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2007年11月25日

鎌倉散策

三連休中は、天気が良かった。

土曜日には、少しお散歩。

晩秋の源氏山へ。紅葉の赤、イチョウの黄、山の緑、空の青。とても、鮮やか。特に、イチョウは、午後2時の柔らかい日差しを受け光り輝き、目に痛いほど。

源氏山を越えて、銭洗弁天へ。セーターを着て、コートは手に持っていたのだが、暑くて汗をかいたので、セーターは脱いでしまう。

鎌倉には、多くの神社仏閣があるのだが、銭洗ほど、コマーシャライズされた所はない...と思う。何しろ、お金を洗うと増えるというご利益が売り。岩をくりぬいた道を通って、小さなオープンスペースにでると、土産物店、鯉の餌販売、絵馬の販売、アイスクリーム売りなどお金を落とす仕掛けで一杯、観光客で賑わっている。お社も、他と比較して、どこか重厚感に欠けて見えるのは、偏見?

人波を、クロスステップで交わして、裏の石段を登る。右斜面に広がる竹林を見ながら、山道を上り下りする。この界隈には、大きくて、立派な邸宅も多い。鎌倉は3階建て以上の建物は建築禁止なのだが、お陰で、どんなに大きな建物でも、遠くの山を借景にして、景色に溶け込んでいる。

20分位そのまま歩くと、山道があり、更に登ると佐助稲荷へ。うっそうとした林の中、数十段の階段。ちょっと息を切らせたところで、石の小さな鳥居。昼間だが、日の光が届かないので、薄暗く、空気も冷たい。ここにも、かなりの観光客がいる。

連休のせいか、何処に行っても人が多い。

隋道を通って、駅周辺へ移動。ちょっと、お茶でも飲みましょう...ということになったのだが、小町通りには人が溢れかえっていて、目当ての店はどこも一杯。段蔓横にある、お店でティータイム。手作りの、胡桃のケーキと濃厚レアチーズケーキは、共に秀逸。

鎌倉には、京都の金閣寺、奈良の大仏のような、スペクタクルなものはない。(大仏はあるにはあるが、メイルになるほどでは...)皆が、歴史ファンとも思えない。人が溢れかえる小町通にしても、何か特別珍しいものが売られているわけではない。(この季節、修学旅行生にもよく会うが、かなりのパーセンテージが、鳩サブレの袋をもっている。君達の地元のデパートでも売っているので、ここで買う必要は無い...とアドバイスをしたいと思うのだが...言ったことはない)鎌倉でしか、買えないものなどない。、何故、この街に、こんなに多くの人が来るのか不思議。

田圃も畑もあって、山と海があって、古い寺と神社がやたらあって、四季を彩る植物をみることができる...どこにでもある田舎の風景なのだが...。で、はたと気付く。昔は、どこにでもあった田舎の風景だと思うのだが、今は、どこにもないのかも...と。こういうものが割と小さなスペースにぎゅっと凝縮されているという場所は、案外稀なんでしょう。

仕事の関係で、色々な町に出張で訪れているが、何処に行っても余り変わらない町並み。東京といえば、東京でも通るし、新潟といえば新潟でもOKのような、そんな特徴のない街が多い。
日本全国、風景の一般化、無個性化が恐ろしい勢いで進んでいるってことか。

鎌倉は、とにかくお散歩には最適。マーメイドと、だらだら歩きながら、ダラダラ話しをする。この日も4~5時間で、一回りして、お茶をのんでケーキを食べて、帰宅。何となく、体が軽くなった気がする。

2007年11月21日

あがつまクンには圧倒されたぜ

久しぶりだぜ。

もう何ヶ月ぶりなのか思い出せないが、コンサート。嬉しさの余り、スキップしてオフィスを18時にはドロンパ。

上妻宏光(あがつまひろみつ) ウィキぺディアより抜粋

茨城県日立市出身の津軽三味線奏者(本人は『三味線プレイヤー』と称する)。古典曲の独奏に限らず、民謡伴奏や洋楽とのセッション、および作曲においても高い評価を得ており、木乃下真市と双璧をなす若手第一人者とされる。
趣味で三味線を弾く父親の元で育ち、6歳より茨城県日立市の佐々木光義に入門して津軽三味線を学ぶ。 1987年、14歳で全日本津軽三味線競技大会(青森県北津軽郡金木町、現・五所川原市)において同大会史上最年少優勝。中学卒業後に上京(堀越高等学校入学)、ロックバンド六三四に加入するなどの活動を続けて腕を磨き、1995年および1996年の津軽三味線全国大会(青森県弘前市)で2連覇を果たす。
2001年にアルバム「AGATSUMA」でメジャーデビューし、同アルバムで第16回日本ゴールドディスク大賞の純邦楽・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。2003年には第11回スポニチ文化芸術大賞優秀賞を受賞した。
2003年、喜多郎らが所属するDomo Records ドーモレコードよりアルバム「Beams」にて全米デビューを果たす。 国内に限らず、アメリカやEUでツアーを行うなど海外でも精力的に演奏。ニューヨークのジャズクラブに飛び入りでセッションしたり、スペインでフラメンコとセッションするなど、古典にとどまらない活動を見せる。
2006年2月に行われたアメリカ東海岸ツアーでは、全米で放送されている“A&E Breakfast With The Arts”にゲストとして出演した。 以下略

今回のツアーは、「蒼風」というニューアルバムの曲を中心にしたもの。メンバーは、ピアノ:秋田 慎治、ギター&ベース&プク(韓国の太鼓):チョン ジェイル、パーカッション: はたけやま 裕という構成。ル テアトル銀座という、オフィスから徒歩10分位の場所で開催。

会場について、驚いた。女子大生みたいな人から、婆さん&爺さんまで、年齢層が滅茶苦茶広い。(会社員は少なそう) 開演を待つ間、弁当を広げて食べているオバチャン。係員が怒鳴っている「握手券をお持ちの方は、公演後、上妻宏光の握手会に参加できます」 握手券?なんじゃそりゃ? 握手会?アイドルが両手でファンと握手する、あれか?

弁当広げて、エビフライを口に丁度頬張ったオバチャン一号のほうが、突然反応「やった~!!」 一体どうなっているのか?

ピアニストはジャズ系、ギター&ベースはコリアンポップスの雄、パーカッションは、国立音大卒業時、日本打楽器協会新人演奏会において最優秀賞で万能系。そして、上妻宏光は、ロック系の三味線奏者。この爺&婆、オバチャンは、理解したうえで、ここに来ているのか?

そんな俺の動揺をよそに、コンサートは始まった。三味線が、和楽器だとか洋楽器だとかのジャンルをこえた、ユニバーサルなものであることを再確認した。「和楽器とロックの異色のコラボ」というような色物ではなく、ピアノやトランペットやキーボードと同じレベルで、三味線が何の違和感もなくリードをとっている。

また、三味線の音の多様さにビックリする。表情が豊か。フォルテッシモからピアニッシモ、低音から高音からもう超音波に近い音まで。伸びる音、ひずむ音、撥を荒々しく叩きつける音。

少しウェットだが、情念ドロドロではなく、軽みを感じさせる音が、適度に色っぽい。三味線の音は、癒し系ではなくて、攻撃系。触られたことのない神経をこれでもかとシェイクするような感覚が、いい。とってもいい。(ちょっとマゾ系なの)

ピアノ、ベース・ギター、パーカッションが、主役である三味線を引き立てながら、夫々見せ場で凄いアドリブ。ピアノと三味線、三味線とベース、三味線とパーカッションと夫々絡みがあるのだが、これがまた、ほんにセクシー。

ほぼ全ての曲は、彼のオリジナルなのだが、コンポーザーとしてもアレンジャーとしても、才能があるんだなあ。若くて、才能があって、確かに握手会をするだけのことはある。

爺&婆&オバチャンの求めるものとはかなり乖離がある...に違いない。(舞台で、ミラーボールまわってた) でも、フルハウスの会場は、ほんわか盛り上がった。

あがつまクンは、途中で、田原坂をやりますとかいって、いきなり歌いだしたのだが、意外なことに、これが本当に心に染入る何ともいえない声で、俺不覚にも泣いてしまった。コ、コッコイツ、歌も唄えるんだ...。マジヤバイ奴。

アンコールにも、津軽じょんがら節でバッチリこたえ、フィナーレ。会場を出ると、係員の人が、「握手券を持っている人は、ここに二列で並んでください」と怒鳴っていた。どうしても、この部分だけには、違和感を感じてしまう俺であった。(この握手会には、あがつまクンも同意か?邦楽界の慣習なのか?)

2007年11月19日

退屈な週末

ぼおっとしているうちに、土日が終わりそうだ。

昼まで眠り、食事をして、キナコ餅をおやつに食べる。またウトウトしてきて、本を読みながら布団にもぐりこむ。15分位で熟睡。起きると、晩御飯。食事後、どんよりと居間で過ごす。

数日前から、炬燵が居間に。炬燵の上には、蜜柑の入ったカゴ。ホットカーペット、暖房、加湿器、空気清浄機も稼動し始めた。

炬燵があると、人は、よっこらしょ...などと言いながら、座り込んで、見たくもないのに何故かテレビをダラダラとみてしまうものなのか? 気付くと、家族全員でテレビ画面を凝視していたりする。一家団欒というか、何となく空気が重いぞ。

オーバーワークのつけで、疲労が蓄積。この週末は、差し迫った宿題がなかったので、スッポリ休息の予定。 怠惰な生活は、予定通りといえば、予定通りだが、何かやるべきこと、考えるべきことを、忘れていたような、ちょっとオサマリが悪い感じ。睡眠を充分補給したにもかかわらず、頭はなんなく重い。難しい事を考えるのは極めて困難なので、時間が流れるのに任せている。

リフレッシュ、リラックスが苦手な性格。この「オサマリの悪さ」を引きずり続けている。余り自分と他者を比べることはないが、リフレッシュ、リラックスを上手くできる人、週末を、趣味などで楽しく過ごす人は、純粋に羨ましい。色々と興味はあるが、持続することに、全く自信がない。ただ、何もせずに過ごしている。

土曜の深夜、近くのコンビニへ。自転車に乗って、マンション前の坂を下る。右足でキックして、ライトをつける。寒さに驚く。一応セーターを着こんできたが、それでも少し冷える。見渡しても、星は見えない。冬の到来...か。

オフィスで働いていると季節感が麻痺する。外出しても、実際は、オフィス間移動。地下鉄から地下鉄、地下鉄からオフィスを往復しているだけ。季節を愛でるような余裕もなく、セカセカ歩いている。

車上で、寒風を感じながら、11月も半ば、もう今年も残り僅か...ってシミジミする。

この週末は、うっすら靄がかかったよう。何もビビッドな事もなく、喜怒哀楽に欠け、平板で、何の意外な事も起こらなかった。その週末を、振り返り、書き起こすとこういう退屈な話しになる。しょうがないと言えば、しょうがないのか?

2007年11月16日

捕鯨を巡る冒険

俺の生まれ故郷である下関は、昔から鯨と縁が深い。

俺が住んでいたのは、本州最西端下関本土から、更に離れた彦島という断崖絶壁の孤島。

幼いとき、俺は、約5尺の銛を抱えて、鯨と格闘する日々を送っていた。獲れた鯨は、刃渡り10Mの大きな包丁で、アチョ~、気合一閃、母親が三枚におろす。鯨が獲れた晩は、村の中心にかがり火がたかれ、その周りを島民が踊り狂うのだ。遠くに外国船の霧笛が聞こえる…。

日本有数の捕鯨基地であった下関。俺の父親は船乗りで、ベーリング海でスケソウダラ、南米沖でカタクチイワシを獲っていて、鯨とは縁がないのだが、父親の同期には、捕鯨船の砲手もいる。元捕鯨船乗組員もかなり暮らしている、捕鯨については特別な街だ。下関発祥の「マルハ」は,元々大洋漁業という名前で、保有していたプロ野球球団に、「ホエールズ」(左門豊作も所属。現横浜ベイスターズ)と名付けた。その準根拠地は、下関球場。

この捕鯨の聖地ともいうべき街にある市立大に、昨日、全国の大学で初となる鯨資料室がオープンした。鯨産業に携わった会社、関係者の資料が散逸しないよう収集し、情報発信基地となる目論見。また、昨日、オーストラリア野党の報道官が、日本の調査捕鯨船を監視するため、軍が出動すべしと発言したという物騒なニュースも飛び込んできている。

小学生低学年の頃、給食で鯨の南蛮揚げがやたらでてくるし、そういうときに限って、夕食のメニューも鯨だったりして、もう鯨はそれ位にしとけよ…という幸福な時代があった。どの魚屋にも、縁が紅に着色された巨大な鯨の脂身が、ド~ンと陳列されていた。

鯨が、ある時点からパッタリ食卓から消え、既に数十年経過した。 大学の資料室が収集、管理しなければ、鯨を獲り、日常的に食していた「暮らしの痕跡」すら喪失してしまうかもしれない位長い時が流れたことを改めて実感する。(昨年の正月に久しぶりに、鯨のベーコンを食する機会を得たが、何とも言えず美味しかった。子供の頃、もっと食べておけばよかったと後悔の涙にくれるばかりじゃ。)

何故鯨が、我々の日常から姿を消し、調査捕鯨船監視に軍の出動などという話になるのか? 鯨を取り巻く状況って一体今どうなっているのか?

ご存知のように、世界的に反捕鯨の動きは高まっている。日本、ノルウェーなどを除けば、殆どの国は反捕鯨国。 ただ、反捕鯨の論拠については、案外知っているようで、良く知らない...ってことに気付く。

ウィキペディアの捕鯨問題当該項目によれば...。

「資源としてのクジラ」という考え方がある。
捕鯨推進派はクジラを有効利用することや鯨の過剰増加による他の漁業資源の減少を避けるための必要性(鯨食害論)を説く。しかるに、反対派はクジラ資源の枯渇を訴える。

実際、鯨は減少しているのか、増加しているのか?そ、そんなベーシックな事象にも、共通の事実認識がない...という悲劇的(いや喜劇的か)状況。

また、「自然保護問題としてのクジラ」という考え。
これについても、片や「漁業による海洋の過剰搾取の問題」、片や「海洋の状況悪化による問題」と譲らない。どういうこっちゃ。

海洋の過剰搾取問題…。
過剰搾取問題は、「人間による捕鯨を含む漁業によって海洋生態系が撹乱されている」という観点から「過剰搾取・過剰漁獲のシンボル」として捕鯨を否定する流れ。

逆に、鯨食害論という、鯨のみを保護する事によって海洋生態系に悪影響を与えるという主張も。

過剰な保護も過剰な漁獲も、海洋生態系には悪いはずなので、ブラック&ホワイトの話しになるのは、不思議。

最もエキセントリックなのは、「知的生物としてのクジラ」を巡る議論。
クジラの巨大な脳容積や、音波によって同族間の緊密なコミュニケーションをとっているらしいこと、ヒトと同起源の哺乳類である事を挙げて、「知能が高い動物を食べるのは残酷である」と主張する。だが、よく考えれば、「知能」とは一体何なのか?食べるか、食べないかという基準にすべきものなのか?豚、牛、馬、鳥は食べてよくて、鯨は駄目だという境界線は何か?という、どの問いにも、充分な回答はなさそう。この論は、余りに情緒的、感覚的なので国際会議で声高に述べる人はいないが、考え方のベースとしては、かなり根強いものがある...らしい。

文化論として捕鯨を捉えるという観点もある。
元々、クジラを食料として捕獲してきた捕鯨国には鯨を食してきた長い歴史があり、それを食文化の一部という主張がある。これに対し、反捕鯨国には鯨を食する習慣がない、もしくは喪失している。

鯨を食物としてみるか、保護すべき珍獣とみるべきかは、こうなると、もはや相互の「べき論」とも理解を得ることは困難、どこまで行っても噛み合わない議論が続くことになる。

様々な論点があるが、絶望的なまでに平行線で、交わる所がない。議論が始まって以来数十年間、捕鯨国日本は常に劣勢。先進国首脳会議参加国で、捕鯨賛成国は日本だけ。議論は、ともすれば客観的、科学的なものから、感情的、情緒的なものに流れる傾向にある。

こうやって考えると、鯨の問題は、鯨だけの問題ではないのかもしれない...と思い至る。

日本は、海千山千の欧米諸国と渡り合って、相反する利害を調整し、国益を守るというノウハウが決定的に欠如している。

世界ナンバー2の経済大国でありながら、政治力、外交力には乏しく、国際政治の表舞台で活躍することは稀。日本のムラ社会での駆け引きは得意だが、日本の外で通用する交渉力、ロビーイング力はない。正しい事を主張しているかもしれないが、状況打開には、何の効果もない。鼻から先方は、戦略的に結果を得ようとしているので、書生論など一蹴される。喧伝されている、日本特殊論なども、欧米諸国からのプロパガンダで、彼らに都合のよい方向に、日本人はマインドコントロールされているのではないか。

俺達が、腹いっぱい鯨が食えなくなったり、大正海老が忽然と姿を消したり、浜口京子が負けたり、ジャンプスキーの板の長さに制限が加わったり、複合の評価ポイントが変わったり、柔道のルールが複雑になったり...するのは、日本人の主張が間違っていたり、元々特殊な考え方をする民族だったり、キリスト教の信者が少なかったり、カメラを首から提げていたり、出っ歯で眼鏡をかけていたり、英語が苦手だったりする...からではない(というか、そんなことは全く関係がない)

要は、パワーゲームのスキルの差ではないのか?

このままでは、永久に腹いっぱい鯨を食べる日は、訪れそうもない。やっぱり、昔、死ぬほど食べておけばよかったっちゃ。

2007年11月15日

嬉しいニュース

嬉しいニュースが2つ。

その一 野茂英雄の復活。

551日振りに復活。遠くベネズエラのウインターリーグで野茂が始動だ。既に3回登板している。結果は余り思わしくないが、本人のHPをみるに、球威の回復には、手ごたえを感じつつあるようなので、心配はいらないか。

“伝家の宝刀”フォークボールも投げているらしい。昨年6月の右ひじの遊離軟骨除去手術から、ようやく、本当にようやくのマウンド。ひじの痛みがでないことを心から祈る。

相変わらず、直球とフォーク。(一応、余り曲がらないカーブとドロンとしたスライダーも持ち球)余り速いとはいえなくなった直球を思い切り投げ込む。

でもいいの、野茂だから。


その二  忌野清志郎の復活。

昨年7月に、喉頭がんを公表し、療養していた忌野清志郎が12月から本格的に音楽活動に復帰するとの報。12月8日に武道館で開かれるイベント「ジョン・レノン・スーパー・ライブ」に出演。来年2月10日には、やはり武道館でライブ。 その名も「完全復活祭」~ベイビー逃げるんだ♪

年に一回の鎌倉芸術館でのコンサートは、欠かさず行っている。殆ど同じ選曲と演出。最後の「雨上がりの...」で、必ずゆずが飛び入り。 毎回、随分笑わせてもらう。

でもいいの、清志郎だから。


何をやっても、どんな状態にあっても、常にしっかり前を向いている感じがする二人。 自分のスタイルを無骨に貫く姿勢に、いつも圧倒される。投げることや歌うことを本当に楽しんでいる姿に、励まされる。

2人とも、もうここまできたら、何でもOKだ。好きなように、やりたいように、思いのままに。俺も、ちょっと頑張っちゃおうかなあ...なんて思ったりして。

「毎日、旅をして、ギターを弾いて、歌を唄う。その繰り返し。でも、全然退屈しない」
「今は返事をする必要がないと思う」(日米200勝を達成し名球会入りを勧誘されて)

We have a long way to go!!

2007年11月11日

夢の連鎖

ご存知18代目中村勘三郎に、弟子入りした俺は、大学も、会社も辞めて、役者一本で行くことにした。

それほど、初めて知った舞台の味は強烈で、何物にも変え難いものだった。

と~いうのは、さっきみた夢の話。設定としては、実年齢が14歳。何故か、息子のクラスメートと同級生の大学生で、このまま行くと単位が足らなくて留年しそうであることにクヨクヨ悩んでいる。(どんな設定にしても、必ず不自然にこの条件が割り込んでくる。凄いトラウマだ)

そんな「俺」は、14歳にもかかわらずネット企業を経営しているのだが、知り合いのコンサルタントから紹介をうけて、中村勘三郎に会い、弟子入り。勘三郎からも可愛がられて、「わけぇの、舞台にあがってみるかい?」といきなり大抜擢。

舞台で、演じている時の気持ちよさといったら...。緊張感と恍惚感の入り混じった、凄くいい感じだった。調子に乗った俺は、勘三郎と連獅子まで踊ってしまった。息もピッタリだ。袖から、見つめる、七之助の表情が嫉妬に歪んでいる。

初舞台の後、勘三郎から、飲みに誘われる。 カウンターと机が2~3個という狭いが、清潔で、いい感じの寿司屋。どうやら、勘三郎は馴染みの店らしく、何も注文していないのに、熱燗がだされ、色々なネタが振舞われた。サシツササレツといった按配だ。

「お前さん、中々やるじゃねえか。おっと、18代目は、伊達じゃねぇよ。人を見る眼は、持っているつもりさ。世辞でいってんじゃねえよ。もう、学校も、会社も辞めちめぇな。お前さんのために、あ~あれだ、その、おっきな舞台は、この勘三郎が、用意しようじゃねぇか。」一呼吸おいて、勘三郎は続けた、「19代目は、お前さんに継いでもらいてぇ」

なんて、いなせな勘三郎の江戸言葉!!! 「19代目」の決め台詞を聞いたとき、俺は感激の余り意識を喪失しそうだった...。ドーパミン放出は破壊的なまでに高まる。 俺は、一片の迷いもなく即答してしまった。「はい、辞めます。役者になります」(辞めちゃって、本当にいいのか?)

どうやって、社員の皆様に説明をしよう。いや、それよりも、なによりも、今回の舞台では、かなり立ち回りがあるので、殺陣を学ばなくては...。色々な、重い現実を背負いながら、目の前に広がる役者道に、不撓不屈の精神で不惜身命を貫きます...という感じで、とても清々しい。

という所で、唐突に眠りから目覚めた。

シチュエーションは、荒唐無稽。でも役者になりたい!という純粋で、強烈な気持ち、勘三郎のオーラみたいなものは、まさに本物。目が覚めたとき、自分が何処にいるのか、何をしているのかわからず、しばし呆然とする。

そのとき、晩御飯を告げる、エンジェルの声。今日は、息子の誕生祝で焼肉だ♪

昨夜、育ち盛りの息子のために、カルビとロース2トンづつ、新宿系和牛ルートの元締め、金禦撥(きんぎょばち)と話しをつけたことを思い出した。荒くれが集まる、新宿でトップを張っているだけ合って、飛び切り危険な匂いがする。

「飯島」俺の声に、若頭の飯島。「親父、お呼びですか」 「今夜、新宿で、大きなヤマがある」といって、アゴをしゃくった。全てを悟った飯島は、丁寧に頭を下げると、部屋を飛び出していった。

俺は、金色のガウンを身に纏い、大広間に向かう。120メートルも続く広い廊下の両側には、黒尽くめの男たちが、直立不動で並んでいる。頭を下げる屈強な男たちに、一瞥もくれずに、俺は真っ直ぐ歩いていく...。勘三郎のことが、頭をよぎる。

「18代目、いい夢見せてくれて有難う...でも俺のような奴には、こういう生き方しかできない」 俺は、マシンガンを受け取ると、走り出した...。

そのとき、マーメイドの声が...「肉焼き始めたんだけど...」 

2007年11月09日

ことばの力

俳句にしても、短歌にしても、凄く簡単そうで、中々つくることは難しい。

先日、マーメイドと自宅から鎌倉山まで、帰りは道をかえて、自宅まで5~6KM散策。鎌倉山の頂上近くには、広がる景色を詠った佐々木信綱の歌碑があるくらい、素晴らしい眺め。眼下に、青々とした天然林があり、遠くには、陽の光を浴びて、キラキラ光る海が見える。

さて、ここで一句と思うのだが、何も出てこない。五七五、五七五七七という、形式にあわせて、感動を表現するということが如何に至難の業か。

何に感動しているか、書き下し、そこから、感動のコアを掴み出し、表現する語を抽出して、並べ替えたり、追加したり削ったりして、最終的に作品というのは仕上がって行くのだろう。

北杜夫が、父である斉藤茂吉の句作につきあったとき、夕陽を浴びながら、微動だにせず、言葉を絞りだそうとする姿に、一種崇高なものを感じたと書いていたことを思い出した。

何かを産みだす事は,例えそれが、どのようなものであれ、魂を削るような行為だ。ユーミンが、曲を作る状態を称して、鶴の機織状態と呼んでいたが、まさにそういうことではないかと思う。

何かを創るためには、ある一定以上の語彙がなければ、大きな制約をうける。語彙が貧困ということは、自分の中に概念として存在していないものが多いということだ。概念が存在しなければ、受容したり、認識できない。何かを感じても、それを名付けることが出来なければ、表現できない。

ことばを持たないものの目に認識される世界は、大変単調で、殺風景で、寒々としたものであるに違いない。時々、自分の語彙の不足に絶望的な気持ちになることがある。一生懸命話しているのに、相手の心の奥底には届いていないのが、ハッキリわかる。何かを伝えるには、俺のことばは、余りにも無力だ。

この文章は、ブルーハーツを聴きながら書いている。「リンダ リンダ」「TRAIN-TRAIN」平易な言葉で、シンプルで、過不足ない。一つ一つの言葉が、びゅんびゅん心に突き刺さって、目頭が熱くなる。この曲、この声、この歌詞、全てがパーフェクト、奇跡的に。言霊というが、何かそういう人智を超えたものが、創り上げられたものに宿る瞬間がある。

ブルーハーツのライブ映像。甲本ヒロトが、「栄光に向かって走るあの列車に乗って行こう...」と唄い始めたところで、電流が走ったように崩れ落ち、座り込んでしまった女性をみた。研ぎ澄まされた「ことば」は、魂を揺さぶる。

新聞の広告で、オリックスマネー川柳コンテストを知る。大賞賞金は20万円。
前回の大賞、MONEY広場賞は、夫々以下の通り。

また一つ タダが消えてく レジ袋

弱いのは 「無料」 「先着」 「今日限り」

OK、このレベルなら、勝てるぜ。楽勝だ。締め切りは来年の1月末日だ。
神よ降臨せよ、言霊よ宿れ、俺に20万円を与えたまえ。

敢えて俺は、敗北を選ぶ

俺のブログを読んでいる人は、俺の知り合いが多い。

最近会う人、会う人、皆、「あれから、どうなった?」と聞かれることが多い。「あれ」って何かというと、俺が、ベランダに出て、煙草をすうかどうか、赤外線スコープで監視をしている、あの婆さんと、その後、どうなったか?ということらしい。

<このブログを初めて読む人への解説>
夢見る14歳である俺は、深夜ベランダで、遠くをみつめながら煙草を吸う。その視線の先にあるのは、薔薇色の未来だったり、初恋の彼女だったりするが、そんなことは、この悲惨な話には、とりあえず関係がない。
ある日、午前2時ごろ、ベランダで煙草をすっていたら、いきなり60~70M下方にある、第一棟のドアが、ガラガラガッチャンと開き、「お前の煙草の煙が、家に入ってくるんじゃ」と一喝され、家に逃げ帰る。
翌日、やはり午前二時ごろ、婆さんの家の灯りが消えており、かつドアも窓もしまっていることを確認し、無風で、煙草の煙は、下方にはいかないことを確認し、煙草に火をつけ、ふ~っと吹きだした丁度そのとき、転げ出てきた、婆さんから、散弾銃で狙い撃ちされた。俺は、とっさに、横転して、その弾をかわし、愛用のトカレフTT-33を構えた。装弾数は8発。月の光が、やたら眩しい...

俺を知る多くの人は、婆さんと俺が徹底的に対決するのではないかと思っていたらしい。確かに、あの状況下で、煙草を吸うことが許されないというのは、人間としての尊厳を著しく侵害している。このような、暴挙を許してなるものか、立て立つんだジョー...って感じなのかしらね。

結果から言うと、俺は無条件降伏をした。上記のように「徹底抗戦」を叫ぶ人は、暗闇に、エキセントリックな婆さんがいきなり登場することが、どれほど恐怖なのかが、理解できていないのだ。元々、育ちの良い俺は、はっきり言って気が弱い。まるで、ガラス細工だ。その上、女系家族に育った俺は筋金入りのフェミニストだ。また、祖母に特別可愛がられて育った俺は、婆さんという割と広めのカテゴリーに入る女性達には、たとえ彼女が、俺を散弾銃で狙撃するとしても、何となく抗えない弱さがある。

ということで、ご期待には添えません。空気清浄機を、マーメイドに買っていただき、部屋で煙草をすうようになった。

ベランダで、ちょっと肌寒い夜気を感じながら一服する、あの爽快感は、二度と俺には戻ってこない。それは、それは、悲しいことで御座います。

2007年11月05日

永遠に失われた癒しの時間

先日、大変恐ろしい事件があった。今、思い出しても、身震いする、これまで感じたことのない恐怖。

ベランダにて煙草を吸いながら、ぼんやりしているのが好きだ。ベランダから見える風景を見ながら、煙草をゆったり吸っていると、不思議に色々な事を思いつく。

外のちょっと冷たい空気を感じ、煮詰まっている頭が急に冴えて来る。

真っ暗な中で、音楽をフル音量で、ヘッドホンから流し込みつつ、紫煙を燻らせていると、新しく、ユニークな何かを感じる。

そういうわけで、ベランダで煙草をすっている時間は、俺にとって割りと重要な時間だった。

「時間だった」と過去形なのは、この時間が、恐らく永久に失われてしまったから。

先日、午前1時半くらい、例によって、星を見ながら、煙草を吸っていた。俺の住んでいるマンションは、三階建ての棟が、3棟あり、俺は、その2棟目の二階に住んでいる。

突然、ガタガタっと激しい音をたてて、最下棟の一階から、かなりエキセントリックな感じの初老婦人が飛び出してきて、斜め上方45度くらいの角度で、50~60M離れた地点(つまり、俺の部屋のベランダ)にいる俺に向かって、何か大きな声で叫んだ。

最初は、何を叫んでいるかわからなかったのだが、どうやら、煙草の煙が彼女の部屋に、流れ込んで迷惑をしているので、今すぐ止めろ...と言っているようだ。そのただならぬ鬼気迫る姿に圧倒されて、俺はすみませんと言って、直ぐ煙草の火を消し、部屋に引っ込んだ。

俺は、このマンションに8年間住んでいるが、初めての事態だったので激しく動揺した。それより、何より暗闇に鬼気せまる婆さんが突然出現して叫ぶというシチュエーション自体がかなり恐ろしかった。

マーメイドに、この件について相談。例によってcool beauty。「1棟と2棟の距離から言って、またこのあたりの、風の流れから判断して、煙草の煙が届くはずがない。しかも、煙草の流れる方向に、開けっ放しの窓などない。11月の午前1時過ぎに玄関横の窓を開け放つ人などいない。3階の人も煙草を、ベランダで吸っているが、トラブルになったのは聞いたことがない。」などから、たまたま真夜中、ベランダにいる人影(つまり俺)をみて、声をかけたのではないか...ということだった。(ガリレオのような、分析力だ)

翌日、俺は午前2時くらいに、ベランダに出てみた。オープンスペースかつ自分の家の一部で煙草をすうのに、殆ど抜き足差し足、きょろきょろして、泥棒さん状態だ。

外には人影はない。よし。 婆さんの部屋あたりの窓は全て閉まっており、灯りも消えている事をチェック。 よし。 おまけに無風で、煙草の煙は、婆さんの家の方には、流れない。よし。 これなら大丈夫っと、カチッとライターで火をつけて、ふ~っと煙を吐き出した。その時、ガラガラガタガタガタっと激しい音をたてドアが開き、転げでるように、あの婆さんが登場した。

俺は、恐怖の余り、悲鳴をあげそうになったのを必死に抑え(何たって、草木も眠る午前二時なのだ)、咄嗟にかがんで、彼女からは捉えることができない、ベランダの隅の死角に逃げ込んだ。(実は、隠れても何の意味もないのだが、そのときは必死)

婆さんは、側頭部に、火のついたロウソクを二本たて(嘘です、たててはいなかったけど、それ位怖かった)、「隠れても、私には見えるよ、また煙草をすっていたね、どういうわけだい」と呪文のように、叫ぶのだった。

状況を上手く飲み込めない俺。後から冷静に考えると、どうやら彼女は、俺がベランダで煙草をすうかどうかを、望遠鏡か何かで監視していたに違いない。そうでなければ、煙草を吸った瞬間に、家から出てくるというようなことが出来るわけはない。

しかし、何故俺がターゲットに? 上の階の〇〇さんも、吸っているよ。 ベランダで煙草をすったら、本当にいけないのでしょうか?? それは、そんなに弾劾されるべきことなのでしょうか??

色々な事は、ぐっと飲み込んで、俺は、ベランダで煙草を吸うことを断念したのだった。イマジネーションとクリエイティビティの源であった、俺の癒しの時間は、このようにして永遠に失われた。

何て男らしく、潔い態度だろう...。というのは、嘘で、怖くて、もうベランダには出たくない...というのが、本音。それにしても、暗闇と老婆、呪いの呪文、側頭部に二本のロウソク(これは嘘)...のコンビネーションは恐怖そのもの。 悪い夢をみそうだ。

何が何だかわからないぞ 一郎&邦夫

この土日には、色々なことが起こっていて、何が何だか判らない状況。

鳩山邦夫氏がまた、大暴れだ。

この3日選挙区の福岡県久留米市で開かれた秋祭りで、「本当のことを、事実を言うと、みんながびっくりしてマスコミが騒ぐ。テロリストの怖いのが平気で日本をうろうろしている。私はその事実を知っているから申し上げている」

もう言葉を失う。皆がびっくりしているのは、彼が「事実を言う」からではない...ということを、彼だけが気付いていない。

びっくりと言えば、小沢一郎氏の代表辞任。

小沢代表が辞任表明 大連立で混乱、引責  

民主党の小沢代表は4日午後、党本部で緊急記者会見し、辞任の意向を表明した。自民党との連立政権樹立に向けた政策協議に入るべきだとの提案が民主党役員会で否定されたことで「政治的混乱が生じた。けじめをつける」と理由を説明した。民主党は5日に緊急役員会を開いて辞職願の扱いを決める。鳩山幹事長は4日夜、記者団に慰留する考えを示したが、辞意は固いとみられる。党の路線をめぐり、党分裂含みの展開も予想される。

自民党を批判し、参院選に大勝して、まだ数ヶ月しか経過していないのに、大連立というのは、突飛すぎないか?

元々、社会党、民社党から、自民党まで、左派から右派、都市型から地域密着型、たたき上げから松下政経塾出身者や元官僚まで...と一つの党でいることが、不思議な民主党が、丸々自民党と連立するのは、難しい。

だが、よく考えれば、自民党も同じようなものだ。主義主張と所属する党に、何も整合性ないのが、この保守二大政党の特徴?なので、やはり両党解体して、クマさんチームとウサギさんチームに分かれるべきなのではないか?とは思う。

とはいえ、この時期に大連立、この局面で、「衆院選には勝てない」と言って、辞任。とても、唐突で、ついていけない。給油問題、薬害問題、守屋氏、社会保険、教科書...など問題山積みじゃないのか?それらを早期解決するためには、衆参のねじれを解決~大連立ということだろうか?

こういったら、とても不謹慎なのだが、とても面白い。この面白さは、嘗ての「赤いシリーズ」みたい。(「赤いシリーズ」:山口百恵主演で、毎回、実は親子だったとか、実は兄弟だったとか、白血病だったとか、驚愕の事実が毎回明らかになる、ジェットコースター型連続ドラマ)

ジェットコースター型連続ドラマの特徴は、毎回センセーショナルだが、内容は薄いってことだが...日本の政治は、どうでしょうか?とにかく、何が何だかわからない

2007年11月03日

鳩山邦夫氏についての報道

またしても、凄い奴が登場。

鳩山邦夫氏。

祖父は首相とブリジストン会長、父は外相、兄は、現民主党幹事長、妻は、高見エミリー、東大法学部を主席で卒業という、サラブレッド中のサラブレッド。

強面の巨漢でありながら、意外にも、世界的な蝶のコレクターであり、料理はプロ級、愛妻家にして愛犬家、田中角栄の秘書を勤め、新自由クラブで当選、その後自民党へ、兄弟で民主党を創立しながら離脱、都知事選には落選、大仁田厚を全面的にバックアップし、当選時には、一緒にファイヤーポーズを決める。最近では、あのオタクのアイドル麻生シンパとして露出。

バランスがとれているようで何かバランスが悪い、頭が良いのか悪いのか判らない、紆余曲折の経歴をみると、一体どういう主義主張の持ち主なのか判らない。

今年9月末の「法相が絡まなくても自動的に死刑執行が進むような方法があればと思うことがある」「ベルトコンベヤーというのは何だが、(執行の順序が)死刑確定の順序なのか乱数表で決まってるのか分からない」という発言など、こいつマジでヤバクない?という兆しはあった...。(死刑執行の順序が「乱数表で決まっているのか?」というのは、ジョークなんでしょうね、やっぱり。TPOが最悪だが)

この10月29日、遂に、「その時」を迎えてしまった。

彼は、日本外国特派員協会の講演で2002年のバリ島爆弾テロ事件に関連し「友人の友人がアルカイダ。バリ島の中心部は爆破するから近づかないようにとアドバイスを受けた」と発言。

このニュースを聞いて、皆こう思ったでしょ。「え~何故、今、こんなこというの?」

法務大臣は、出入国を所管する最高責任者。
テロ特別措置法は失効し、与野党ねじれの関係の中で膠着し、日米関係に影響を与えかねない微妙な状況。

こういった環境で、よりによって外国特派員協会での講演で、この発言。

釈明会見で、「知っていて黙っているのも罪深い。現実に存在する脅威から、この国を断固として守る決意から発したということを理解してほしい」って、全然理解できんぞ。

彼の言によれば、「話を聞いた友人」というのは、「チョウの採集を通じて知り合った一般人で、アルカイダと断定はしていなかったが関わりのある過激派グループに協力している人物かも知れない」

アルカイダに協力している人物は、既に一般人じゃない!!
取調べるべきでは。それこそ、「知っていて黙っているのも罪深い」

亀井静香氏は、
「法相がそういう発言をして、真剣にテロ防止に日本が取り組んでいることになるのかね。ちょっとおかしくなったんじゃないの?」 

「(アルカイダが)日本に入っていた可能性がある。法相の友達の友達なら、事情聴取できるよう法相にお願いするのは当たり前だ。国家公安委員長は何をやっているのか!」 
誠にその通り。(亀井氏に、生まれて初めて共感した。)

問題は、おかしくなったのか?元々おかしいのか?

でも、この「友達の友達」発言で終りではなかった。その2日後...。

鳩山また衝撃発言…秘書時代は「米国のスパイ」だった  鳩山邦夫法相が31日の衆院法務委員会で、田中角栄元首相の私設秘書時代、米国防総省(ペンタゴン)から、毎月のように接待を受けていたことを明らかにした。事実上、米国の情報収集の協力者(スパイ)だったことを認めたもので、先日の「友人の友人はアル・カイーダ」発言と合わせて、大臣としての資質が問われそうだ。 衝撃発言は、民主党の河村たかし議員の質問中に飛び出した。河村氏が日本の情報収集について質問していたところ、鳩山氏は指名もされていないのに突然、「委員長!」と手を挙げて立ち上がり、河村氏が「大臣、何ですか?」と驚いている間に、こう語り始めたのだ。 「思い出を話させてほしい。私が田中角栄先生の私設秘書になったとき、毎月のように、ペンタゴンがやってきて食事をごちそうしてくれた。当時、私は金がありませんから『ウナギが良い』とか『天ぷらだ』などと言ってた。私は1円も払っていない」  公式HPによると、鳩山氏は1972年3月に東大法学部を卒業、同年、田中氏の秘書となったとある。  72年といえば、田中氏は5月に「田中派」を立ち上げ、6月に大ベストセラーとなった「日本列島改造論」を発表。7月に宿敵・福田赳夫氏を破って自民党総裁となり、第1次田中内閣を成立させた年である。  同盟国である米国といえども、日本の最高権力者に登りつめ、「今太閤」ともてはやされた田中氏の表に出ない動向や心中、プライバシーについて情報収集するのは、冷酷な国際社会では常識といえる。 以下略 ZAKZAK 2007/11/01

あの、河村たかし氏すら驚く、鳩山邦夫って、盟友、麻生太郎ではないが、「とてつもない」男だ。

彼が言いたかったことは、「ペンタゴンは情報収集にお金をかけている。日本の外交や防衛も情報収集には(お金を)潤沢に回した方がいい」...らしい。

何だか泣けてくるなあ。この事をいうために、自分が米国のスパイだったことをカミングアウトしたのか...。 わかんないなあ...広瀬が松本に求めていることなんて(テレビ版「世界の中心より愛を叫ぶ」より)

本当に困惑するのは、何故彼がこのような発言をするのか、誰も理解できないことだ。アルカイダと関係がある&米国のスパイだった...という事は、どんな状況であれ、どんな立場であれ、デメリットにしかならない。(一般常識では)

敢えての発言の真意は?、そんなカミングアウトをする必要性どこにあるのか?
では、一体何故?

俺の結論なのだが、この人は、極めて常識に欠けるうえに、筋道立てて物事を考えるのが不得意で、軽はずみなだけで、実は深謀遠慮がその言葉に隠されているわけではない。まあ、軽く笑ってやってくれ...というレベルの話なのかもしれない~彼が国会議員ではなく、現職の閣僚でなければ...。

彼が、国会議員であり、閣僚であるということは、日本国的にかなりヤバクないか?特別、強い理由もなく、不規則発言を繰り返す、破綻した思考回路を持つ人が、法の番人たる法務大臣ポストに就いているのは、自虐的すぎる。