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夏の風物詩~それはG1クライマックス?  このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリー参照しているはてなブックマーク このエントリーをdel.icio.usに追加

夏の風物詩といえば…

新日のG1クライマックスである。「小島聡が5年ぶりに参戦」という記事をみて、久しぶりにG1の存在を思い出した。年末の世界最強タッグと並んで、以前は、プロレスファンの目を釘付けにしていたのだが…。

ここ数年間(10年以上かもしれない)、プロレス団体に対する注目度は下落の一途であり、自分自身も、深夜プロレス番組を見なくなって久しい。

格闘技自体は、K-1ありプライドありで、一般的な注目を浴びている。この両者にいえるのは、そのスポーツライクな姿勢とテレビ放映を前提にした派手な仕掛け。大会場で、グラウンドの応酬など、面白くなさそうな気もするのだが、いつもフルハウス。ロシアンラストエンペラー、柔術魔術師、神の子、ビーストなど次々とスターも誕生している。(フジのプライド打ち切りが気になるが)

しかるに、既存プロレス団体では、未だにアントニオ猪木から一歩も前に進んでいないのではないか?(アントニオ猪木自体は、どんどん進化しているというのに)
プライドでは、一撃でKOなのに、何十発も打ち合ってKOしない。プライドでは、試合が終わった後、顔が変形したり、骨が折れたりしているのに、もっと派手な技を掛け合って、ダメージがそれほどではない。

ひと言で言えば、新日本が標榜していたストロングスタイルが、本当はストロングでもリアルでもないことが明確化してしまった。そのからくりがわかった後には、長州のエルボー、ストンピング、さそり,ラリアット、蝶野のバタフライアタック、喧嘩キック、STFというのも、退屈なパターンの繰り返しに見える。プロレスラーが実は一番強いという神話が、多くの新日選手の総合格闘技での無残な結果により、崩壊してしまったことも、大きい。

元々、別種のスポーツ、エンタメであったプロレスを、リアリティをアピールし、格闘者としての強さをイメージづけたのは、アントニオ猪木という天才の仕掛け。ペールワンの腕を折り、ブッチャーの顔面を破壊し、ジェットシンの腕を粉砕した。モンスターマン、ウィリーと闘い、チョチョシビリとはノーロープのリングで闘い裏投げでKOされてまで、プロレスのリアルさをアピールした。

皆、プロレスはショーだということは知りながら、ある一線を越えてしまうかもしれない…という不思議な緊張感をもち、目を離すことは出来なかった。

猪木が、天才であったのは、レスラーとしてよりも、マーケッターとしてだったかもしれない。色々な切り口で、リアルファイトを表現しつづけた。プライドやK-1により、いや何でもありのオクタゴンが誕生して以来既に、プロレス最強伝説は終わってしまっており、新たに何か他のファクターをアピールすべきだったのである。そういうマーケッターが、既存プロレスには、存在しないのが、最も大きな衰退の要因かもしれない。

実際、ショーの範囲の中で、現在のプロレスは、充分危険。新日、ノアのジュニアヘビーなど、本当に危険すぎる。あんなことをしていては、いつか死人がでるのではないかという過激さである。また、特にムーンサルトプレスを決め技に使っている選手の膝は、歩行も困難なほど傷ついている。(ムーンサルトプレスに行く前のシュミット流バックブリーカーを、膝の痛みの為出来ない選手もいる)

選手の体を酷使しての過激さが、プロレスに新しい魅力を与えてこなかったのは事実。一つの、ジャンルの終焉をこのまま迎えてしまうのであろうか?

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コメント

共感します。今日のエントリーのテーマは深い!

バーリトゥードは、猪木の作ってきた「プロレスの先を想像する事」を、現実にしてしまいました。
 猪木と馬場、どちらが強いか?
マードックとブッチャーの試合を見たか?
未だ見ぬ強豪はいるのか?
などの話題と想像で、どれほどのサラリーマンが新橋の赤提灯で飲んだでしょう。(異種格闘技路線も、この話題を広げこそすれ否定するものではなかった)
 プライドやHEROSは、こうした楽しみを奪ってしまった。
現実を目の前に突きつけられ、思考する楽しみを放棄してしまったのが今のファンでしょう。そして、団体側もPRIDEやHEROSを超える楽しみ方を打ち出せないでいます。

 全盛期のゴング、週プロの読者投稿欄を読み返してください。そこには深い洞察で書かれた「論文」が載っています。(全知識を動員して、論拠に基づいて想像するのがプロレスファンの嗜みで、この考察が深い程プロレスファンとして尊敬された)

 考えてみれば、往年のプロレスファンは猪木や新間と思考の真剣勝負をしていたのかもしれません。

 昨今の風潮を人間性の退化と考えているのは私だけでしょうか?

嘗ては、プロレスというジャンルは、見る側とレスラーのコラボと言えるような一種独特の世界を築いていた。真剣勝負を売り物にしたUの世界ですら、その事は変わらなかった。

見る側と闘う側の「スイング感」がそこにあった。

そういう知的な営みが失われた今、単に危険な技のオンパレードになっていて、新しいパラダイムを提示できずにいる。

知的なスイング感のあるモデルの提示がないと、既に形骸化しているジャンルは救えないのでは…悲しいことだが

仰るとおりです。
昔のプロレス会場は、大きくても田園コロシアム、蔵前国技館でした。まるでライブハウスのような濃密な空間でした。(Uの聖地、後楽園ホールなんかはその典型)

観客のノリに応じて選手がヒートアップしていくライブセッションのようでしたね。ヒートアップの末にうがい用ビール瓶を叩き割ったダイナマイト・キッドなんてパンクののりで良かった。

金田さんのコメントの視点で昔のゴングの読者投稿を読み返すとJAZZレコードのライナーノーツみたいです。

確かに、ライナーノーツは、言いえて妙。しかも、シリーズごとにシナリオがあって、最終戦で爆発するみたいな…。

雪の札幌、長州襲撃事件
佐山タイガーの登場
欧州チャンプ前田の凱旋帰国
名勝負数え歌
運命にのってブロディ登場→猪木の闘魂爆発
IWGP失神事件

常に仕掛けのほうが、見る側の想像力を超えていた

ゴングは、読者が自分のプロレス観とかを語るのに共感したり否定したり・・・、私も青臭かった。

確かにシリーズ最終日には何かしらの騒動か事件が起きましたね。新日本の審判部長でワールドプロレスリングの解説者の山本小鉄でさえ試合展開に興奮してました。(「見たろ古館!俺の言ったとおりになったろう!」事件とか)
 また起きるようなマッチメイキングで次シリーズの予告編も兼ねてるんだな、これが。

ああいう風に当事者もファンも熱くなれるプロレスってもうないんでしょうね。(復帰する高山に期待です)

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