根拠なき権威について
よく、日本の財閥系企業の社宅で起こることとして、部長の奥さんは、課長の奥さんより、何だか威張っている…ということが社会問題として指摘されて久しい…わけではないが、確かにそういう事実はある。
言うまでも無く、奥さんは、部長とは別人格だし、部長から課長は個人的にお手当てをもらっているわけではないので、部長の奥さんが、強気になる根拠は、すこぶる希薄である。でも、現実としては、こういう不条理な現象は起こる。
子供のクラブの父兄会で、先輩の父兄が後輩の父兄の上に立つ…というのも,実際ある。上下を分けるのは、子供の学年のみという、非常に危ういスタンダードなのだが、案外有効。
立花隆、教育再生会議のノーベル賞受賞者なども、同じ口で、根拠無く強気である。嘗て、一花咲かせたことがある…ということで、専門外で、どんなに滅茶苦茶な事を言ってもいいという社会的免罪符を得たかのようである。勿論、誰もそんなものを渡してはいないのだが…。
高野連にしても、同じ。何様のつもりか。
考えてみれば、世の中には、根拠無く権威を振りかざす人間が沢山いる。そして、俺のように常識的かつ、スーパーロジカルな人間を、とても困惑させる。
何かの本に書いてあったが、「会議は、困ったちゃんに、コントロールされる」という法則性があるらしい。本来、「会議」というのは、正しい結論をだすために行うものだが、実際には、困ったちゃん(ロジックを超越して、自らの信念に殉ずる覚悟と過剰なエネルギーをもった人々…っていえばいいのかなあ)の顔色を、皆が窺う…って構図になりがちだ。困ったちゃんが一人であればいいのだが、複数名いるときなど、皆緊張の余り、動悸が激しくなる。
これは、もしかすると、日本人特有の問題ではないかと思ったりする。多国籍メンバーで会議をした経験では、殆ど全員が「困ったちゃん」というケースも多々ある。僭越ながら…とか、間違っているかもしれませんが…などという前置きを必ずつけてしまう、一般的日本人から見ると、信じ難いほど自信に満ち満ちており、自説を強く主張する…でも大抵、根拠は希薄だ。
そういう意味においては、困ったちゃんは、より国際化された人々ともいえるかも。とりあえず、俺の苦悩は深い。続きはウェブで…。

