疑問に満ちた俺の日常について
阪神10連勝。おめでとう、おめでとう、もう一つついでにおめでとう。
藤川球児10連投。今日も、凄かった。
解説の中畑清が、「藤川が90%の確率で直球を投げることは、打者は皆わかっている。それなのに、打てない...とは」 一瞬の間合いをおいて、彼はこう言った。「どんな直球なのか、打席に入ってみてみたい」
ちょっと驚いた。実は、俺も前々からそう思っていたから。プロの打者が、球種がわかっていて、打てない球児の直球って、何なのだ。
わからないことは、世の中に沢山ある。何故なのか、ひとつづつ知りたい。とても。
岸本葉子のエッセイを読んでいたら、こんなエピソードが書かれていた。
幼いころ、彼女と彼女の姉は、七夕の短冊に何を書くか話しをしていた。「私は、こう書く」「私は、こう書こうかな」と他愛のない会話をしているとき、突然凄い発見をする。
姉の「私」と自分の「私」は、「私」という言葉は同じだが、意味するものは、まるで違う。私の体の中にいる「私」は、一体、私の中に入る前には、何処の誰の中に居たのか?「私」とは、何なのだ?
このくだりを読んで、ビックリした。実は、俺も幼いときから、現在に至るまで、その疑問を持ち続けているから。
目の前に、広がる、無数のミステリーのうち、最も大きなものが、「私」って一体何なのだろう?という謎。
小学生のころ、俺は自分が、他の星ないしは、少なくとも遠い国から来ていて、仮に、この家族の中で、息子という役を演じているのだ...と思っていた。(他の星、遠い国の記憶は、何らかの重要な理由の為、消去されている。母親が時々俺に話す、「お前は、眼鏡橋の一番下の部分で拾った」というエピソードが、益々この推論を補強していった。)
自分が、宇宙人でも、外国人でもないという(ついでにいうと、捨て子でもなかったらしい)事実は、成長するに従い、何とか把握できたが、「私」とは誰だ?という問いに関しては、今も、さっぱりわからない。
毎日、忙しく日々を送っている。取引先と交渉をしているとき、社内でトラブルシューティングをしているとき、深夜提案書を作成しているとき、突然、巨大な違和感を感じる時がある。どこか遠くから、「お前の居場所はここではない」と囁く声がする。(すいません、精神を病んでいるわけではありません)
先日、マーメイドが、息子に向かって、「大人になったら、何になりたい?」と聞いていた。息子は、困った顔をして「よくわからない」と言っていた。(「よくわからない事」をこれほど多く抱えて、生きていくのが不安にならないか、時々マジで心配する)
マーメイドは、こちらを向くと、かなり真面目な声で、「貴方は、大人になったら、一体何になるつもりなの」と俺に訊いた。今の時点で、「私」が何者なのか?についてもわからないのに、「何者になるべきか」について、わかる筈がない。
途方にくれている俺に、マーメイドは更に、「貴方は、大学の時と比べると、かなり変わった」と続けた。
どんな変化をしていて、それについてポジティブに感じているのか、ネガティブなのか?については、怖くて聞けなかった。
更に途方にくれる俺に、エンジェルは、どうしようもなく出来の悪い子供に言うように、「やっぱり、学生をしているのが、一番似合うね」
chaoticに広がる無数の謎、「私」「球児の直球」「私のやるべきこと」etc,この謎を解こうと一生懸命になることが、俺の本質ということなのだろうか?我学ぶ故に我あり...?
それにしても、彼女は、俺よりも俺のことがわかっているような、口ぶりだ。何故、そんなことが可能なのか。
新たな謎も加わり、更に複雑化をしていく、俺の日常。俺だけが、こんな感じなのかなあ?...というのも謎といえば謎だ。(もう一度、念を押しておくが、精神に異常をきたしているのではない。)

