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2006年09月30日

雑記;阪神、安倍晋三など

阪神負けちゃった。しかし、この一敗は、俺的には、全く織り込み済みなので、問題はない。

実際のところ、このまま最終戦まで、阪神が連勝したら16連勝になる。常識的には、そんなことはあり得ないので、どこかで一敗はしなくてはならない。それが、たまたま今日だったということ。残り6試合を6連勝し、中日は6勝5敗で終えるから、結局阪神が優勝というのが、俺のシナリオである。

さて、金曜日は、土日に仕事を残すまいと思うと大抵徹夜っぽくなるのだが、途中息抜きで、朝まで生テレビをみた。全部見ていないのだが、見た範囲でいうと、議論はこんな感じ。

1.新首相の所信演説、発言は、ごく常識的で、バランスのとれたものであるが、これは本気か?
2.新首相は、もともと過激でナショナリスティックな歴史観をもっているのではないか?
3.いつか、タカ派の牙を剥くのではないか

この討議の空気を(ロジカルではなく)エモーショナルに補強しているのが、彼が岸信介の孫であり、祖父を敬愛しているということ。(安倍氏の場合は、父側の祖父である安倍寛は軍部に対しても一歩も引かず、翼賛選挙でも非推薦を貫いて選挙戦に臨み勝利した、非軍国主義的で理想家肌の政治家だが、このことは誰も指摘しない。)

実際のところ、ここまで歴史観を云々され、かつ出自そのものが警戒心を抱かせた首相というのは、余りいないのではないか?例えば、同じ三世議員でも、小泉前首相の歴史観や祖父のことが問題になったことがあるか?

更に討議の異常なところは、「安倍は本当は、どう考えていて、何をやるつもりなのかが判らないが、とても心配だ」という話しに終始をしたことである。ある具体的な事象における首相がとるであろうアクションについて、議論をするのであればわかるが、歴史観という茫洋としてつかみどころのないものに、基づき「いつか爪をだす」のでは…と具体的ではないリスクを心配するという図式は異常としかいいようがない。

安倍危険論者は、「爪って具体的に何か?」という田原総一郎の質問に、「それはわからない」と答えるばかりだった。(実際には、北朝鮮問題にせよ、中韓の問題にせよ、教育基本法改正の話しにせよ、タカ派っぽい破壊的、暴力的オプションなど、余り現実的ではないし、参加者も思いつく事もできなかったわけだ)

最新号の「月刊現代」でも、保坂正康氏は「安倍史観の無知と傲慢」という、極めて批判的な論を載せているが、これも詳細省くが、非常に感情的で、的外れのような印象を個人的には受けた。(同じ雑誌に、佐藤優氏が「安倍外交に覚悟と正当性はあるか」という文を寄稿しており、偶然ではあるが、保坂氏の批判が的外れであることを冷静についている。)

史上最年少の首相、岸信介の孫で、アベシンの息子ということもあり、色々な関心を集めているわけだが、現状としては過剰にして不適切な反応が多すぎる。

SHINJOと阪神タイガース その7

今岡に期待すると書いたら、本当に打ってしまった。因みに、俺は、大阪桐蔭に、早稲田実業が勝った時点で、早稲田実業の優勝も予言している。

殆どエスパーともいえる凄さなのだが、会社の成長だけは、中々正確に見通すことが出来ないのは何故なんだろう…。(自分でツッコンで、かなりのスピードでブルーになりつつある俺…)

さて、新庄がタイガース時代一番可愛がった後輩が、この今岡であるが、昔の阪神タイガースの匂いを感じさせる、阪神ファンのツッコミが集中する選手で、現メンバーの中では、俺のお気に入りなんである。

大体、この選手は、難しいボールをいとも簡単にホームランする癖に、走者がいないときには、見るからにやる気がなく三球三振したりする。野村監督時代は、常にヤリ玉にあがっていた。

余談だが、阪神というチームに、ID野球なんてものが馴染む筈がない。本能で、ガーンと打って、バーンと投げるっていうのが阪神の野球だから、ああいうチマチマした奴は駄目だ(というか結果も駄目だった)

今岡は、真面目に走るのも稀で、チンタラやっている。鈍足だという触れ込みだが、真面目に走るときはエラク速い。守備範囲も信じ難いほど狭いのだが、気合が乗ったときは、凄く難しい打球も難なくとるからなあ…

今日の試合では、一死満塁で、代打檜山が告げられた時、「死ね岡田」と思わず叫んでしまった。檜山が、チャンスで打つのなんか、ここ数年見たことない。ローボールを引っぱたいて強烈なライナーというのはあるが、犠牲フライは打つのが苦手。

ただ、これは、二死満塁で今岡を出す為の高等戦術だったようだ。一死満塁だと、本気にならないかもしれないと、今岡と同タイプの岡田は思っていたに違いない…と俺はうなずく。で、あの快打。集中したときの今岡は、やっぱり無敵だ。

阪神ファンの気持ちからすると、頼むから時々は真面目にやって欲しいというところ。いつも、イチローみたいに真剣にやったら、8割は打ちそうだ。(ちょっと真面目にするだけで、3割4分とか147打点とか売ってしまう。)

さて、明日はどんな試合になることやら。

2006年09月29日

SHINJOと阪神タイガース

物心ついて以来ずっと、阪神タイガースのファンをしている。

しかし、ここ十数年どうも昔のような愛着をもてずにいる。一つには、阪神っぽい選手が少なくなってきた為だと思う。

阪神っぽい選手というのは、どういう選手かというと、破天荒で、豪快で、プライドが高く、尊大で、個性的で、可笑しい…ということで、ファンのほうが、「いい加減に、アホはそれくらいにしておけ」って心配してしまうような、愛される存在。

最近の、ウェートトレーニングも地道にこなして(それも大事なのだが)、練習熱心で(それもプロだから当然なのだが)、真面目で、チームメートとの人間関係にも気を配って…というアスリートタイプとは違うイメージ。

また、生え抜きでのスーパースターが育たないのが悲しい。シーツ、金本の3,4番は広島、下柳は日ハムなど、主力のサムライっぽい選手は、外から来ている。

先日のSHINJOの引退セレモニーで、63番をつけた姿をみて、そういえば、この男が最後のタイガースっぽい選手だったなあと改めて思った。

1992年、ヘッドスライディングの亀山努と共に、本当に忽然と63番は登場して大活躍をする(マジック1まで行ったが、荒木大輔の奇跡的な快投により優勝を逃すが)とにかく、足が速くて、肩が目茶目茶強い。ラッキーゾーンが撤去されて広い甲子園でも、彼を抜くことは、至難の業だった。バッティングも、この年は打ちまくった印象があるが、実際には、2割8分弱。350打席で80三振位しているので、4~5打席に1回は三振をしている。つまり、思いっきりフルスイングしているのだが、本塁打は11本と少ない。

これまでの阪神のスターがどちらかと、孤高の…,一匹狼…という暗く悲劇的な印象を背負っていたのに対し、とにかく楽しくてしょうがないという躍動感に溢れていた。

守備は超一流、打撃は二流、盗塁には興味が無いからしない(100Mを10秒台で走るという伝説もある)~本当に観てて飽きない。

巨人ファンは、単純なので、勝てばOKなんでしょうが、阪神ファンは、勝つことよりも(重要なのだが)、面白いことが重要だし、選手一人一人に個性を求める。本日から、奇跡の逆転優勝のかかった中日三連戦があるが、とっておきの芸を披露して欲しいと思う。日本シリーズで、新庄も待っていることだし。(大体、中日X日本ハムの日本シリーズなんて、オープン戦みたいで、盛り上がらんぞ)

個人的には、何をやるにも面倒くさそうな感じが、気に入っている今岡あたりに、活躍してもらいたいと思っているけど、復帰後試合にでていないので心配。

2006年09月28日

篤姫~再来年の大河ドラマ~宮崎あおい

再来年の大河ドラマの主役に宮崎あおいが抜擢。史上最年少らしい。

明日は、休暇にしているので、中々手がつかなかった仕事をしたら、こんな時間になってしまった。まずいなあ。

で、大河ドラマなのだが、再来年はなんと「篤姫」とは!!!日本史大好きの俺は、どういう人かは知っているわけだが、一般的には、何物かさっぱりわからないのではないか?

WIKIPEDIA引用。

鹿児島城下に生まれる。嘉永6年(1853年)、薩摩藩主島津斉彬の養女となり、同年鹿児島から江戸藩邸に入る。
篤子は斉彬から政治的使命を帯びて江戸城へ送り込まれたとされ、斉彬は将軍後継問題を巡り、次期将軍に一橋慶喜(徳川慶喜)を推す一橋派と、紀州慶福(徳川家茂)を推す南紀派に分かれて対立する幕閣において、慶喜の将軍後継を実現させるために篤子を徳川家へ輿入れさせた。
安政3年(1856年)、篤姫は右大臣近衛忠煕の養女となり、その年の11月には家定の正室として大奥へ入る。しかし、同5年(1858年)7月には斉彬、8月には家定が急死し、14代将軍は徳川家茂が就任することとなり、篤子は落飾して以後「天璋院」と名乗る。幕府は公武合体政策を進め、文久2年(1862年)には朝廷より家茂正室として和宮が大奥へ入る事が決定される。薩摩藩は天璋院の薩摩帰国を申し出るが、天璋院は帰国を拒否している。また、輿入れした当初の和宮と天璋院は一種の「嫁姑」の関係にあり、更に皇室出身者と武家出身者の生活習慣の違いもあって仲は険悪であったが、後に和解したとされる。
勝海舟の談話などから、自らが擁立する予定だった15代将軍・徳川慶喜とは険悪な仲であったとされ、慶応2年(1866年)には慶喜の大奥改革に、家茂が死去して「静寛院宮」と名乗っていた和宮と共に抵抗する。一方、慶応3年(1867年)に慶喜が大政奉還を行って江戸幕府が消滅してから江戸城の無血開城に至る中、自らの実家に当たる島津家に嘆願し、朝廷に嘆願した和宮と共に徳川家救済や慶喜の助命にも尽力したとされる。<以下略>

つまり、斉彬の政治ツールとして、精神薄弱と言われた家定の下に嫁いだ波乱の人生ということになる。普通の単発二時間ドラマでやるのであれば、いいけど、一年間継続するほどのことはあるのか?歴史的インパクトは、山内一豊級にない。

大河ドラマっていうのは、もっとドラマチックなヒーロー、ヒロインを取り上げて、血湧き肉踊るは、何千頭も馬が疾走して合戦するは…ド派手な話しをするべきではないか。

また、主人公がマイナーだと、功名が辻みたいに、エピソードが1年もたないので、フィクションで塗り固めたような話しを延々やる破目になる。あれを、小学生がみて、真実だと思ったらどうするNHK。

取り上げていない面子も沢山いる…どういう観点から「篤姫」が適切と思ったのか。個人的には、前も書いたが、伝説の彼方に消えた足利直冬、空中浮遊できたという細川政元、最強のチャレンジャー石田三成、究極の大器晩成葛飾北斎、プロデューサー蔦屋重三郎、登場回数は多いが主役になったことのない高杉晋作などのほうが、よっぽど面白い。

大体、宮崎あおいに47歳の老け役とかさせるのだろうか?「純情きらり」の延長線上には大河ドラマは無いと思うのだが。

2006年09月27日

俺のブログに関する噂~その15

横須賀線は、鎌倉から北鎌倉、東戸塚から保土ヶ谷の僅かなトンネル以外は、延々と地上を走っている。

品川から新橋へと向かう途中で、地の底に潜っていく。車窓から、真っ暗な風景を見ながら、マイルスデイビスのKind of Blueを聴いていたら、異空間にトリップする気分になる。夜の海が、ず~っと広がっていて、そこから頭を半分だしているような感じとでもいえばいいのだろうか?電車の音で、他の音はかき消されているのに、トランペットの音だけが、頭の奥で響いている。

ジャズファンではない。クレジットにキャノンボールとあるのをみて、反射的に買ってしまった。(ジャズファンは難しい事を言うので嫌いだが)難しいことを言わなくても、このアルバムが、飛び切り凄いのは、わかる。ジャンルとか、好みとか余り関係ない。

さて、それに対して(マイルス・デイビスと比較するのもなんだが)、最近俺の書いているブログが、飛び切り面白くない、つまらない、予定調和だ、いい子ぶっている、もっともらしい事をいうな…などの複数のご意見を頂戴している。普通、ブログというものは、筆者にある程度の匿名性があり、かつ読者も不特定だったりするのだが、このブログのコアの読者は、完全に特定でき、しかも俺のことを良く知っていたり、下手すると血縁関係や婚姻関係にあったりする。

この愛すべき読者の諸君の特徴としては、割とずけずけと、気にしていることを、全くデリカシーなく、時には電話で、時にはフェイスTOフェイスで、俺に指摘することだ。(しかも、思い当たるところが多いので困る)

プロでないので、いつも面白い事はかけない。というか、大体は書けないが、それでも筑紫哲也が他事総論でまともな事をいう確率よりもかなり高いと自負している。表現もパターン化しているとよく言われているが、村上春樹に比べれば、一千倍はバリエーションに富んでいる。頭の悪い小学生みたいだという指摘もかなり正鵠を得ているが、それでも古館一郎よりは、頭はいいつもりだ。

マイルスと比較したのは、彼はこのkind of blueというアルバムを創る際、その数時間前に曲の枠組みを作って、簡単にセッションメンバーに説明をして、ワンテイクで録音している~つまり、俺がブログを書くのと同じ方法であるから。数分前に何となく書く事を決め、数分間で書いたら読み返さないで、送信して寝る。ワンテイクだ。インプロヴィゼーションだ。なんだかんだ…。

というわけで、本日は、何となくお茶を濁して終わるのであった。決して読み返さない。

2006年09月25日

高校生ドラフト

高校生ドラフトが行われた。田中君は、楽天に、堂上君は、中日にということで、悲喜こもごもの結果が報道されている。

本来、ドラフトの目的は、「特定のチームへの有力な選手の集中を避けることを目的として、新入団選手などを各チームに振り分けること」であるが、これって、そもそも論だが、職業選択の自由に反しないのだろうか?

例えば、金属会社に入社したいときに、三菱金属、日立金属、三井金属、住友金属のどこでもいいというわけではないでしょう。

「金属会社なら何処に入っても同じだ。会社に入ってからの勝負だろう?そんなところでゴネるのは男らしくない」…とは、当然だれも言わない。日本金属協会なるものが、ドラフト会議をして、いきなり、三菱金属から一位指名をうけたので、日立、三井、住友には入社できない…なんて言われたら、冗談はやめてくれと思うのでは、ないか?

同様に、個人によっては、巨人に入りたい選手もいるだろうし、西武に入りたい選手もいるだろう。同じプロ野球だから、一緒なんていうのは、経理マンになるのであるから、どの会社にはいっても同じというような論理で、よくよく考えると納得感がまるでない。

大体、ドラフト一位でスター選手を獲得したところで、育成できない会社も多い。育成、補強、また観客動員などの企業努力が足りない為に、志望学生が少ないことを棚に上げて、あたかも正当な権利のように、高校生や大学生の職業選択の自由を制限するのは、一体どういう了見なんであろうか?他の業界では、「戦力均衡のためにドラフト制にしよう」なんて言ったら、頭がイカレテイルのかと思われるのではないか?戦力分散などは、企業側の論理であるし、そこで多少そういう不均衡があったとしても、育成・補強などのマネジメント力でカバーすべき要素ではないか。

田中は、北海道日本ハムに、大嶺は福岡ソフトバンクに入れてやればよし。何の支障がある???

運命だなんだと、マスコミもドラマ仕立てで取り上げるわけだが、そういう過酷な運命を高校球児に強いるのは、職業選択の自由から逸脱していないかを、どうして誰も取り上げない?ドラフト制度というものは、特定産業に属する特定企業の収益維持の為に、個人の権利を不当に制限しているのであるから。

フラガール

昼から本屋に行ってジパングの最新刊を買い、喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら読了。

その後、映画を観賞、幸せな気持ちで、帰宅して、暖かい夕食~ということで、いつになく、詰まったスケジュールの日曜だった。

ここのところ、映画を観ては、悪口ばかり書いているのだが、本日の「フラガール」は、素晴らしかった。

派手な道具立てがあるわけでもなく、スペクタルでもないが、人物をじっくりと描いている。この話は実話。普通、実話だとエピソードをこれでもかと詰め込んで消化不良になったりしがちだが、そんなことはなく、軸がぶれていない。2時間近くが、全く目が離せない。

また、フラダンスってこんなに華やかで、ハードな踊りなのかということにも、驚いた。

色々いい所(脇役がしまっているとか)があるのだが、この映画の魅力の一番は、何と言っても蒼井優。内に秘めたエネルギーや存在感が凄い。台詞がない場面で、目や表情で余白を表現できる。初めて、出演作品を観たが、圧倒的だった。

フラダンスをすることに反対をしていた母親の前で、フラダンスの練習をする場面。黙って見守る冨司純子とやはり無言で踊り続ける蒼井優の間に流れる時間のなんと濃密で雄弁なことか。

まあ、粗を探すとすると、寂びれて行く炭鉱町の、普通の一家の構成が、母:冨司純子、兄:豊川悦司、妹:蒼井優…。華がありすぎる…んじゃないかしら。

映画館は、半分くらい観客が入っていたが、同じシーンで泣き、同じシーンで笑い、最後には、とっても暖かい気持ちになって、映画館を足早に去っていくという感じだった。(目が腫れるくらい泣いてしまうので、恥ずかしくて足早の人が多い)

報道によると、アカデミー賞外国語作品の日本代表になったらしい。できれば、オスカーもとって欲しいし、その価値はあると思う。しかし…凄く繊細な情感を、丁寧に描いているこの作品を、外国人が理解できるかは、とても心配。

2006年09月23日

子猫殺しについて…

坂東真砂子氏が、問題になった「子猫殺し」に関して、毎日新聞に寄稿をしている。以下引用。

私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。  さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。  しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。  「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。  しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。  もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。  他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。  エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。

彼女は、人に向けるべき愛情の代替対象として猫を捉えている。また猫を可愛がることは、自分を可愛がることでもある。問題の子猫を殺す理由は、子猫を殺さないと周囲が猫だらけになり、全ての子猫を育てることはできないかららしい。

また避妊をさせないのは、「陰のうと子宮」は、新たな命を生み出す源であり、それを絶つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を絶つことになるからだし、他者による断種、不妊手術を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術につながる…から。
最後に彼女は、ポリネシア政府の告発姿勢に関し、「事実関係をしらないままの告発なら言論弾圧になる」といっている。

つまり、彼女は、隠喩としてではなく、本当に子猫を殺してしまったわけだ。「陰のうと子宮」は、新たな命を生み出す源であるので、絶つことはできないのに、「陰のうと子宮」をもった生命体を殺すことには、躊躇はしないのは何故か?(子猫を誰かに頼んで育ててもらう…とか色々手段はあるだろう)しかも、その理由が、周囲が猫だらけになって、育てられないから…という身勝手な理由。あきれ果てるロジック。ポリネシア政府に、何をもってこの行為の正当性を語ろうというのか?

このあたりのロジックは、彼女の生命に対する極めて特殊な個人的見解に過ぎないわけなので、大目にみるとしても、(恐らくこの意見を正当化するために)「他者による断種、不妊手術を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術につながる」という一般化をしているところが、どうかしている。そんなことを考えて、不妊手術をせず子猫を殺したのか? 猫の不妊手術が、人の人による断種、不に手術につながる…という論理の驚異的な飛躍には気付かないのか。(もしくは、どうでもいいのか)20万歩譲って、この推論が正しいとしても、猫殺しが正当化されるわけではない。

毎日新聞の解説では、彼女は「過剰なペット依存社会に一石を投じ、動物の生と死について再考を促そうとした」と言っている。また、「動物の飼育を「自分勝手な傲慢(ごうまん)」と考えている人はどれだけいるだろうか、人間に向かうべき愛情が動物に偏って注がれていないか……。坂東さん、そして社会が抱える病理を多数派の意見で押し込めてはならない」と結んでいる。

病理を抱えているのは、社会ではない。坂東氏とこの解説の筆者である。彼女が、もし高名な作家ではなく、同様の議論を展開した場合でも、この解説筆者は、「動物の生と死に再考を促す」「社会の病理を多数派の意見で押し込めてはならない」などと御託を並べるのであろうか。
また、この筆者は、猫殺しに関する坂東氏の表現について「言葉を扱うプロだからこそ、意図を正確に届ける工夫がもっとほしかった。」というわけだが、何か深遠なる「意図」が隠されていると思った理由を教えて欲しい。坂東氏が直木賞作家だからか?

動物を飼うこと、勝手に不妊手術を行うことは、人間の傲慢さであることは、確かにそうかもしれない。しかし、猫を投げ殺すのは、明らかに社会的常識を逸脱した異常な行為であり、犯罪ではないのか?そのことを告発することが、「言論弾圧」とは、とても思えない。


2006年09月22日

式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」

入学式や卒業式での日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を定めた東京都教育委員会の通達や職務命令は、「少数者の思想・良心の自由を侵害する」として、違憲判決が、東京地裁で出された。

この判決の特徴は、起立や斉唱などの義務自体がないという判断であること。

このトピックは、議論が常に決定的にかみ合わないので、居心地が悪い感じがする。

公式セレモニーで、国旗への起立、国歌斉唱自体は、「少数者の思想・良心の自由を侵害する」類の話ではなくて、ある意味常識の範疇であると思われる。で、そのことは、全ての国にあてはまる礼節のようなものであると思う。

しかし、国旗=日の丸、国歌=君が代となったところで、話として複雑になる。日の丸と君が代が、従来の国旗、国歌の役割を越えて、軍国主義思想の核として認識されるのであれば、そこに「少数者の思想・良心の自由を侵害」という議論の生まれる余地がある。

であるから、日の丸と君が代は、果たして国歌、国旗としての位置付けが国民全体に認められているものなのかということが、論じられないと、議論は堂々巡りを続ける。法律的には、既に日章旗・君が代を法制化する国旗国歌法案が、1999年8月9日午後の参議院本会議で、可決、成立している。

よって、社会通念上は、国歌斉唱、国旗への起立は、妥当ではないかという考え方はできそうである。国歌、国旗を押し立てて戦争をするのは、日の丸、君が代のみに与えられた特殊な役割ではない。イギリスはユニオンジャックを押し立てて植民地支配を行い、フランスは自由平等博愛の三色旗とともに、他国を蹂躙した。だが、ユニオンジャックにも三色旗にも、帝国主義を表現するという見方はだれもしないのではないか?

歴史と伝統を持つ君が代と日章旗に、何らかの思想的枠組みを与えることは、現時点では非常に不自然なことのように思えるのだが…

いずれにしても、国民のある割合が、複雑な感情と思いを持って、日の丸・君が代を捉えているのは事実であり、冷静な議論を継続し、コンセンサスを時間をかけて醸成するしかないと思う。そういう意味では、今回の判決は、とても的外れな気がする。

2006年09月21日

複雑系の話

ある書評を読んで、そういうことだったのかと感じ入った。

明治維新を考えるという本の書評なのだが、明治維新には3つの謎があるという。
1)武士階級の社会的自殺
2)幕府の瓦解
3)明治維新の欧化政策推進

1)について言えば、別に階級闘争の結果打倒されたわけでもない、武士階級が自殺をするかのように消滅したこと
2)は、武力的にも、権力転覆を不可避とするファクターがないのに瓦解したこと
3)尊皇攘夷を旗印にした革命の結末が欧化政策であるという矛盾

これらをこの本では、複雑系理論をヒントに、カオスとカオスの相互作用が、ある条件下では秩序をもたらすというシステムが働くのではないかという仮説をたてている。
カオスとは<方向をもったでたらめさ>とすると、歴史はこの混乱により、前方に大きく運動する。

で、感じ入ったのは、ビジネスが大きく成長したりする感じというのは、まさにこういう運動性が必要とされるのではないかと、ぼんやり以前から思っていたからである。経営学の教科書のように、実際のビジネスは動かない。ロジックというよりは、<方向をもった>ある種のでたらめさ~でたらめという言葉で想起されるエネルギッシュな何物かがあり、それが、組織を前方に押し上げていくという瞬発力のようなものが必要な気がするのである。

外資系で働いていた時、よく本社のジェネラルマネージャーが、「モメンタムを創る」という言葉を使っていたことを思い出す。「モメンタムを創る」というときには、ある種期間損益は度外視した、リソースのかけ方を短期間に行うことが必要で、その管理会計的にはちょっと首をかしげるような、幾つかの施策が化学変化を起こすように、瞬間で組織をワープさせる。

マネジメントというのは、火薬を一杯積み込んだような潜在力のあるスタッフや技術に、火をつけて爆破させるような仕事なのかもしれない。爆発的な駆動力にかわる場合もあるのだが、会社全体が粉々に破裂して一巻の終わりになることもある。このあたりは、クールな観察力と運というのが必要ではあるが…。

2006年09月20日

濫読日記

三連休は、例によって、濫読を続けた。

全然違うジャンルのものを並行して、数冊読むのが常なのだが、最近この読み方は、案外体力を使うという事に気付いた。頭や体が疲れていると、全部数ページ読んだところで、安らかな眠りに落ちていく私。

アジアンタムブルー 大崎善生
以前、パイロットフィッシュを読んで、感動してしまったので、もう一冊読んでみた。パイロットフィッシュより、静かで、深くて、悲しい。恋人が死んでしまう話なのだが、そういう突き詰めた状況の中でこそ、ピュアで、普遍的なものが結晶化する。リアリティがないとか、余計なストーリーは刈り込め…とか色々な意見はあると思うが、著者の生と死に対する真摯な思いは、本物なので、胸に迫ってくるものがある。こんなシリアスな話しを、布団の中で寝ながら読んで御免なさい。

保坂正康 「昭和陸軍の研究」「昭和の空白を読み解く」
恋愛小説とハチクロと保坂正康をごちゃ混ぜにして、読むのはいかがなものかという感じではある。昭和史には、ここ10年位興味が増してきている。この時代というのは、社会の時間でも、大抵時間切れで、いい加減な教え方(残りは、教科書を読んでおいてください…のノリ)しかされていないので、知識レベルが低い。個人的に言えば、戦国時代に関する知識のほうがずっと多い。また、東條、軍国主義、暗黒時代みたいな、一色のイメージだけを、繰り返しマスコミから与えられてきたが、本当にそうなのか?という疑問がわく。そういうことから、保坂作品は、もう10冊は読んだ気がする。

内容はどうあれ、彼の作品を読んで常に感じることは、彼が当事者の多くを丹念にインタビューしており、その内容を彼なりフィルターにかけて綴っている点である。昭和史を扱っているのだが、その実、人物史。勿論このやり方は、当事者が本当のことを話すかどうかわからないため、客観性を欠くという批判を受けやすい。ただ、大きな時の流れの中で、何が真実なのかを認定するのは、非常に難しい。また自己弁護、正当化などを含む当事者の言を、筆者がどう捉え、どう考えたかという思考の軌跡そのものが、靄がかかったように曖昧模糊とした昭和史を探る貴重な道標になるのではないか。そういう意味では、特定主義主張のバイアスが非常に少ない保坂氏は第一級の昭和史のナビゲイターであると僕は思うのだが…。


2006年09月19日

ハチクロ

娘から,読むようにと言われて、どかっと渡されたのが、ハチクロの1~10巻。何となく手をつけないまま、一週間経過した。

この三連休に、どどっと10巻連続して、読んでみた。

舞台は、美大なので、でてくる小道具は、洒落ていたり、アートっぽかったりするのだが、実際に描かれているのは、ごく普通の大学生活。親元はなれて下宿した人なら、絶対、わかるわかるこの感じ...って思うに違いない。

日本における大学生というのは、団塊の世代であれば、学生運動とか色々あったのでしょうが、それ以降は、飢えることはないし、国家権力による抑圧があるわけでもなく、とにかく自由。四年間のお祭りみたいなもので、友達とああでもないこうでもないと議論をしたり、酒を飲んで大騒ぎしたり、恋に落ちたりど~んと暗くなったり...今考えると全てのことが、とても楽しかった。

お祭りは、永久に続くわけではなくて、4年間の期限付き。我が物顔に闊歩していたキャンパスからも、いつかは去らなくてはいけない。社会にでる前には、将来が不安になる、一体自分って何なのか?という問いに、七転八倒する。答えがないことは、はじめからわかっているのだが...。

まあ、そういう想いをギュッと詰め込んだのが、「ハチクロ」という話で、読み始めると、恥ずかしいような悲しいような気持ちになる。

若い時は、未完成であることは、何の苦にもならない。お金がないのも、地位も名誉も、社会的信用がないことも、OKだし、だからこそ、美しいし、輝いていたりできる。

20年経過して、実際のところ余り変わっていないのだが、これからの10年をどう過ごせばいいのだろうと最近考え始めた矢先に、この本にめぐり合った。20年経とうが、会社に何年勤めようが、幾つになろうが、わからないものはわからない…結局のところ。答えなどない。

大学生というものは、恥ずかしいことを言ったり、やったりしている筈なので、心臓の弱いおじさん、おばさんには、この漫画はお勧めしない。必ず、自らの過去の寒い所業を思い出して、死にそうになるよ、きっと。特に、片思いに苦しんでいたそこの君なんかはマズイと思うね。

2006年09月16日

植草教授を痴漢で逮捕

植草教授を痴漢で逮捕というニュース。

前回は、JR品川駅で女子高生のスカート内を手鏡で覗こうとして御用。本人、濡れ衣だ、陰謀だ...などと強気のコメントをしながら、結局は容疑を認めた。有罪判決をうけて50万円と手鏡没収ということになった。どうでもいいが、手鏡没収という判決の狙いが、今ひとつ見えない。女子高生のスカート内を覗くために特別仕様でも施してあるのだろうか?ちょっとミステリアスでドキドキする。

今度は、傘をカモフラージュに使って、女子高生のお尻を触ったらしい。手鏡といい、傘といい、日常何気ない小物を使って、カラフルな世界を創り上げる植草教授。ミラーマンからアンブレラマンに変身だ!!。(今度は傘没収か?)

彼は、現在名古屋商科大学大学院客員教授。当然、大学なので、若い女性もいると思うのだが、名商大は、彼をどうして採用したのだろう。教育者に不適なのは明白だし、ハイエナを、子羊の群れに、突っ込ませるような話だ。

報道によると、名商大は「事実関係を確認中でコメントできない」と困惑しているらしいが、元々彼を教授として雇用すること自体に、一般市民は困惑するのではないか?

植草教授は、東京大学経済学部卒業後、野村総合研究所に入社。 大蔵省財政金融研究所研究官、京都大学経済研究所助教授、スタンフォード大学フーバー研究所客員フェロー、野村総合研究所主席エコノミストなどを経て、2003年4月から早稲田大学専門職大学院公共経営研究科教授。

知的であることは、必ずしも、モラリティを保証するものではない。しかし、ここまで見事な壊れっぷりは、何故なんだろう?家は、白金台なのに、京浜急行の下りに乗っているのは、何故なんだろう?

「制服フェチ」とひと言で片付けてしまっていいのだろうか? いいんだろうなあ、他に何ともいいようがないしなあ...。

2006年09月15日

バックダンサーズ

雨が降って、東京は急に涼しくなった。

疲れが、ど~んと押し寄せる感じで、ミーティングをしても、喋っていないと寝てしまう感じ。テンションも、徐々に低くなっていく。そういうわけで、早々に仕事はGIVE UPして、映画をみにいく。

バックダンサーズ。

最初に、Body&Soulを聴いたときの衝撃は忘れられない。「甘い恋の駆け引きは、言葉だけじゃ足りないから....」とか、「奪われたものは、取り返さなくっちゃ」、「今は誰にも縛られない」とか、歌っていた時は、小学生だったんですね...。hiroちゃんの話ですが。

ソロになってからも、ココドールプロジェクトで、色々なジャンルの難曲を軽々歌いこなす等、底知れぬ才能に圧倒されております。

「バックダンサーズ」は、シナリオ自体はとてもシンプル。どん底にあったダンスチームが、スターになるというサクセスストーリー。若くて、キラキラしている。ダンスムービーなので、全編ダンスシーン満載だが(5割はダンスシーン)、hiroの発するオーラと躍動感は、群を抜いていた。(4人で踊ると違いが歴然)

下らない枝葉をつけたり、複雑なメッセージを盛り込んだり、CGに溺れたり...ここのところ、ピントはずれの映画ばかり。シンプルなストーリーと魅力的なアーチストさえいれば、映画は成立する。

勝負をかけたゲリラライブの前日、「このライブに成功したら、それが上がりなのか?」という質問に、平山あやが、「上がりなんてない」って答える。

将来は皆不安だし、ゴールは見えない...今やっていることに意味があるのかどうかも不明。でも、元々将来なんて誰にもわからないし、意味を問うこと自体がナンセンス。信頼できる仲間と、全力疾走して、体と心で何かを感じることが出来ればそれでいい...で僕も思わず大きくうなずいてしまいました。

2006年09月14日

俺のブログに関する噂

マーメイドから、最近のブログは、全然面白くないという厳しい指摘を受けている。

「ニュースネタばっかりだけど、他に書くことはないわけ」「FENWにトラフィックを誘導しようとか、スケベ心みえみえなんだよね」 「どの面下げて、あんな尤もらしいことを書くのかなあ...つまんない」

はい、ご指摘の通りです。何故、何もかもこう見透かされてしまうんでしょう。

また、偶然なのだとは思うが、ここ数日メールや電話で、「毎日、ブログ読んでますよ...アハハ」なんて言われたりすることが続いている。最後の「アハハ」が、ミョーにカンに触る。かなりの、角度で、ひねくれそうだ。

先日、古い友人から電話がかかってきたが、「お前のブログはさあ、くだらないことでも毎日かいてあるんで、読んじゃうんだよね」という有り難いお言葉。「くだらない」は余計だろうが!!って心の中で叫んだ。

「金田さんの、真面目なブログって、読みにくいですね」って、俺がいつ不真面目に書いたんだ!!(書いているけど)全く大きなお世話だ。

このブログは、色々なランキングで、実はベスト10にはいったりすることがある。激しく首をかしげる。総合で14位になった翌日に、何と75万6千位に下落したりする。こういうのも、実は気にしていないようで、デリケイトな俺をかなり苦しめるのだった。(75万6千位って最下位ってことか???)

こんな不条理な世界の中で、それでも、俺は書き続ける。とにかく、書き続ける。何が何でも書き続ける。読むほうが音を上げるまで書き続ける。東芝ビルが地震でぽっきり折れても書き続ける(先日の地震のときに、折れるかと思うほど揺れたのだが、同じビルにある会社の人に聞いたら、この建物は第一震に、過剰に反応するんだ...って。地震に過剰に反応するビルというのは、どういう構造なんだろう)

さて、気を取り直して...テポドンが打ち込まれても、書き続けるぞ~と、朝焼けに向かって誓う、ガラス細工の俺様であった。

ということで、また明日ね


2006年09月13日

読解力の低下

日本の子ども達の読解力は、他国に比較すると、著しく低下しているらしい。

学力到達度調査(PISA)という国際基準において、読解力の定義は、「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」

この調査で、最高値を得たのはフィンランド。フィンランドでは、選択した国の人口や産業を調べ分析し、自分の考えを述べるというような学習が小学校で導入されていて、こういう教育が読解力を養うのに有効にはたらいているらしい。

読解力を構成するのは、単に読むということだけではなく、課題を設定し、情報を収集し、評価し、自分の考えを構築し、表現する力。

この能力は、どの教科においても必要であるだけではなく、会社で働く上でも、生活でも絶対に必要な能力。つまり、生きていくうえで必要不可欠な能力が低下しているということになる。

これらの能力は、ある程度の年齢までに基礎固めをしておかないと、修得は非常に困難になる類のものらしい。

読解力の低下が著しいということは、今後一から十まで説明しても、要領を得ないような奴らが、大量に社会に送り出されてくる...という事を意味するので考えてみれば、恐ろしい話だ。

ニートでもパラサイトでも、生存を脅かされることにはならない、日本の豊かさが生み出した傾向なのであろうか?社会的格差の度合いは、読解力の差異に少なからず影響される。セーフティネットを張るとすれば、小学校から手を打つべきなんだろう。恐らく


2006年09月12日

斎藤選手の進路について

斎藤選手といっても、ヒロ斎藤でもマサ斎藤でもなく斉藤祐樹選手が、大学進学をすることを決定した。

プロではなく、大学進学を選んだ理由は、野球選手としても人間としてもまだまだ未熟なためとのコメント。

多くの人が好意的にこの決定を捉えているようだが、本当に正しいオプションを選択したのだろうか?

大学に行くという決定は、一見とても堅実で、リスクの少ない選択肢のように思える。

しかし、大学四年行ったからと言って、人間として成熟するかどうかはわからない。かえって堕落する可能性もある。元々大学教育と人間性の成熟とは、余り因果関係がない...のでは?

また、野球にしても然り。チームが勝つためには、何連投でもさせてしまう監督などいれば、途中でつぶれてしまう可能性もある。(東京六大学のスキームだと勝ち点を取るためにエースを連投させることも充分ありえる)投手の肩は消耗品。

どうせプロでやるつもりなら、早く入ったほうがいいのではないか? 当然だがプロには、技術的にもコンディショニングでもトレーニング方法でも優れた指導者がいる。

将来プロでやることが最終目標であれば、一番のリスクは、プロになれない(指名してもらえない)こと。少なくとも、今時点でプロ入りを表明すれば、必ずプロ野球選手になれる。

俺が父親だったら、3年間死ぬ気でプロで頑張ってみろ、駄目だったら大学に行け。契約金は、俺が運用して増やしてやるから、心配するな...っていうけどなあ。(少しは使っちゃうかも)

プロ野球選手になるのが夢で、その夢は手を伸ばせば掴める。勉強をしたければいつでもできる。(昔、カープで中軸を打っていたホプキンスは、プロ野球選手をしながら医者になった)今進学する必然性はないのでは...。

チャンスは、人生においてそう何度も来ない。だから、ファーストストライクから打ちに行くべきではないのだろうか?まあ、お節介な話ですが...。


2006年09月11日

オットセイ、アカウミガメなど

埼玉県川越市の田圃に、オットセイが入りこんでいた。

オットセイが、いきなり出現すると、やっぱりびっくりするに違いない。朝、出社すると、隣の椅子にオットセイが座っていたら、例え先方が、ご機嫌で、ボールを頭の上にのせて、愛嬌振りまいても、平常心でいるのは、中々難しいだろう。

意外なものが、意外な場所にいる話としては、ブラックバスやカミツキガメなど、日本には元々いない生き物が繁殖し、生態系を壊しているらしい。内閣府の調査によると、外来種は駆除すべきという意見が、9割を超える。

産卵の為、日本の砂浜に上陸するアカウミガメが、今年は昨年の10分の一に激減した。沖合で捕獲される繁殖適齢期の若いカメは増えているのに、産卵減少している理由は不明。世界的に見ると、砂浜消失のため生息数が減少し、種の保存に危機が生じている。

モンゴル・ウランバートル近郊で、約4億年前の海に生息していた放散虫の殻の化石が発見された。その結果、モンゴルは大昔、海だったということが具体的に証明された...とのこと。何億年という時間が流れ、その間に海が、大陸になる。余りにもスケールが大きくて、イメージすらできない。

別に、ナチュラリストでもなければ、ペットも飼わない、環境保護にも何か意見があるわけでもない。なので、気の利いた事が言えるわけではない。

だが、オットセイにも、ブラックバスにも、カミツキガメにも、アカウミガメにも、そして恐らく出没するクマやイノシシにも、何の罪もない...ということは判る。
大きな自然の流れに、人間だけが、ちょこまか影響を与えているのはわかる。そして、それが例えようもなく愚かなことであることも、理解できる。(出来の悪い小学生の感想文みたいですが)

夏なのに、セミが鳴かない、夜なのに星が見えない、蛍もヤゴもいない川が流れる、異常な状態の町で働き始めて、もう10年が経とうとしている。色々な感覚が麻痺しそうで怖い。


2006年09月10日

デスノートの作者逮捕

デスノートの作者逮捕が報道された。

銃刀法違反の現行犯ということだったので、青龍刀でももっている、おっかない人だったのか...と思っていたら。 乗用車内に、刃渡り8.6CMのアーミーナイフを所持していて、使用目的は「キャンプ」

本当に、こんなことで、逮捕されなくてはいけないのか?

銃刀法を調べると(WIKIPEDIA)

定義 この法律において、「銃砲」とは、拳銃、小銃、機関銃、砲、猟銃その他金属性弾丸を発射する機能を有する装薬銃砲及び空気銃(圧縮ガスを使用するものを含む。)をいう。

この法律において、「刀剣類」とは、刃渡15cm以上の刀、剣、やり及びなぎなた並びにあいくち及び45度以上に自動的に開刃する装置を有する飛出しナイフ(刃渡り5.5cm以下の飛出しナイフで、開刃した刃体をさやと直線に固定させる装置を有せず、刃先が直線であつてみねの先端部が丸みを帯び、かつ、みねの上における切先から直線で1cmの点と切先とを結ぶ線が刃先の線に対して60度以上の角度で交わるものを除く。)をいう。
銃砲又は刀剣類の所持の許可に関する規定
所持の禁止 - 法令に基づき職務のため所持する場合などを除き、原則として銃砲・刀剣類の所持は禁じられる。
許可 - 銃砲・刀剣類の所持は、厳格な基準を満たした上で、所持しようとする銃砲又は刀剣類ごとに、その所持について、住所地を管轄する都道府県公安委員会の許可を受けなければならない。

刃渡り6CM以上ということが、この法律に抵触するらしい。

実際のところ、6CM以上の刃をもったナイフを携帯することは、充分一般人でもありえる。工作の宿題を、友達の家で作ろうとした小学生、キャンプに行こうとする家族、アーミーナイフの収集家...。別に、これから、出入りをされる、ギャングスターの皆さん以外でも、潜在的な違反者は万単位でいそうである。

業務その他の正当な理由があれば携帯してもいいらしいのだが、「キャンプに行く」のが正当な理由にならないのであれば、どうすればいいのだろうか?デスノートの作者は「申し訳ないことをした」と反省の意を示しているが、何を反省したんだろう。(キャンプにナイフをもっていくこと?ナイフを公安委員会に登録してなかったこと?)

しかし、もっと驚くのは、取り上げたメディアが、普通考えたら判りそうな、この法律の問題点には、何も言及していないこと。カッターナイフも、ペーパーナイフも公安委員会に登録すべきということだろうか?

どうも釈然としない。責任者、出てきなさい。

2006年09月09日

タカラトミーの「ろくろ倶楽部」

フレッシュアイNEWSWATCHというのは、現在7000トピックくらいあって、その中には、このトピックで記事があるのだろうか...というものもある。

例えば、陶芸。でも、心配することはなくて、かなりの記事、ブログ。流鏑馬なんていうトピックもあるが、各地でケッコウやっているのだ。流鏑馬恐るべし。

トピックを作っておいて、びっくりするのも変な話だが、各種媒体で取り上げられる話題は、誠に広い。

また、最近、提携先のヤフーニュース本文に、フレッシュアイNEWSWATCHのトピックリンクが表示されたこともあり、ヤフーニュースを上から下から斜めから、色々みるのであるが、驚くことが一つ。

日本という国では、1ヶ月に何回かは、各地で必ず熊が出没して、大騒ぎを起こしているのである。「クマ出没」というヤフートピックスが存在する位である。まるで、熊のネットワークがあり、今度は新潟で、ちょっと出張ってくれ...という指示があるのではないかと疑いたくなるくらい。

さて、俺は自分の才能は、実は芸術的な領域にある...と以前から睨んでいるのだが(睨まなくてもいいわけだが)、この才能を、小学校4年の図画展覧会で金賞をとって、東京芸大の教授に、大絶賛されて以来、全く発揮できずにいる。悲しい。

ロクロをまわし、絵付けなどしたり、自作の短歌などもあしらったりすると、非常に芸術性の高いアウトプットを残せるのでは...と昔からぼんやり考えていた。しかし、実際に陶芸をするとなると、土はどうやって調達するのか、ロクロは、窯は...などと色々あって、面倒くさいので、ノーアクション。

今回、タカラトミーの発売した陶芸セット「ろくろ倶楽部」は、素晴らしい。ロクロ、専用土、うわぐすり、弓、ヘラ、しっぴき(って一体何だ?)などの道具がセットになって、価格は何と(声ひっくり返っています)10500円。

自然乾燥で3~5日でできるらしいし、時間がないときは、家庭用オーブンレンジで完成できるらしい。何とお手軽な。

タカラトミーによれば、彼らのウェブ調査で、16~69歳の2500名を対象にアンケートを実施したところ、何と7割の人が陶芸をやってみたいと回答したらしい。そういう皆さんが、無茶苦茶に、茶碗作り始めたら、それも困りものだが。

というわけで、この製品が発売されたら、早速購入して、自らの芸術性を証明したいと考えている。人間ドックで体重を落とせと言われているので、テニスクラブにも入会する予定だし、忙しい秋になりそうなのであった。ちょっと面倒くさくなってきた...

2006年09月08日

電話テレパシー

誰かのことを思い浮かべ直ぐ後に、その当人から電話がかかってきたという現象を、電話テレパシーと呼ぶらしい。

英科学振興協会の年次総会で、発表された研究結果によると
・被験者は予め4人の知人の名前を提出
・その4人が電話をかけ、誰からの電話だったかあてる

で、的中率は45%だったらしい。サンプル数が、電話63回、Eメール50通と少ないのであるが、普通の確率25%よりは高いので有効ということらしい。

もし自分が、知人4名を選べ、かつこの4名からしか電話がかかってこないとすれば、ほぼ100%で的中させる自信はある。根拠はないのだが、そんなに難しい気はしない。

というのも、こういうことは、頻繁に俺の周りで起こっているから...

・同時に、電話を相互にかけたので、幾らかけても話し中
・今電話をかけようとしたら、(その相手から)電話がかかってくる
・同じ本を買ってくる。しかもマイナーな文庫本。
・電話をかけようとしたら、メールが来た

で、事象自体、余り不思議ではない...と思う。気心がしれたり、何かを共有すると、距離は離れていても、同じ事を、同じ時間に考えたりするようになるほうが自然。人間ってそういう生き物ではないのか?

空気を読むとか、顔色を伺うとか、もっと複雑な事も、日常生活で行っているので、誰から電話がかかってくるか当てるくらいは、そんなに難しくはない。

俺なんかは、マーメイドの表情や声の調子で、機嫌が悪いかどうか、100発100中であてることができる。勿論、これはエスパーでもサイコキネッシスでもなくて、リスクマネジメントの領域に関わる技術ではあるが...。


2006年09月07日

宙船(そらふね)

うちの中学二年の息子は、何故かクラシックファンで、モーツァルトがお気に入り。

俺は、昔からその手の音楽が苦手なのだが、親子でも、そのあたりの趣味嗜好は全然違う。所謂ポピュラー音楽に関しても、彼はロードオブメジャーとかORANGE RANGEとか、俺に言わせれば、よりによって、そんなアホな...というアーチストを好む傾向にある。

今、彼のお気に入りは、TOKIOの「宙船」。俺の書斎で、ヘッドホンでMDを聴きながら、ご機嫌に歌っていたりする。(受験生の娘からは苦情がでている)どれどれということで、彼のMDプレーヤーから抜き取って聴いてみたが、なかなかよろしい。

聴いたことのある人は、すぐ分かると思うが、これは中島みゆきの書いた曲。宙船とかいて、「そらふね」とルビをふるところなんかは、昭和のかおりが、そこはかとなく漂う。曲も、歌詞も、デビュー直後から全く変わらない中島みゆきの世界。

ユーミンは、優秀なマーケッターで、時代の変化に従い、曲も歌詞も、最新のものを取り込んでいき、1990年代前半までは、ある世代の女性のニーズをジャストミートしていた。それに引き換え、中島みゆきは、泥臭く、不器用に、時の流れには何の影響も受けず、自分のスタイルを貫いた。時代とともに、時代を追いかけたユーミンは、今では輝きを失い、何も変えない、変わらない、変われない中島みゆきは、今また世代を超えた支持を受けている。時とかけっこをすべきなのか、時が微笑むのを待つべきなのか~二人の軌跡は、色々なことを考えさせる。

中島みゆきの世界では、今や君も僕も、愛や恋も必要としない。今回の「宙船」は、人生の暗喩で、とにかく自分の力で生きていけ、飛翔せよ...と繰り返し叫んでいるだけのシンプルな曲だ。TOKIOの長瀬君の素直なボーカルが、陳腐に聞こえそうなメッセージを力強く、説得力あるものにしている。流行歌という領域で、この曲がスマッシュヒットとして成立すること自体が奇跡的だ。

それにしても、ジャニーズ恐るべし。このCDには三曲はいっているのだが、クオリティが高い。佐野元春的に言えば、どの曲も"ROCK"している。TOKIOっていいバンドなんだなあ...なんて感心してしまった。

息子が、この曲を聴いてどんな事を感じ、考えているのかは、わからないし、聞く気もない。しかし、趣味は悪くないじゃん...と思うのであった。どうして、モーツァルトと中島みゆきが両立するかは、俺にとってはかなりの謎ではあるが...

TOKIOの最新ニュースは、こちらをご覧くださいませ

2006年09月06日

紀子さま男子ご出産

紀子さま男子ご出産されました。

関連ニュースはこちらでご覧ください  FENWトピック 「紀子さまご出産」

「ハチ男」「ひざ蹴り男」など

最近、信じられないような事件が多い。

「セーラー服にハチが止まっているよ」と女子高生に声をかけて、胸を触る「ハチ男」が、愛知県一宮市で話題になっているらしい。結局逮捕されたのだが、52歳の経営者が「ハチ男」。

横浜市の交番前で、小学校一年生の男児に、28歳の男が、すれ違いざまに、ひざ蹴り。仕事でむしゃくしゃしていたらしい。

22歳の大学生が、親に注意され、鬱憤がたまり、東武線に置石。

大田区の病院で、54歳の院長が、26歳の看護士にわいせつな行為をし、逮捕。

石垣島で、35歳の男が、わいせつ目的で、7歳の女の子を30Mつけまわした。

奈良県で高校寮の26歳生活指導員が17歳の女子高生に淫行。

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これらは、驚くことに、この3日間のうちに起こった事件の一部である。どこか特定の地域、特定の年齢層など、共通要因があるわけではない。

親に怒られたとか仕事がうまくいかないくらいの些細な理由で、ひざげりしたり、置石したりする。
分別のついていいオジサンが、ハチ男になったり,信頼されるべき、指導員や医者が立場を利用してレイプをする。

色々な葛藤や苦悩が、そこにはなく、非常に短絡的なものを感じる。衝動的だが、狙われるのは弱いものだったり、無抵抗なものだったり~ターゲティングは極めて冷静。一見、ばらばらのこれら事件に感じる同種の薄気味悪さは、そういう矛盾した感じが共通だからではないか。

精神的に何かが欠落しているのは、見た目にはわからない。何かの刺激で、セレクティブに衝動を爆発させる可能性をもった人々が群集の中に紛れていると思うと、非常に恐ろしい。