鈍感力
濫読傾向にある。新書やビジネス書系の本を読んでいては、本当にアホになるので、今後は古典と歴史書としか読まない…(コミックスは読むけど)。
と、数ヶ月前に、ブログに書いた記憶があるが、最近気付いてみたら、やっぱりジャンル無用で読み散らかしている。
新書ばやりなのか、職場近くの旭屋書店にも、各出版社の新書系新刊が、あふれんばかり。マーメイドが、「新書ブームで、新書を読んで、感心しているようでは、駄目なのかもしれない」と言っていたが、確かに、それってレオンを読んで、ちょいワル親父になろうとする中年男みたいなものかもしれない。
さて、最近ヒットしている本に「鈍感力」がある。実は、俺は、この本を全く読んでいないのだが、タイトルをみただけでふーん、同じようなことを考えている人がいるのかしら…と思った。
以下は、読んでいないので、もしかすると全然違う内容なのかもしれないが、俺なりの「鈍感力」にたいる理解。
嘗て、狩や農業だけで生活していたころまで遡らなくても、入手できる情報が限定的であったり、またその情報が言語化されておらず、何かの変化などから読み取らなくてはいけない状況であれば、「敏感」であることは、非常に重要だったに違いない。変化を敏感に察知し、そこから次のアクションを考えたりすることにより、生命の危険を避けたり、大きな成功を得たり…。逆に言えば、「敏感」でなければ、生きていくのは非常に難しい。
ただ、現在のように、情報が溢れ、刺激に満ちた世界において、いちいち「敏感に」反応していては、疲れるし、右往左往するだけで、何も為すことはできないだろう。
情報や刺激に対し、「鈍感」であることは、正気を保って生きていく上で、重要性を増してきているような気がする。例えば、職場の中でも、個人には色々な情報が与えられる。それは、時にはその個人に対する賞賛、非難、自説に対する様々な意見など。その都度、右に左に揺れていては、結局何も生み出すことはできないだろうし、集団の中で信頼を得ることは困難だろう。
勿論、独りよがりであることを賞賛することではない。ただ、自分の芯みたいなものをしっかりもっていて、そのラインは頑固に何があっても崩すことはないというスタンスは重要なのだと思う。射撃競技などで、フライングソーサーを打ち抜いたりするが、シューターも飛んでいる場合は、殆ど命中しないのでは?
あるエリアにおいて頑固で、鈍感なことと、フレキシブルで、様々なことに適切に対応できることは、決して矛盾することではない。スタンダードなしに、場当たり的に情報・刺激に反応することは、単なる無軌道なだけであって、柔軟ではない。
メール、SNSなどでは饒舌だが、フェイスTOフェイスのコミュニケーションは避ける傾向や、掲示板などでみられる感情的で過剰なる反応などをみると、鈍感である範囲を、決めることが出来ず、他者に影響されやすい人は、多いのかもしれない…と思う。
ところで、「鈍感力」という本には、どんなことが書いてあるのでしょう?読んだ人がいれば教えてくださいませ。

