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2007年09月30日

時太山急死事件について

長い間信じていたことが、実は間違っていた...そのショックはいかばかりか?

閉鎖的かつ歴史を持った集団においては、その集団だけの因習、ルールみたいなものが蔓延る傾向が強く、その成員の行動を大きく歪めることもある。

幼い時、食卓に、イカの刺身が並ぶと、うちの母親は、必ず、「イカばかりか」と声をかけ、まだ口の良く回らない俺に、「タコばかり、吸い付くばかりでございまちゅ」と言わせて喜んでいた。

第二子の宿命なのか、うちだけに当てはまる特殊な要因なのかは不明だが、うちの母親は、第一子の教育で飽きてしまっていて、第二子はテキト~に育てるという確固たる方針をもっていたようだ。上述例は、子供をおもちゃにして喜んでいる例。 いかにも、教育的配慮のかけた、ユルイ雰囲気が伝わるでしょ。まあ、子供は、潜在的に、生きる力を持っているので、実際のところ、テキトーに育てる位が丁度良いのではあるが...。

悲劇的なのは、この「イカばかりか、タコばかり、吸い付くばかりで御座います」というこのフレーズを、俺は、かなり長い間一般慣用句であると信じていて、少なくとも、イカの料理が食卓に並ぶ時は、どの家庭でも、「イカばかりか、タコばかり、吸い付くばかりで御座います」と言っていると思っていたのである。
後年、これは、俺の母親のオリジナルフレーズであり、全国的に、こういう慣用句はない...という事実を突きつけられ、愕然としたのだった。

長い間信じていたことが、実は間違っていた...そのショックはいかばかりか?(タコばかり、すいつくばかりで御座います)ということで、お後がよろしいようで。 実際、その集団でしか、通用しないルールは、ここかしこに存在している。


時太山急死
007年6月26日、同年春に入門した序ノ口力士の時太山俊が稽古中に倒れ、28日に死亡した。

今まで明らかになった事件の概要は、以下の通り。

1)時太山がけいこの厳しさに脱走

2)この脱走に憤慨をし、6月25日に時津風親方がビール瓶で頭を殴りさらに数人の力士に「かわいがってやれ」と暴行を指示

3)翌26日も通常は5分程度のぶつかり稽古を30分に渡り強い、倒れた後も蹴りを入れたり金属バットで殴打するなど集団暴行

4)また遺族に無断で遺体を火葬しようとしたことも発覚しており暴行の事実を隠蔽しようとした疑いがもたれている

5)時津風親方は、暴行に金属バットを使ったこと、自分がビール瓶で殴ったことについて弟子に口止めをしている。また、ほぼ連日、弟子を集めて、県警の聴取内容を詳細に報告させ、口裏あわせを指示した。

ビール瓶で頭を5回殴り、更に数人の力士が金属バットも用いて暴行を加えた段階で、既に立派な犯罪でしょう、一般的には。

人が一人死んでいるのに、その事を躊躇なく闇から闇に葬り去ろうとしている一連の行動が4)~5)なのだが、どんなメンタリティなのか。

当初、時津風親方のコメントは、「稽古中の不慮の事故」ということであり、相撲協会にもその旨報告。

9月28日に,文部科学省より、真相の究明、関係者の処分、再発防止策の検討、過去の類似事例の検証、力士の指導に関する検討委員会への外部の有識者の参加の5点について、異例の指示があり、初めて北の湖理事長は、真相究明に重い腰を上げている。死亡してから、この間、約3ヶ月。相撲協会の感覚って、一般常識と大きく乖離していないか。

相撲界には、「かわいがり」という、先輩が後輩力士をしごく習慣があるとのこと。相撲部屋という閉鎖的な社会の中で、いつからか、この所謂intensive trainingと集団リンチの境目が、物凄く曖昧になっていたのでは?

相撲の世界は、完全な実力世界。年齢、国籍も無関係で、例えばプロ野球のように、外国人枠などというルールもなければ、外国人選手が55本のホームラン記録を破ろうとした時に、露骨に四球作戦を実施するようなセコい部分もない。一面、潔い、わかり易い世界。

一皮めくれば、八百長疑惑は解明されず、朝青龍問題はダラダラ続き、そして今回の事件。文部科学省が、わざわざ指示項目に、「過去の類似事例の検証」と入れてあるのは、闇に葬られた同様の事件が、他にもかなりあるのではないかという疑惑と懸念の表明だ。

伝統と権威のある閉鎖的組織に自浄能力を求めるのは、難しい。そこには、一般的常識に照らすと、かなり歪んだ暗黙の了解があり、内部からの改革を阻害する。嘗て、多くの企業が再生に失敗した事例をみても、見識と危機管理に優れたリーダーを外部から招聘することが、必要不可欠のように思える。

どの部屋でも、新弟子の数が減り、強い上昇志向をもった外国人力士に、席捲されている大相撲だが、今回のようなゴタゴタが続くと、この世界に飛び込もうとする有望な若者を失うという結果になる。

新日本プロレスで、長州革命を起こした時、長州力は、「非常ベルが鳴っているのに、誰も聴こうとはしない」という名言を吐いた。相撲協会幹部に、「非常ベル」は聴こえているのか?


2007年09月29日

やせ過ぎとメタボリックの狭間で揺れる俺

職場の俺は、精一杯無理をして、テキパキしている。

普段の俺は、全てに極めてスローモーで、とにかくグダグダ。お散歩をするときは、「minimize ☆♪△★▼αγε♪」という秘密の呪文で、小さなリスちゃんになって、マーメイドのポッケにスポッと入っている。(目だけは、出して、キョロキョロ外をみたりする)

テキパキしているつもりでも、歩くのは遅い。客先訪問などする際、同行者が歩くのに追いつけず、小走りになったりすることもある。

動きが、ノロマなのは、体重の増加が大きな原因。大学生になったときの俺は、現在とほぼ同じ身長(173CM)で、50KGを割っていた。(繊細で、ガラス細工のような、ナイーブな少年だったわけだが、今では...うん、余り変わってない。何しろ、永遠の14歳だから)とにかく、体が重いと動きも重い。

メタボリックシンドロームという言葉は、非常に短期間で一般化をしたが、これは、通常の肥満とは違い、「内臓脂肪型肥満」というものらしい。内臓脂肪蓄積程度、高血圧、高血糖、脂質異常、喫煙歴などを評価し、各生活習慣病の特別な予防策を講じる必要性が判断される。

色々と関連情報にアクセスする度に、リスちゃんとしても、凄く気になってきたので、そろそろ健康コンシャス&減量&「恋も仕事もノンストップで加速する艶スーツは、昼夜二度おいしい」大作戦だ。

さて、体重を減らすことが求められる人もいれば、「減らし過ぎ」の問題もある。(前振りが、長すぎて、何を書こうとしていたのか、忘れるところだった)

仏ファッション界、「やせ過ぎ警鐘」広告への意見分かれる

【9月28日 AFP】イタリアで展開されている「やせ過ぎ」に警鐘を鳴らす広告に対して、フランスのファッション業界が二分する事態となっている。高級志向のオートクチュール業界はこの広告を「スキャンダラスだと見ている一方、プレタポルテ業界では、やせ過ぎのモデルをファッション業界からなくすための動きとして歓迎している。
 29日から08年春夏パリ・コレクションがスタートするフランスでは、これまで「やせ過ぎ」モデルのショー出場、雑誌、広告ポスターへの登場を規制する動きは起きていない。<以下略>

補足すると、ベネトンの広告キャンペーンで知られる著名な写真家のオリビエーロ・トスカーニ氏が、NOLTA社がスポンサーになった広告で、拒食症でやせ細った女性のヌード写真を用いて、「やせすぎへの警鐘」キャンペーン実施。このセンセーショナルな広告は、イタリア全国の広告看板に掲示されている。

被写体になっているのは、ファッションモデルではない。27歳、身長165CMで32KGの拒食症の女優。彼女は、13歳のころから拒食症に苦しみ、体重減少が危険域に達する度に入院を繰り返している。「やせていることが表すイメージと、それが引き起こす死の危険性を伝えたい」とコメント。

この広告に対し、賛否、様々な意見がある。

・オートクチュール協会 人の病気を使って名声を得るのは悲しむべきこと。ブランド側の扇動だ。

・プレタポルテ協会 皆に悲劇を見せ、拒食症の問題を真剣に考える機会を与えた。

・国際モデル事務所 拒食症とやせたモデルを一まとめにすべきではない。

・ドメニコ・ドルチェ&ステファノ・ガッバーナ 拒食症の蔓延は、ファッション業界の責任ではなく、精神的な問題だ。

拒食症や過度のダイエットが社会問題になって久しい。「やせ過ぎ」ているファッションモデルが、美の類型として、女性達の憧憬を集めることが、その原因になっていることもあるだろう。また、ブラジル出身のファッションモデルが、拒食症のため死亡するという事件も起こっている。同じ広告、同じメッセージを受けて、色々と異なる意見が噴出するのも、ファッション業界が、どのような社会的責任を負うべきかということについての見解や立場の相違によるものが大きい故。

ただ、一点誰も否定できないことがある。

それは、この広告のもつ「チカラ」。頬がこけ、落ち窪んだ瞳、「骨と皮」としかいいようのない、やせ衰えた体。彼女の裸身には、興味の度合い、立場の違い、意見の相違など、全てを無意味にしてしまうほどの、インパクトがある。過度のダイエットの危険性について、どれだけの言葉を尽くして訴えても、このイメージの力には、敵わない。

スキャンダラスでセンセーショナルであるという、批判もある。確かに、スキャンダラスでセンセーショナルだが、感動的であることとは矛盾をしない。

これから、健康増進・減量大作戦に取り組むのだが、やせ過ぎには注意をしよう...とシリアスに呟く俺だった。

*やせ過ぎモデル問題の最新情報はこちら

2007年09月24日

鎌倉散策

今日は、鎌倉を数時間散策。

三連休の中日ということで、やたら人が多い。とはいえ、観光客のいるところは限られているので、余り人の来ない場所を選ぶ。

日本史はとても好きなのだが、興味が戦国~安土桃山と幕末、昭和に偏っていた。最近、鎌倉~南北朝にも、何となく魅かれつつある。高橋直樹の「霊鬼頼朝」「鎌倉擾乱」によるところが大きいかもしれない。 また、この地に住んで早9年近くになり、体にやっと土地柄みたいなものが馴染んできたのかもしれない。 

最近読んだ、高田祟史の「鎌倉の闇」によると、鎌倉の語源は、鎌=かまば=野原で死体を焼く場所、倉=谷。つまり、「野原で死体を焼く谷」のことらしい。鎌倉七口といわれる切通し(山を切り崩して作った道)の周辺は、全て刑場であり墓地。

幕府の置かれた140年間、絶壁と海に囲まれた陸の孤島ともいえる鎌倉では、血で血を洗う殺戮、陰謀、戦いが繰り返された。人間を越えた何か、異形のものが蠢いていても、別段不思議ではない。

まず寿福寺に行く。山門をくぐり、参道が真っ直ぐ続く。鎌倉のお寺はどこもそうだが、山を借景にし、緑が青々して誠に気持ちがいい。

寿福寺は、臨済宗建長寺派の寺で鎌倉五山第三位。源 頼朝没後の1200年に、北条政子の発願で伽藍を建立したもの。政子と実朝の墓といわれているものが、やぐら(鎌倉周辺中心に存在する中世の横穴墳墓、供養所)の中にある。どちらも、権力者の墓とは思えないほど、小さく、寂しげだ。特に、実朝の墓は、勝長寿院にあったのだが、これが廃絶後は、実際のところ墓がどこにあるのか不明。この寿福寺にある、供養塔も、「実朝のものらしい」と言われているだけで、確証はない。

別に源氏の血筋でもないのだが、素通りすると、祟られそうなので、夫婦で、実朝の供養塔は割と真剣にお参りをした。

寿福寺を散策した後、小町通りへ。観光客でごった返す。完全なる別世界だ。喫茶店で、レアチーズケーキをいただく。これまで食したレアチーズケーキの中で、恐らく三本の指にはいる出来。そういえば、先週、北鎌倉で食べたのも美味しかったなあ。最近は、とても打率がいい。

バスにのり、久しぶりに鎌倉宮を訪れる。鎌倉宮は、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王を祭神として、明治2年(1869年)に 明治天皇が創建。別名大塔宮。護良親王が、足利直義に幽閉された幽閉されたという土牢が敷地内にある。

この土牢は、岩を掘りぬいて作ったもので、僅か八畳のスペース、陽が全く差さない。ジメジメした劣悪な環境にぞっとする。この土牢に、護良親王は、9ヶ月もの間、幽閉された後に、殺害される。首は、付近の藪の中に、打ち捨てられていたらしい。以前来た時は、真夏だったが、この土牢周辺だけは、明らかに不自然な涼しさ。

近々、鎌倉宮で薪能、また10月に入ると、錦織健のコンサートがあるとのこと。夜の鎌倉宮というのは、本格的に怖そうなので、こういうイベントを行う勇気には敬服する。とりあえず、鎌倉宮で肝試しとかは、絶対にしてはいけないと思う。薪能が限度か。

鎌倉宮の前には、停留所があり、ここから鎌倉駅行きのバスがでている。これに乗り、若宮大路で降りる。段蔓から、反対側の通りに渡ろうとした時、俺とマーメイドは、大学時代の友人が、歩いているのを同時にみつけて、同時に名前を呼んだ。

同じクラブに所属し、20数年前、広島で4年間、毎日顔をつきあわせていた彼は、余り驚いた風も無く、こちらに手を振った。よくよく見ると、ご家族も一緒だ。

観光客で溢れかえる若宮大路で、知り合いに遭遇するなど、奇跡としかいいようがない。後で、マーメイドが、「あんな人ごみの中でも、彼の姿だけは、くっきりはっきり捉えた。」と言っていたが、実は、俺も群集の中で、彼だけが、全く異なるクリアーなイメージで感じられたのだった。まるで、最初から視界に彼が飛び込んでくるのを予測していたような、不可思議な感覚だった。これも、ミステリースポット鎌倉の為せる業か?

2007年09月22日

個人情報保護について

俺が子供だったころ、個人情報保護などの考え方は、全く無かった。

小学生の時、クラスで名簿を作るのだが、その名簿には、住所、電話番号、父母の名前、父母の学歴、父母の勤務先まで記載されていた。この名簿は、全父兄に配布。(なんてことだ)

父母の学歴、勤務先などのデータは、何の為に収集されていたのか?全く不明。

個人情報が全くノーガードの状況であったが、そのことに誰も異議を唱えない、長閑といえば長閑な時代だった。

最近は、状況が様変わりしているらしい。最新号のアエラによると、2005年4月に個人情報保護法が施行されて以来、多くの学校では、連絡名簿すら作成しなくなった。 緊急連絡は、メールの一斉配信で行うとのこと。

いざという時に、親同士が連絡もできない、夏休みに子供がクラスの子と遊びたいと言い出した時、住所も電話番号もわからない。子供同士の喧嘩、いざこざなど、親同士でコミュニケーションする術がない。

2005年12月に栃木で起こった小一女児殺害事件では、行方不明の報を受けて、PTAと同級生の保護者らが、警察と一緒に捜索にあたったが、名簿がないので、全学年の保護者に参加・協力を求めることが出来なかった。

勿論、文部科学省の方針では、「緊急連絡網などの連絡名簿の作成・配布にあたっては同意が得られれば、従来どおり作成配布できる」となっているのだが、名簿を作成し、その情報が外部に漏れ問題が起こったときの責任を恐れて、連絡名簿を作らない学校がマジョリティを占めるようになっている。

子ども会の編成、地域のスポーツ大会出場者の人選も、世話役が、住民に聴いて回って情報収集するしかない。

俺が住んでいたような田舎では、名簿などなくても、この子は、誰の子供で、何処に住んでいるなど、皆知っている。(これは、これで、ウンザリするくらい煩わしい)

現在の特に都市部では、隣に住んでいるのが何者かもわからない、親同士の付き合いも希薄など、面倒くさいけれど、いざとなった時には頼りになるコミュニティは、既に喪失している。(新興都市などでは、元々存在していないこともあるだろう) そんな、環境下で、個人情報保護を徹底することが、地域のつながりを更に希薄にしていく。

派遣会社からご紹介された方とお会いする機会も多いが、事前に送られてくる、採用候補者の情報には、氏名、年齢、学歴、住所、既婚・未婚、子供の有無などの情報は全く開示されない。職歴にしたところで、中堅IT系企業で、5年間営業管理を行う...というような記述があるだけ。明確な情報は、性別だけ。

お会いしたときに、初めてお名前を聞き、おそるおそる色々な情報を聞き出すという感じ。

完全に日本人の容貌なのだが、自己紹介の時に、「初めまして、エカテリーナ・ボンバイアです」と名乗られたりすると流石にのけぞる。 

色々聞きたくなるのが人情でしょう...。 国籍?どちらが苗字なの?(エカテリーナ?ボンバイア?)、そもそも聞き間違いなのではないか?等。でも、これらの質問は全てプライバシー侵害にあたりそうなので、結局この件には、触れることすら出来ずに終わったりする。

どこまでが、個人情報保護法範囲内か曖昧なのだが、とにかく、色々と入社前に聞いておきたいことを、ルールに抵触することなく確認するのが、凄く難しい。

最初に、提示されている情報自体殆どないので、例えば、その人が、狼に20年間育てられてきたとしても、テロリストであっても、経歴詐称をしても、絶対わからないのである~入社前も入社後も。

個人情報保護の考え方には、100%賛成。自分についての情報を、やたら周囲の人が詳しい状況は、煩わしくて、勘弁して欲しい。

でも、個人情報保護の名の下に、色々なことが、とても難しくなりつつあるのは確か。本来、人と付き合う、友人になる、信頼しあうなどの過程において、個人情報は、自然な形で開示しあうし、この個人情報をシェアしあうという行為そのものが、「緊密な人間関係」を意味したりする。

勿論、個人間で幾ら個人情報を交換しても、別に問題ないのではあるが、個人情報保護に対する感覚が鋭敏になり、地域でも、職場でも、個人の属性情報が徹底して保護されることは、個人の意識として芳醇な人間関係を生み出すことを困難にする傾向があるような気がしてならない。

2007年09月21日

首相の器って何だろう?

谷選手が優勝した。「最高で金、最低でも金」「シドニーで金、谷でも金、ママでも金」と、コピーライター顔負けのキャッチをつけ、常に実行。凄い精神力に脱帽。このままいくと、「ババアでも金、ヒイ婆さんでも金」と、ドンドン、図にのってエスカレートするに違いないと、俺は睨んでいる。

精神力といえば、突然の退陣をした安倍首相に、精神的なひ弱さ、責任感の欠如などを批判する声が多い。読売新聞が9月8,9日に行った全国世論調査では、70%が安倍政権の実績を評価しないという結果。

本当に彼は駄目な奴で、首相の器ではなかったのだろうか?

首相として求められることは、政策、理念、リーダーシップ、見識、行動力、コミュニケーション能力など...か。

佐田行政改革担当相の事務所費問題を皮切りに、柳沢厚生大臣の「女性は産む機械」発言、松岡農水相の事務所費問題と自殺、久間防衛相の「原爆投下しょうがない」発言。この政治と金の問題で、集中砲火を浴び、参院選で惨敗。

谷亮子の一回戦は、大外刈で一本勝ち。一本勝ちというと、鮮やかに相手を投げたか...というと、そんなことはない。

「組む⇒相手をブンブン振り回す⇒相手が膝を付く⇒相手は待てがかかると気を抜く」といった、状態で、半分座っているも同然の相手に炸裂したのが、柔スペシャルと俺が勝手に名付けた、「油断をするなんて百年早いわ、シェキナベイビー大外狩り」。(一回戦だけではなく、全試合実施)

谷亮子は、クールで情け容赦がない。

安倍首相には、人事において、ここまでの冷徹さ、非情さに欠けていた。

参院選におけるトドメの一発は、何と言っても「赤城農水相の絆創膏事件」だが、事前に呼び出して、絆創膏を剥ぎ取るくらいの詰めをしないと駄目だ。(半分コケテイル相手にも、駄目押しの大外刈だ)

どの政権も、手出しできずに棚上げされつづけていた、教育基本法、防衛庁の省昇格、国民投票法など、短期間に重要な情報を通した手腕。中国との関係を、現実的な「曖昧路線」で改善。
政治家としての使命感、理念など、実際のところ、前首相や小沢代表などより、宰相としての品格を感じさせるところも多い。(小沢首相などたちの悪いジョークだ)

しかし、そのことを国民に伝えるコミュニケーション力はもっていたか?

「ママでも金」「自民党をぶっ潰す」「郵政民営化の是非を問う」という、判りやすいキャッチが、国民にアピールするためには必須。
「戦後レジームからの脱却」「美しい国」「教育再生」といわれても、一般国民には茫洋として、何を意味しているのかわからなかったのではないか?

また閣僚による、TV/雑誌での露出、情報発信量は、小泉政権のときと比較すると段違いに少ない。

政治と金の問題を起こすのも人、首相のメッセージを、国民に正しく伝えるのも人。そう考えると、首相に足る人材かどうかは、適切な人選とその選んだメンバーをマネジメントする能力に尽きる。

小泉前首相は、安倍氏の経験不足を懸念する声にたいして、「心配ない、首相など誰でも出来る」といったらしい。正確には、「正しい人選と人員配置をすれば」、首相は誰でも出来る...ということなんだろう。

「ママでも金」を取った谷選手は、決して一人で闘ったのではない。所属のトヨタ自動車は、谷選手専属の付け人を数人つけるなど、支援態勢をとり、大会当日も300人近い応援団がブラジルまで遠征した。彼女の勝利は、巨大な「チームヤワラ」のサポートなしには、ありえなかっただろう。

「チーム安倍」は、そもそも存在したのか?
あれほど熱烈に、安倍支持を表明した、自民党議員は、今、雪崩をうって福田康夫氏擁立に動いている。そもそも、安倍氏と福田氏の政治理念や政策には、かなりの隔たりがあるにも関わらずだ...。
お友達内閣と揶揄された安倍内閣だが、本当に覚悟をもっていた「お友達」は何人いたのか?

突然の退陣報道をうけての、街頭インタビューでは、街行く人が皆厳しい言葉を安倍氏に浴びせていた。カメラが切り替わり、TVに懐かしい風景が映っている。俺と安倍晋三の故郷である下関では、インタビューをうけたオジサン、オバサンが、「晋ちゃん、お疲れ様やったね。まずは、下関に帰って、ゆっくり休んでね」という、他地域とは全く違う反応であった。

風光明媚かつ人情溢れる我が故郷には、確かに「チーム安倍」は存在している。

議員引退説も流れているが、「晋ちゃん、もうちょっと人を見る目を養って、もう一度戻っておいで」と俺も言いたい。このまま消えてしまうのは、惜しいと思うのは、同郷人の甘さか?

2007年09月16日

中学校数学の文章題について考えてみました

うちの中三の息子は、数学の文章題が苦手らしい。どうも、問題文が長いと、失神しそうになるとのこと。

これを解決すべく、俺は遂に、立ち上がった...っていうほどのことではないが、「ア~一番難しい問題持って来やがれ。オイラが、文章題の、あ~解き方を、オオオオ~教えてヤル~~~」と見得を切って六歩を踏んだのだったのだった。

問題文

2つの容器A,Bがあり、Aには10%の食塩水が100gあり、Bには、水が300g入っている。これらの液を作業①作業②の順で入れ替えることにする。
作業① A、Bの容器から夫々同じ量をくみ出して、Aからの液はBへ、Bからの液はAへ移す
作業② 再びA、Bの容器から夫々作業①と同じ量だけくみ出して、Aからの液はBへ、Bからの液はAへ移す

問題
ア)それぞれから60gくみ出すこととして、作業①作業②を行う時、容器Aの濃度を求めないさい
イ)作業①、作業②を行った結果、容器Aの濃度が5.2%になった。このとき、それぞれからくみ出した量は、何gですか

この問題を解く上で、最大の障害は、容器A、容器B、食塩水という、道具立ての、平凡さ、退屈さである。俺の息子は、「食塩水が問題にでてくると、ウンザリする」と言っているが、実際、食塩ほど、興味を掻き立てないテーマってないのでは?

次に重大なハードルは、作業①と作業②を行う必要性、必然性がわからないこと。何が悲しくて、食塩水と水を混ぜるような、意味のない行為を何度も繰り返さなくてはならないのか?

つまり、登場するプレーヤーが地味な上に、ドラマ性の欠如したシナリオが、問題を解く意欲を著しく減退させるのではないか?

この問題を解いてみて、気付いたことがある。これは、そして多くの文章題は、数学の問題というより、国語の読解の問題である。つまり、複雑で難解なシナリオを理解し、分析し、数式へと変換させることが要求される。退屈で、無味乾燥なシナリオは、読解の大きな妨げになる。


そこで、俺は、この問題を以下のように読みかえてみた。

<愛と哀しみの姉妹>
ある所に、美しい双子の姉妹が住んでいた。姉の名はジョセフィーヌ,妹の名はマリア。
彼女達は、小さい時から、その可愛らしさで、周囲の人気者であった。今や、二人とも20歳になり、その美貌はまさに花開かんとしていた。

ある日の会話

「ジョセフィーヌ姉さん、私は300人もボーイフレンドがいるのよ。凄いでしょう」

「マリヤ、あなたのボーイフレンドは、ダメダメな子ばかりね。その点、私の100人のボーイフレンドのうち、10%はかなり、イケテルわよ」

唇をかんだマリヤに、名案が浮かびました。ジョセフィーヌを言いくるめて、彼女自慢のボーイフレンドをゲットするのです。

「流石、お姉さまだわ。私も、イケテルボーイフレンドが欲しいの」ということで、2人は、同じ数のボーイフレンドを交換することにしました。

一回目の交換がおわり、マリアは思いました。「まだ、まだ、私のボーイフレンドは、お姉さんに負けてるわ」ということで、マリアは、手練手管をつかって、2回目の姉妹間ボーイフレンド交換を、ジョセフィーヌに、しぶしぶでしたが、納得させました。マリアの欲望には際限がありません。その欲望の果てに、不毛の荒野が広がっている事を悟るには、まだまだ彼女は幼すぎたのかもしれません...。

問題
ア)さて、交換するボーイフレンドは、毎回60人として、二回目の交換のあと、ジョセフィーヌのボーイフレンドの何%がイケてるのでしょう。

イ)また、二回目の交換のあと、ジョセフィーヌのボーイフレンドの5.2%がイケてるとすると、一回目あたりの交換する数はいくつでしょう?

解答

本来、ジョセフィーヌの100人のボーイフレンドのうち10%がイケテいるので、その数は10人。そのうち最初の60人のチェンジで、60*10%の6人へるから、この時点で4人。二回目のチェンジで、60%は、マリア側にいくので、残りは、4人*40%の1.6人。マリヤ側から来る60人の中には、6/300の割合でイケメンがいるので、1.2人増。1.6+1.2=2.8人のイケメンが残る。つまり、答えは2.8%。意味合いとしては、ジョセフィーヌは、元々10人いたイケテイル彼氏を、マリアの口車に乗ってしまったために、7.2人は奪われてしまった…ということになる。

*イ)は割愛するが、同じプロセスで、交換する人数を60人とおき、最後に5.2人のイケメンが残ると仮定し、二次方程式をつくれば、簡単に解ける

考えてみれば、主に足し算、引き算で済んでしまうくらい簡単な問題だが、「食塩水の濃度」よりも、よっぽど、とっつきやすく、簡単に感じませんでしょうか?

簡単と言っても、実際には、イケテイル彼氏を多く持つことが、本当に幸福なのか?姉妹の間にある相克、心の闇。真の愛って何なのだろう?...など、など、ジョセフィーヌとマリアの物語の方が、より難しい課題を我々に投げかけてくるのではあるが…。

勿論、そういうことは、中学生のガキには、まだ早過ぎる。

2007年09月11日

Time Travel by YouTube

YouTubeは、実際どこが面白いのだろうと、かなり長い間懐疑的に感じていた。

動画を見るといっても、そんなに暇じゃないし、BSやケーブルTVもあるし、何が悲しくて、PCの前で辛気臭く動画を観なきゃならんわけ...と思っていた。愚かな私。

今は、もうスイマセンでした...という感じ。著作権的には、今も激しく懐疑的だが、サービスとしては、いきなりハマッテしまった。

きっかけは、何も考えずに、検索窓に入力したELO。
な、なんと、ELOの名曲、The Mr.Blue Skyのミュージッククリップが、検索結果の先頭に。

大学を卒業した時に、後輩にあげてしまったことを長く後悔していた、あのレコード。もう、二度と聴くことはないかもしれない...と思っていた、あの懐かしい曲が、いきなり始まる。

もしかすると、もしかして、これがYouTubeの使い方なの?

ためらいがちに、Stevie Wonder Saturnといれてみると、あの大好きなSaturnが...(動画ではなくて、アルバムジャケットの静止画だけど、音はちゃんとしている)

調子に乗って、続ける

Chicagoの 25 or 6 to 4, Saturday in the park, if you leave me now...
QueenのThe march of Black Queen, White Queen, Bycycle Race(プロモーションビデオがおかしい)
CASSIOPEIA Asayake,Space Road(韓国でのライブ版もある)
町田義人の戦士の休息 (薬師丸ひろ子の懐かしい映像つきだ)
ユーミンの雨のステイション(LIVE)
TOTOのアフリカ、ロザーナ(懐かしのTOP40が甦る)
悲しみのJODY from Big Wave(これぞ達郎)などなど、

捨ててしまったレコードに入っていた曲、FENで聴いていたトップ40、学生街の喫茶店で死ぬほどかかっていたあの曲が、簡単に聴ける、好きなだけ聴ける、ただで聴ける。

Stevie WonderのAnother Starは、マドリードライブ版で聴いてみたり(スペイン語の字幕がでて、とってもおかしい)

今は亡き松原みきのStay with meも聴ける。(金井夕子のパステルラブは無かった)

このブログはLarry CarltonのROOM335を聴きながら書いているのだが、既に2~3時間はタイムトラベルをしている。

後ろ向きな貴方、昔聴いた曲で、過去をジメジメ振り返りたい貴方、YouTubeは、そんな貴方のニーズをばっちり満たすに、違いない...と思う。

2007年09月10日

疑問に満ちた俺の日常について

阪神10連勝。おめでとう、おめでとう、もう一つついでにおめでとう。

藤川球児10連投。今日も、凄かった。

解説の中畑清が、「藤川が90%の確率で直球を投げることは、打者は皆わかっている。それなのに、打てない...とは」 一瞬の間合いをおいて、彼はこう言った。「どんな直球なのか、打席に入ってみてみたい」

ちょっと驚いた。実は、俺も前々からそう思っていたから。プロの打者が、球種がわかっていて、打てない球児の直球って、何なのだ。

わからないことは、世の中に沢山ある。何故なのか、ひとつづつ知りたい。とても。

岸本葉子のエッセイを読んでいたら、こんなエピソードが書かれていた。

幼いころ、彼女と彼女の姉は、七夕の短冊に何を書くか話しをしていた。「私は、こう書く」「私は、こう書こうかな」と他愛のない会話をしているとき、突然凄い発見をする。

姉の「私」と自分の「私」は、「私」という言葉は同じだが、意味するものは、まるで違う。私の体の中にいる「私」は、一体、私の中に入る前には、何処の誰の中に居たのか?「私」とは、何なのだ?

このくだりを読んで、ビックリした。実は、俺も幼いときから、現在に至るまで、その疑問を持ち続けているから。

目の前に、広がる、無数のミステリーのうち、最も大きなものが、「私」って一体何なのだろう?という謎。

小学生のころ、俺は自分が、他の星ないしは、少なくとも遠い国から来ていて、仮に、この家族の中で、息子という役を演じているのだ...と思っていた。(他の星、遠い国の記憶は、何らかの重要な理由の為、消去されている。母親が時々俺に話す、「お前は、眼鏡橋の一番下の部分で拾った」というエピソードが、益々この推論を補強していった。)

自分が、宇宙人でも、外国人でもないという(ついでにいうと、捨て子でもなかったらしい)事実は、成長するに従い、何とか把握できたが、「私」とは誰だ?という問いに関しては、今も、さっぱりわからない。

毎日、忙しく日々を送っている。取引先と交渉をしているとき、社内でトラブルシューティングをしているとき、深夜提案書を作成しているとき、突然、巨大な違和感を感じる時がある。どこか遠くから、「お前の居場所はここではない」と囁く声がする。(すいません、精神を病んでいるわけではありません)

先日、マーメイドが、息子に向かって、「大人になったら、何になりたい?」と聞いていた。息子は、困った顔をして「よくわからない」と言っていた。(「よくわからない事」をこれほど多く抱えて、生きていくのが不安にならないか、時々マジで心配する)

マーメイドは、こちらを向くと、かなり真面目な声で、「貴方は、大人になったら、一体何になるつもりなの」と俺に訊いた。今の時点で、「私」が何者なのか?についてもわからないのに、「何者になるべきか」について、わかる筈がない。

途方にくれている俺に、マーメイドは更に、「貴方は、大学の時と比べると、かなり変わった」と続けた。

どんな変化をしていて、それについてポジティブに感じているのか、ネガティブなのか?については、怖くて聞けなかった。

更に途方にくれる俺に、エンジェルは、どうしようもなく出来の悪い子供に言うように、「やっぱり、学生をしているのが、一番似合うね」

chaoticに広がる無数の謎、「私」「球児の直球」「私のやるべきこと」etc,この謎を解こうと一生懸命になることが、俺の本質ということなのだろうか?我学ぶ故に我あり...?

それにしても、彼女は、俺よりも俺のことがわかっているような、口ぶりだ。何故、そんなことが可能なのか。

新たな謎も加わり、更に複雑化をしていく、俺の日常。俺だけが、こんな感じなのかなあ?...というのも謎といえば謎だ。(もう一度、念を押しておくが、精神に異常をきたしているのではない。)

2007年09月01日

世界遺産とは?

今日、TVを何気なくみていたら、世界遺産のランキングという番組を放映していた。

一位は、俺も大好き「空中都市マチュピチュ」 最初に見つけた人は、本当にビックリしたと思う。何せ標高2400メートルに、いきなり巨大都市が出現するわけだから...。 いやあ~納得の第一位だ...。

何か釈然としない感じ。世界遺産にランキングをつけるという発想は、どうなの?は、おいておくとして。最近の世界遺産は、毎週日曜夜に紹介番組があり、国営放送でも...と、所謂ブームだ。

そういえば、先日石見銀山が難しいとの前評判を覆し登録され、関係者の皆さんが、抱き合って喜んでいたシーンを見た記憶がある。 

で、世界遺産って、一体何なの?俺の子供の頃には、存在しなかったものだ。登録されるの、されないのって大騒ぎをするほどのことなのか?一体何ぼのもんじゃ、世界遺産。

世界遺産へ「平泉」ヤマ場 イコモスが現地調査

来年の世界文化遺産登録を目指す「平泉の文化遺産」(岩手県平泉町など)をめぐり、遺産登録の可否を決める世界遺産委員会に影響力を持つ国際記念物遺跡会議(イコモス)の現地調査が、27日から続いている。

平泉がつまずけば、「富士山」(静岡、山梨県)など、遺産登録の前提となる世界遺産暫定リストに掲載中の後続6件に影響が大きいこともあり、岩手県や平泉町など地元関係者は「平泉の価値を何としても理解してもらう必要がある」と危機感を募らせている。

世界文化遺産は、これまで国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会に日本政府が推薦したものについては順調な登録が続いてきた。しかし、今年の石見銀山遺跡(島根県大田市)の審査では風向きが一変。

日本政府が石見銀山遺跡の遺産登録を推薦したのに対し、イコモスが5月に「普遍的価値の証明が不足している」と、登録延期を世界遺産委員会に勧告したからだ。

勧告には外務省や文化庁が猛然と巻き返し、石見銀山は「奇跡の逆転」(島根県関係者)で6月、登録にこぎ着けたが、国の推薦イコール登録と考えていた岩手県は「寝耳に水の話」と焦り始めた。

さらに7月には達増拓也岩手県知事に旧知の外務官僚から「石見はなんとかひっくり返したが、平泉ではそんなことはないからな」との電話も。岩手県担当者は「今度は助けないぞという国の通告。説明を尽くせということだ」と受け止める。以下略

外務省やら文化庁が、「猛然と巻き返し」たりする、えらく俗っぽい世界がありそうだ。(公共事業への入札っぽい感じだ)

世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された「世界遺産条約」に基づき、世界遺産に登録された遺跡、景観などを言う。

登録されるためには、登録を求める地域の担当政府機関の推薦をうけ、ユネスコが評価を国際記念物遺跡会議、国際自然保護会議に依頼。評価についてインプットを受けたユネスコが、登録推薦判定をし、世界遺産委員会で最終審議をパスすれば正式登録となる。(世界遺産委員会は、世界遺産に関して話し合うための国際連合教育科学文化機関の委員会)

評価基準は、「顕著で普遍的な価値」をもつこと。

だが、その登録は、地域的に偏りが大きい。
イタリア(41件)、スペイン(40件)、中国(35件)、ドイツ(32件)、フランス(31件)など多くの登録をしている国も有れば、世界遺産条約批准184か国中、25%の国は、一件も登録されていない。

思うに、これだけ見ても、登録されるか否かは、人間臭いというか、ポリティカルな要素が強いことがわかる。(どうみても、ヨーロッパ偏重は明らか)
「普遍的な価値」があるかどうか評価をしてしまう人々とは、一体何者なのか?外務省やら文化庁が、「巻き返したり」、影響を与えることができる、「普遍性を測る評価軸」とは、何なのか?

「人類の遺産」を世界遺産登録、未登録の二つにわける基準は、不明確かつグレイな感じだが、その経済効果は、明確。世界遺産が登録されると、観光客が激増する。

非常にラフで極端な表現をすれば、「世界遺産」とは、利権。1970年代から、既に世界遺産は存在しているし、日本で言えば14年前に法隆寺地域の仏教建造物が登録されている。しかし、20年前には、誰も認識すらしてなかった「世界遺産」という言葉。ここ数年の間で、不自然なまでに、急速に浸透した。

この言葉に、意味を与え、ブランド化し、利権に変えていった仕掛け人がいる...に違いない。町おこし、地域観光振興、国や地方公共団体、旅館やお土産屋、道路工事、施設の建設、ロビー活動、メディア、広告代理店、シンクタンク...「世界遺産」とは、色々なプレーヤーの思惑が蠢く、一大巨編、人間絵巻、欲望の摩天楼なのだ...と勝手に推測しているのだが、どうでしょうか?

「世界遺産」って、かなり胡散臭いと感じているのは、俺だけなんでしょうか?