失われた最後の打席について
全く私事で恐縮だが、と言っても、大体において、このブログは私事について書いているので、恐縮するのもおかしな話ではある。
そんなことで、恐縮していると、ずっとひっきりなしに恐縮しなくてはならないし...。
先週の土曜日は、中学生活最後の大会であった。下馬評では、息子の属するチームは、鎌倉大会は勝ち抜くであろうし、湘南大会、県大会、関東大会ももしかすると出場可能では?ということだった。
結果は1対0で何と一回戦敗退。即引退ということになった。初回に一点を取られ、6回ツーアウトまで、恐ろしく速いストレートと同じモーションでブレーキ鋭いカーブを投げるピッチャーに、パーフェクトに押さえられた。
予想外の一回戦敗退に、3年生は、試合後全員ショックの余り、座り込んで泣きじゃくっていた。何か野戦病院のような、とても悲惨な光景だった。勿論、うちの息子も、同様で、顔を帽子の中に突っ込んだまま、立ち上がれない。彼の場合、ショッキングなのは負けただけではなかったのである。
彼は、打力が弱いのだが、ここという場面では、必ず打つ。普段は気が弱くて、甘ちゃんなのだが、追い詰められた局面になると、力を発揮するタイプのようだ。この試合でも、最終回ワンアウトで打順が回って来たときは、何とかするに違いないと、期待しながら見守った。まだ一点差だ。
彼が、打席に入ろうとしたその時、悲劇が彼を襲った。唐突に、監督がでてきて交代を告げたのだ。2ヶ月前に右手首の骨を折り、欠場していた3年生を代打に指名したのだった。息子は、このチームになって1年間、全イニングフル出場をしていた。しかし、中学生活最後(かもしれない)、最も重要な打席を、理不尽にも奪われた。
既に丸3日経過したが、俺も奴も、まだこの試合について、何の話もしていない。奴が、何事もなかったように、明るい顔をしているのが、何とも痛々しい。
彼の中学での野球生活は、空白のワンピースを残し終った。この不条理なワンピースについて、ポジティブな意味づけをするのが、恐らく親父の務めなのだと思っている。
「普通に生活していく中で、色々と不条理なことは起こる。だからと言って、そこで立ち止まったり、絶望したりしても、何も産みだすことはできない。
お前が交代したからこそ、怪我をしていたチームメイトは、中学最後の打席を得ることができ、中学での野球生活を、それなりに締めくくることができたのだ。そのこと自体は、素晴らしいじゃないか。
お前は、失われた物を取り返す為に、高校で甲子園にむかって全力で挑戦すればいい。」
そういったことを、話そうと思っているのだが、中々言い出せずにいる。気丈に振舞っている顔をみると、親父としては、ちょっと泣きそうになってしまうのだった。もしかすると、親のほうが立ち直りが遅いのかもしれない。情けない話だが...。


コメント
スポーツに打ち込んだ人には、一生忘れられない「あの場面」てのがあって(一部のヒーローを除きたいていはnegativeなもの、エラー、敗戦、出場できないなど)、その意味を考え続けるものだと思います。当然答えはないんですけど。息子さんも、今後の人生を味わういいネタを仕込んだのだと思います。
投稿者: ひろし | 2007年07月10日 09:39
仰るとおりですね。今度の経験が血となり肉となればいいのですが
投稿者: 金田 | 2007年07月11日 03:30
「フィールドオブドリーム」を親子で見るなんてどうですか?「失われた最後の打席」にぴったりな映画だと個人的に思うのですが。
投稿者: ひろし | 2007年07月11日 12:45