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マンウオッチング  このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリー参照しているはてなブックマーク このエントリーをdel.icio.usに追加

昔からぼんやりマンウォッチングをするのが、好きだ。

人見知りする癖に、人についての興味は昔から強い。職種の特徴だと思うが、社内外の人と色々話しをすることが多く、更に人に対する興味が深くなっていることに気付く。

学校を卒業して直ぐ勤めた会社の先輩は、「俺は、言葉など全く信頼していない。相手の行動でしか評価しない」と言っていた。

何と偏狭かつ傲慢な態度であろうか…とそのときは思ったが、今は、一面正しいと思う。つまり、言葉と行動両方みないと、人間はわからない。もっと正確にいえば、言葉の切れ端、行動の切れ端から、何かのサインを読み取って、深く考えて、やっとその人間の本質の、ごく僅かな部分が何となく理解できるということ。

人間は、本当に難しい動物だ。自分の事を嫌いという人間に限って、過剰なまでの自己愛にどっぷりつかっている。馬鹿だと自分のことを評する人間は、高いプライドと優越意識をもっている。表面上、思いやりのあると思われている人間が、酷薄であったりすることも多い。普段の顔は、綺麗でも、笑い顔は卑しかったり…。

表面にあるものの底には、想像を絶する深いものが隠されている。そして、本当に理解しようとするならば、この深みに入っていくしかない。

最近思うことは、この相手を理解していく行動は、傍観者や評価者としてのマンウォッチングでは、ありえず、もっと主体的なものであること。つまり、俺は、自分のことを多くの人に理解してほしいと痛切に思っていて、その裏返しが人への興味となっていることに気付いた。

かなり長い期間、自分勝手だとか、言い出したら聞かない、頑固でマイペースなどといわれ続けてきたし、自分でもそう思い込んでいた。しかし、最近はっきりわかったことは、俺は、多くの人に自分のことを理解してほしいし、好きになって欲しい、評価をして欲しいと非常に強く思っているということだ。人の感情に無関心でマイペースを装うのは、単に受容されなかった場合の防衛行動をとっているだけだ…と。つまり、俺は凄く女々しい男なのだが、それをギリギリのところで、微量だが存在する男性ホルモンの分泌で何とか体面を整えているだけなのだ。

俺は、会社の人とのコミュニケーションの中で、どうしようもない闇にぶち当たる時がある。その時、「これは既に社長が踏み込む領域ではない。カウンセリングの領域だ」と思う事も多かった。でも、これも単なる言い訳に過ぎない。ただ、踏み込むことが怖かっただけだ。そして、それは自分の本質と対峙することへの恐怖と同義なのであろう。

社長業6年目にして、やっとある集団のリーダーになる一次試験に合格したような気がする。それは、人間と真正面に向き合う、そして弱い自分を凝視し乗り越える勇気をもてたということに他ならない。

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