« 2007年09月 | メイン | 2007年11月 »

2007年10月30日

接待と便宜供与

会社に入って最初にやった仕事は、鋳物副資材の購買という仕事。

22~23歳の世間知らずが、毎月1億以上物を買うのであるから、考えてみれば、とんでもない。資材調達という仕事は、商品別に担当が決まっているので、新人でも、ベテランでも、一人で交渉して、価格を決める。

他の会社は良く知らないが、俺の配属された工場では、購買業務について、やり方を誰も教えてくれない。(正確に言うと、誰も確立された方法論などなく、経験則が頼みの綱という、アバウトな雰囲気の部署だった)

俺の大学生活は、貧乏だったので、物を買うこと自体が余りない。お好み焼き&酒代と本代が主な出費~つまり向き不向きで言えば、一番向いていない業務についてしまった。

何をどうしていいか、さっぱりわからない。おまけに、その当時、鋳物というもの、そして製造される継手(水道管と水道管、ガス管とガス管をつなげる保安上大変重要な商品であるにもかかわらず)という製品に、何の興味ももてなかった。

仕事は面白くないし、わからないし、時間は過ぎていくし...、俺って、このまま駄目になるのかしら...と軽い焦燥感を感じつつ、先輩・同期・後輩と、学生時代と変わらず、飲んだり、遊んだりしていたのである。

飲み屋から酔っ払って、午前零時くらいに、先輩を寮から呼び出す、寛大かつキュートな女性社員の家にイタズラ電話をする...、酩酊状態&千鳥足&意識不明にもかかわらず、車に乗り込んだ奴を追いかけ、動き出した車に、3~4人で飛び乗り、手でブレーキを押して危機一髪...など。

二日酔いでどうしようもない時に、輸出入倉庫を見学しま~すとかいって、倉庫の方に車を出してもらって、ドライブしてもらったこともある。(クビですね、こういうやる気のない人は。 因みに過去の悪事が今次々甦りつつあるが、外部倉庫の棚卸に行くのに、早めに外出して、競馬場に行ったこともあるなあ...)

思い出すに、社会人2~3年目までの俺は、かなりヒドイし、とんでもない。

こんな俺でも、取引先にとっては、重要な人物になるらしく、お中元、お歳暮などいただいていた。

時々、ご接待などもいただき、一度50がらみのオジサンと差しで、高い中華料理屋に行ったことがある。最初の乾杯をした後、お互い何も共通の話題がない事に気付く。何とか調子を合わせつつ、飲んでいると、先方が仕事の愚痴を言い始めた。

内容は、会社に20年以上尽くしてきたのに、子会社に飛ばされ、こんな若造のご機嫌をとっている自分が悲しい...という身もふたもない話だった。俺としては、良くは判らないのだが、「色々とご苦労されているのですね~さあもう一杯」って、どちらが接待しているのかわかりゃあしない。

さて、前振りが異常に長くて、誠に恐縮だが、接待をするというのは、何らかの利益が、接待をする側にあるからで、そうでなければ、会社の金で旨い物を食わせたり、ゴルフに招待したりすることは、ありえない。そこには、明確に何らかのビジネス上の理由がある。

俺の場合、経理に異動したら、業者からのご贈答品、ご接待は、全くなくなった。

12年間で、200回以上も、飲食・ゴルフの接待をし、家族ももてなし、海外留学する娘の推薦状まで書いてくれるというのは、常識的に言って、余程多くのメリットをもたらす相手だったということ。

しかも、接待をうけることはおろか、同席することさえ法律で、禁じられている状態で、そういう手厚い接待を継続しているということは、接待する方もされる方も、かなりのリスクを伴う話。(自衛隊員倫理法は、関連業者からの贈与を原則禁止し、関連しない業者からの贈与も五千円を超える分は届け出を義務付けているのに対し、守屋氏は「一度も(届けを)提出していない」と明言。「明確に倫理法違反で、接待を受けている認識はあった」と述べた。)

そういうリスクを共有出来ること自体が、ただならぬ関係であるとみなすほうが自然だ。(実は、宮崎氏と愛し合っていたの♪♪...などという、カミングアウトが今後飛び出せば別だが)

守屋元事務次官が、如何に何の便宜も図っていないと抗弁しようが、その言を信じるのは極めて難しい。しかも、その12年間で、防衛関連商品の専門商社である山田洋行は、三井物産が持っていたゼネラルエレクトリック社の日本代理店権を獲得し、F2支援戦闘機のエンジンなど巨額案件を次々受注している。

山田洋行元専務の接待 宴席に元防衛長官同席 証人喚問 守屋氏名伏せ証言
2007年10月30日 朝刊

 衆院テロ防止特別委員会は二十九日午後、防衛専門商社「山田洋行」の宮崎元伸・元専務(69)からゴルフなどの接待を受けていた防衛省の守屋武昌前事務次官(63)の証人喚問を行った。守屋氏は防衛政策課長だった十一年前から宮崎氏とゴルフを始めたことを認めた上で「その時から考えれば二百回を超えている」と証言。ただ、防衛装備品調達に関する宮崎氏への便宜供与は全面的に否定した。
守屋氏は、ゴルフ接待について「多い時で月四回、トータルすると年二十回から三十回」と説明し、当初の数年間は妻も同伴▽ゴルフ場では偽名を使用▽宮崎氏から二回、ゴルフセットを贈られた▽宮崎氏と賭けマージャンをしていた-ことを認めた。
以下略

短い期間だが、盆暮れの贈り物、ご接待を受けた経験からいうと、継続するのはマズイ。資材にいるときは、上司に全て報告し、このまま受け取っていいか、返還すべきか確認を取った。
シーズナルな社会的習慣としても、感覚が麻痺することが、非常に怖かったことを覚えている。上司に報告することで、自分のニュートラルさを守ろうとした。

守屋氏は、「明確に倫理法違反で、接待を受けている認識はあった」らしいので、確信犯。感覚はかなり麻痺している。「便宜供与」ということについても、どれだけの常識的判断能力が残されていたのか...かなり危ういのではないか?

2007年10月28日

報道番組をみて

本日は、やたらテレビを見てしまった。

テレビというのは、目が疲れる。朝から、松坂の快投を応援。(6回は、続投でも良かったのでは?)

口うるさい、ニューヨークのメディアでも、1億ドルの男には、もっと多くを期待していたことは言うまでもない...と言いながら、松坂は、必要最低限の仕事をしたし、中四日登板に慣れ、文化的な違いに適応すれば、来期はもっと凄い成績を残すに違いない...というポジティブな報道。ベストではなかったが、一年目としては、素晴らしすぎる位ではないか。

夜、プレミアAというニュース番組を見る。ワールドシリーズをチェックしようと思っていたのだが、またも亀田家問題の話し。公共の電波を使って、ここまで報道するような事なのだろうか?

亀田興毅の謝罪会見に、亀田父がでてこないのが「けしからん」らしい。内藤選手も言っていたが、既に一回公式に謝罪し、当事者の内藤選手にも謝っているのに、これ以上誰に謝れ...というのか?

桜井よしこ氏が、二回目の記者会見で、長男を矢面に立たせたことに、亀田父は、息子の信頼を裏切った卑怯者で、唾棄すべき人間だ...と言っていたが、何故そんなピンボケの話しになるのか、不思議。

男子三日会わざれば刮目して見よ...ではないが、親父は尊敬するべき存在で在り続けるとしても、男の子は成長するのだ。
成熟することにより、父親は、ただ頼りにする存在から、欠点や限界点も理解したうえで、労わるべき対象へと変わる。だから、父親が会見に出なかったとしても、恨みに思うことはない。男の子っていうのは、そうやっていきなり、非連続に大人になる。そして、亀田興毅にとって、「その瞬間」が、あの亀田家を背負って記者会見に臨んだ時なのだ。

それにしても、滝川クリステルは、この番組では、完全なアシスタント。(しかも余り気の利かない)安藤優子からは、「クリステル!!」って何度も呼び捨てにされる度に、痛々しい感じがしたのは、俺だけか?

亀田家の話しも滝川クリステル問題(問題ではないが)以外にも、色々考えさせられる事が多い。

例えば、赤福、比内鶏社、NOVAなど。
三社の事例から、つくづく社長業の難しさを感じる。

赤福は、前社長(現会長)が10年前から、「3つ売るより一つ残すな」という指示をしていたらしい。結果として、売れ残りを再包装して製造日を付け替える「まき直し」を組織的に実施。つまり、原価率が高く、3個売った粗利より、一個廃棄する原価のほうが高いって話しなんだろう。しかも、この会長は、「まき直し」禁止も指示している。つまり悪いことは知っていながら、じゃあ「まき直し」をせずに、収益を維持する「HOW?」は、思いつかずに、ずるずると違法行為を続けたってことか。

比内鶏社についても、社長は、収益改善のために、原価の高い比内地鶏の代わりに、普通の鶏を使ってしまった。最初は短期的な施策のつもりだったのかもしれないが、打開策を打てないまま、継続してしまった。

企業は継続していくものだから、一過性の麻薬で収益を維持しても、打開策がなければ、結局この麻薬を打ち続けることになってしまう。本当に恐ろしい話だ。

NOVAのほうは、「駅前留学」「NOVAうさぎ」など、社長自身が素晴らしいアイディアを連発し、業績を拡大した。そういう意味では、このトップダウン型の経営スタイルは、ある程度の拡大レベルまではワークしたのだろう。しかし、経済産業省から一部業務停止命令がでたあとも、社長一人で提携や資金繰りに奔走し、結局は再建の機会を逸した。ワンマン型の経営から、ボトップアップ型への移行をするべき時期があったのに、過去の成功体験が仇となり、スタイルを変えられなかったのだろう。

この三社の事例は、継続的に有効かつ真っ当な手段は思いつかず、一過性の方策を悪いと知りつつ続けてしまう、過去成功したスタイルを捨てられない等、マネジメントが陥りそうな罠を示している。コンプライアンスの重要性は今更言うまでもないが、それと共に、トップが経営を誤る甘い誘惑に対し毅然たる態度を保持しなければ、結局会社自体を破綻に導くという結果になることを雄弁に物語っている。

ホント、社長業ってのは難しい仕事だ。

「メロンパンのうた」について思うこと

「メロンパンのうた」というのが、流行っているらしい。

メロンパンという名前なのに、メロンが入っていない不条理を切々と歌い上げている。

俺は、きなこ餅が好きだということは、以前書いたことがある。言い忘れていたが、メロンパンも,幼い頃からの大好物だ。あの表面の乾燥して、ポロポロ砕け散る感じが、まさに諸行無常の響きあり、盛者必衰の理を表す...感じだ。

一つまみ、口に入れてみる。ここで、断っておくと、俺は育ちがいい上に、お口が小さいので、必ず小さく千切って、お口に入れる。パンにいきなり、かぶりつくような下品なことはしない。そうすると、メロンパンの表面は、ポロポロ下に落ちていくのだ。いや、「堕ちて行く」と書いたほうが正確な表現かもしれない。口の中で、ほのかな甘みが広がり、溶けていく。テーブル上、もしくはテーブルの下に、数秒前までは、メロンパンと呼ばれていたものの残骸が、小さな破片となって広がる。マーメイドから、「いつまでも、子供みたいなんだから」と甘い叱責をうけるのも、メロンパンを食するプロセスの一部だ。

俺は、メロンパンを食することにより、物の哀れと、一人では生きていけない、人間の悲しい性を悟る。メロンパンと向き合う時~それは、不完全な人間の原罪ともいうべきものを、ずっしり感じる瞬間でもあるのだ。

というわけで、袋に入っていて、表面が湿気で、ベチョベチョになっているパンは、いかに袋にメロンパンと書いていても、それは既にメロンパンではない。極言すれば、きなこ餅が、餅の表面を大量のキナコで覆われていなければ、きなこ餅としてのアイデンティティを失っているように、表面が極度に乾燥している状態でなければ、メロンパンとはいえない。

「メロンパンのうた」は、そんなメロンパンフリークの俺に、新たな視点を提供してくれた。何故、メロンが入っていないのに、メロンパンなのか?

フレッシュアイウィキペディアによると..

名前にメロンと付くが、メロンが原材料に使われているわけではない。名前の由来は、表面のビスケット生地に数本の筋や格子状の溝が入れてある様がメロンの模様に似ているため、との説が主流である。しかし、他にも「メレンゲパン」が訛ってメロンパンになったという説や、生地の中に実際にメロンフレーバーが加えられていたためそう呼ばれるようになったとする説もある。

俺は、子供の頃から計算すると、通算で3860個以上のメロンパンを食べているが、その際、メロンを想起したことはない。どこから、どうみても、メロンパンは、メロンに似てはいない。

こういった現象は、現実社会では、色々なところで起こりえる。例えば、カニカマ。大胆不敵にも、蟹と冠しながら、その実、原材料リストの中には、蟹の名はない。あれは、正確に言えば、スケソウダラカマである。因みに、俺の親父は漁師で、このスケソウダラをベーリング海で獲っていた。トロール船の船長をしていたのだが、この船の中には、すり身工場があり、獲ったはしから、すり身にして、これに、カニ風味の香料などが加えられ、カニカマへと飛翔するのだ。

また、すき焼きふりかけ(実は、これも子供のときからお気に入りだ)も同様で、これは牛肉は原材料にはいっているものの、すき焼きから想起されるゴージャスな感じとは、全く一線を画する商品で、ちょっと甘みに満ちた、単なるふりかけである。

メロンパンには、メロンが入っている筈だ、カニカマには、カニが入っている筈だ...それは、卑小なる常識の罠であり、日常生活にぽっかり空いたブラックホールだ。

「メロンパンのうた」のメッセージは、アンパンには、アンが入っているのに、カレーパンには、カレーが入っているのに、何故メロンパンよ、お前には、メロンが入っていないのだ?という悲痛なる叫びと捉える向きもあるかもしれない

しかし、この歌はこういう風に読み解くべきなのだ。

アンパンには、アンが入っているという、お前の常識は、本当に確かか?アンとお前が認識しているものは、本当にアンなのか?アンパンという名称のみに、踊らされて、それをアンと信じ込もうとするお前は、嘗て持っていた五感の輝きを失ってしまったのではないか?
メロンパンを見よ。メロンは、一片だに入っていないのにメロンパンと堂々と名乗り、そこに確かに存在し、神々しいまでの光をはなっているではないか?

メロンパンは、我々の浅薄なる認識を嘲笑するかのように、そこに在り続ける。「そこ」は、光と闇が交錯し、祈りも叫びも届かない深海だ。深海の中で、俺は呟く、じゃあ一体メロンパンとは何なのか?ローソンにメロンパンを買いに行ったのに、売りきれなのはどういうわけだ。そして、うちのマンションの駐輪場に入りきらない、自転車はどう取り扱うべきなのか?俺は、もしかするとメロンパンなのか?

「メロンパンのうた」は、深い、極めてディープだ、一筋縄ではいかぬ。

2007年10月23日

亀田問題に関連して

最近、余りテレビを観ていないのだが、亀田問題(亀田のあられ、おせんべい♪のことではない。いうまでもないことだが、一応)が、盛り上がっているようだ。

亀田大毅と内藤大輔の世界タイトルマッチで、亀田選手が度重なる反則をしたこと、またセコンドから反則を指示するかのような声が、マイクに拾われていたのは、youtubeで確認。

世界戦で、あれだけ反則をすれば処分されるのも当たり前。それは、それで、良いのだが...。

これまで、あれほど持ち上げていたテレビが、手のひらを返したように、亀田バッシングに動いている。

亀田君とお父さん、お兄さんが、正々堂々とした王道スポーツマンというタイプではなさそうだということは、以前から判っていたことだし、格下ボクサーとマッチメイクをして、連戦連勝というのも、皆知っていたことだと思う。

にも関わらず、亀田家賛美の報道をかなり長期間にわたって垂れ流してきたのは事実。その結果、更に亀田家のパフォーマンスは過激になっていったし、異様な肥大化を遂げていった。

同じようなパターンは、枚挙にいとまがない。最近では、安倍首相の就任と辞任。

最近読んだ、1961年に書かれた梅原猛の著作で、「マスコミは知識の提供者から感情の提供者に変貌しつつある」という指摘があった。40年の時を経て、テレビは、完全に「感情の提供者」と姿を変えたことを実感する。

その表現する感情は、かなり醜悪なものである。「失敗した奴は、思いっきり皆で叩きのめしたい」「堕ちて行く奴は、皆で更に貶めたい」「成功している奴が、失敗して駄目になるのは、快感だ」

「嫉妬心」という言葉で、一括りにするのは乱暴だろうか。公開人民裁判所と化したテレビで、最も美味しいのは、一度スターダムにのし上がった人間が、没落する姿。そして、没落した元スターは、常に、内容がなく、虚飾に満ちており、人間的に欠陥があり、異性にだらしなく、経歴を詐称しているのだ。(亀田親子が、フォスターチルドレンをもっているなんて話は、絶対報道されない。まあ、そんな事実も無いのだが、例え話です)

この人民裁判にかけられると、気高く誇りに満ちた態度をとることなど許されない。敗者は、惨めで、みすぼらしいことを要求される。例えば、ワールドカップで負けた選手達が、淡々と敗因を分析したりすることは、非常にカンにさわる。「日本の皆様、ご期待に沿えず、申し訳ございません」と深くお詫びをし、涙でも流してみせないと、誰も納得しないのだ。

数年前、大手証券界会社が破綻したとき、社長が、「悪いのは従業員ではなく、経営者だ」と言って泣きじゃくりながら記者会見を行った。海外マスコミからは、日本の社長は、記者会見の場で感情をコントロールできないほど未成熟な人間でも務まるのか?と批判的であったが、日本での反応はまるで違った。「従業員思いのいい人だ」「まあ、許してやってもいいか、あれだけ思いつめているし...」と割と好意的だったのである。

弊社にテレビフォアキャストというサービスがある。これは、TV番組のメタデータにおいて、過去より出現頻度が高くなっているワードを、話題になりつつあるキーワード(つまり将来をForecastするワード)として表示するものだが、ワイドショー関連の上位キーワードは、張り付いたように変動しない。ついこの前までは、沢尻エリカであり、今は亀田一家関連。

テレビから吐き出された情報に刺激された視聴者の感情を、テレビが更に世論として反映させていく、救いのない構造がみえる。

このことは、一旦攻撃の対象をみつけると、テレビは、その対象が攻撃価値を失うまで、そのバッシングを限りなく過剰化していくことを意味している。日本の報道の自由とは、皆の目の前で、(社会的権力をもちあわせない人たちがやりやすい)、敗者に集団リンチを加えることはOKということと余り変わらないのではないか?

「他人の不幸は蜜の味」というように、誰もが潜在的に嫉妬心や他人が不幸になる事を喜ぶ、下世話で低級な感情をもっている。そういった、情報ニーズにテレビは的確に応え、増幅させるということに、見事に成功している。

テレビを観るのは、誰も強制されたわけではない。文句があれば、観なければいいという考え方もある。しかし、既に生活に、ガッチリ組み込まれ、巨大な影響力あるメディアのあり方としては、どうなのか?

以前、「ヤラセ問題」が発覚し、筑紫哲也氏は「TBSは死んだ」とコメントした。テレビにおける、ジャーナリズムの死を捉えての重い発言であった。「感情の提供者」として、人間の最も醜悪な感情を刺激し続けるモンスターと化したテレビは、何処に行こうとしているのか?

2007年10月22日

生きています 高血圧気味だけど...

随分長い間、ブログを更新していない。既に複数件のお問い合わせを、頂いた。

お問い合わせの内容は、次の二種類。
1.「ブログを更新していないけど、もしかして死んだ?」
2.「あのアホなブログを更新していないけど、もしかして死んだ?」

残念でした、ちゃんと生きてます。(アホなブログで悪かったな)

何故、ブログが更新できていないかというと、大した理由はなくて、書くべきことが見つからなかったから。(じゃあ、以前のあのアホなブログは書くべきことか?と突っ込む奴に言いたい。死ね!)

まあ、秋なので、超がつくほどロマンチストの俺としては、ひらめく落ち葉に涙し、吹く風のつめたさに更に涙し...とちょっとおセンチかつ内省的になっているのだった。

肩こりが酷く、特に首から肩にかけて、バリバリだ。先日、マーメイドとマッサージチェアを家電量販店まで見に行く。お店に行くまでは、買うつもりでいたのだが、突然気が変わる。

マッサージチェア売り場に行ったことがある人はご存知だと思うが、数台マッサージチェアがおかれ、お試しできるようになっている。俺達が行った時も、10台ばかりのチェアは、お試しの人で全部埋まっていた。ある人は、目を閉じ、ある人は気だるい表情で、チェアに無防備に座っている。

その光景を見たとき、俺はマッサージチェアを買うのを断念したのである。何故なら、ヒトがマッサージチェアでマッサージを受けている図は、余り美しくない。あんな風に、だら~んとした状態になることは、鋭敏な美意識をもつ俺としては、耐えられないのであった。

で、ブラブラと色々商品をみていたら、簡易血圧計があった。マーメイドとどちらの血圧が高いか競争しようということになり、試してみると、予想外に高血圧。これって、マズイのではないかということで、医者に直行。

医者は、血圧を測り、聴診器で心音を聞き、「もしかして、首筋が痛かったり、肩こりがひどくないですか」血圧が高いことと肩こりが関係しているなんて、全く思いもしなかった。

高血圧というのは、飲んだくれの親父がなるものだと思っていたし、何を意味するのか、これまで全く無知であることに、気づく。

高血圧とは???

血圧とは、簡単に言うと心臓が血液を全身に送り出す際の圧力のことです。この圧力が基準値以上の状態が続く状態を高血圧といい、これが一般に言われる高血圧のことです。

高血圧は、何故怖い???

高血圧で最も問題なのが、動脈硬化を引き起こすことです。動脈硬化とは、血管が弾力性を失ったり、血管の内腔が狭くなる状態を言います。高血圧が続くと、血液の圧力に耐えるために、動脈の血管壁が厚くなり、血液が流れる内腔は狭くなります。さらに血管が傷ついたりすると、コレステロールなどの脂質が溜まりやすくなり、さらに内腔は狭くなります。そうすると、血液の流れる抵抗が増え、血圧はさらに上昇します。つまり、高血圧→動脈硬化→高血圧、という悪循環が、さらなる動脈硬化を促進するのです。

ということで、説明を読むだけで、とても怖くなる。一番怖いのは、脳出血、脳梗塞、狭心症、心筋梗塞、糖尿病、腎硬化症などの合併症を引き起こし、症状を自覚とした時には、後の祭り...そのままこの世にサヨウナラ。

気付いた時には、死んでいるので、サイレントキラーと呼ばれているらしい。(必殺仕掛人か?)

日本には、何と3000万人の高血圧患者がいる。高血圧の原因の80%は不明。遺伝的要素も強いらしい。高血圧を誘引しそうな、生活習慣としては、感情の激変やストレス(ヤバイ)、塩分の取りすぎ(ヤバ過ぎ)、肥満(お~やば)、過労・睡眠不足(超やば)。とにかく、高血圧は、デンジャラスなのだ。

医者からは、軽い運動などして、体重を減らす事を勧められる。

軽い運動も何も、ここ10年は、運動というものをしたことがない。どうしよう...ということで、エアロバイクを早速購入。毎日こぐことにした。

まずは、軽くということで、毎日15分間トレーニング。エアロバイクには、正面にインジケーターが付いていて、走行距離、カロリー消費量、心拍数などが、リアルタイムで表示される。この表示が、俺を更にデンジャラスゾーンに押しやる。

受験戦争経験者だからか、共通一次試験世代だからか、個人的な特徴かは、わからないが、この数値の表示が、俺を激しく駆り立てる。数値の動きをみていると、段々燃えてきて、15分間で、どれだけ走行距離を伸ばすかというタイムトライアルと化しつつある。血圧があがりそうだ...シンジラレナイ。
(全然関係ないが、ヒルマン監督のシンジテイマシタってのは何だありゃ)

とりあえず、年末までには、数KGは落として、アスファルトパンサーという異名をとるくらいは、嘗てのしなやかで強靭な肉体を取り戻すことを誓うのであった。年末以降、スリムな俺を見かけたら、「よっ、アスファルトパンサー!!」と声をかけてくれ。尻尾位振って進ぜよう (決して、略してアスパンなどと呼ぶんじゃないぞ)

2007年10月08日

「円天」に思う

俺個人に対して、色々な売り込み、勧誘がある。

不動産、高級フィットネスクラブ、先物取引、ゴルフ場会員権などの営業。銀座のクラブのママから封書を頂いたこともある

先物取引の営業のいうには、彼の取り扱っているのは、トウモロコシで、最小ロット2億円くらいで、相場を張って欲しいとのこと。(2億円か、ははは)

彼らは、「銀座の社長」は、1万円札の束で顔を拭き、虎の皮を敷いてある社長室で、足を机の上に投げ出して、ゴルフボールを磨いていたり、夜は夜で、高級クラブで、美女を侍らせて、ブランデーグラスをくるくる回したりしている...という美しい誤解をしている。

俺は、銀座にオフィスのある会社の社長になって、この11月から、7年目に突入する。

別にサスペンダーもしていないし、実は、蝶ネクタイ、カフスボタン、チラチーフも持っていない。ゴルフはしないし、未だに銀座のクラブという所に行ったことがない。そう、はっきり言って、滅茶苦茶地味な生活なのだ。(趣味は、各地郵便局のスタンプ集めと、鉱石ラジオ組み立てだ) 

庭でシシオドシがパアッカンと音を立てるのが聴こえる料亭の離れの個室で密談をしているということもなく、日々、打ち合わせ、資料・提案書作成、交渉、資料読みなどに、追われている。

提案書をパワポで作成して、プレゼンするってこともよくあるのだが、これが中々難しい。提案書というのは、大抵、「うちのサービスを使うと御社にこんなメリットがありまっせ」というものなので、目の前の客にとっても、何らかの意味はあるはずなのだ。

俺がレインボートークを駆使しているにもかかわらず、成約はおろか、興味すら惹くことが出来ず、プレゼン途中に寝たりする人も、時々いるので、そういう時は本当に落ち込む。商いの道は、険しく、悲しい。

L&Gが、出資法違反の疑いをもたれている。彼らのビジネススキームは、以下の通り。

・協力金を1口100万円払うと、配当金として3ヶ月ごとに9%支払い(これで、少なくとも500億円超を集金)元本は保証

・保証金10万円を払うと毎年同額の擬似通貨「円天」を支払い

・各地のホテルやインターネットで、「円天」で購入できるバザーを開催

もしこれが成り立つのであれば、皆真面目に働くのは、馬鹿馬鹿しいので止めましょう...ってことになる。100万円で、年利36%支払い&元本保証というビジネスが成立する世界というのは、いかさま博打以外はなさそうだが。

この「円天」という擬似通貨の仕組みも、かなり杜撰。一回10万円はらうと、同価値をもつ「円天」を毎年支払うという仕組みが、理屈にあわないことは、一目瞭然...。(今年1月には、配当の支払いを「円天」に切り替え、従業員の給与も「円天」で支給。)

円を「円天」に換えることはできるが、「円天」は円には換わらない。「円天」は、L&Gの設定した市場で商品と交換できるだけの代物で、よく考えると擬似通貨でも何でもない。もし、「円天」が、意味を持ちえるとしたら、L&Gが毎年10万円の元手で、10万円以上の利益を計上し続けた場合のみ。

いかにも怪しいこのビジネスは、最初からタネ明かしをする仕掛けすらない手品みたいもの。

L&Gは、元々、健康布団の販売をしていた。購入者によると、「布団自体は、質が良く、長持ちする」いいものだったらしい。しかし、販売不振から資金繰りに行き詰まり、「物を売るより出資を募った方が儲かる」として、業務方針を転換した。(この会社の会長は、「出資者に配当するために次の出資者を集めるんだ」「この低金利時代に高額配当を得ようとするなんて博打と一緒。手を出す方が悪い」と言っていたらしい。)

俺の真っ当かつ、華麗なプレゼンで、寝る人が存在するというのに(しかも、1対1で、1メートル位しか、離れていないのに)、こんな与太話で1千億円前後集金することに成功するなんて...。本当に、不思議だ。

本当に、つまらない結論だが、商いは、コツコツ、誠実に行うのが一番だ。さて、提案書を書こうっと。


2007年10月04日

アルツハイマー病にならない為には...

永遠の14歳と言っても、実年齢は45歳。色々な衰えは、隠しようもない。昔は、週の半分は飲んでいたのに、今は殆ど飲まない。家では、牛乳とバナナだ。(チンパンジーか?)全力疾走をしたことがない。最後に走ったのはいつだか思い出せない。

最近、より深刻に思うのが、記憶力の低下。写真を撮るように、本の注記のような小さな字までイメージで覚えていたのに、ちょっとしたことが思い出せなかったりする。

昨晩、H2の比呂の苗字(国見です)、相方のキャッチャーの名前(野田です)を思い出すのに30分かかった。また、写楽の正体と言われることの多い、浮世絵師の名前が気になって眠れなくなった。真夜中もんもんとするが、どうしても思い出せない。豊丸…いや、それは破滅型AV女優の名前だ。豊国…そうそう豊国。苗字は…。菱川、喜多川、東洲斎…違う。これも1時間位の格闘の結果、歌川豊国であることが判明して、やっと眠れた。

齢を重ねることは、紛れもなく恐怖だ。

勤勉さが発症を抑える? アルツハイマー病で米大学  勤勉、実直な性格や生活様式がアルツハイマー病の発症を抑える可能性を示す約1000人の追跡調査による研究結果を、米ラッシュ大医療センターの研究チームが1日、米精神医学専門誌に発表した。AP通信が伝えた。  チームによると、平均年齢75歳の健康な997人を12年間、追跡調査したところ、176人がアルツハイマー病を発症した。  調査参加時に性格テストを実施しており、性格と発症との関係を分析。その結果、「目標達成に熱心に取り組む」「やることすべてに優秀さを追求する」「時間に間に合うよう、ペース配分をする」といった「勤勉、実直」を示す項目で高得点を挙げたグループは、得点が低いグループに比べ、89%も発症リスクが低かった。  さらに、勤勉な人では、死後に脳を調べるとアルツハイマー病の特徴を示す病巣があったのに、生前に認知症が現れなかったケースもあった。  チームは「勤勉な生活様式によって脳神経が保護されるのかもしれない。発症を遅らせる方法の開発につながる可能性がある」としている。(共同)

うちの親戚で、所謂アルツハイマーになった人間は皆無。皆、最後まで、意識・言語が明瞭だった。彼ら、彼女達の特徴は、複雑な業務に、死ぬ直前までかかわっていた事。(お金を貸したり、投資したり、針仕事をしたり)

これは知り合いの話。彼は、会社を経営しており、絵画、ゴルフ、陶芸など多くの趣味を持ち、忙しい日々を過ごしていた。60歳を過ぎ、のんびり趣味の時間を楽しもうと、会社を売却し、仕事を辞めた。趣味に没頭できる有り余る時間を手に入れ、楽しい老後になるはず...だった。しかし、その有り余る時間が、結果的に彼を破壊した。 昼間から酒びたりになり、一年もたたないうちに、アルコール依存症と、アルツハイマー病を発症。入退院を繰り返している。

趣味は、あくまで趣味。生活の核にはならない。 
「目標達成に熱心に取り組む」「やることすべてに優秀さを追求する」「時間に間に合うよう、ペース配分をする」というのは、マネジメントの必須項目。経営者として、多忙を極めていた彼にとって、仕事は、糧を得るもの以上。生活者としての健全性を保つ不可欠なものだったんだろう。

無趣味で仕事中毒の俺は、永遠に14歳を続けるしか、脳神経をプロテクトする方法はないってことか。70になっても、80になっても、自分の生まれた意味や存在意義を問い続け、くよくよ悩んだり、迷ったりするんだな~これは、これで、かなり辛いのでは。(はた迷惑なだけか)