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2007年03月31日

鈍感力

濫読傾向にある。新書やビジネス書系の本を読んでいては、本当にアホになるので、今後は古典と歴史書としか読まない…(コミックスは読むけど)。

と、数ヶ月前に、ブログに書いた記憶があるが、最近気付いてみたら、やっぱりジャンル無用で読み散らかしている。

新書ばやりなのか、職場近くの旭屋書店にも、各出版社の新書系新刊が、あふれんばかり。マーメイドが、「新書ブームで、新書を読んで、感心しているようでは、駄目なのかもしれない」と言っていたが、確かに、それってレオンを読んで、ちょいワル親父になろうとする中年男みたいなものかもしれない。

さて、最近ヒットしている本に「鈍感力」がある。実は、俺は、この本を全く読んでいないのだが、タイトルをみただけでふーん、同じようなことを考えている人がいるのかしら…と思った。

以下は、読んでいないので、もしかすると全然違う内容なのかもしれないが、俺なりの「鈍感力」にたいる理解。

嘗て、狩や農業だけで生活していたころまで遡らなくても、入手できる情報が限定的であったり、またその情報が言語化されておらず、何かの変化などから読み取らなくてはいけない状況であれば、「敏感」であることは、非常に重要だったに違いない。変化を敏感に察知し、そこから次のアクションを考えたりすることにより、生命の危険を避けたり、大きな成功を得たり…。逆に言えば、「敏感」でなければ、生きていくのは非常に難しい。

ただ、現在のように、情報が溢れ、刺激に満ちた世界において、いちいち「敏感に」反応していては、疲れるし、右往左往するだけで、何も為すことはできないだろう。

情報や刺激に対し、「鈍感」であることは、正気を保って生きていく上で、重要性を増してきているような気がする。例えば、職場の中でも、個人には色々な情報が与えられる。それは、時にはその個人に対する賞賛、非難、自説に対する様々な意見など。その都度、右に左に揺れていては、結局何も生み出すことはできないだろうし、集団の中で信頼を得ることは困難だろう。

勿論、独りよがりであることを賞賛することではない。ただ、自分の芯みたいなものをしっかりもっていて、そのラインは頑固に何があっても崩すことはないというスタンスは重要なのだと思う。射撃競技などで、フライングソーサーを打ち抜いたりするが、シューターも飛んでいる場合は、殆ど命中しないのでは?

あるエリアにおいて頑固で、鈍感なことと、フレキシブルで、様々なことに適切に対応できることは、決して矛盾することではない。スタンダードなしに、場当たり的に情報・刺激に反応することは、単なる無軌道なだけであって、柔軟ではない。

メール、SNSなどでは饒舌だが、フェイスTOフェイスのコミュニケーションは避ける傾向や、掲示板などでみられる感情的で過剰なる反応などをみると、鈍感である範囲を、決めることが出来ず、他者に影響されやすい人は、多いのかもしれない…と思う。

ところで、「鈍感力」という本には、どんなことが書いてあるのでしょう?読んだ人がいれば教えてくださいませ。

2007年03月28日

社内の飲み会は業務…か?

昔、外資系メーカーに勤めていた頃、日本に米国本社の事業部長と、各地域のマーケティング責任者が集まって、夕食をとりながら、ざっくばらんに戦略を話しあおうということになった。

米国本社の事業部長は、その当時42~43歳くらいのチャイニーズアメリカンで、非常に働き者だったので嫌な予感はしていた。(午前二時にシカゴで打ち合わせなんていう、滅茶苦茶なスケジュールを組む奴だった) ただ、敢えて夕食をとりながらということでもあり、リラックスした雰囲気で、色々話しをするんだろうなあ…位の感じで、ミーティングルームである、ホテルの一室に急行。

午後6時に始まったディナーミーティングは、結局10時までかかった。大きなテーブルに、登場した料理は、予め置かれていたミックスサンドとポテトチップス、ミネラルウォーターのみ。ワインがないと困ってしまうフランス人のピエール君も、バーボンが飲みたいジョー君も、六本木に繰り出したいグレッグ君も、そして欧米系白人の中に一人放り出されて、日本市場の特殊性を説明しなくてはいけない俺も、呆然と干からびたピクルスを見つめるのであった。

ただ、ボスのみは、最初から最後までハイテンションでご機嫌な状態で、次々と新戦略について語るのであった。ミーティングが終り、退室するとき、各地域の責任者の顔は皆疲労と空腹の余り土気色になっていた。

このケースは、極端なケースではあるが、このアメリカ企業では、夕食をとりながら仕事の話しをすることは余りなかった。飲んだりする時は、大体子供が、ハイスクールでバスケットをやっていて、俺も夢中なんだとか、犬を最近飼っているとか、ポケモンカードを買ってくるように頼まれたが何処に行けば買えるか?など他愛もない話に終始。

「社内の飲み会も業務」 帰宅中の転落死を労災認定 共同通信社 28日20時24分 勤務先の会社内で開かれた飲み会に出席後、帰宅途中に地下鉄の駅の階段で転落死した建設会社部次長の男性について、妻が「通勤災害で労災にあたる」として、遺族補償などを不支給とした中央労働基準監督署の処分取り消しを求めた訴訟の判決で、東京地裁は28日、労災と認めた。佐村浩之裁判長は「酒類を伴う会合でも、男性にとっては懇親会と異なり、部下から意見や要望を聞く場で職務」と判断した。

日本では、お酒を飲むことと業務とは、かなり密接に関係している。もっと正確に言えば、酒なしにビジネスをすすめることが、難しいという環境もあると思う。

日本の社会は、建前とか面子とかシニオリティシステムとか、率直な意見、本音を言いにくい状況がある。弊社でも体験することだが、数名のメンバーに対して、意見をメールで求めると、わざわざCCを外して、俺だけに返信をしてくるというケースがある。こういうのも、自分の本音を他の人には知られたくないという意識が働いているのかもしれない。

酒を飲みながら話しをする=無礼講=率直に本音を言っても良い…ということで、忌憚のない意見交換をするために、その阻害要因である建前やらなんやらを飛び越すために、アルコールが欠かせないということは確かにある。

逆に言えば、そういう機会でもないと「部下から意見や要望を聞く」ことができないってことでしょう。(もう一つ言えば、聞いたからと言って、何かアクションを起こすわけでもない中間管理職も、日本の大企業には沢山いる。) 何か、目に見えてプロダクティブな役割を、このノミニケーションが果たすわけでもないのだが、会社における儀式みたいな位置付けなのかもしれない。そういう意味では労災認定もおかしくないのかもしれない。

全国の焼き鳥屋で、会社の話でぐだを巻いているサラリーマン諸君は、飲み屋に行ってまで仕事をしているわけだな…つまり。俺としては、飲んだ時は、「俺の故郷では、人よりも大きい豆がある(実話)」みたいな、お気楽な話をして、ウヒャウヒャしたいです。やっぱ、シングリッシュでエブリデイキスでしょう。

2007年03月21日

膝にまつわる話

今日は、息子の野球の試合を観に自転車で、中学校グラウンド。極度の運動不足のせいか、ちょっとした坂道を往復しただけなのに、膝の辺りの筋肉が痛い。

膝というのは、立ち技系格闘技のフィニッシュに使われるくらいなので、相当硬いものだろうし、その為その周囲の筋肉には、相当の比重がかかるに違いない。

以前、昭和40年代に一世を風靡した「キックの鬼」沢村忠の必殺技は、「真空飛び膝蹴り」。この技で200人以上のキックボクサーをマットに沈めた。高くジャンプすることにより、一瞬空中で止まって見え、蹴りが全体重をのせて落ちてくるので、「真空」飛び膝蹴りとなったそうだが、一瞬空中で止まるのであれば、「無重力」飛び膝蹴り…ではないのかしら。

とにかく、膝は凶器とも化す危険性を秘めている。

先日、朝青龍が、稀世の里の張り手に、頭にきて、送り投げ~右膝げりというコンビネーションの攻撃を仕掛けた。

久しぶりに、朝青龍の相撲を四股、仕切り、立会い、勝ち名乗り…まで観てみたが、何か相撲とは異質なスポーツを、朝青龍だけはしている感じ。既に、仕切りの際&勝ち名乗りの所作は、トラディショナルな相撲の型とは、逸脱しているようにみえる。

批判を浴びていた「膝蹴り」も、送り投げの後、土俵に転がった稀世の里の背中に右膝を落とす流れが、余りに自然で違和感がない。(相撲のルールは違反しているが…)つまり、投げたり、土俵の外に出すということでは、彼の闘争本能は満足できずにいるのを感じる。また相撲のもっている一種の様式美のようなものへの、朝青龍のリスペクトは低そうだ。でなければ,土俵で膝蹴りなどありえない。

実際のところ、朝青龍にとっても、相撲界にとっても、彼が相撲界に留まることのプラスは、もうないのでは?

土俵上にたたきつけた相手の背中に、膝蹴りを入れていくという暴れん坊がいれば、もっと凄い奴も居る。

取り調べ男性に暴行し重傷、山口県警警部補を懲戒処分 

取り調べ中の50歳代男性に暴行し、重傷を負わせたとして、山口県警は20日、小郡(おごおり)署(山口市)の警部補(56)を特別公務員暴行陵虐致傷の疑いで山口地検に書類送検し、減給100分の10(3か月)の懲戒処分にした。
また、監督責任として、当時の同署次長(49)を本部長訓戒、刑事課長(60)を同注意処分にした。

県警監察官室によると、警部補は昨年10月15日午後3時ごろ、同署取調室で取り調べ中、男性があやふやな供述を繰り返したことに腹を立て、いすに座っていた男性の左胸をひざ蹴りするなどした疑い。男性はあばら骨を折って、全治2か月の重傷を負った。
以下略(2007年3月20日20時52分 読売新聞)

椅子に座っていた男性の左胸だから、正確に言うとチャランボかしら~まあ、そういう事はどうでもいいのだが、56歳にして、あばら骨をへし折るその破壊力には、呆然って、驚くのはそこじゃない。取調べ室で、いかにあやふやな供述を繰り返したとしても、膝蹴りを繰り出す精神っていうのは、何か過剰な脳内物質の分泌がされているのであろうし、少なくとも警官には不適。

大ラフに纏めると、過剰なる何物かを有するものたちは、不適切な場面で膝蹴りをする…ってことだが、サンプル数は二つだ。さあ、どうする俺。続く…。

松岡修造はとっても気になる

俺は、どっちかというと文化系サークルの人である。

よって、体育会系の暑苦しさには、どうも耐え難いものがある。「俺、頭が悪いけど、一生懸命やるっす。がんばるっす」(何とステレオタイプな)なんていう感じには、思わず「一生懸命やらなくてもいいから、結果だせ、アホ」とか、言いたくなる。(言った事はない...と思う。多分)

「夕陽に向かってダッシュ」とか「馬鹿やろう」「お前こそ馬鹿やろう」とか言って、笑いながら殴りあうのも、勘弁して欲しい。速攻で、射殺。

TVを観ていて、彼が登場すると、どうしても釘付けになってしまう体育会系の御仁がいる。松岡修造。

フレッシュアイウィキペディア父親の松岡功は東宝の会長及び東宝芸能社長。母親は宝塚歌劇団卒業生(元星組男役)の千波静。曽祖父は阪急電鉄・宝塚歌劇団・東宝をはじめとする阪急阪神東宝グループ創始者の小林一三(雅号・逸翁)である。夫人は田口惠美子(元テレビ東京アナウンサー)。

慶應義塾幼稚舎・慶應義塾中等部出身。中等部在学中に、ジュニア選手の登竜門と言われるアメリカの「オレンジボウル選手権」で優勝を果たすなど、早くからテニスの才能を開花させる。その後慶應義塾高等学校に進むが、テニスの名門柳川高等学校に編入~中退して渡米。1984年にインターハイを制覇し、その後プロに転向。ジャパン・オープンにおいて、当時の世界トップ選手ミロスラフ・メチージュ(ソウル五輪金メダリスト)を撃破し、一躍注目を浴びる。1992年4月の「韓国オープン」で、日本人の男子プロテニス選手として初のATPツアー優勝を達成。1995年のウィンブルドンで、日本人の男子テニス選手として「62年ぶり」のベスト8入りを果たす。その準々決勝では1番コートに立ち、第2シードのピート・サンプラスにセットカウント 1-3 (スコア:7-6, 3-6, 4-6, 2-6)で惜敗した。残り略

伊達公子対グラフのフェドカップにおける歴史的死闘で、別にTV局から頼まれたわけでもなく、日の丸の旗を振りまわしていた彼は、当時まだ現役選手。韓国オープンからトンボ帰りで、有明コロシアムに駆けつけた。かなり、やっていることは可笑しいし、暑苦しいのだが、どうしても、目が離せない何かがある。

それ以降、TV番組に露出するようになり、何故か「食いしん坊万歳」とかバラエティとかに出演するようになっても、観たくないのに、どうしても観てしまうような、得体のしれない存在になりつつあった。

今日、世界水泳の放送をみていて、その理由がやっとわかった。
彼の目が、正視できないくらい真っ直ぐに、俺のほうをみているから。正確に言うと、カメラに対して、真っ直ぐ、訴えかけるような真剣な眼差しを常に向けている。そして、その眼は、不自然なまでに澄んでいるのであった。

松岡修造が食いしん坊になってから急に料理のグレイドがあがった、「食いしん坊万歳」で、ヒラメのカルバッチョにキャビアをのっけて頬張るときも、「食わず嫌い選手権」に出演したときも、明石屋さんまに、いじられる時も、彼の眼は決して笑っていない。強烈なテンションで、真剣に、真っ直ぐ前を向いている。どんなに、おちゃらけた場面でも、何かに、勝利する為に、ファナティックな炎がメラメラ燃えている。ただ、何に勝ちたいのかが、不明なのだ。その不可解さが、俺の心をぐっと締め付けるのだった。

君は何故、いつもそんなに一生懸命なんだ?そして、君の眼差しは、一体何をみつめているのか?テレビカメラか? もしかすると未来か? 何故、自分の専門領域でもない、シンクロナイズドスイミングに、あんなに、熱血で感情移入できるんだ?~松岡修造は、幾つもの大きなクエスチョンのメリーゴーランドだ。

何かに打ち込むことに、一生懸命になることに、意味を求めることは、それだけで不純だ。「そんなことをやって、何の意味があるんでしょうか?」などと抜かす、評論家みたいな連中には、未来という名のダイナミックなカオスがわかっていないのだ。意味があるとかないとかは、歴史家の判断することで、行動者が判断する領域ではない。今、目の前にあることに、例えどんな些細なことであろうと、全力で真剣に取り組めなくて、何かを為すことなどできはしない。

恐らく一緒に居るとかなり暑苦しいと思うのだが、松岡修造のことは、かなり気になっている。もしかすると、よくはわからないのだが、好意を感じている...と言っていいのかもしれない。

2007年03月17日

ハッピー・フィート:もうペンギンは、腹いっぱいだ

ネコも好きなのだが、実はペンギンも好きだ。

というわけで、以前、皇帝ペンギンという映画を観にいったのだが、何と10分で轟沈。退屈な余り寝てしまった。これ、ドキュメンタリー映画で、大沢たかおがお父さん、石田ひかりがお母さんの吹き替えで、台詞が異常に不自然プラス、氷と吹雪のシーンが延々と続いていく。最初の、何千、何万という皇帝ペンギンが集まるシーンは、壮観なのだが、実際もうそれで、充分。ウェブに公開された、3分間のダイジェストが実際にはベストだった。

今日、過去の失敗を省みず、ハッピーフィートという、皇帝ペンギンのアニメを観た。で...やっぱり駄目でした。

はっきり言おう。どんなにペンギンが好きでも、ペンギン映画は退屈だ。

テーマは、個性は大切だよね、環境は保護しようね...という話なのだが、何もペンギンでやることはない...という事だと思う。勿論、CGにより、アニメとは言うものの、非常にリアルでダイナミックな映像だし、スピード感はあるんだけど...。CGによって、従来出来ないことが可能になったということはあるんだとおもうが、CGによって失われたものがあるような気もする。

一緒に行ったマーメイドがひと言...「もうペンギンは、結構。腹いっぱい」

ヒップホップな主人公ペンギンであるマンブルが、ブギ・ワンダーランドとかにノッて凄い踊りをクドイ位みせてくれるのだが、要所でかかるのが、中学生のときに大好きだった、スティービーワンダーの"I Wish"だった。個人的には、この曲だったら、ペンギンも狸も踊るよなあ...なんて思いながら観た。

このハッピー・フィートだが、アカデミー長編アニメ部門賞を獲得している。アカデミー賞の審査委員は、日本のアニメをみたことないんじゃないだろうか?この単調で予定調和なストーリーをみると、どこかで、「所詮アニメだからさ!!」という言い訳があるような気がする。日本のアニメって、そういう意味では、既にドラマは越えている気がするし、充分オトナの鑑賞に耐えるものになっている。

まあペンギンは良いとして、今日観にいった藤沢の映画館が、71年の歴史に幕を下ろし、この3月末に閉館になる。と...いうことは、鎌倉・藤沢地区には、映画館が一館しかなくなるということではないか。因みに、鎌倉には映画館がない。(ついでに言えば、CD屋も一軒しかない。レンタルビデオ屋は一軒もない。)

残った一館は、「愛るけ」と「どろろ」と「ドラえもん」などの封切館だ。ホント、どうするんだ?そろそろ、本気で引っ越すべきではないか...と思ったりする。全く、どうかしてるぜ。

タクシードライバー

俺の地元の下関と東京で、一番大きな違いは何か?

それは、タクシードライバーである。

下関のタクシー運転手は、とてもフレンドリー。気さくに色々な事を話しかけてくれる。
以前、他の地方から来た人と同乗した時、俺とタクシー運転手の会話を聞いて、「あの方は、以前からのお知り合いですか?」と聞かれた。
彼らは、とても物知りである。建築中のビルなどを見かけると、市の建築認可についてとか、バックについている政治家とか、何故か詳しくて、色々なことを教えてくれる。

東京のタクシードライバーの方は、何故かいつも不機嫌そうだ。

先日、東京では珍しく、凄く丁寧に話しかける方が居たので、適当に相槌をうっていたら、喋るは喋る。

・私は、事業をやっていたのですが、不景気で上手くいかなくなって...。でも人に使われるのが嫌なので、この仕事を始めたんですよ。

・歳? もう60歳になります。50過ぎに、失敗しちゃったから、本当に情けない話だけど。ええ、タクシーは2年前から。

・景気は、まだまだですね。羽振りがいいのは、相変わらずテレビ局と外資系だけ。この人たちは、良く遊ぶけど、良く働くから。チケットなんかも使うし。外資はカードかなあ。

・ゼネコンは、もうめっきり駄目。

・新宿とか池袋とかは、余り回らないようにしてます。外国の方とか得体の知れない客が多いので、ちょっと怖いんですよ。

・最近は、本当に酔っ払っている人を見なくなりましたね。昔は、酔って動けなくなる人とか、喧嘩始めちゃう人とか、よくみたんだけどね。

・部長さんみたいな人が、良く愚痴ってるけど、最近の若い方は、上司に誘われても断るらしいね。私の若い頃では、信じられないこと...以下まだ色々あるけど略

15分間の乗車だったが、ご経歴、景気動向、治安情報、世代論...などたっぷり聞いてしまった。

考えてみれば、見ず知らずの人をのせて、目的地まで車を走らせる業務は、とても孤独でハードボイルドなミッションである。何せ、殺人者でも、スパイでも、超能力者でも、テロリストでも、客である限り、後ろの席に乗せなくてはいけない。タクシーの小さな空間は、後部座席に乗った都会の不特定多数がもらす、呟き、愚痴、怒り、哀しみ...で満ちているのだろう...。微妙に、多くの人間の人生とシンクロしてしまう仕事というのも、かなりシンドイものがあるかもしれない、無愛想でもしょうがないか?などと思った。

彼らの情報DBは、色々な街のノイズが大量に登録されている。だから、適切な突っ込みを入れるとこの運転手さんのように、堰を切った如くに、ド~ンと喋り始めるかもしれない。

まあ、余りディープな身の上話などされると、思わず、「実は、俺も余り儲からない会社の社長をしててさ...」などと、こっちもカミングアウトしそうで、困るのだが...

2007年03月15日

宇多田ヒカルの離婚

結婚して20年になる。

結婚して、助かったなあと感じたのは、相手に対して好意を包み隠さず表現できること。好意というのは、時と場合によっては、お節介とか図々しいとかにも繋がる。相手に迷惑と思われたりしたら、死にたくなる性質なので、結婚してからは、「この人には、そんな事は気にしなくて良いんだ」と思ったら、気持ちが軽くなった。

きちんと認識できたことは、夫婦といえど、独立した個人であり、夫々何か、底知れない闇のようなものを抱えていること。一人きりの時間があって、自分というものを冷静に見つめたり、キープできる。ただ、長い時間孤独でいると、それはそれで辛すぎる。結婚が良いのは、ドアを開けると、直ぐ明るく暖かなスペースが広がっていること。俺にとって結婚生活とは、丁度良い感じで、ブラックサイドとホワイトサイドを、行ったり来たりすることに他ならない。

宇多田が雑誌で「離婚の真相」  歌手の宇多田ヒカル(24)が15日創刊の音楽誌「MUSICA」(FACT刊)で、映像作家の紀里谷和明氏(38)との離婚について語った。  「一時は夫が言うように私はどこか欠けている、無責任な子供なのかなぁと。(中略)でも結局、私は今の状態でいいんだって思った」と心境を告白。「(紀里谷氏が)孤独みたいな私の像を救おうとしてくれた。でも結局、私は救われようとしなかった」とし「ひとりっ子の悪いクセみたいなのが爆発した」と続けている。  「今後、誰と親密になろうが、私はこんな感じなんだろうなって気がします」とも。昨年の全国ツアーではステージに紀里谷氏の映像を駆使し、公には夫婦仲の良さをアピール。だが「彼の理想は(公私ともに)一体化することで、でも私はそうじゃなかった」と語った

孤独である時間が、(俺がそうだが)、絶対に必要な人間はいる。それは、誰かと親密であることとは、全く矛盾しない。全く違う環境で生まれ、育ち、全く違う人格が、一緒に生活をしていけること自体が、一種の奇跡だ。「公私ともに一体化すること」が理想...なんて幸福で傲慢な人なのだろうと思う。

完全無欠な人間などいない。皆どこかが、歪んでいたり、欠落していたりする。それは、無責任でも、非難されるべきものではない。結婚の本質は、相手の全てを支配することや、全ての生活を重ね合わせることではない。欠けている部分を、補い合うこと、耐え切れぬ孤独を癒しあうことだと思う。

そういうわけで、そういう男とは別れて正解じゃ、気にしなくてもいい...と宇多田さんには、伝えたいですね。

2007年03月14日

大胆不敵な奴

先日、娘の卒業文集をみていた。

卒業文集の中身というのは、どうやら世代を超えたものがあるようで、最後のページには、お決まりの、「クラスの何でもベスト3」的なランキングページがあった。因みに、それほど成績も良くなかったJFKは、高校卒業時のクラス投票で将来リーダーになるであろう人ランキングでは、ダントツで一位だったらしいので、案外ばかにはできない。

将来金持ちになりそうな人ベスト3、美人ベスト3、頼りになる人ベスト3、良いお母さんになりそうな人ベスト3など、定番ランキングには、うちの娘はランクインしていなかった。唯一ランクインした項目が、「授業中よく眠っていた人ベスト3」。(しかも、ダントツで一位)

この見事な開き直りっぷり、大胆不敵な態度は、紛れもなく父親(つまり俺)からの遺伝としか説明がつかない。またしても、DNAの凄味を見せつけられた思いだ。(因みに、俺は眠たい授業の時は、窓から消える~教室が一階でないとできない~難度Eクラスの荒業を使っていた)

大胆不敵といえば、本日の日経朝刊の囲みに、こんなコメントが紹介されていた。

「国民との触れ合いや対話を重視するのが、民主主義の基本。自民党もおやりになればよい」(民主党の小沢一郎代表が岡山市での記者会見で、地方行脚で国会を休みがちなことについて)

流石、男小沢だ。議会制民主主義国家である日本において、選出された国会議員が国会を欠席しておいて、「民との触れ合いや対話を重視するのが、民主主義の基本」と言い切ってしまう、益荒男ぶりには、返す言葉が見つからない。

おまけに、「自民党もおやりになればよい」という、挑発的な態度。新進党時代、主義主張には無頓着な連合を組んでいることを批判されて、「どの女と寝ても、俺の勝手だ」、「ニートの親は、動物にも劣る」との最近のコメント。

水道光熱費を5年間で29百万円使って、「何とか還元水」とかをつけているとか、ペットボトルを毎月48万円も買っているのかとか、突っ込まれている農相なんて、ホント可愛いものでないの?

いずれにしても、政治家の言葉に、品性や誠実さを求めるのは、無駄だから、もう止めた方がよい。

日興コーディアルグループの上場維持について

日興コーディアルグループの株式について、東証は上場を維持するとの発表をおこなった。

今回の不正会計問題は、物凄く大雑把にいうと、グループ内でプラスマイナスある取引をして、本来であれば、両社とも連結対象なので、連結上の収益は差し引きゼロなのに、プラスのほうの会社だけ連結対象にしたため、結果として、180億円利益を水増しすることになった。この決算をうけて、彼らは社債500億円を発行し、資金を調達している。(最近の報道では、2年間で計400億円の利益水増しをしているとのこと)

証券取引等監視委員会の勧告をうけ、それを受けた金融庁の命令で史上最高の5億円の追徴金を課せられている。

今年1月には、外部有識者による特別調査委員会が、旧経営陣の関与を認め、当時の財務担当役員も関わっていたことが判明し、一部報道では、上場廃止は必至と伝えられていた。

しかし、逆転の上場維持の決定。理由は、以下のとおりらしい。
〈1〉日興が組織的に関与していたとの確証が得られなかった
〈2〉赤字を黒字にするような粉飾決算ではなく、利益の水増し額が多額ではない
〈3〉過去の例に照らしても上場廃止するほどではない

組織的な関与は、特別調査委員会でも明らかになったことであるし、日興も認めたことではないのか?(特別調査委員会は、勿論公的な期間ではないが、少なくとも日興の委託をうけ、結果も日興が認めているのではないか)大体こんな事を、(最初に日興が言っていたように)平社員が勝手にやれるはずはない...というのは常識的判断だと思うが。

また、赤字を黒字にするような粉飾でなければ、粉飾してよいのか?利益の水増し額が400億円だと、「有価証券報告書の虚偽記載の影響が重要」とは、認められないのか?つまり、少なすぎるとでもいいたいのか?

「過去の例に照らして」と言って、参照したのが、5年間で総額2000億円を超える粉飾決算をしたカネボウや、大株主の持ち株比率を47年にわたって有価証券報告書に虚偽記載していた西武鉄道...っていうのは、どういうわけだ。つまり、もう何かどうもこうもコメントすらできないレベルの会社と比較して、それより悪質ではないから、上場停止するほどではない...というのは、理解ができない。

傘下にある日興コーディアル証券は、勿論公開審査とかやっていて、ガバナンスや会計処理などで、多くの会社を指導していたりするわけだし、ある意味日本の証券取引を公正ならしめる為に重要な役割をおびている特別な会社。であるから、そのあたりの厳正さは求められてしかるべきではないのか?

上場廃止になったライブドアが哀れに思えてきました...。どっちが悪質かは、一目瞭然でしょ。

2007年03月13日

都市伝説が...

最近、「口裂け女」が映画化されたらしく、CMをみて、余りの気持ち悪さに、夫婦でのけぞってしまった。

俺が中学の時に、「口裂け女」は、地元では、凄い話題になっていた。(マーメイドの地方にも出没したらしいので、日本中でブームだったのかしら)今日の午後11時くらい、地蔵坂(うちの前にある小さな坂)を通過するなんていう噂が、中学ではもちきり。今、考えると、オリンピックの聖火じゃあるまいし、「午後11時くらい通過」というのも、可笑しい話なのだが、網戸に顔をくっつけて、恐怖に顔ひきつらせながら、口裂け女を待った。顔には、網の跡がついたけれど、何も現れなかった。

翌日、登校すると、白い着物に般若の面をつけて、走り去る女を見たという目撃情報もあり、更に盛り上がった。

この頃、考えてみると、コックリさんも流行っていて、放課後、男女10数人で、真剣な顔つきで、「コックリさま、コックリさま」と呼び出している様は、部外者からみるとかなり不気味だったに違いない。

ある女生徒がやってみると、「おまえは死ぬ」とかメッセージがでて、泣き出してパニックになるなど。実はコックリさんだけではなく、昭和大権現とか、もう訳がわからない色々なものを呼び出していた。因みに俺は、コックリさんに、何処の大学に行くか聞いてみたら、トウキョウと動いた。流石金ちゃん東大か??と盛り上がったけれど、10円玉は動きを止めずに、キョウイクダイガクだって。東京教育大学自体が、直ぐなくなって筑波になったところで、俺の浪人は決まっていたのかもしれない。

コックリさんに使った紙は、直ぐ燃やさないとたたりがあるということで、焼却炉で燃やした。そうすると、白い煙のむこうに、九尾の狐がみえたという奴もいて、そこでぞ~っと悪寒が走ったり。何だったのかしら、あの熱狂は。

実は、この前都市伝説関係の本を買ったが、その中に、富士山の樹海の話があった。
都市伝説によれば、
・樹海には、野犬が集まっていて、樹海にまよいこんだ人を食い殺す
・自殺しようと思った人が死に切れずコロニーを作っている
・コンパスが全然使えない
・訪れた人は、何故か死にたくなってそのまま自殺してしまう
・何処からともなく、お経が聞こえる

実際、この樹海を二年間調査したスタッフは、森林浴をしたためか、非常に健康になったらしい。また、コンパスも狂わないし、鹿やリスはみたが野犬の群れなど全くみかけなかったらしい。お経かな...と耳を澄ませると、遠くでがなっている右翼の宣伝カーの音だったなど。

つまり、都市伝説も突き詰めると、余り面白味のない話だったりするわけだ。「口裂け女」のCMをみて、ちょっと色々書いてみました。(中身のない話でしたね)

2007年03月09日

ディベートと実際の交渉

学生のときに、少しディベートをかじったことがある。

ディベートは、例えば「日本政府は、郵政民営化をすべきである」というような、予め御題が与えられて、それに対して討論をするゲームである。1対1、2対2、5対5など、メンバー数は違うが、個人の考え方とは無関係に、くじで、賛成派と反対派に分けられて、ロジックを戦わせる。

ジャッジは、討論の行方をフローをとって、分析し、どちらの議論が有効かをポイントにして、最終的にどちらが勝ったかを決める。勝利を左右するのは、妥当なロジックを構築できるか、そのロジックをサポートする有効なエビデンスがあるか...ということ。よって、英語力もさることながら、調査力や調査した情報の整理力が試される。

この技術は、仕事をする上でも、役立つ。色々な情報を整理したり、説得力ある提案書を書いたり~色々なシチュエーションで、考え方のベースになる。目の前の事象の変化によって、大きく意見がブレる傾向のある人は、恐らくこういう何か考え方のベースがないからだろうと、大変僭越ながら思ったりする。

このゲームの最大の前提条件は、激突する両チームは、何の過去やバックグラウンドを背負ってないこと。つまり、ディベイターは、彼ら自身、もしくは彼らの所属する組織がなんであれ、関係なく、白紙の状態で討論に臨む。

このディベートの技術が、余り役に立たないのが、実際の交渉である。一番、極端な例でいえば、東京裁判なんていうのがあるが、負けた国を背負ってきた指導者は、どれだけ見事なロジックを展開しても、何も裁判の結果には影響を与えない。

また、アーレフ元代表の上佑氏は、大学時代ディベートの優秀なプレーヤーであったらしく、常に精緻なロジックを組み立てるが、何も状況を好転させることはできない。

つまり、過去の言動、所属する組織の強さ、握っているカードの危険度、声の大きさ、声の高さ、アイコンタクト、冷静さ、無言の時間への耐久度...など総合力の勝負。

歴史が、勝者にとって都合の良い解釈で創られるように、実際の交渉ごとは、多くの場合、ロジックとして正しかろうが、結果に、決定的な影響を与えることはない。逆に、切れすぎるロジックは、自らを窮地に追い込む危険な罠だ。

勿論、筋道だった論旨を構築できる能力は、必須だが、それは唯一の武器ではなく、武器の一つに過ぎない。

また、ディベートというのは、弱い相手は思い切りぶちのめしていい事になっている。実際の交渉の場所では、顔を立てる、面子を潰さない、60取ったら、残りの40は譲るなど、その場の空気を読まなくてはいけない。100対ゼロで勝とうとする奴(たまにいるが)は、リアルな交渉の場では、勝利者になれない。

今回の米国下院の従軍慰安婦決議について、米国の知日派が「日本が、従軍慰安婦問題で闘っても、何の勝利も得られない」とコメントしていたが、色々なファクターを考えると、正しいのかもしれない。どんなに、ロジックを練り、エビデンスを積み上げても、イエスとは言わない相手と付き合って、消耗するより、最小限の失点で切り上げて、勝てるゲームを開始する方が得策だ。

2007年03月08日

ストレスなんかは、全然怖くない

現代のオフィスは、ストレスに満ちている...なんていう話はよく聞く。

昔...と言ってもまだ20年位前の話だが、オフィスは、PCに向かって仕事をするということもなく、非常に牧歌的な環境であった。

俺が入社して、一番最初に任された仕事は、花見の場所をとることであった。昼飯前に、ビニールシートをもって公園の場所取りをしているとき、俺一体何してんだろう...と思った記憶がある。馬鹿馬鹿しくなった俺は、昼間から、ガンガン飲みました。

次に、重い仕事は、工場の盆踊りのミニコーナーであるカラオケ大会の司会であった。朝から、工場の広場には、やぐらが組み立てられるは、和太鼓は並べられるは、の大騒ぎ。俺は会議室で、出演者の名前、部署と曲目のチェック、曲紹介の台詞作成を行っていた。おまけに、トップバッターは俺自身なので、歌の練習。勿論、サザンとか歌うと、ビール瓶とか投げつけられそうなので、空気を読んで、美空ひばりの「悲しい酒」をチョイス。

「次は、溶解工場の、山田さんが、兄弟舟を熱唱いたします。山田さん、では張り切ってどうぞ~」なんて、やぐらのうえで絶叫するのを、苦労して育ててくれた母親がみたら、情けなくなって、海に身を投げちゃうかも...などと思いながら、開き直って、やっぱり昼からワンカップなどグイグイ飲んでました。

現在は、当然だがオフィスで昼から飲む事もなく、のべつまくなし(って正しい表現かはわからないが)メールに追われるように、PCとにらめっこしている。一人の人間に求められることも、昔とは比較できないくらい複雑なタスクであり、生産性、戦略性も求められるので、20%くらいは潜在的な鬱病であるということも、事実なのかもしれない。業務の複雑さに影響されて人間関係も複雑になるし、とはいえ嘗ての、のんびりした大企業みたいに、遊び仲間が、たまたま一緒に仕事をしてます...というような個人的な親密さは、都会のオフィスでは、自然発生するような環境でもないので、かなりストレスフルだといえる。

「メンタルタフネス」 <ジム・レーヤー著>を読んでいて、目からウロコが落ちる発見があった。簡単に要約すると、

・従来のストレスへの対応についての考え方は、ストレスをためないようにする、防御するということであった。

・しかし、実際、この現代社会において、自らをストレスから完全に防御することは不可能

・重要なのは、メンタルタフネスである。

・つまり、ストレスが溜まり、ネガティブな気持ちになったとしても、そこから素早く回復する術を身につけることである。

・そして、瞬時に、IPS(Ideal Performance State~ノリノリで最高のパフォーマンスを発揮できる心持ち...って感じでしょうかね)に持っていくことができるように、自分の感情をコントロールする能力である。


何が、目からウロコかというと、いつも我知らず心がけていたことが、理論体系化されていたからである。また、ストレスがあることは、別に問題ではない、早期に絶好調な状態に、恣意的に感情をコントロールすることが重要なのだ...というメッセージも、何か未整理な思考に、パシッとはまる適切な説明が付与された感じがした。

元々、ネガティブな状態からのたちなおりが、極めて早いのだが、もっと加速できそうな気がしてきた。ちょっと,楽しみ。早く試してみたいので、ストレスよ、俺に挑んできたまえ。

2007年03月07日

「悪玉」遺伝子に対して深く同情する

one man's meat is another one's poison.という(記憶不正確だが)言葉がある。

つまり、ある人にとっては、役に立つことであっても、ある人にとっては劇薬にもなり得る...ということ。例えば、叱咤激励をすると、奮起をする人もいれば、そこでポシャッテしまう人もいたり、ひょんなことから大金を掴んで、幸せになる人もいれば、それがもとで身を持ち崩してしまう人もいる...なんてことでしょうか。

お節介が過ぎて、結局色々なところに歪が出るなんていうのも、近いニュアンスかもしれない。

がん抑制の「善玉」遺伝子、心不全では「悪玉」演じる 心不全の発症に、がんの発生や増殖を抑える遺伝子が深くかかわっていることが、千葉大医学部循環器内科の小室一成教授らの研究でわかった。

がんを抑える「善玉」の遺伝子が、心臓では意外にも「悪玉」を演じていた形で、新たな治療法や予防薬の開発につながりそうな研究成果だ。英科学誌ネイチャー電子版に5日掲載された。

重症の高血圧や心臓弁膜症、心筋梗塞(こうそく)などを起こした患者の心臓は、全身に血液を送り出すポンプ機能が低下する。心臓は十分な機能を果たそうと肥大化し、最後は心不全を起こす。

問題の遺伝子は「p53」。低酸素状態などで心臓の細胞の遺伝子が傷つくと、修復のため働き始める。

研究チームは、マウスの大動脈を縛って血流を減らし、心臓の負担を増して心肥大を起こさせ、遺伝子の働きを調べた。

肥大してもマウスの心臓は機能を維持していたが、2週間を過ぎ、心臓の細胞でp53が働き始めると、不十分な心機能を補うため増えていた微小血管の数が減少。ひどい低酸素状態に陥り、心不全になった。
以下略(2007年3月5日14時34分 読売新聞)

P53は、がんの発生や増殖を抑える遺伝子として、紛れもなく「善玉」遺伝子である。上掲記事から推測するに、かなりの働き者。傷ついた遺伝子をせっせと修復する。この働き者が仇となって、酸素を消費し、更なる低酸素状態に陥り、心臓肥大⇒心肥大に陥る。

考えて見れば、P53君は良い奴なのに、結果としてはこんなことになってしまうので、何となく不憫に思う。「俺だって、頭ではわかっているんだけど、体が勝手に動いちゃうんだよね」と、力なげに、うつむくナイーブな姿が、目に浮かぶ。

Oh, my boy!!と抱きしめてあげたい~体力低下のせいか、気持ちも下り坂で、遺伝子にまで、感情移入をしてしまう...まずい。

2007年03月06日

インフルエンザになってもタミフルは使わずに済ませたい!!

タミフルによる事故が相次いでいる。

先月、中学生が相次いで転落事故したのをうけて、厚生労働省が文書で注意を呼びかけた。

タミフル服用と異常行動の因果関係はわかっていない。想定される副作用としては、以下のとおり。


オセルタミビル~フレッシュアイウィキペディア
頻度の高い副作用は、腹痛、下痢、嘔気など。
2003年の研究(参考文献1)で、1歳以上の子供に投与した結果、副作用はまれで軽微と報告された。
2004年6月、日本の厚生労働省は「医薬品・医療用具等安全性情報No.2022.重要な副作用等に関する情報【3】リン酸オセルタミビル」に(重大な副作用)「精神・神経症状:精神・神経症状(意識障害,異常行動,せん妄,幻覚,妄想,痙攣等)があらわれることがあるので,異常が認められた場合には投与を中止し,観察を十分に行い,症状に応じて適切な処置を行うこと。」を追加した。
2005年1月の研究(参考文献2)で、1歳未満の子供に投与した結果が報告された。
2005年11月、オセルタミビルとの関連を否定できない事例として、オセルタミビルを服用していた2人の患者が異常行動の結果事故死したことが報道された。しかし一方で、インフルエンザの症状で意識障害が起こることもあり、また専門家によるとオセルタミビルが原因ではないとの見解も出ている。つまりは、明確に副作用を否定する証拠も肯定する証拠もないのが現状である。
11月17日、米食品医薬品局 (FDA) は、インフルエンザ治療薬「タミフル」を服用した日本の小児患者12人が死亡したと公表した。4人が突然死、4人が心肺停止でそれぞれ死亡、意識障害、肺炎、窒息、急性膵炎(すいえん)により4人が死亡。他国の死亡例はない。また、皮膚超過敏症が十二件、幻覚、異常行動などの精神神経病的な症状が32件、世界で報告されたが、ほとんどが日本であった。FDAは、「タミフル」との因果関係の特定は困難としている。
11月18日、日本の厚生労働省は、日本国内の死者数について13人と把握していることを明らかにした。FDAは、「タミフル」が米国で認可された2004年3月から2005年4月までに安全性に関する調査を全世界で行ってきた。その結果を公表し、「タミフル」の副作用に関する監視を二年間継続する方針を明らかにした。

つまり、因果関係は不明確だが、その服用者のうち、小児患者12人が死亡(4人が突然死、4人が心肺停止でそれぞれ死亡、意識障害、肺炎、窒息、急性膵炎(すいえん)により4人が死亡)。皮膚超過敏症が十二件、幻覚、異常行動などの精神神経病的な症状が32件が、報告され、現在もFDAが監視を二年間継続する方針を明らかにした薬なのである。

因果関係が不明確だということは、因果関係がないということを言っているわけではないので、それなりのリスクを伴うと考えるのが普通。

それにもかかわらず、この薬は、2000年には厚生省の認可をうけ、日本での使用量は、世界の75%を占めているのである。二位の米国と比較すると子供への投与は、約13倍である。しかも、他国での死亡例はないし、発症例も殆ど日本。

これらの数値を考えれば、日本では、危険な副作用との関係性が明確になっていないのに、毎年、世界レベルから観れば必要以上に大量に、使用している...特に抵抗力の弱い子供に対して...と判断するほうが適切な気がするのだが...どうだろう?

自分の子供がインフルエンザにかかった場合、俺個人としては、タミフル以外の選択肢をまず聞くと思うし、出来るだけ使用しないで済む方法を追求すると思うし、それが正常な感覚ではないか?

元々タミフルを開発したのは、アメリカのラムズフェルド元国防長官が元会長であった会社(ギリアド・サイエンシズ社)というのも、(これは全く根拠はないけど)何となく胡散臭い感じがする。あくまで根拠はないけど...

人権メタボリック症候群って何のこっちゃ

課題というか、問題というか、とにかく解決すべきことは幾つもあるのだが、即効性のある施策やダイレクトな解決策は全く見当たらない...という状況が続いており、花粉症的症状の悪化が追い討ちをかけ、かなりヘコミ気味である。

ブログを読み返すと、過去から定期的に、俺はヘコンでいるようである。(軽度の躁病ではないかと懸念していたが、そんなこともなさそうなので、ちょっと安心。人並みには、へこんでいるようだ)

で、そういうブログをみると、必ず「こういう時は、ジタバタせずに、何もせずに、状況を冷静に把握するほうがいい」と書いてあるので、ビックリする。つまり、そういう時は、ジタバタしたくなる欲望に駆られるんでしょうね。勿論、今回も動かざるごと山の如しで、対応したいと思っております。

さて、動かざること山の如し...なんて言っていると、運動不足で、例のメタボリックシンドロームが気になるお年頃である。

「どんなに栄養があっても、毎日バターばかり食べていればメタボリックシンドロームになる。人権は大切だが、尊重しすぎたら、日本社会は人権メタボリック症候群になる」

これは、「文明」という誠に素晴らしいファーストネームをもつ、文科相の最近の余り「文明」的とも思えぬ発言である。

まず、思うに人権というのは、尊重し「過ぎる」なんてことがあるものなんだろうか?「加害者の人権だけでなく被害者の人権も守られるべきだ」というような状況を想定していると思うのだが、そういう場合でも「被害者と加害者の人権は守られるべきだ」という風に理解すべきであって、「加害者の人権を尊重しすぎるな」という話ではないと思うのだが...。

また、メタボリックシンドロームは、当然のことながら(と思うのだが)、人権に関する議論を表現する暗喩としては、誠に不適切だと思う。

恐らく、産む機械発言にしても、この人権メタボリック症候群発言にしても、本人は、どこが悪いのか判らない...と感じているのではと推察する。こういう一般的な感覚からは、余り共感を覚えない言語感覚を有する人が、大臣として相応しいのかどうかについては、かなり疑問を感じる...今日この頃な~のだ。

2007年03月03日

卒業式

卒業...なんと切ない言葉でしょう。

尾崎豊が、「この支配からの卒業」と叫び、ユーミンが「卒業写真のあの人は、優しい目をしてた」と歌い、斉藤由貴が、「卒業式で泣かないと、冷たい人と言われそう」って囁く、卒業は何と言っても、期待と哀しみ、出会いと別れ、終りと始まりが交錯する、一大イベントなのである。

本日は、娘の卒業式に出席。自分以外の卒業式に出席したことがなかったので、余りイメージが沸かなかった。
何となく、各地で行われる成人式とイメージをダブらせていたりして。つまり、覇気のない若者が、ダラダラする、しまりのない感じで式が行われるのではないかと。

実際には、非常にお行儀がよく、起立・礼・着席、返事、身のこなし...全てにきびきびと行われ、愛想もよく、時間通り始まり、時間通り終る~その間に、笑いあり涙ありハプニングありと、非常に面白く観た。

で、一点気になったベーシックなことが、実はこの若者達の、「まとまった感」。

非常に礼儀正しく、集団にもフィットし、有名大学への進学も果たしている彼らは、卒業文集などでも、教師への感謝、親への感謝を、真剣に述べている。そして、多くの友人がいて、いつも辛く悲しいときは支えてくれる、かけがえのない仲間である。また、このクラスは最高で、高校も最高で、皆卒業しても、会いたいね...など縷々綴っているわけである。何故か、皆満足感に満ちている。

俺だけなのかもしれないが、これ位の年齢の頃、エネルギーは有り余っているのだが、その方向性がわからない。常に、not satisfiedの状態で、イライラしている感じだったような気がする。「教師への感謝、親への感謝、かけがえのない友人」なんて、嘘っぽくて言えるか、そんなこと...という一種アナーキーなオーラが漲っていた様な記憶がある。

何か、非常にステレオタイプな卒業式というモデルを、ソツなくこなしてみました...というライト感覚というか奥行きのなさを感じてしょうがなかったのだが、ひねくれているのでしょうか?


ジャイロボールは魔球か?

俺は、息子とコミックスを、娘とCDを共用している。

流石にDNAが同じだけあって、趣味嗜好も似通ってくるわけだが、本日ワンピースの最新刊を買って、親子で、感動してしまった。泣かせるぜ。

また、最近はメジャーという漫画を、親子で気に入っていて、茂野吾郎のジャイロボールにしびれている。ジャイロボールといえば、最近、松坂が投げる魔球として、米国で話題になっているということだが...

ジャイロボール フレッシュアイウィキペディア 前略 フォーシームジャイロ 対称ジャイロとも呼ぶ。一般的な直球(フォーシームファストボール)に近いボールの握りで放たれたもので、かつ打者側から見た時に、ボールが対称面を向けて前進する(ボール正面の縫い目等の模様が対称形)。螺旋回転で前進するため、一般的な直球に比べて空気抵抗が少なく、リリースから捕手が捕球するまでの、初速と終速の差(空気抵抗による減速の程度)が非常に少ない。 中略 ボールが浮き上がるような錯覚が生じると説明されることもあるが、実際はマグヌス力(揚力、ボールを上に持ち上げる力)が働かないので落ちるボールとなり、決してホップはしない。実験でも、マウンドからホームベースの距離(18.44m)で、一般的な直球よりも20cm程度落ちている。

ツーシームジャイロ
非対称ジャイロとも呼ぶ。ツーシームファストボールに近いボールの握りで放たれ、かつボールが非対称面を向けて前進する(ボール正面の縫い目等の模様が非対称)。一般的な直球と同程度の空気抵抗を受け、しかもマグヌス力が働かないため、直球に比べてホームベースへの到達時間が大幅に遅れ、打者に対して待てども待てどもボールが来ない印象を与える。
中略

主なジャイロボーラー
川尻哲郎 - 書籍『魔球の正体』内で、映像分析によりツーシームジャイロを投げていたと断定
渡辺俊介 - カーブがツーシームジャイロであると言われている丹羽政善 「Eye of the Beat Writer」Vol.34。
松坂大輔 - 縦スライダーの高速撮影映像を解析した結果、打者から見て反時計回り(投手から見て時計回り)に回転しており、ジャイロ軸が傾いたものと分析されている溝田武人「スポーツボールの流体力学」浅野純也「松坂投手の投球の秘密を解析――“Compaq Forum 2000”から」。
ペドロ・マルティネス - フォーシームジャイロを偶然投げていたのでは、と手塚氏が考えている投手LEE JENKINS「The Japanese Gyroball Mystery」 (February 22, 2007)。

良く、伸びのある速球(初速と終速の差異が小さい為、球が速くなっているように感じる)というが、その正体は、このジャイロボールらしい。藤川球児やトム・シーバーの投げるライザーは、ジャイロボールの派生球で、回転軸が傾いた為ホップする。また、回転軸の傾きにより、スライダー、シュート、ドロップになるらしい。どうやったら、回転軸が傾くかは、不明。

投げるのは、非常に難しそうだ。「一連の投球動作にダブルスピン投法、スパイラルリリース、ジャイロリリースといった要素を含み、その独特の投球感覚を掴むことで初めて投げることが可能」だそうだ。

ということで、ジャイロボールは、従来のボールの握りに依存する変化球とは、全く違う性質のものであるのと同時に、非常にわかり難い。大体ジャイロボールの主要素である「螺旋回転」を、肉眼で判断することなどできないし、フォーク、シュート、スライダーと同じ変化をすることもあるのだから。

本人が無意識に投げている(かもしれない)ジャイロボールを、変化球と位置づけるのは、難しい。松坂にしても、ジャイロボールといわれているものは高速スライダーなのかもしれない。

ただ、不可解な位過剰なものを、「魔」と表現するのは、適切だろうし、そういったものが、多くの人を驚かせたり、感動させたりするに違いない。不可解な位、過剰なる螺旋回転をするボールを「魔球」と読んでも、それはそれで差し支えないと思う。

明日は、松坂が登板。楽しみだ。

2007年03月02日

地球外知的生命体の存在

地球外にも、知的生命体が存在することは当然だと思う。

我々も地球人という、宇宙人なわけだから、当然広い宇宙の中には同様な星もあると考えるのが妥当。
我々の住む銀河系の中で、コンタクトが可能な地球外知的生命体の数を推定するドレイクの方程式というものもあって、以下の式で表される。

N = {R}_{*} \times {f}_{p} \times {n}_{e} \times {f}_{l} \times {f}_{i} \times {f}_{c} \timesL ...まあ、こうなると数学が得意とか苦手とか言うレベルではなくて、さっぱりトンチンカンであるが...

宇宙人の先進技術で気候変動阻止?=カナダ元国防相 (AFP=時事) 01日04時50分

【オタワ28日】地球の気候変動を食い止めるため、宇宙人の先進テクノロジーを利用すべきだ―。28日付のカナダ紙オタワ・シティズンは、同国のポール・ヘリヤー元国防相(83)がこんな見解を示したと伝えた。
 同紙によれば、ヘリヤー氏は「宇宙人の乗り物は途方もない遠くから地球に飛来したと思われる。先進的な推進システムを装備あるいは特別な燃料を使用しているに違いない。そうしたテクノロジーは人類に対し、化石燃料の代替物を提示するかもしれない」と述べ、「化石燃料を燃やすことを一世代以内に終わらせ、この惑星を救う手段となり得る(宇宙人の)テクノロジーがあるのか知りたい」と語った。
 その上でヘリヤー氏は、1947年に米ニューメキシコ州ロズウェルで起きたとされる未確認飛行物体(UFO)墜落事件を挙げ、世界中の国々の政府に対して、同事件で知り得た宇宙人のテクノロジーを公開し、利用するよう訴えた。
 以下略
All Rights Reserved フランス通信(AFP)/時事通信社

宇宙人が存在するといってもなあ...。

以前オズマ計画という、地球外知的生命探査のプロジェクトで、地球から近いものとして2つの恒星(くじら座タウ星およびエリダヌス座エプシロン星)を調査したが、何と!!ともに10.5光年彼方。

これらの星に電波望遠鏡を向け、1420MHzの電波(宇宙でもっとも多く存在する水素の出す電波)で地球に向けて呼びかけの信号が送られていないかどうかを調べたが、文明の痕跡とみなされる信号は得られなかった。

ということは、10.5光年よりも遠い、遠い星には、居るのだろうが、テクノロジーを活用するといっても、どうすればいいのか?

確かに、UFOは、「先進的な推進システムを装備あるいは特別な燃料を使用している」に違いないけど、UFOが本当に宇宙からの飛来物だったらという仮定が正しければね...という話なのでは?

日本でUFOというと、矢追純一(俺の子供の時は、まだ日本テレビの社員だったが、当時から第一人者だった)か???という感じで、少しいかがわしげな雰囲気がするのだが、このカナダの元国務相も、ジミー・カーターもロナルド・レーガンも、UFOについて、オフィシャルに肯定したコメントを出している。

「ロズウェル事件」で知りえた宇宙人のテクノロジーを、公開せよという主張なのだが、そもそもこの「ロズウェル事件」の真偽も不明のはずだから、俺には、とっても踏み込んだ(どこに踏み込んだかは不明だが)発言のような気がする。

ポール爺さんは、突然何を言い出すねん?というのが、カナダ国内の反響なんだろうか?それとも、国民の多くが賛成して、「そうだ、宇宙人のテクノロジーを利用するんだ!!」と思っているのだろうか?

国によって、このトピックについては受け取る感覚は、かなり違うようだ。

安倍首相が、いきなり記者会見で、「地球温暖化防止と美しい国を作るために、宇宙人のテクノロジーを使うことを検討してまいります。」とかコメントしたら、全国民、途方にくれて気まずい沈黙が続きそうな気がする。