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決められない  このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリー参照しているはてなブックマーク このエントリーをdel.icio.usに追加

ちくま新書の「決められない」という本を読んだ。(著者 清家洋二)

この本では、人が優柔不断になる理由について書いている。優柔不断の根源には、簡単に言うと、2つある。
1)決断に伴い何かを失うリスクを背負いきれない
2)主体的な判断や決断をする能力が乏しい

また、何かを決めることができても、不適切な場合もあるだろう。この要因として、決められない状況における不安で悶々とした状況に耐えることができず、逃避的にある決断をしてしまう…ことがある。これは、自分の意志で決めたのではなく、不安に対する耐性の弱さが、ある決断を個人に強いてしまうということなのである。この耐性は、個人によって大きな差がある。

上述1)で述べたリスクであるが、「決める」ことは、他の選択肢を捨てることでもあり、取り返しがつかないことになりはしないかを不安視し、物事が決められない。勿論、この不安を感じる度合いも個人差が大きい。逆に、常に、将来が不透明であるにもかかわらず、新しいものに躊躇なく挑戦しようという人はいる。

実は、これは遺伝子に関係するらしい。「新規追求性」という性格特性は、ドーパミンD4受容体(D4DR)遺伝子により決定される。このD4DR遺伝子の情報をもつ部分には、同じ塩基配列の繰り返しがあり、この繰り返しが長いほど「新規追求性」の傾向が強い。
欧米人は、この繰り返しが長く、日本人は短いというデータがあるらしい。なるほど。

上述2)に関しては、結局「自分とは何か」ということに、つながってくる。つまり、「決断」という、非常に主体的な行動を取る時に、何をリスクとして感じ、どう評価するか?、何に不安を感じ、どう対処するのか…それらは、「自分とは何か」ということを問うているに等しい。

筆者が述べている「自分とは何か」についての、考え方が興味深い。「自分」とは自分自身だけではなく、自分と深く関わり自分のこころの一部に溶け込んでいる他者やモノまで広がる。自分を特徴付ける能力や、性質に対する評価、自分の家族、友人、財産や社会的地位なども、「自分のこころ」を形成している。この「延長された自己」とも言える部分は、「決断」に大きな影響を与える…らしい。

自分自身は、何かを決めることに躊躇することが余りなく、決めたことが適切でなく、後々良くない状態に陥ったとしても、過去の決断自体を後悔することは殆どない。しかし、物事を決めるということは、ご先祖様から受け継いだ遺伝子とこれまでの人生で関わり、こころを形成するに至った色々なものが、総動員された結果だとすると、優柔不断になってもしょうがないか…という気になる。

人間が社会的生物だという意味の本質は、この「延長された自己」が、その人の生き方や決断に大きな影響を与えるからであろうと、妙に得心がいった。

あとがきで著者が書いていたのだが、情報が氾濫し、将来に不透明感がある現代において、「決める」ことは、より今日的なテーマといえよう。
必要最低限の知識、情報の選別力、それらをもとに考え判断する力…こういうものは、本人が意識して修得するべき能力であるし、幸福になる為の必須な力。
う~ん、色々考えちゃいます。

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