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鎌倉散策  このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリー参照しているはてなブックマーク このエントリーをdel.icio.usに追加

今日は、鎌倉を数時間散策。

三連休の中日ということで、やたら人が多い。とはいえ、観光客のいるところは限られているので、余り人の来ない場所を選ぶ。

日本史はとても好きなのだが、興味が戦国~安土桃山と幕末、昭和に偏っていた。最近、鎌倉~南北朝にも、何となく魅かれつつある。高橋直樹の「霊鬼頼朝」「鎌倉擾乱」によるところが大きいかもしれない。 また、この地に住んで早9年近くになり、体にやっと土地柄みたいなものが馴染んできたのかもしれない。 

最近読んだ、高田祟史の「鎌倉の闇」によると、鎌倉の語源は、鎌=かまば=野原で死体を焼く場所、倉=谷。つまり、「野原で死体を焼く谷」のことらしい。鎌倉七口といわれる切通し(山を切り崩して作った道)の周辺は、全て刑場であり墓地。

幕府の置かれた140年間、絶壁と海に囲まれた陸の孤島ともいえる鎌倉では、血で血を洗う殺戮、陰謀、戦いが繰り返された。人間を越えた何か、異形のものが蠢いていても、別段不思議ではない。

まず寿福寺に行く。山門をくぐり、参道が真っ直ぐ続く。鎌倉のお寺はどこもそうだが、山を借景にし、緑が青々して誠に気持ちがいい。

寿福寺は、臨済宗建長寺派の寺で鎌倉五山第三位。源 頼朝没後の1200年に、北条政子の発願で伽藍を建立したもの。政子と実朝の墓といわれているものが、やぐら(鎌倉周辺中心に存在する中世の横穴墳墓、供養所)の中にある。どちらも、権力者の墓とは思えないほど、小さく、寂しげだ。特に、実朝の墓は、勝長寿院にあったのだが、これが廃絶後は、実際のところ墓がどこにあるのか不明。この寿福寺にある、供養塔も、「実朝のものらしい」と言われているだけで、確証はない。

別に源氏の血筋でもないのだが、素通りすると、祟られそうなので、夫婦で、実朝の供養塔は割と真剣にお参りをした。

寿福寺を散策した後、小町通りへ。観光客でごった返す。完全なる別世界だ。喫茶店で、レアチーズケーキをいただく。これまで食したレアチーズケーキの中で、恐らく三本の指にはいる出来。そういえば、先週、北鎌倉で食べたのも美味しかったなあ。最近は、とても打率がいい。

バスにのり、久しぶりに鎌倉宮を訪れる。鎌倉宮は、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王を祭神として、明治2年(1869年)に 明治天皇が創建。別名大塔宮。護良親王が、足利直義に幽閉された幽閉されたという土牢が敷地内にある。

この土牢は、岩を掘りぬいて作ったもので、僅か八畳のスペース、陽が全く差さない。ジメジメした劣悪な環境にぞっとする。この土牢に、護良親王は、9ヶ月もの間、幽閉された後に、殺害される。首は、付近の藪の中に、打ち捨てられていたらしい。以前来た時は、真夏だったが、この土牢周辺だけは、明らかに不自然な涼しさ。

近々、鎌倉宮で薪能、また10月に入ると、錦織健のコンサートがあるとのこと。夜の鎌倉宮というのは、本格的に怖そうなので、こういうイベントを行う勇気には敬服する。とりあえず、鎌倉宮で肝試しとかは、絶対にしてはいけないと思う。薪能が限度か。

鎌倉宮の前には、停留所があり、ここから鎌倉駅行きのバスがでている。これに乗り、若宮大路で降りる。段蔓から、反対側の通りに渡ろうとした時、俺とマーメイドは、大学時代の友人が、歩いているのを同時にみつけて、同時に名前を呼んだ。

同じクラブに所属し、20数年前、広島で4年間、毎日顔をつきあわせていた彼は、余り驚いた風も無く、こちらに手を振った。よくよく見ると、ご家族も一緒だ。

観光客で溢れかえる若宮大路で、知り合いに遭遇するなど、奇跡としかいいようがない。後で、マーメイドが、「あんな人ごみの中でも、彼の姿だけは、くっきりはっきり捉えた。」と言っていたが、実は、俺も群集の中で、彼だけが、全く異なるクリアーなイメージで感じられたのだった。まるで、最初から視界に彼が飛び込んでくるのを予測していたような、不可思議な感覚だった。これも、ミステリースポット鎌倉の為せる業か?

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