男の悲しい性についてのマーケティング的考察
今日、会社の人と雑談中に、男というのは、本当に悲しい動物だ、という話になった。
つまり…可愛い子には、ちやほやする。若い娘には、ご機嫌を取る。可愛くて、かつ若い子には、これらの傾向が極めて露骨に表れる。
だが、この対象の若くて、可愛い子に、好感をもって受け入れられる確率は極めて低い。 バッサリ斬ると、エネルギーの無駄遣い。
更に愚かなことに、可愛いくて若い子が複数名いた場合、どの子とも、仲良くなりたい、好きになって欲しいと渇望し、皆に愛想を振りまいてしまう。が…結果は、全員からも、総スカンという最悪な状況に陥りがち。何と悲しや、男の性(サガ)。
有史以来繰り返される、上述したような男の悲しい歴史を、マーケティング的切り口で捉えると、一体どうなるのか?
マーケの教科書には、色々なことが書いてあるが、煎じ詰めるとたった一つのメッセージに集約される。それは、「ターゲットユーザーとターゲットユーザーへの提供価値を明確に定義し、適切な方法で、その価値を表現すること」
このメッセージに照らして考えると、可愛くて若いというセグメントの切り方が、そもそも粗過ぎる。クローズした環境下で、複数の女の子にアプローチした段階で、夫々の成功確率はかぎりなくゼロに近づく。ゼロは幾つ足してもゼロなのである。
(ユーザー同士が、コミュニケーションとれない、異なるマーケットであれば、複数ターゲットにコンタクトしていくのは、倫理上の問題を除けば、何ら問題はない)
ユーザー集団の中から、特定のターゲットに集中すべきなのである。つまり、フォーカスストラテジーをとるべし。ただ、この対象を一つだけピックするのは至難の業。自分が本当に求めているものを明確に認識している人間は、案外少ない。
提供価値とその表現方法という観点から言えば、「ちやほやして、愛想をふりまく」状態というのは、ちやほやしている方が喜んでいるだけで(舞い上がって、自己を見失っているだけ…とも言う)、されるほうのPerceived Valueはゼロである。(マイナスという場合も多々ある)
相手の身になって、何をすれば喜んでくれるのかを考えて、誠実に適切な行動をする…などという真っ当なことが、求められる。
プッシュで行くか、プルで行くか?も難しい問題。
ユーザーの行動特性、趣味嗜好などを充分、分析する必要がある。このあたりは、トライアル&エラーアプローチが一番有効であろう。「押しても、駄目なら引いてみろ」というのは、至言だ。
市場で勝つためには、stucked in middleと言われる、「どっちつかず」の状態が最悪で、何か際立った競争力のある特徴やら魅力が不可欠といわれている。
その競争力というのは、継続的に有効でないと、ユーザーのロイヤリティを維持できないので、常に商品・サービスをブラッシュアップする必要がある。
(年金離婚なんていう現象は、結婚生活の中で、惰性、馴れ合いになって、自分を磨くということをストップしたため、結婚当時にあった魅力が失われていった結果なんだろう。)
他の人に好かれるには、そして好かれ続けるには、まず自分の事を正しく認識し、良いところを伸ばしていく…というような地道な積み上げが必要なんだろう…深いなあ。
みもふたも無い話だが、マーケティングの方法論としては、正しくても、上手くいかないケースは、確かにある。それは、元々の商品の品質が悪い場合。まあ、こういう場合は、禅寺にでも行って、自らをブラッシュアップするか、へそ噛んで死ぬしか方法はない…のかしら。
書いていて、つくづく思うのだが、マーケティング観点から、面白半分に、男の性を分析した結果、導き出されるのは、かなりマトモな課題だったりする。そして、どの課題も、真摯に自分と向き合い、啓発に努め、相手の事を心から思いやり、尽くしていく…といった厳しい行動規範の確立に帰結する。
(マーケティングがそうであるように)可愛い女の子に好かれるというお題は、サイエンスとアートの両方を要求する凄く複雑で、地道で、難解なゲームなのかもしれない。

