについての正しい認識そのものがないという、プリミティブな状況が放置されているというのが現状のようだ。
大小を問わず全ての組織において、何らかのパワーを有する立場にいる人間は、常に意識すべき事項であることは、間違いない。自分の言動について、ピュアに客観視することは、不可能。また、パワハラと教育的指導の線引きは、極めてファジーだ。第三者の声をきけるスキーム(360度評価など)は、今後必須になっていくに違いない。
人間は、間違いを起こす。
大学時代の俺のように。本来の俺の姿である、ヒューマニストにして、フェミニストの側面をもっとアピールしておけば、更にモテモテだったに違いないのだ。(痛恨の極みだ)
間違いを短期間で認識し、修正することができるよう、常に自分を厳しく見る目と謙虚さがなければ、パワーを有する資格はない。21世紀のリーダーに求められるのは、効率性、スキルというような、数値換算が容易な領域だけではなく、生身の人間を取り扱う曖昧で、混沌としたエリアをマネジメントする能力。それを、「人格」と表現することは、割と適切ではないかと思う。