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2007年01月31日

変わらないこと、未完成なこと

hiroのシングルコレクションを聴いて、複雑な気持ちになった。

ソロになった15歳から現在に至るまでのシングルを集めたアルバムなのであるが、聴いていると、年を重ねる毎に凄くうまくなっているのがわかる。特に、高音が、とても自然に、ファルセットへと流れるようになり、しっとりとしたバラードもさらっと歌ってしまう。でも。。。

荒削りな地声で、ピンと張り詰めた高音が、脳味噌を破壊する感じが、実はとっても好きだったわけで、こんなに上手に滑らかに歌われると少し悲しくなる。洗練されていく事は、確かに素晴らしいことだが、変化することなく未完成であり続けることもいいのではないか...と言いたいわけです。ファンの我儘ですが...。

どうやら、俺は、変わらないものに、強く惹かれる傾向があるようだ...

ノリ、NOMOクラブでキャンプイン スポーツ報知 NOMOベースボールクラブに練習参加することになった中村  野茂がノリに救いの手を差し伸べた。前オリックスの中村紀洋内野手(33)が29日、前米大リーグ・ホワイトソックス・野茂英雄投手(38)が理事長を務める社会人野球のNOMOベースボールクラブで“キャンプイン”することになった。この日、同クラブ・鈴木俊雄ヘッドコーチ(41)が、大阪・堺市の堺浜野球場での自主トレを視察。中村本人は練習参加を希望しているが、クラブとして歓迎の意向を明かした。(以下略)

こういう無骨な優しさ、いつまでたっても、愚直にストレートにこだわるピッチング、喜怒哀楽を表さず、打たれても抑えても黙々と全力を尽くす、私財を投じて社会人チーム、マイナーチームの運営をし、チャンスに恵まれなかった若者に機会を与え続けている行動力...本当に一貫して変わらない姿勢がとてもとても美しく思える。

「永遠の未完成」~野茂英雄が、メジャーの先発マウンドで、再び渾身のジャイロボールを投げ込む日が来ることを、信じて待っております。

2007年01月29日

女性を「子供を産む機械」呼ばわりする感性

人間を、~マシンなどと機械に例えるときがある。

例えば、イチローを安打製造機なんていう感じですね。で、この表現の中には、機械は、血も涙もない、とにかく、感情なく、あるタスクを処理し続ける...というネガティブなニュアンスがあったりする。

かく言う私めも、以前予算達成マシンなどと、言われているということを、人伝てにお聞きして、非常に傷ついたことがある。「ぼ、ぼくだって、赤い血が流れている人間なんだ。おけらだって、カエルだって、ツボカビ菌だって、みんな、みんな生きているんだ。千の風になって...」と、悲しみの余り叫んだものだ。

で、柳沢発言「女性は子どもを産む機械、装置の数はきまっているから、あとは1人頭で頑張ってもらうしかない」

まず、「がんばって子供を産め」というのが少子化対策か? 子供を産むのは、各女性の個人的幸福についての重要な決断である。問題の核心は、子供を作ることに躊躇の気持ちを引き起こす社会的環境である。 まず、この発言の本来の趣旨そのものにも、インテリジェンスを疑ってしまう。

次に、上述の例にあるように、人間をマシンに例えるときは、何らかの蔑視,偏見、差別などの歪曲した感情が含まれている。後で謝罪しているらしいが、こういう発言をしてしまう感性に、厚生労働大臣に相応しい人物か?という議論以前の、健全な社会人か?という強い疑念を感じる。

つまり、少子化問題の核心についての理解を欠き、生命の誕生、成長、健康などを取り扱うには、品性が欠けている...と断定してもいいのではないか?

単なる言い間違いとか、そういうレベルではないだろう?女性を子供を産む機械呼ばわりする感性は。

婆さんを頂点とする、ソリッドな女系家族で育った俺からすると、「命知らず」としか思えない不穏当な発言だ。

2007年01月28日

小説を書いてみました

毎日ブログを書き始めて一年。ビジネス文書以外で、何かを書くということは、小学校の作文以来で、これ自体かなり恥ずかしいのに、昨年末、二週間で小説を書く...というような新書を読み、何故か突然、俺も書けるのではないか...と思ってしまった。

年が明け、よし書こう...と思って,3日間(合計5時間くらいかな)で、本当に書き上げてしまった。すごーい!!

「二週間で小説を...」みたいな本を読んだのだが、若干謙虚さに欠ける俺は、結局一切参照することなく、提案書を書くノリでどんどん前進。

書きたいことを決めて、その為の大きな流れを作る、エピソードはバラバラに作成して、最後にはめ込む~つまりパーツをばらばらに作成した後、過去、現実、感情、シンボルなどを、最も効果的(と俺には思えるように)に配置して、最後チューンナップしておしまい。

小説の2BY4住宅みたいな感じなので、あれよあれよという間に、400字詰め原稿用紙で、30枚弱くらいの短編小説が出来上がった。何と素晴らしい。

マーメイドに見せたところ...
・言いたい事は判るが、感動できない
・背景の書き込みが不足していて、粗筋を読んでいるみたいだ
・時代小説なのに、何故タイトルが英語?しかもアルファベット表記か?

などと辛辣なコメントを1万2千くらい頂いた。原稿を友人に送付して、感想を求めたのだが、その行為自体が、神をも恐れぬ恥知らずな行為であるということで、俺の人格問題にすら、家庭内では発展しつつある。

で、人格問題を恐れずに言うと、小説を書くことは、俺に向いている、というか必要である...と大胆にも思ってしまったのである

それは、小説という形式で書きたいことがある~正確にいうと、俺が、敬愛する歴史上の人物で小説化されていない、もしくは不充分な取り上げられ方であるケースが、非常に多いから。

つまり、潜在的な内的ニーズに書きながら気付いてしまったわけだ。とっても、アーティストっぽいなあ、俺。

だからと言って、自分で書こうとするのは、極めて無謀な話しではあるが...今のところ、誰にも迷惑をかけていないので、いいじゃないの...と開き直っております。

2007年01月26日

不二家を君は笑えるのか?

不二家が思いっきり叩かれている。

最近判明した事象だけでも...

・大腸菌の泉佐野工場自主回収基準が、本社より10倍緩かった
・期限切れ原材料の洋菓子の出荷数が、何と25万個だった
・大腸菌検査陽性でも出荷OK
・泉佐野工場で、期限義理原材料の使用した事例が新たに21件発覚
・チョコ菓子に蛾の死体が混入していたが放置

本当に、酷い話である。でも、ちょっと待った。

皆さん、特に、産業を問わず、日本の古い大企業の皆さん、本当に不二家のことを嘲笑することができますか?

上述した夫々の事象に関し、勿論社内でも多くの人間が知っていただろうし、知っていた人は、一般常識に著しく欠けていない限り、まずいと思った筈である。そして、日本の大企業に勤めている人間は、皆それなりの高等教育機関において、卒業証書を授与された人ばかりなのである。「狼に育てられたので、チョコに蛾の死体が混入しても問題ないと判断してしまいました」などという、涙を誘うヘビーな身の上話しをする者などいないはずである。

こういう問題が起こると、チェック体制の徹底がされていなかった...とかいうが、そういう次元の問題なのであろうか?

つまり、まともな判断能力がある人が、適切な処置をすることを回避してしまう環境、適切な処置をしようとすると、不適切な処遇を受ける環境...があるのではないか?と思うわけである。

入社して間もない若手が、このような状況をみて風穴を開けようとすると、「お前も、大人になれよ」「そんなことをすると、怪我人がでるだろう」などと、上司に飲み屋で諭されてしまうような環境...えらくリアルだが...あるのではないか?と思うのである。

そして、多くの古い組織にこういう因習は蔓延る傾向にある。

再び、問いたい。産業を問わず、日本の古い大企業の皆さん、本当に不二家のことを嘲笑することができますか? そうか、出来るのか...それはご立派。


2007年01月25日

そのまんま東は、そのまんま行け

東国原氏が圧勝して、宮崎県知事となった。

この知事戦について、幾つかの視点があると思う。その中で、俺が特に興味を覚えるのは次の二点。

1.何故、圧勝したのか?
2.彼は、成功するのか?

彼に選挙戦での勝利をもたらした要素としては、勿論彼の真剣な姿勢が評価を受けたという事。もう一つの要素としては、政治、行政に対する根強い不信感というものがあると思う。自民党が、小泉人気で盛り上がった支持率を減らし、民主党がそれを吸収するに至らないので、ぽっかり大きな無党派層が出現している。官製談合事件に代表される不祥事により、地方行政に対する住民の不信感はピークに達している。

無党派層でかつ既成の政治・行政に対する不信感をもつ多くの有権者が求めたのは、非常にシンプルな価値だったのでは?正直、誠実、情熱...書いても、口に出しても恥ずかしくなるような、普通のことを体現する候補が、華やかな芸能活動を止め、勝算の殆どなさそうな選挙にでるべく、故郷に戻ってきた東国原氏だった...!?

政治家になるには、クリアーすべき前提条件がある。真摯な姿勢で、学び、問題を解決するために行動する、骨身を惜しまず、報酬を求めず...。この前提(最低)条件をクリアーしていない政治家ばかり我々は見過ぎてしまったようだ。

では、東国原氏は成功するのか?それは、わからない。「政治のプロ」というものに、皆吐き気を覚えている。だから、そのまんまやればいい...とは思う。

宮崎・東国原知事、総務部のレクチャーで質問攻勢2007年01月25日21時17分 朝日新聞  宮崎県の東国原(ひがしこくばる)英夫(そのまんま東)知事が県業務の「お勉強」を続けている。25日午後に県庁で、総務部から説明を受けた。「前知事より質問が多い」と同席した職員。各部の説明は初登庁の23日に始まり、来週までかかる予定だ。  総務部長が県の防災救急ヘリにふれると、作業着姿の知事は24日に鳥インフルエンザの疑いが発生した日向市への現場視察を挙げ、言葉をはさんだ。「往復5時間かかった。ああいう場合使えないのか」 「可能です」の答えに「知らなかった。誰も言ってくれなかった」。ヘリが補修中だったと聞いても「災害の時はどうするのか」と突っ込んだ。「行政経験のなさを補おうとする一生懸命さが伝わってきた」とある職員...以下略

よし、そのまんま行け!!

2007年01月24日

歌舞伎といってもグレートカブキではない

日曜に、歌舞伎を観にいった。

演目は、
松竹梅(しょうちくばい)の踊り
平家女護島 俊寛(しゅんかん)
          俊寛僧都  吉右衛門
          海女千鳥  福 助
          丹波少将成経  東 蔵
          平判官康頼  歌 昇
歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
           武蔵坊弁慶  幸四郎
           富樫左衛門  梅 玉
           源義経  芝 翫
六歌仙容彩 喜撰(きせん)
            喜撰法師  勘三郎
            祇園お梶  玉三郎
ということで、大変豪華であった。(実は、みている途中から、今思えば、熱があったようで、結局月、火曜日と会社を休んでしまう破目になってしまった...という締まらない話)

歌舞伎というと、物凄く難しいもので、面白くないのではないか...と思う人もいると思うが、全然そんなことはなくて、最低限の日本史の知識(未履修の人は、無理かもしれない)があれば、別に解説テープがなくても、充分理解できるし、楽しい。

流刑になった俊寛が、島の高台まで、転げまろげつ、登りきり、遠ざかっていく舟を黙って見つめるシーンなど、涙なくしては、見ることは出来ない。

動と静のコントラストが、素晴らしく、上述、俊寛役の吉右衛門などは、最後の数分間は、ただじっと虚空を見つめるのみ。静寂の中、観客の視線は吉右衛門に集中し、濃密で張り詰めた異空間が出現するのであった。

動といえば、弁慶役、幸四郎の、本当にシャープで、素早い動き、メリハリのある台詞回しには、感動をした。ご存知のよう、この二人は兄弟なのだが、一体どういう育てられかたをすれば、こうなるのか、血脈、DNA、伝統...の凄味を感じる。

踊りは、俺自身全く、素養も知識もないので、しんどいかなあと思ったが、ことのほか楽しかった。特に、最後の、玉三郎と勘三郎の踊りには、本当に、一瞬も目を離すことが出来なかった。現代劇だろうが、テレビだろうが、何でもOKの勘三郎は、踊っても、粋で格好がいい。

女形の人は沢山いるし、この公演でも,沢山登場したが,必ずしも綺麗ではないし、全然綺麗でない場合も...。しかし、玉三郎だけは、全く違うレベルの美しさである。しなやかなのに、凛とした強さ、艶かしいのに上品、艶やかなのに儚げ...。異次元から登場という感じで、発熱したのは、一重に玉三郎のせいだと思う。

ということで、歌舞伎なんか面白くない...と思っている、そこのあなた、一度観にいくべし。B席であれば、お尻は痛いが、3千円、5千円で、3時間以上タイムスリップ(玉三郎の場合は、Dimensional Slipもできます)できます。本当に、お尻は痛いけど。

2007年01月22日

「グーグルの衝撃」よりも...

最近思うのは、TVの我々に与える影響は、極めて強いということである。

新聞をとっている人の、8割以上はTV番組欄をみている。ブログのかなりの割合は、TVを見ての感想。検索数の増減に、関連性の最も高いファクターの一つはTVで取り上げられたかどうか...

そのまんま東氏が、宮崎県知事に選出されたが、彼の勝利の要因として、保守分裂の影響とともに、TV出演による知名度の高さは否定できないであろう。TVに出演しているのは、政治家としてではなく、コメディアンとしてではあるが、親しみを与えるという効果は絶大に違いない。

NHKで本日、「グーグル革命の衝撃」という番組があった。恐らくある年代以上の人間にとっては、グーグルって一体何よ?という感じで、この番組で初めてグーグルを知った人も多いと思われる。また、通常、NHKについては、納豆ダイエットデータを捏造するようなことがなく、非常に信頼性が高く、客観性のある報道を行う...というポジティブな印象があるに違いない。

この取材は、普段取材拒否であるグーグルが、NHKに例外的にOKをだして行われたものらしい。見てみると、グーグルが取材にGOサインをだした理由がよくわかった。

全体のトーンは、インターネット=グーグル、検索=グーグル、検索KW連動広告=グーグルという図式で、描かれている。つまり、ネットがもたらした社会的効果を、グーグルがもたらしたというイメージにすり替えている傾向が強く、非常に、正確さや客観性を欠くものであったような気がするのだが...。

TVの有する他メディアや社会に対する効果という観点からみると、グーグルに対する日本における知名度、イメージは、この放送後、特に40代以上を中心に大きく変わったと思う。明日、多くの会社で、白髪交じりの部長さんが、グーグルの衝撃をネタに、訓示をするに違いない。

2007年01月20日

グーグルアースは、魔法の杖か?悪魔の道具か?

最初、飛行機を発明したときは、まさか爆弾を空から落とすために利用するとは思わなかっただろう。

自動車を、発明した時も、砲身と小銃をとりつけて戦車にするだろうと思わなかっただろう。核融合理論の発見の際には、原子爆弾を作る意図など全くなかったに違いない。

でも、グーグルアースがリリースされたとき、必ず悪用するに違いないと思った人は多かったのではないか?

グーグルと英軍、テロリストによるGoogle Earthの利用について協議 文:Elinor Mills(CNET News.com) 翻訳校正:編集部

2007/01/18 11:04
 Google Earthの航空写真を利用したテロリストがバスラの英軍基地をピンポイント攻撃したという証拠が発見されたことを受け、Googleがイラクの軍当局と話し合いを続けていると英国Daily Telegraphが伝えている。

 Daily Telegraphのサイトに掲載された記事によると、制圧したテロリスト宅で押収した書類の中にGoogle Earthから取り出した画像のプリントアウトがあり、建物、テント、便所、軽装甲車両などが写っていたという。ある画像の裏には、Staffordshire Regimentの兵士1000人が配置されたShatt Al Arab Hotelの正確な緯度と経度が書き込まれていた、と記事は述べている...以下略

英軍の見解では、テロリストは、テントなど防御の弱い場所を特定するためにGoogle Earthを利用している...らしい。Basra Palace基地を拠点とするRoyal Green Jacketsの兵士たちは、Google Earthの航空写真を利用した攻撃によって負傷者が出た場合、Googleの告訴を検討するだろうと話した...とのこと。

世界中の至るところの衛星画像が、タブーなしに誰でも閲覧でき、またピンポイントで拡大できたりすることは、凄いことだとは思う。ただ、技術の使用は、それがもたらす社会的なプラスとマイナスで判断されるべきであり、もし社会的にデメリットが大きければ、即刻停止すべきと考える。

グーグルの画像は、2ヶ月前のものらしいので、軍事的には余り重要でないという見解もある。しかし、いつ何処から狙ってくるかわからないテロリスト、窃盗団などの輩に対して、2ヶ月よりも短いスパンで、防御体制を変更しなくてはならないということだろう。

グーグルのスポークスマン曰く、「良い利用方法も悪い利用方法もある」とのことだが、テクノロジーが魔法の杖になる場合もあれば悪魔の道具にもなるというこれまでの歴史に対して、余りにも留意を欠くものに思える。



2007年01月19日

正邪の倒錯:フセイン元大統領の処刑映像について

ここ2~3年で、自分の内的に大きな変化が起こっているのを感じる。

簡単に言うと、激しい感情や衝動というようなものが起こらない。起こったとしても、特にネガティブな感情については、数時間ももたない。最長で一晩立つと、大体「大したことないわ」という感じ。

以前の俺は、相手の欠点を、錐で突くようなことはするは、上司を皆の前で、やり込めたり、怒りや溢れる感情を抑えきれず、窓ガラスが震えるくらい怒鳴ったりしていて、「抜き身の刀」と当時の上司にいわれたこともある。(何処を掴んでも怪我をする...という意味らしい)

そういう意味では、まるで別人で、元同僚から、「何か、凄く丸くなりましたねえ...」とシミジミいわれたりして。

好悪の激しい感情や憎しみって一体どうして生まれるものなのか、今となっては良く分からないし、そういう感情が継続しうるメカニズム自体が、さっぱり理解できない。

先日のフセイン元大統領の処刑映像をみて、そこに渦巻く憎悪の巨大なエネルギーに、見てはいけないものをみたような気がして、思わず目をそむけた。

刑の執行側は、皆スンニー派からの復讐を恐れ黒い覆面をつけ、「地獄に堕ちろ」とフセインを罵倒する。まるで、執行側がテロリストかカルトのようだ。しかも、スンニー派の犠牲祭という聖なる日を選んでわざわざ処刑は行われた。

通常、イラクでの死刑執行は斬首であるにもかかわらず、苦痛を長く与える為に、わざわざ絞首刑が選ばれた。

そして、前述の罵倒。

フードを拒否し、「アッラーのほかに神はなし」と唱え、罵倒する立会人に「この雑魚ども」と不敵に言い放ち、毅然たる態度で刑に服した独裁者のほうが、執行者よりも、美しい殉教者のように見えた。

我々は、フセイン元大統領が、シーア派住民148人を虐殺したことを、クルド人居住区で化学兵器を使用し5000人を虐殺したことを、蜂起したシーア派10万住民を殲滅した疑いがあることを知っている。

そういう意味では、彼は、罪に服すべき血まみれの独裁者であることには間違いがないであろうし、彼が統治していたイラクも、民主国家とは言い難いのであろう。

余りにも激しく、余りにも巨大な怒りと憎しみのエネルギーにより、色々な事実や価値感も吹き飛び、何が正義で何が悪なのか、誰が殉教者で誰が殺人者なのか、何もわからない倒錯した歪んだ世界が創られている。

何世代にもわたる戦いの歴史、憎しみの連鎖...安全地帯で流出映像をみている平和ボケした極東の島国の住民には、何もかもが圧倒的で、ただ言葉を失うのみである。

2007年01月16日

オオウロコフウチョウに悲しい男の性をみた

男の悲しい性として、可愛い女の子の気を惹きたいという欲望がある。

わざと冷たくしたり、無愛想だったり、変に下手にでたり、自慢をしたり...などこの目論見が失敗するパターンは、俺の個人的研究でも、2万3千通りはある。(数百万通りあるという説もある)

また、同様なパターンとして、好きな女の子が、複数名いた場合、一人にフォーカスをすると、成功率が低くなるのではないかと思い、全員にいい顔をすると、あれあれ不思議、全部駄目という悲惨な失敗に陥るのである。まあ、全員と成功してしまうのも、近未来的にはもっと悲惨な目にあう確率が高いのだが...

先日、テレビでゴクラクチョウの一種である、オオウロコフウチョウの求愛ダンスをみていて、男は、好きな女の子に好かれる為には何でもやる...という誠に愚かな生き物であることを、再確認したのであった。

オオウロコフウチョウのオスは、漆黒のからだと、胸に青く光沢を放つ飾り羽根を持つ美しい鳥である。

彼は、まず大きく伸び上がり、その後翼を目一杯横に広げて、一旦停止をして、見得をきる。一瞬の静寂を切り裂くかのように、いきなり体のどこかから、チャッチャッチャッと軽妙なリズム音をだしながら、そのリズムに合わせて、前後に翼を動かす。その後は、激しく翼を上下に振るは、首も、翼も左右に目茶振りするは...で、乱舞、乱舞、乱舞。

見得を切った後の静止状態から、狂ったように踊り狂う傾く様が、何というか本当に切実に必死な感じなのだが、この情熱的ダンスは、ただ一羽のメスの関心を惹く為のみに行われるのである。挙句の果てに、メスは、あっさり興味を失ってどこかに飛び去ったりする。体を丸め、しょんぼり立ちすくむオスの姿をみると、しみじみ男というのは、悲しい生き物だと思うのである。

オオウロコフウチョウの求愛ダンスを、嘲笑できる男が果たしているだろうか?いや、そんな奴はいない...と独り頷く俺様であった。


2007年01月15日

ペコちゃんが泣いている

俺は、古い日本の大企業に10年近く勤務していた。所謂エスタブリッシュメント企業の社員の方と話しをしてみると、この手の会社には、固有の特徴があるように思う。

一つの特徴として、不祥事が起こったときの言い訳として、組織の問題ではなく、個人の問題であると強弁するということがある。実態は、ほぼ確実に組織ぐるみで引き起こされている。また、これに関連すると、内部の不祥事に関して、警鐘を鳴らした人間は、冷や飯を食う...ということも、かなりの確率で起こる悲劇である。もう一ついえば、組織ぐるみの不祥事については、できるだけ責任のない個人に罪をなすりつけようとする傾向がある。つまり、社長よりヒラ社員、正社員よりパート社員。

日本の大企業では、重要な事柄が、ある一社員、一パート社員の一存で決定されることなどありえない。責任を分散すべく、駅伝宜しくタスキをつなぐように、印鑑リレーをして、最終的に、全員共犯者という状態まで持ち込むのが、組織的真骨頂なのである。よって、会社が、「パート社員などの個人の判断」などと、発表したら、
1)これは、根の深い、かなりヤバイ案件であること
2)勿論、上層部から末端まで全員グルであること...が容易に推測できる。

不二家社長が辞任を表明 期限切れ使用、新たに18件2007年01月15日21時29分朝日新聞

 大手菓子メーカー「不二家」(本社・東京)は15日、牛乳や卵など期限切れの原料を使用していた例が新たに18件あったなどとする同社の調査結果を発表した。これまではパート社員など「個人の判断」としていたが、上司が使用を指示したり、工場長ら幹部が事実を知りながら容認したりしたケースも判明、組織ぐるみの関与が浮き彫りになった。記者会見した藤井林太郎社長は「組織的と受け止められてもやむを得ない。会社の体質に重大な問題がある」と述べ、責任をとって近く辞任する意向を表明した...以下略

 


消費期限や賞味期限切れ原料を使っていたのはいずれも埼玉工場(埼玉県新座市)であるが、以下のような事実が明らかに...

1)過去7年間に乳製品、卵類、ジャムなど出荷回数で18件だった。このうち5件は1日の期限超過だったが、ほかは何日過ぎていたかわかっていない。2件については同工場の上司が使用を指示。

2)昨年10~11月に消費期限が1日切れた牛乳でシュークリーム計1万6000個を出荷したケースなどすでに判明しているものと合わせ、同工場での期限切れ原料使用は出荷回数で計30件。

3)プリンの消費期限を社内基準より1日長く表示していた問題では、これまで「数十個出荷」としていたが、04年から06年10月にかけて頻発していたこともわかった。出荷個数は不明。担当者から工場長まで「関係者全員」が事実を知りながら容認していた。

しかし何かデジャブを見る思いである~何度も何度も同じパターンで不祥事を起こし、同じパターンで隠ぺい工作を行い、追求されると簡単にボロが出て、社長が責任をとって辞任する~。

先日、お茶会を経験して、その所作の一種確立された様式美のようなものに感心したが、同種の物を感じる。勿論、日本の大企業において確立されているのは、様式化された醜悪さであるが...。


 

2007年01月13日

サムライ男登場!!

ヒーローは、いきなり現れる。

窮地に追い込まれ、絶望に目を伏せた時、颯爽と登場する。悪漢を、ぶちのめして、気付いたら、どこかに消えている。

ヒーローは、窮地にならないと出てこない。問題を未然に防ごうという気はないので、弊社のセキュリティポリシー等とは、異なるポリシーを持っている。

ヒーローは、一目でそれと分かる服装をしている。決して、青山のグレーのスーツに、紺のネクタイなどでは現れない。頭巾をかぶったり、覆面をしていたり、変身したり、赤いマフラーをしたり...と類型化は不可能だが、ヒーロー本人以外が着ると、かなり恥ずかしいコスチュームで登場する。

窮地の警官を刀で援護した英の「サムライ男」はどこへ 2007年01月13日06時57分  英北東部の町サウスシールズの警察当局が、警察官を襲った武装ギャングを刀で撃退した後、姿を消した「サムライ男」を捜している...

警察官2名が、民家の中から助けを求める女性の救出に当たったが、中にいた強盗団は計5人。強盗の1人がナイフで警官を突き刺そうとした時、サムライが現れて、強盗相手に快刀乱麻。
強盗団の3人は、無事逮捕されたが、「サムライ男」はこつぜんと姿を消したのであった...。

ヒーロー登場????...謎に満ちている...

刀は、日本刀なのか青龍刀なのかサーベルなのか?
アジア系人種なのか欧米系人種なのか?
服装は、サムライ系なのか怪傑ゾロ系なのか?
何か喋らなかったのか?(ヒーローなら、必殺技を出す前に、必殺技の名前を大きな声で事前申告するはず...理由はわからないが、そういうことになっている)
馬に乗っていたのか?
マントは?

そして、「サムライ男」、お前は、本当にヒーローなのか?続報を待つ!!


桜庭和志の悲しみ

大晦日、飲んで帰ってきて、テレビのスイッチをつけると、顔面を腫らした男が何かを叫んでいた。

言葉は聞き取れないが、アルコールで、混濁した意識に、突然彼のおおきな悲しみが突き刺さるような痛みを覚えた。

勝負事は、それがプロフェッショナルなものであれ、家族でやる花札であれ、勝たなくてはいけない。だから、ルールの範囲で出来る手は全て打つことが、参加者には求められる。ルールには、明文化されたものもあるし、暗黙のルールもある。所謂、常識に属するものもあるだろう。ルールを厳守するという、プレーヤー同士の信頼があって初めて、全ての勝負事が成立するし、お互い勝敗を越えてリスペクトできる。

彼にとって、総合格闘技のリングは、知力・体力を尽くして、勝利を目指す場所であり、また応援してくれるファンを楽しませる場でもある。彼の誇るべき神聖なる空間であったに違いない。例え、惨敗した試合後であっても、このプライドが故に、彼は、美しい敗者であり続けることができたのであろう。

でも、この日、彼は、悲しみと失意に満ちた叫びをあげつづけた。

秋山失格…“オイル疑惑”にクロ裁定

 マット界に“オイルショック”!!大みそかに京セラドーム大阪で開催され、TBS系の全国中継で民放首位の高視聴率を稼いだK-1系格闘技イベント「Dynamite!!」のメーン、秋山成勲(31)=フリー=-桜庭和志(37)=フリー=戦について、大会を主催したFEGが11日、都内で会見。禁止されているクリームを全身に塗っていた秋山を「失格」とし、ファイトマネーを全額没収する厳罰を下した。秋山の勝利は取り消され、ノーコンテスト(無効試合)となった...。<中略>
 
 それでも怒りが収まらない桜庭は「処分内容には納得していない」とのコメントを発表。秋山に対して「関係者、(セコンドの)清原選手、一緒に入場した子供たち、ファンの方に対して、謝れば済む問題ではないけど、謝って欲しい」と、猛省を促した...。<以下略>

秋山は、あらゆる塗布禁止のルールを破り、試合前全身に、スキンクリームを塗り、レフェリーチェックの際は、胴着を着ているためチェックを免れ、試合直前にいきなり胴着を脱ぎ、結果として、桜庭の片足タックルや関節技は、クリームがぬるぬるして滑るため無力化された。桜庭はレフェリーに試合中チェックを促したが、無視され、結果として100発以上のパンチを浴び、TKO負けの判定を受けた。

試合後、秋山は、「滑る」という桜庭サイドのクレームに関しては、「多汗症なので、汗で滑った」と弁明しながら、調査の結果クリーム塗布の事実をつきつけられると、これを一転して認めたが、「ルールを知らなかった。故意ではない」とコメント。また、グローブに関しても、右グローブが異様に大きく膨らんでおり、これについての疑念は、消えていない。

秋山は、桜庭にとって神聖な場所を汚し、主催者は、毅然たる処置を取らなかった(...と少なくとも桜庭は感じている) 

桜庭の悲しみは止まらない。

これまで、総合格闘技を一つの競技として確立させることに、多大なる貢献をし、ファンを誰よりも大切にしてきた、ピュアなファイターのプライドを、何故もっと大切にできないのだろう?

もう、あんな悲しいサクは見たくない。

2007年01月12日

静かに地元で考えたこと

皆様、突然ですが明けましておめでとう御座います。

今年は、ブログを毎日書くかどうかは決めていない。明日の朝一番の打ち合わせ資料を用意すると、既に午前4時。寝ればいいところだが、習慣とは恐ろしいもので、駄文を書いている。

とはいえ、年末年始は、ブログはおろか、PCを開くことすら殆どCan't。

原因は、明白で、脳みそがアルコール麻痺したため。

28日深夜に故郷に到着し、30日は法事。親戚と、料亭で昼間から日本酒をいただく。勿論、肴は、河豚づくしで、お刺身、てっちり、おじやと本場下関の河豚を堪能いたしました。さっぱりしていて、しゃきしゃきした河豚の薄作りを、もみじおろしでいただく。淡白で、元々無味無臭、癖のない魚だが、何故ここまで魅せられてしまうのか。本当に、河豚はミステリアスな魚である。締めのおじやが、また格別。
お猪口で飲んでいた筈なのに、気付いてみればコップで飲んでいた。

30日の夜は、大体、中学、高校の友人たちと飲むことが恒例。今回のハイライトは、関さばとヒラメの刺身で、非常に、非常に(以下50回繰り返し)美味。豪快に、それぞれ姿作りにしていただく。脂がのっているが、しつこくなく、やはり天然物は旨い。日本酒が進む、進む。

31日は、午後8時から、従兄弟家族と飲む。日本酒をちびちびやりながら、他愛のない話しをする。翌日は、午後4時から親戚が、15人くらい実家に集合して飲む。日本酒に、金粉を入れて飲んでみたが、御目出度いのではあるが、味は余り変わらない。カズノコ、イクラ、海老、白和えなどなどを肴に、子供の時の話しやらで盛り上がった。

3日は、中学~高校の友人宅で、お茶会。恥ずかしながら、全く作法を知らないのだが、奥様に、丁寧に教えていただきながらお茶をいただく。長い年月をかけて確立された所作は、無駄がなく美しく興味深い。流れるように所作をこなせたら、何て気持ちよいだろうと思う。
お茶会の後、友人行きつけの寿司屋へ。色々な話しをしながら、また飲んで食べる。穴子、中トロなどなど、好きな握りを次から次へといただく。この中で、感動したのは、鯨のベーコンの握りという奴で、このネタで握ってもらったのは、初めてだが、ことのほか旨い。適度な塩分と脂ののり方がジャストフィットで、大変おいしゅう御座いました。

というわけで、地元での年末年始は、魚と酒と楽しい会話に満ち満ちていて、本当に静かで平和。優しくて、思いやりがあって、無条件に僕のことを受け入れてくれる人たちに囲まれて、幸福でした。

2007年01月11日

塩崎官房長官には、ツッコめない

塩崎長官が、カタカナ連発で、報道陣から「欧米か!」とツッコまれているらしい。

彼の多用する用語としては、インテリジェンス、センシティブ、キックオフスピーカー、ウインウイン、フォーミュラ、エクスパティーズ、カウンターインテリジェンスなど。

う~ん、流石にひどい...と思うのだが、実は笑えなかったりする。外資系企業に勤めていたときは、やはり米国本社とのやり取りが多く、オフィスの中では、珍妙な日本語が飛び交っていたりしたのである。

「スペシフィックなディールにおいては、ウインウインゲームをコンストラクトできるよう、アグレッシブにチャレンジする」な~んて感じですかね。ここまで、悪質でなくても、外資系企業では、変な言葉遣いをする人が多い。

未だに、そういう癖が抜けきらないのか、オフィス内での会話で、思わずカタカナを使ってしまって、やばい...と思う事も度々。

俺個人の絶望的な語彙の不足によるところが大きいのだが、少し言い訳をすると、特にビジネス上の新語に、日本語がついていっていないということがある。例えば、アカウンタビリティは、「説明責任」という訳し方は、少しニュアンスが違うと思うし、コーポレイトガバナンスも企業統治といわれてもピンとこない。要は、概念は殆ど全てが、欧米発であり、こなれた日本語になるまで成熟していないので、カタカナをそのまま拝借しているという状況がある。

なんでもかんでも日本語でいえばいいのかというと、それも疑問。貸倒引当金過不足という勘定科目があるが、何を言っているのか、まるで意味不明である。Allowance-for-bad-debt excess and deficiencyの方が、判りやすかったりして...。

若年層の紙離れということが言われて久しいが、実際にはブログ、メールなど活字を読んだり打ったりすることは、飛躍的に増加している。その中で、どれだけ美しい日本語を書いたり、話したりすることに、留意が出来ているかというと、自分のことを考えても、非常に心もとない。ネット普及により、これまで以上にウェブ共通語として英語の重要性が増していくのは確かであろうが、何処まで行っても、母国語の語彙の豊かさを外国語が凌駕することはないということを肝に銘じる必要性を感じる。

かの官房長官は、ライス国務長官との会談に通訳なしで臨み、彼女から「彼は、英語を話していたようだ...」という有り難いコメントを頂いている。「塩崎君、まずキチンとした日本語をはなせるよう努力しようよ。俺も頑張るからさあ」というのが、正直なところかなあ。

2007年01月09日

「硫黄島からの手紙」のどこに感動できるのか~その2

実は、「硫黄島からの手紙」については、かなり興味をもっていて、「散るぞ悲しき」を読み、昔読んだ城山三郎の「硫黄島に死す」を引っ張り出してみたりした。(これは、バロン西が主人公)

これら作品で、濃厚なのは、栗林中将も、バロン西も、硫黄島の戦いで勝利を収める可能性は、ゼロであることを知っていたということ。また、これは資料に残っているわけではないので、あくまで推測の域をでないのであるが、彼らは共に、アメリカ生活が長く、親米派の烙印を押されており、その為生還が殆ど不可能な戦場に派遣されたということ。
追加して、
1)アメリカの国力を熟知しており、対米戦争には反対であった
2)非常にロジカルで、狂信的な大和魂信奉者ではなかった(幼年学校から陸軍というような経歴ではなく、栗林中将はジャーナリスト希望だった)
3)バロン西は、ロス五輪金メダリストであり、欧米社交界の花形であり、また栗林中将も多くの知己をアメリカにもっていたこと。鬼畜米英などという、人種差別的視点は全くない。

こんな中で、任務をはたすべく、部下を死地においやることについて、職業軍人としての責任と、人間としてあるべき姿に、深く悩み苦しんでいたことが、残された記録からは、窺える。

彼らが、それでも多くの死傷者をだしながら、有毒ガスと飲料水欠乏に苦しみながらも、島全体を地下要塞化したのは、硫黄島を死守することにより、米軍の本土への空襲を一日でも遅らせることであり(硫黄島の飛行場が使えないと米軍は直接日本本土に空爆できない)、また米軍に被害を与え、米国世論を停戦へと導きたいという強い思いからである。

そういう使命感から、部下に要塞構築の使役を課し、死においやり、また同様に米軍兵士を殺戮することに、専心していく。そこには、葛藤と畏れがあったにちがいない。

この「硫黄島からの手紙」がダメダメなのは、やたら戦闘シーンは詳細を極めるのに、栗林、バロン西という魅力的な人間の内面に対する描写が充分でないことである。

バロン西が、負傷した米軍兵士と話しをするシーン、この兵士の母親からの手紙を訳すシーン、最後に部下に対して、「自分が正義と思うことを為せ」と指示するシーン~いずれも、これを柱に組み立てればいいのに...と思える素晴らしいシーンはあった。しかし、全体のストーリーでは、火炎放射器で燃え上がる兵士、手榴弾で飛散する肉体...の中に埋もれてしまったのが、とても残念に思う。

栗林中将が、最後に大本営に打電した辞世の句、

国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

クリントイーストウッドは、この句に込められた心情を拾い上げることが、出来なかったのではないか...と思う。原因はわからないが...

最後に、二宮君と伊原君は、本当に素晴らしかった。渡辺謙の人物表現は類型化が過ぎると思うんだけどなあ。

2007年01月07日

「硫黄島からの手紙」のどこに感動できるのか?

「硫黄島からの手紙」を観に行った。

非常に前評判が高い映画だったのだが、正直な感想としては...。
一体この映画は、何のために製作された映画なのだろう。どこに感動するのだろう。

戦争が悲惨なことはいうまでもない。特に、この硫黄島の戦いは、第二次大戦の中でも激戦で知られていて、実際生き地獄のような状況だったのだろう。
しかし、この悲惨さを、火炎放射器で黒焦げになる死体の山や、爆弾で飛散する肉体などをこれでもかこれでもかと、リアルに表現することに、何の意味があるというのだろうか?

この作品の、重要な切り口は、手紙だったのではないか。手紙を書く人、読む人、色々なドラマがそこにあるはずだが、この映画の中で、そこにフォーカスされたシーンは、極めて少ない。殆どのシーンは、戦うか死ぬか。

また、栗林中将は、職業軍人としては、5日で全滅するところを、洞窟を要塞化することにより、36日も持ちこたえたという点で、優れているのかもしれない。しかし、最初から部下は全員死ぬことを前提としており、そのことに対する躊躇や恐れのようなものは、全く感じられない。
栗林中将のいう、命を大切にするというのは、単に苦しい生の期間を長引かせ、一人でも多くのアメリカ兵を道連れにしろ、ということであり、これもまた戦争という異常事態においてのみ、正当化できる類の思考であり、一方的に賛美できるものでもないだろう。

この作品のどこが、素晴らしいのだろう?俺には、さっぱりわからないのであった。

ところで、皆様、明けましておめでとうございます。地元で、遊び呆けていましたが、やっとブログをかくことができました。