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2006年07月31日

雑感

先日、誕生日を迎えて、44歳になった。

歳を重ねることは、大きな変化をもたらす。恐ろしいことだ。

24年前50KGしか体重がなかったのに、既に20Kg以上の増量をしている。

毎日、何か運動をしないと、気持ちが悪かったのに、ここ数年スポーツをしたことがない。今では、走ると気持ちが悪いくらいだ。

弱音や愚痴を言いまくって、大騒ぎをするが、結局は何とかなるというパターンだったのに、最近では、弱音や愚痴を言う相手がいない。変に心配されたり、不安がられたりするのではないか…と思うと何もいえなくなる。

体に脂肪がつくように、精神もかなり肉厚になってきている。いいことなのか、悪いことなのかは、よく判らない。よく生活習慣病が話題になるが、生活習慣が影響するのは、肉体と同じくらい精神だ

「mixi疲れ」というのがあるらしい。自分の日記にあしあとやコメントが付くと周囲から認められたい「認知欲求」や受容して欲しいという「親和欲求」が満たされ、快感を得る。人間というのは、一つ快感を得ると必ず高次の快感を得ようとする生き物なので、日記を更新しコメントをくれた人にコメントをつけるなどを繰り返し、更に快感を得ようとし、中毒状況に陥る。この繰り返しには、際限がなく、しかも出口がない(昇華しない)だから、疲れてしまう。

生活習慣が精神に影響する過激な例なのでしょう。

時間が経過する、その間、日々繰り返していることや、受けている刺激がある。一定の環境で、一定の刺激を受け続けると、体なのか心なのかわからないが、変形したり、研ぎ澄まされたり、機能が付け加わったり、ポジティブ、ネガティブな変化を示す…ってこと。

考えてみれば当たり前のことなのだが、やはり歳を重ねることは、恐ろしい。

高杉晋作の辞世の句、「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」 というのは単調な生活・習慣から自分を解放するという観点から核心をついている。

因みに「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」というのも、高杉晋作が作ったらしい。大切なのは、このノリかもしれないなあ。

2006年07月29日

てめえのアイデンティティは、何だ?

先日、中学の野球の試合を観戦した。息子のチームと対戦した側の監督には、本当にハマッテしまった。

後で聞くところによると、彼は42歳の英語教師で、生徒には人気があるらしい。

監督は、大柄で足の速い中学一年生に期待をしているらしく、どう見ても素人の彼を、センターで3番に抜擢している。この選手が、とても優しそうで、気の弱いタイプなのだが、どうもそれが気にいらないらしく、二試合罵声を浴びせ続けた。

主な理由は、声が小さいという理由なのだが…
「てめえは、何故、全力をつくさねえんだ」
「てめえは、運命から逃げようとしている」
「てめえは、何様のつもりだ。緊張するなんて、10年早い。てめえは、図書館の二階に打ち込めるのか?」

彼の位置するセンターは、ダッグアウトにいる監督からは、最も遠く離れているので、声が届かない…という事情もあるのだが,お構いなし。
「42歳の俺がこんなに、大きな声をだしているのに…。てめえはなめてんのか?」

センター前のフライを後逸した彼に、
「てめえを、俺は絶対おろさねえぞ。てめえは、苦しい場面から逃げてぇだけだ。いいか、てめえをゼッテイおろさねえぞ」

ビビッて、センター前の飛球に突っ込めずに、ワンバウンドで取ってしまった彼に、
「てめえのアイデンティティは、何だ?」

ミスをして、無言で引き上げる彼に
「一体どうなってんだこのチームは?人間関係も何にもできてねえじゃねえか」

13歳の気弱な子供が、42歳の大人に、大声で、「アイデンティティ」を問われて、何か答えられる?(第一、アイデンティティなんて中学生には、意味がわからんぞ)
声が小さいくらいで、「運命から逃げている」と言われてもなあ?
「図書館の二階に打ち込めるのか?」っていう質問も、図書館の二階は200メートルは先だから、松井でも無理だと思うんだよなあ。

最終打席で、彼は送りバントをサインどおりに決め、アウトにはなったものの全力疾走で、クロスプレーになった。戻ってきた彼を監督は、ハグして、
「てめえは、最高だ。てめえは、壁を打ち破った」

単に、喜怒哀楽が激しいのとは、違って、この監督が凄いのは、罵声がすべて、単純に回答できない類の質問形~言われた方は、途方にくれるだろう~となっていること。

最後のハグ&スマイルで、全て帳消しってことなんだろうか?

因みに、息子によると、毎試合ああいう感じで、しかも、意味不明な英単語混在で怒鳴り続るので相手チームもびっくりするらしい。
「てめえのアイデンティティは、一体何だ」~ちょっと言ってみたい気もする。(けど怖くて言えない)

日本刀と首切断

殺伐としたニュースが多い。

店で食事中の夫婦切られる滋賀

レストランで食事中に、5,6人の男が、日本刀をもって乱入し、夫婦を切ったらしい。想起するのは、池田屋事件…くらいかなあ。幕末の志士と新撰組ならわかるけれども、現代日本で、日本刀をもった集団が斬り込んで来るなんて信じられない。

兄の首をのこぎりで切断・大阪

28歳の長男を、21歳の三男が「ごみ捨てをめぐり口論になって」、首をのこぎりで切断したらしい。
信長を狙撃した、善住坊くらいしか思いつかない、首をのこぎりで切断とは…。前述記事は、幕末だけど、この話は戦国時代くらいまで遡らないと、類似例がみつからないのではないか。ゴミ捨ての口論くらいで、首をのこぎりで切断されていたら、私はこれまで姉に、3000回は鋸引きされているに違いない。

同じ日に、こういう事件が起こる日本という国は、何かどこかが、麻痺しつつあるんじゃなかろうか?トラブルの解決方法が、抜刀斬り込み。兄弟喧嘩の結果が鋸引き。命の重みが、どんどん軽くなっていく。

2006年07月28日

復活の日

うちの息子は、学童野球のときは、5,6年ほぼフルイニングでショートを守り、非常に恵まれていた。

中学になり、なかなかレギュラーになれず、苦しんでいた。課題は、バッティングで、体が小さいこともあり、中々鋭い当たりを飛ばすことが出来ない。補欠の経験がない為、試合から遠ざかることにより、更に打撃不振に拍車がかかるという悪いスパイラルに入っていた。

僕自身は、ここ数年間どうしても会社をが~んと成長させる糸口が見出せずにいた。色々もがき苦しみながら、何とか帳尻を合わせるということに終始してきた。

息子は、状況打開のために、中学の練習後、素振り、ランニング、ダッシュをこなし、お年玉でトスマシーンを買い、学校に何KGもするその機械をもって、打ち込んだ。バッティングフォームも試行錯誤を繰り返し、やっとそれらしい形を整えてきた。

今日、所用があり、休暇をとっていたが、練習試合があるという事を聞き、近くの中学の運動場に駆けつけた。3年生が引退して、初めての練習試合。彼は二番セカンドで先発出場した。
そして問題の初打席。チェンジアップを思い切りひっぱたくと、三塁の横を鋭い当たりは抜けていった。結果としては、殆どのメンバーが交代する中、二試合フルイニングで出場、もう一安打放ち、盗塁も決め、四球も選び、惜しいあたりも数打席。

彼は、彼の前に立ちはだかっていた大きな壁に、小さくはあるが、確実に穴を開けることに成功した。気付いてみれば、少年は、この一年で、10CM背が高くなり、5KG筋肉をつけた。

鎌倉ナンバーワンのセカンド(と、俺は固く信じている)がダイヤモンドに復活した日、投球動作にあわせて集中力を高め前傾姿勢をとる少年に夕陽が降り注ぐのを、息を詰めて見つめた。

Then, it is my turn!! 恐らく、三塁の横を抜くヒットをうつより、少し複雑で、少し難しく、成功までの道筋は、かなり不透明だが、注ぎ込んだエネルギーが、つみ重ねた努力は、決して嘘をつかないことは、よく判っているつもりだ。

Coco d'or2など

CDの話ばかりで、全く恐縮ですが、最近買ったUltra Blue、ユーミン、守屋純子は、実は衝動買いで、本当に買おうと思っていたのは、次の2枚。

Coco d'or2…パチパチパチ。待ちに待った、hiroのCoco d'orプロジェクト第二弾がやっと発売。とにかく、第一弾の衝撃が強烈だったので、期待が膨らむ。

今聴いたところだが、とにかく楽しい、楽しい。 選曲が、良くて
1.この素晴しき世界、2.ララは愛の言葉、3.アイ!・コシータ・リンダ、4.バイ・ザ・ウェイ、5.タイム・アフター・タイム、6.トゥー・オブ・アス、7.遙かなる影、8.イージー、9.恋のサヴァイヴァル、10.やさしく歌って
11.ホーダ12.イズ・イット・ユー13.カーニバル14.ワン・ラヴ/ピープル・ゲット・レディ

リーリトナーありサンタナありアルジャロウありボブマーリィありカーペンターズあり…で色々な曲を軽々(本当に楽々と)歌いきっている。これが才能なんだろうなあ。聴いていると、ドーパミンの分泌が促進されます。(出来れば、突き抜ける高音を活かした曲もあればなお良かったけど、それは次回に期待)hiroちゃんは、高音も凄いんだけど低音も凄い。

hiroの声を聴いていると、あたかもホーミーのように、倍音がでていて(ある音の、周波数が整数倍である音。正弦波弦楽器や管楽器の音を分解すると、耳に聞こえる周波数の音の他に、その倍音が含まれている)、この耳には聞こえない微妙な振動に、心地よく包み込まれる感じがする。

もう一枚は、シングルで、「Keep Holding U.」 SunMinと久保田利伸のデュエット曲で、例の日本沈没のテーマ。映画のクライマックスで流れる、ドラマチックで、緊張感があって、美しいバラード。毎回、背筋を伸ばして聴いております。

カラオケで、この曲をデュエットする部長とOLがいたら、かなり二人は深い仲に違いない。(二人で猛練習しないと、あの微妙なハモリはコピーできまい)

2006年07月27日

A Girl in Summer

ユーミンに関しては、もう30年以上のお付き合いなので、もういいかなあ…なんて思っている。

新作が出たら買うというのも、惰性になっているし…。といいつつ、今回は、A Girl in Summerというタイトルが、ちょっと素敵かも…と思って買ってしまった。

夏にまつわるユーミンの名曲は多い。

海を見ていた午後、雨のステイション 、天気雨、晩夏、9月には帰らない 、Corvett 1954 、丘の上の光、まぶしい草野球、Pearl Pierce全曲、心のまま、SALAAM MOUSSON SALAAM AFRIQUE、September Blue Moon、Hello,my friend …

思いつくだけ挙げてみて感じることだけど、もしかすると夏のイメージを抱いているのは俺だけ?という曲も多い。ただ、上述曲を聴くと、僕の中では、夏のイメージが広がるのは確か。

A Girl in Summerというタイトルから、そんな名曲に遭遇できるのでは…と期待して。

新作CDは、どの曲もとても耳あたりがいいのであるが、前述した曲達のように、最初に聴いて10年、20年、30年経過した後に、もう一度聴いてみたいかと言われると、答えはNO。
昔のアルバムで、聴いたことがあるメロディ、聴いたことがあるフレーズ、予定調和のアレンジ。

このブログも、A Girl in Summerを聴きながら書いているのだが、BGMになるユーミンというのは…。
これ以上ユーミンに多くを望むほうが、ファンの身勝手なのかもしれないが、もう一度「雨の街を」みたいなシンプルで、心に沁み込む様な曲を書いて欲しいと思う。

2006年07月24日

決められない

ちくま新書の「決められない」という本を読んだ。(著者 清家洋二)

この本では、人が優柔不断になる理由について書いている。優柔不断の根源には、簡単に言うと、2つある。
1)決断に伴い何かを失うリスクを背負いきれない
2)主体的な判断や決断をする能力が乏しい

また、何かを決めることができても、不適切な場合もあるだろう。この要因として、決められない状況における不安で悶々とした状況に耐えることができず、逃避的にある決断をしてしまう…ことがある。これは、自分の意志で決めたのではなく、不安に対する耐性の弱さが、ある決断を個人に強いてしまうということなのである。この耐性は、個人によって大きな差がある。

上述1)で述べたリスクであるが、「決める」ことは、他の選択肢を捨てることでもあり、取り返しがつかないことになりはしないかを不安視し、物事が決められない。勿論、この不安を感じる度合いも個人差が大きい。逆に、常に、将来が不透明であるにもかかわらず、新しいものに躊躇なく挑戦しようという人はいる。

実は、これは遺伝子に関係するらしい。「新規追求性」という性格特性は、ドーパミンD4受容体(D4DR)遺伝子により決定される。このD4DR遺伝子の情報をもつ部分には、同じ塩基配列の繰り返しがあり、この繰り返しが長いほど「新規追求性」の傾向が強い。
欧米人は、この繰り返しが長く、日本人は短いというデータがあるらしい。なるほど。

上述2)に関しては、結局「自分とは何か」ということに、つながってくる。つまり、「決断」という、非常に主体的な行動を取る時に、何をリスクとして感じ、どう評価するか?、何に不安を感じ、どう対処するのか…それらは、「自分とは何か」ということを問うているに等しい。

筆者が述べている「自分とは何か」についての、考え方が興味深い。「自分」とは自分自身だけではなく、自分と深く関わり自分のこころの一部に溶け込んでいる他者やモノまで広がる。自分を特徴付ける能力や、性質に対する評価、自分の家族、友人、財産や社会的地位なども、「自分のこころ」を形成している。この「延長された自己」とも言える部分は、「決断」に大きな影響を与える…らしい。

自分自身は、何かを決めることに躊躇することが余りなく、決めたことが適切でなく、後々良くない状態に陥ったとしても、過去の決断自体を後悔することは殆どない。しかし、物事を決めるということは、ご先祖様から受け継いだ遺伝子とこれまでの人生で関わり、こころを形成するに至った色々なものが、総動員された結果だとすると、優柔不断になってもしょうがないか…という気になる。

人間が社会的生物だという意味の本質は、この「延長された自己」が、その人の生き方や決断に大きな影響を与えるからであろうと、妙に得心がいった。

あとがきで著者が書いていたのだが、情報が氾濫し、将来に不透明感がある現代において、「決める」ことは、より今日的なテーマといえよう。
必要最低限の知識、情報の選別力、それらをもとに考え判断する力…こういうものは、本人が意識して修得するべき能力であるし、幸福になる為の必須な力。
う~ん、色々考えちゃいます。

2006年07月22日

パロマ瞬間湯沸かし器

瞬間湯沸かし器といえばパロマ。パロマといえば瞬間湯沸かし器。

恐ろしいまでにはまったネーミング。「瞬間」+「湯沸かし器」の組み合わせは、語呂といい、インパクトといい、素晴らしい。

その瞬間湯沸かし器が、瞬間殺人マシーンに変わるのだから、本当に恐ろしい。

新聞をみると、一酸化炭素中毒を引き起こす原因は、安全装置の部品不足を背景にした不正改造と安全装置自体の劣化。しかも、部品不足が、不正改造の呼び水になっていることを知りながら、パロマは96年に部品製造を中止している。また、これまで不正改造のみを原因とし、自らの責任を否定していたが、安全装置そのものの劣化が原因である事を認めた。

パロマは、別機種でも問題を起こしている。パロマ側は2000年12月に自主点検を開始。北海道エルピーガス協会では、亀裂により一酸化炭素が漏れ出す可能性が否定できないとして、2001年5月、全国に流通している約4万台の回収を文書で要請したが、パロマ側は要請を受け入れなかった…とのこと。

人が20人死んでも、危険な製品を販売し、20年間も放置した会社ってどういう存在なのだろう。人間の命以上に、彼らが重視したものとは一体何なのだろう。

福田康夫出馬せず

福田氏が総裁選に出馬しないことを表明した。

最近の総裁選絡みの動きは、非常に不自然に感じる。

北朝鮮のミサイル発射は、対中国・北朝鮮強硬派である、安倍氏にとってフォローウインドであった。北朝鮮脅威論が高まれば、高まるほど、従来明確な姿勢をとり続けた安倍氏支持の動きは広がっていく。国連対策でも、安倍氏とブッシュ氏側近とのホットラインで、イニシアティブをとり、日米連携を印象付けた。 20日には事実上の選挙公約(国債発行枠30兆円の維持、道州制推進など)を講演会にて表明し、このまま独走かと思われた。

そんな矢先、故富田宮内庁長官のメモが「関係者」により公開された。1988年4月のメモであり、A級戦犯合祀への昭和天皇の不快感を示したものである。18年前のメモが何故この微妙な時期に、あたかもテポドンへのカウンターのように公開されたのか?関係者とは一体誰なのか?新聞を読んでもさっぱりわからない。

加藤紘一氏や山崎拓氏は、「分祀論に弾みがつく」などと発言し、この富田メモを梃子に、非安倍勢力を結集し福田氏を担ごうという意志を明確にした。天皇のお言葉を政治利用すること自体反則なのだが…。

そして、本日の福田氏の不出馬表明。理由は、「70歳の年齢」「靖国神社参拝問題の争点化回避」とのこと。勢いづいた非安倍派の動きに対し、タイミングばっちりでカウンターを浴びせた感じである。年齢の指摘は、67歳の加藤氏、70歳の山崎氏には、抗いにくい理由付け。また、加藤氏が提唱する分祀論にも、歯止めをかけた。

この、テポドン⇒安倍独走⇒富田メモ公開⇒福田氏不出馬表明の流れは、誰かが練ったシナリオとすれば、芸術的ですらある。勿論、偶然などではなく、意図をもったアクションが連鎖しているという事なのだろう。表面的には対立関係にあっても実は裏で握っていたりするのかもしれない。

日本のリーダーを決める話なのだが、少数の人々の仕掛けや思惑に、国民の大多数はリアクティブな反応をするだけの存在。主義主張は、色々あるとして、こういった形で、意志形成されていくのが、民主主義というものなんだろうか?

8月15日の小泉首相靖国参拝は、どのような影響を与えるのか?振り子が触れるように、何らかのアクション連鎖が起こり、総裁選へ雪崩込むのだろう。 天皇のお言葉さえも政治的に利用し、国民の思いは置き去りにされた形で、流れが決められていく…凄く違和感を感じるのは、僕だけなんでしょうか?

2006年07月21日

言い訳

本日は、どうしても起き上がれずにお休みしてしまった。

食事以外は、ず~っと寝ている状態で、何ヶ月に一度あるゼンマイが急に切れた状態である。調子に乗って、睡眠を余りとらずに働いていると起こる現象で、中々このあたりの自己管理ができない。以下、言い訳。

ある程度大きな会社に勤めた経験のある人は理解できると思うが、~長という役職が上がれば上がるほど、仕事をしなくなる。大体において、ハードに仕事をするには、歳を取りすぎているのもあるし、環境もあると思う。また、判断材料は、綺麗に纏められた二次加工データで、元データ(人、物も含む)を実際に触れて、考えを纏めるということがない。多くの場合、所謂「お偉いさん」になると、4X4のマトリックスに数字が詰まっていると、もう判断できないくらい、複雑な思考が無理な人も多い。
こういう状況では、二次加工品を上手に作成できる人が、結果的には、会社の意思決定に大きな影響を与えてしまうということになりがちである。柳沢吉保のような、側用人制ですね。

そういう事例を多くみているので、自分としては出来るだけ、原始データに触れ、自分で資料をまとめ、実際に客に提案し、頭を下げ…ということをしたいと思っている。(頭を下げ…の頻度が高い…?)

また、よくあるパターンとして、上司が帰りがけに寄ってきて、「この件明日の朝までにまとめておいてくれ」というのがある。これなど、間接的に、徹夜しろ…と言っているのと同じで、アンフェアな話だと思っていた。そういうわけで、「明日の朝までに、纏めたものを送るから、出社したらチェックをしてくれ」みたいな仕事の頼み方をすることが多い。

そういうわけで、睡眠時間がへって、時々ゼンマイが切れるわけである。ここまで、言い訳でした。

で、関連して思うことだが、大企業を実質的に意思決定しているのは、所謂中間管理職の優秀な側用人の皆さんだとして、所謂経営陣といわれる人々は、本当に必要なんだろうか?年齢が上がると、経験値が増し、意思決定能力がアップする…という美しい仮説が成立すれば、意思決定専業者も必要なんだとは思うが、年功序列型組織では、成立しないのでは。

まず、年功序列型組織というのは、責任を分散させる組織であり、最終的には何故か消失してしまうこともある。パロマ瞬間湯沸かし器の問題にしても、問題はかなり前から認識をしていたのに、組織の情報フローの中で、問題そのものが消失してしまったのであろう。こういう組織体で、判断がつきにくい事柄にとにかく決定をしなければならない…ようなギリギリの意思決定の経験を得ることは難しい。爺さんになって、意思決定をする役目を与えられても、出来るわけがない。また、現在のように、ビジネス環境が激変する中にあって重要なのは、経験より想像力である。経験したことしか、判断できないのであれば、一人の人間が決められることなど、殆どない。想像力が、重要視されるピラミッド型組織など聞いた事がない。

意思決定専業者というのは、かなり専門職に近い領域と思われる。精神的&肉体的なタフさ、情報分析力、想像力、責任感などあるかがキーであり、年齢、性別、国籍、学歴、経験などは、殆ど関係ないかもしれない。

2006年07月20日

純金製伊勢海老

地域性って確かにあるとやはり思ってしまう。

>「おいしそう」純金製の伊勢エビを販売 名古屋2006年07月19日20時49分  「金のシャチホコ」ならぬ純金製の伊勢エビが、名古屋市中区にある貴金属店「ギンザ タナカ名古屋店」で、販売用として展示されている。 純金500グラムが使われており、価格は500万円。本物の伊勢エビで型を取り、細かなところまで整え、全長34センチ、高さ19センチの大きさに再現した。 伊勢エビはご祝儀で使われることが多い。「縁起物として、慶事の贈り物用に」と同店。来店客からは「動き出しそう」「おいしそう」という感想も。

名古屋人以外から、純金で伊勢海老を創ろうという発想が生まれるのか?また、ただの海老ではなく、伊勢海老で、しかも「本物の伊勢エビで型を取り、細かなところまで整え、全長34センチ、高さ19センチの大きさに再現」などと精密さを極めている。この得体の知れないパッションは、どこから来るのだろう。しかも、創るということは、買いそうな人がいるってことなんだろうなあ~500万円もだして…どこに飾るんだろう。

名古屋人は、ミステリアスだ。純金の名古屋コーチンだとか、純金の味噌煮込みうどん(どんなんじゃ)なども、創りかねない。恐るべしだ。


ヒロシマ

広島の夏は、本当に暑い。

僕が、広島にいた頃は、まだキャンパスは、市内にあり、校門前には路面電車の停留所があった。多くの都市で、路面電車が姿を消す中、広島では今も不可欠な交通手段としての地位を確保している。のんびり、ゆっくり、街の真ん中を走る。

今日、61年前に被爆した路面電車が引退するという記事をみて、色々な映像がフラッシュバックした。何故か、思い出すのは、真夏のキャンパスのイメージ。

広島市内には、太田川の支流が幾つも流れている。その上にかかる橋の一つに、御幸橋がある。下宿と大学間にこの橋が架かっており、何度自転車で往復したか数え切れないくらい。この橋も、被爆していて、当時でも、放射能センサーの針が振り切れるほど。
夏の広島は、鬼のように暑い。湿度も高く、蒸し暑い。しかし、橋の上を自転車で渡るとき、ふっと涼しい風が吹いたりする。

卒業後、4~5年でキャンパスは、田舎に引っ越してしまい、今では、赤レンガでできた理学部の建物しか残っていない。校門をぬけると、右手に大きなポプラの木があり、真正面には、この赤レンガの古びた建物がそびえている。この建物も被爆をしていて、理学部内部では、やはりセンサーの針が大きくふれる。最上階には大きな時計がはめ込まれており、立ち姿がとても美しい。夕陽を浴びた理学部は、僕のお気に入りの風景である。

広島の夏は、本当に暑い。

図書館の裏で、青空をみながら、この季節に多くの人が一瞬でこの世から消えてしまったんだなあ…とビビッドに感じたりした。

電車からでも、橋からでも、建物からでも、青空からでも、多くの事を感じ取れる頃に、広島にいたことは、とても意義深いことだったのかもしれない。

2006年07月19日

日本沈没その2

日本沈没のなかで、う~んと唸ってしまったシーンがあった。

劇中で首相(石坂浩二)が、日本沈没後の日本人のあるべき姿を各界の有識者に話しを聞くと、全く違う領域の人から、同じ意見がでた、そして彼にはその意見が一番しっくりくる…と語るシーン。「その意見」というのは、「何もしない」という意見。つまり、沈没する日本と運命を共にするという考えなのである。

何故そのシーンに唸ったかというと、僕もそう思うから。恐らく、そういう状況であれば、地元に戻って沈没するのを待つだろう。(東京で沈没するのは嫌だ)

よくわからないけれど、深層心理の中では、故郷の山河に深くつながっていて、離れられないような…そんな感覚がする。つながるべき「日本」が失われた時、他の国に移住してまで、生きていこうとは思わない。

実は、こういう考えはかなり特殊なのかもしれないと思っていた。首相曰く、「こういう考え方をするところが、日本人が他の民族と違うところだ」と結んだので、案外多くの日本人が共感をもつのかもしれない。

よく、愛国心というと、かなり胡散臭げなイメージがあるが、本当のところは、こういう気持ちのことを指すのではないだろうか?

2006年07月17日

日本沈没を観てしまった

MI、カリブの海賊、タイヨウノウタ(鎌倉が舞台なんです)と選択肢はあったが、話題作をどど~んと見ようと思って、「日本沈没」をチョイス。

結論から言うと、「あ~もったいない」という感じ。主演の二人(草なぎ剛、柴崎コウ)は、とても魅力的。しかし、この二人に割く時間が、この映画では、非常に短い。二人がどのように、親しくなっていったのか、理解していったのか等は、全くわからない。悲喜こもごものエピソードがあっていい筈なのに、ヒロインが阪神大震災の被害者で、心に傷があることだけしかわからない。(しかも、その事実は、ヒロインが喋って終わりで、膨らまない)

このドラマの主人公は、まさしく「沈没」なのであった。映画の中で、最も長時間描かれたのが、「日本が沈没するさま」 何分かに一度、北海道、大阪、京都、福岡、広島…など地名のテロップと、その被災状況がCGを使って,リアルに描かれる。凄い数のエキストラが、汚い格好をして、各地で流浪するシーンが何度も何度も繰り返される。奈良の大仏は、半壊し、五重塔は崩れ落ちる。

観客は、日本が沈没する話であることは、百も承知であるし、沈没の悲惨さを観に来たわけではない。「日本沈没」という民族存亡の危機に、どんな人間ドラマが生まれるのかが見たいのである。危機的状況であるからこそ、人間の美しい部分が、純粋に結晶化して映るのではないかと。

それなのに、監督は、ヒトではなく、沈没を撮ってしまった。「日本沈没」というタイトルをつけたところで、ロックされてしまったのだろうか?

もう一つの拙い点としては、ただでさえ沈没シーンが多いのに加え、無駄なストーリーを織り込みすぎ。特に大地真央、豊川悦司の二人のシーンが多い。危機管理大臣と科学者役なのだが途中で、元夫婦という設定であるということが判明。だけど、この伏線は最後まで活かされることがない。また、クールでエゴイスティックな政治家なども描かれるが、これも重要でない。大地真央の危機管理大臣というのが、まったくリアリティに欠けるのも、問題といえば問題。どうみても、大地真央にしか見えない。(もしくは真矢みき)

主題歌は、素晴らしかった。こんな美しいバラードは久々に聴いた。

主人公二人にフォーカスして創れば、素晴らしい作品になったかもしれないのに…本当にもったいない。

盆おどり

郡上踊りが始まったというニュースをみた。

郡上踊りは、全国の盆踊りの中でも、色々な点で群を抜いている。400年間も続いているという歴史。先祖代々受け継がれてきた民謡。10種類にも及ぶ多様な踊り。7月上旬から9月上旬まで、踊り続けるという期間の長さ。特に8月13日から16日は、「徹夜踊り」

郡上八幡は長良川の上流にあり、奥美濃の山々から流れ出た吉田川、小駄良川など三つの川が合流する地点にある。清流で名高い町。そんな静かで、美しい町に住む人たちが、2ヶ月だけ、亡き人の魂を迎える為、明るく踊り続ける。ロマンチックだと思いませんか?

地域コンテンツを研究するため、地方公共団体や観光サイトを何時間もみていて(何と無粋な)、どこか旅にでたい…と思った時にこのニュースにぶつかった。郡上八幡には、行ったことはないが、親友の奥さんが、郡上八幡の出身ということもあって何となく身近。

自分の中では、過剰なまでにイメージが出来上がっていて、郡上八幡という上品で伝統を感じさせる音を聞くと、月の光に照らされて、美しい浴衣姿の女性が、しなやかに踊っている幻想的な風景が広がるのだが…。

祭といえば、僕の地元にも、とんでもない奇祭がある。数方庭祭。
伝説によれば仲哀天皇(ヤマトタケルの子らしい。これも凄い)の御代、7月7日に海から塵輪(じんりん)という大きな鳥の怪物が黒雲に乗って飛来。天皇が自ら弓矢を取って塵輪を射落とした。その塵輪の首を埋めたのが忌宮神社の鬼石で、塵輪は死した後も悪疫を流行させたため、それを調伏するためにこの奇祭がはじまったらしい。(何故、天皇が下関にいるんじゃ?と疑問に思う人もいるでしょうが、実はこの時代、都は下関にあったのでした。)
で、祭の内容だが、この鬼石の回りを、太い竹の棒の先に塵輪を表す羽毛と鈴を付け、幟を巻いて、60人の男達が1人1本ずつ持ち、踊るのである。この竹の棒の長さが、何と10M以上で、小さい時から、この騒ぎは一体何だと思っていた。(大きな鳥の怪物がらみとは、思いもしなかった)とにかく、異様な光景で、初めて見る人は、口が開いてしまう…多分。

このブログを書きながら、猛然とどこかに行きたくなってきた。日常生活には、祭りも旅もない。唄もなければ、踊りもない。ふらっと、独りでどこか遠くへ行ってみたいなあ。(かなり煮詰まってマス)

2006年07月16日

小中学生の学力調査結果

文部科学省が、全国の小学4年生~中学3年生を対象にした、国語と数学の学力調査結果が発表された。

その国語の結果が、かなりショッキングで、「挙手」を読めた小学校4年生は、全体の17%。また、子孫を「こまご」と読む生徒もかなりの割合に上るらしい。

単語力がないと、英文は読めないように、このボキャブラリーでは、本を読むのはかなり苦労するに違いない。複雑な概念を理解したり、思考を展開するためには、手持ちの知識が必要であり、その知識は、意味をもった語彙の集合体と考えると、現在の小中学生のレベルはかなり寒い。

算数で文章題が、苦手な子供は沢山いるが、その原因は、数的能力というより、国語力の問題らしい。他の科目についても同様で、問題の意味がわからないのに、正しい解答がだせるはずがない。

最近のネット利用の調査で、ネットユーザーの増加が報告されていた。その増加要因の一つが、SNSやブログで、多くの個人が情報発信をするようになったこと。

国語力は低下しているのに、情報発信数は増えている…。これもまた、かなりキツイ。貧弱な語彙と表現力による情報発信が行われ、またその情報に対して貧弱なコメントが寄せられ…知のスラム現象ともいうべきことが起こるのではないか?

「格差の時代」が意味するものとして、所得の差異などがクローズアップされるが、その根本原因の一つは、国語力の格差では。

2006年07月14日

ジダンの頭突き…など

ジダンの頭突きには、驚いた。

どうやら、「母と姉を侮辱した」言葉を三回言われて切れた…ということらしい。

基本的にジダンは正しい。身内の悪口を続けて三回言われたときに、切れない男は、男ではない。

そのことより、問題は頭突きではないだろうか。サッカー選手なんだから、まず蹴りでしょう。また、胸に頭突きというのも、いただけない。顔面もしくは、後ろ頭でしょう。

あんなにおおっぴらにやっちゃあ駄目。それでは、一撃しか与えられない。

ジダンの取るべき行動は、レフェリーが気付かないうちに2,3発蹴りをいれて、(どうせレッドをもらうなら)イエロー2枚を有効に使うべきだったと思う。

ところで、「やずや」
中国産の酢を濃縮加工しカプセルに詰めた「熟成やずやの香醋(こうず)」の新聞折り込み広告に「香醋を約20倍に濃縮」「水分を飛ばし栄養成分だけを残した」などと記載。しかし実際は、主要成分であるアミノ酸の濃度は原材料の4倍…

誇大広告といわれても、余りピンとこない。濃縮4倍<濃縮20倍という価値観は、一般的なんだろうか?第一「香醋」って何でしょうか?イメージ的には、酸っぱい感じなので、自分としては4倍位のほうが、妥当な線だと思うが…


2006年07月12日

ニュースをみて

相も変わらず、毎日、色々なことが起こっている。

額賀長官は11日の記者会見で、「他国から例えば精密誘導兵器で攻撃され、防ぎようのない場合は相手基地を攻撃することもやむを得ない手段として、法理論的には認められる」との見解をしめしたらしい。

実際の真意は、「攻撃され」ではなく「攻撃される可能性が高い場合」ということらしい。つまり、「攻撃される可能性」の高さを認識するのは、あくまで日本側。であるので、実際、攻撃開始を行っても良い状態というのは、非常に曖昧。また、いずれにしても、緊急事態であるに違いないので、首相あるいは政府閣僚を含めた1~数人の非常に少数のメンバーにより、クイックに判断をされる事柄に違いない。

北の脅威が高まる中、今後、首相になる人物に関しては、そういう難しい決断を委ねる可能性があることを認識したうえで、厳しい評価をしていくことが、必要になる。派閥間の根回しが得意なお爺さんやポピュリズムに支えられた張子の虎のようなリーダーでは、その任は重すぎる。

情報通信白書によれば、ネット人口は8529万人と前年比581万人増。この増加を牽引しているのが、ブログ(868万人)、SNS(716万人)という個人による情報発信の広がり。また、購買に関しても、62%がネットで情報を収集し、EC利用者は26%と大きな役割を果たしつつある。この変化をどのように捉えるかは、非常に重要で、例えば読売新聞の社説では、

・企業の取り組みの遅れ
・米国企業のビジネスモデルの後追いと模倣に対する批判
・個人のネット活用の促進の必要性
・ネット犯罪対策の遅れ

などが指摘されている。
こういう皮相的な話なのだろうか? ネットのパワーは、生活文化や習慣、人間関係、労働環境などもっと多面的かつドラスティックな変化をもたらしつつあるのではないか…と感じている。

Before Web AgeとAfter Web Ageでは、人間・社会そのものの性格が異なる…産業革命以来の変化が起こりつつあるように思えるし、それは、前述したように、企業活動とか個人の情報収集の変化という類のある特定領域のみに影響を与えるものではない。

上述、リーダーに課せられる重い責任とネットが及ぼす巨大なインパクトは、実はつながっている話のような気がしている。WEB AGEのリーダーが果たす役割というのは、従来とは違うものになると思うのである。(すいません、途中ですが、ここでやめます。眠たくなりました)

 

2006年07月11日

念願の…

念願の…と書くほど大袈裟な話ではないが、遂に日曜日に、本屋とCD屋に行った。(映画は、来週かな)

本とCDは、常に衝動買いをする。というわけで、新作を買うわけでもないし、当たりもあるしはずれもある。今回は、中々良い買い物だった。

守屋純子オーケストラの、Points of Departure。ビッグバンドジャズの領域に入るアルバム。ただ、ジャズファンも、かつてのフュージョンファンも、何のファンでない人が聞いても大変楽しい。どの曲も、繊細で緻密な計算のもとに作られていて、しかも明るく伸びやかなメロディが広がっている。物凄く大きな音でかけながら、大草原のど真ん中を貫く広い道をぶっ飛ばしながら聴いたら、本当に気持ち良いだろうなあ…というCD。難点は、健康的すぎる。

宇多田ヒカルのUltra Blue。 これまでのアルバムの中で一番良いのは間違いない。どの曲も、どの詞も本当に素晴らしいと思う。人間の声に勝る楽器はないと、実感させてくれる。本当に、完成度が高い。

全然ジャンルの違う2枚のアルバムだが、聴いていると凄く色鮮やかな絵が浮かぶという共通点がある。

守屋純子オーケストラに欠けているのが、ゴワゴワした手触りというか、心を鷲掴みにするような力だとすると、Ultra Blueには、そういう情念に訴えかけるものがある。それも、人間の声が創り出す奇跡だ。

それにしても、Ultra Blueってタイトルも、とても素敵だ。青っていう色の神秘と深さをよくわかっているんだろう。

2006年07月10日

海のそばで体操したくなることもある

本日、羽田空港の滑走路が二時間に渡って利用不能になった。

「海のそばで体操をしたくなった」 滑走路を職員が横断 羽田空港2時間閉鎖 産経新聞 09日03時23分  8日午前4時ごろ、東京都大田区の羽田空港で、滑走路3本のうち最も海側のC滑走路近くにある赤外線センサーが反応し、監視カメラに滑走路を横切るランニング姿の人影が映った。  カメラで追尾したが第2ターミナルビル付近で見失ったため、国土交通省東京空港事務所はC滑走路を閉鎖して行方を捜したところ、航空機の地上誘導を担当する全日空関連会社の男性職員(22)と分かった。

で、この職員の方が、滑走路を横切った理由が「海の近くで体操をしたかった」。確かに、海の近くで体操をするのは、かなり気持ちがよさそう。しかも、午前4時くらいということは、少し夜が白み始めるころで、ひんやりとした海風が吹いて、何ともいえない気持ちになるね、絶対。

昔、地元で、飲んだ後、何故か関門橋に行こうということになり、数KM歩いたことがある。海沿いの道を飲んだくれて歩くのだが、そのうち、夜が明け始めて、関門橋に着く頃には、朝日が射してきた。その神々しい光と頬をなでる爽やかな海風に、酔いも醒めた我々は、厳粛な気持ちで、言葉もなく海を見つめるのであった。

男性職員は22歳。飲んだくれて目茶をやっていた頃と同じ年代。厳重注意をされるらしいのだが…。夜明け近く、海の近くで体操をしたいという感性自体は、皆共感できるのではないのかしら。

夏の風物詩~それはG1クライマックス?

夏の風物詩といえば…

新日のG1クライマックスである。「小島聡が5年ぶりに参戦」という記事をみて、久しぶりにG1の存在を思い出した。年末の世界最強タッグと並んで、以前は、プロレスファンの目を釘付けにしていたのだが…。

ここ数年間(10年以上かもしれない)、プロレス団体に対する注目度は下落の一途であり、自分自身も、深夜プロレス番組を見なくなって久しい。

格闘技自体は、K-1ありプライドありで、一般的な注目を浴びている。この両者にいえるのは、そのスポーツライクな姿勢とテレビ放映を前提にした派手な仕掛け。大会場で、グラウンドの応酬など、面白くなさそうな気もするのだが、いつもフルハウス。ロシアンラストエンペラー、柔術魔術師、神の子、ビーストなど次々とスターも誕生している。(フジのプライド打ち切りが気になるが)

しかるに、既存プロレス団体では、未だにアントニオ猪木から一歩も前に進んでいないのではないか?(アントニオ猪木自体は、どんどん進化しているというのに)
プライドでは、一撃でKOなのに、何十発も打ち合ってKOしない。プライドでは、試合が終わった後、顔が変形したり、骨が折れたりしているのに、もっと派手な技を掛け合って、ダメージがそれほどではない。

ひと言で言えば、新日本が標榜していたストロングスタイルが、本当はストロングでもリアルでもないことが明確化してしまった。そのからくりがわかった後には、長州のエルボー、ストンピング、さそり,ラリアット、蝶野のバタフライアタック、喧嘩キック、STFというのも、退屈なパターンの繰り返しに見える。プロレスラーが実は一番強いという神話が、多くの新日選手の総合格闘技での無残な結果により、崩壊してしまったことも、大きい。

元々、別種のスポーツ、エンタメであったプロレスを、リアリティをアピールし、格闘者としての強さをイメージづけたのは、アントニオ猪木という天才の仕掛け。ペールワンの腕を折り、ブッチャーの顔面を破壊し、ジェットシンの腕を粉砕した。モンスターマン、ウィリーと闘い、チョチョシビリとはノーロープのリングで闘い裏投げでKOされてまで、プロレスのリアルさをアピールした。

皆、プロレスはショーだということは知りながら、ある一線を越えてしまうかもしれない…という不思議な緊張感をもち、目を離すことは出来なかった。

猪木が、天才であったのは、レスラーとしてよりも、マーケッターとしてだったかもしれない。色々な切り口で、リアルファイトを表現しつづけた。プライドやK-1により、いや何でもありのオクタゴンが誕生して以来既に、プロレス最強伝説は終わってしまっており、新たに何か他のファクターをアピールすべきだったのである。そういうマーケッターが、既存プロレスには、存在しないのが、最も大きな衰退の要因かもしれない。

実際、ショーの範囲の中で、現在のプロレスは、充分危険。新日、ノアのジュニアヘビーなど、本当に危険すぎる。あんなことをしていては、いつか死人がでるのではないかという過激さである。また、特にムーンサルトプレスを決め技に使っている選手の膝は、歩行も困難なほど傷ついている。(ムーンサルトプレスに行く前のシュミット流バックブリーカーを、膝の痛みの為出来ない選手もいる)

選手の体を酷使しての過激さが、プロレスに新しい魅力を与えてこなかったのは事実。一つの、ジャンルの終焉をこのまま迎えてしまうのであろうか?

2006年07月08日

無痛治療

今日、歯医者に行って来た。

とにかく、歯医者ほど、恐怖に満ちた存在は、大学受験と大学卒業くらいで、この3つは、未だに、悪夢の為うなされることがある。

今日は、無痛治療で、歯を二本抜き&根の改善治療を行った。結論から言うと、無痛治療でなかったら、恐らく失神していたに違いない。歯というのは、本当に簡単には抜けないもので、ここまでしっかりしているのであれば、抜く必要はないのでは…と思うほど。看護婦が顔を押さえ、医者が全力をかけて引っこ抜くという、まるで地獄図のような状況が展開された…ようだ。「…ようだ」というのは、点滴から、神経が麻痺する薬をいれながらの治療だったので、朦朧としていて、曖昧にしか覚えていない。

ただ、10何年ほったらかしにした虫歯を、何故今になって治療しようとし、しかも恐怖に打ち勝ち、通院できたことには、やはり何か、今年片をつけなくてはいけないという、大きな力によって、動かされたような気がする。

今回、点滴前に血圧を測ったら、えらく高かったので、これも医者に行ったほうが、良さそうだ。でも、もう俺は、医者から逃げない…と心に誓うのであった。何て、男らしい。

ところで、テポドンの続報。何と狙いは、ハワイだった…。そんなアホなという話だが、政府高官が複数名証言しているので、間違いないのだろう。それにしても、ハワイを狙ったミサイルが、沿海州に飛ぶというのは、一体どういうことなのだろう。シンガポールあたりを狙うと、東京が被弾するということだろうか?

いずれにしても、何をするかわからない指導者とどこへ飛ぶかわからないミサイルをもった国というのは、恐怖以外の何物でもない。歯医者どころのはなしではない。

2006年07月07日

ニュース

ここ3週間位、毎日500~1000記事をみている。

ニュースを分類する会社の社長をしているので、ニュースを沢山見ても当然といえば当然なのだが。目的は、弊社のフレッシュアイNEWSWATCHサービスのフィルタリング精度をチェックすること。

のんびり、味噌汁飲みながら、朝新聞を広げるのと違って、1000記事をチェックするとなると、集中力がないとできない。見出しとトピックセンテンスとフレッシュアイNEWSWATCHで表示しているトピックが合っているかを、目の動きだけでチェックする。右斜め左右斜め左の繰り返しを、マッハの速さで行うのだが、時々日本でこんな事やっているのは、俺くらいじゃないだろうか…と可笑しくなる。この技術は、転用可能な業務が殆どないというところで、極めてユニーク。敢えて似ている作業を探せば、ひよこのオスメスを見分ける仕事かしら。

しかし、世界中で色々なことが起きているんだなあ…と思う。

イスラエルでは空軍が発動し、テポドンが発射されるかと思えば、朝市で朝顔が売られている。花火大会もそろそろ開催されはじめ、高校野球の予選ははじまり、新わさびが出荷され、そうめんもうりだされ、和食にあうワインが発売され、FIREFOXのキャンペーンも行われている。フランスでは、ワールドカップで馬鹿騒ぎ、国連では各国の駆け引き、オシム監督は、哲学を語り、ジーコはトルコで新しいスタートを切る。王監督は、入院ぎりぎりまで、指揮を執り続け、安倍晋三は総理への階段を上り、金英男は、憑かれたように喋り続ける。巨人は負け続け、藤川はストッパーに成長し、新庄はうちまくって日本ハムは、勝ち続ける。ライブドアの裁判は始まり、村上ファンドの話題が少なくなり、色々な殺人事件は起こっては消える。

活字の洪水の中で、溺れそうな自分は、一体自分が何物で、何をしようとしているのかわからなくなる。

世界は、常に動いているし、日常はいつも、嫌になるくらいモノトーンだ。ただ、明日のために、今日というかけがえのない時に後悔を残さないように…そんな気持ちで、今日もニュースをみている。

2006年07月06日

最近のニュースから

最近ショッキングなニュースが多い。

ヒデの引退ショックから回復していないのに、今度はテポドン発射。一番興味があるのは、本来どこを狙ったんだろうということ。どっちかというと、日本ではなくて、北朝鮮の同盟国ロシアの目の前に打ち込んだという感じ。これは、単なる偶然なのだろうか?

金正日さんは、インターネットマニアで、ハーレーにお乗りになり、舞踏を好み、映画も好き。東映映画に憧れて、自分で怪獣映画を作ったこともあるらしい。共産主義にして、世襲制という、凄い離れ業で最高指導者の座に。これまで、発射するぞ、するぞといいつつ、恫喝外交で一定の成果を出してきたが、今度は、本当に発射してしまった。どういう、狙いがあるのか、さっぱりわからない。

さっぱりわからない...といえば、滝川クリステルのファッションセンスで、今日は、薄い黄緑で、表面がテカテカ光る素材(サテン?)の服を着用していたが、その襟が異様に大きい。誰が着ても、かなり安っぽい白雪姫みたいになりそうな服も、クリステルが着ると優雅で、上品に見えるから不思議だ。

向かって右端に腰掛け、必ずマグカップがおいてあり、斜め45度のアップという、不思議な構図に、既に慣れてしまった、自分が怖い。よく考えたら(考えなくても)かなり不自然。この構図は、スタッフがモナリザをイメージしたものらしい。モナリザをイメージした、キャスターっていうのも妙だ。金正日が、反米路線を貫きつつ、ネットサーフィンをし、ハーレーを乗り回すくらい変だ。

で、今日一のニュースは、これ。

生徒のほおに矢刺さる 三重の高校、階段で和弓練習 2006年07月05日22時40分アサヒコム  5日正午ごろ、三重県亀山市本町1丁目、県立亀山高校(坂倉満校長、生徒701人)の第2棟(特別教室棟)3階踊り場で、雨のため校舎内でランニングをしていた2年生男子の野球部員(16)の右ほおに、和弓の練習をしていた2年生男子の弓道部員(16)の放った矢が刺さった。 中略 同校は前期の中間試験中で、試験を終えた野球部員28人と弓道部員2人が自主練習をしていた。弓道部員は階段踊り場に置いた直径48センチ、長さ70センチの俵状に巻いたわらに向かって1.5メートルほど離れた場所から弓を射る練習をしていた。野球部員はすぐそばの階段や廊下を走っていた。野球部員が4階から下りてきて目の前を通ろうとした時、弓道部員が過って矢を放ってしまったらしい。後略

校舎の踊り場で、矢を放つ練習をしていたというのが、かなりぶっ飛んでいる。しかも校長は、この場所で練習をしていたことを知らなかった…とのこと。(そんな馬鹿な)

実は、似たような経験がある。大学で、運動部に所属していたとき、グラウンドが狭いので、各部が入り乱れて練習をしていた。突然、陸上部の誰かが、叫んだ。「槍、行きま~す」 なんと、この密集地帯で、槍投げの練習をしていたのである。槍は、鋭くグラウンドの端に突き刺さったが、その脇を平然と、中距離ランナーは、駆け抜けていくし、サッカー部は、普通にシュート練習かなんかしているのであった。

当初は、驚いていたが、人間って凄いのは、こういうことにすら慣れてしまう。幸い、学生期間中は、一人の死傷者もださなかった。(こちらのほうが奇跡的なので、新聞に取り上げられるべきであろう)

この弓の話も、そういう事なんだろうなあ。踊り場で、弓を射るのが、日常化しているため、校長も気付かなかったということなんでしょう。

2006年07月05日

ヒデの引退について思う

ヒデの引退表明はショッキングだった。

ピッチから去るには余りにも早すぎる。

日本代表チーム内での孤独。ブラジル戦終了後、グランドで動けないヒデに駆け寄ったのは、宮本だけだった。
クラブでの不遇。ボルトンの監督からの、プレミアリーグのレベルに達していないという評価。日本を遠く離れてヨーロッパで生活する隔絶感。

孤独という切り口でみると、彼の気持ちがよくわかる気がする。

以前、佐藤愛子がエッセイで、「機関車やえもんの孤独」ということを書いていたが、先頭を走るものは、いつも独りきりだ。責任を背負うのは、モチベーションにはなるが、長期間走り続けることは、エネルギーを過剰に消耗するということ。ましてや、駆け寄るチームメイトにすら恵まれなかった。

彼のホームページの文章は、今度も「誇りを持って生きる」という言葉で締めくくられていた。

誇りを持って生きる~誰にも媚びずおもねることなく、信念を貫き通す、言い訳をしない~ということであろうが、その結果が救いようのない孤独だとしたら余りにも悲しい。

誇りをもって生きるということは、とても難しいことなのかもしれないと思う。

2006年07月03日

休日の憂鬱

ロナウジーニョが去り、ベッカムも去り、ルーニーにいたっては試合中に消え、オシムが代表監督になりそうで、阪神が二連敗をし、ジャイアンツのラインナップは知らない人だらけ、東大寺でライトアップが始まった土日、皆様如何お過ごしでしたか?私は...(嗚咽)

先週に、引き続いて、この土日こそ本屋に行って、CD買って、映画みて...と思っていた。
が...しかし、日曜のこの時刻まで仕事をする破目に陥るとは...まるでデジャブ。

来週こそは、絶対にと誓うのであった。

小泉首相の訪米の記事がかなり可笑しい。午後6時までしか執務をせず、晩餐会など大嫌いなブッシュは、盟友のために、エルビス自宅ツアーを組んだらしい。大統領スタッフは、大統領が「メンフィスツアーをコイズミのためにやろう」...と話した時、皆「頭が真っ白になる」ほどのショックを受けたらしい。

小泉首相は、そんなにエルビスのファンだったのか?単にその程度の段取りを嫌がるくらい、ブッシュは日頃面倒くさがりなのか?2大経済大国の首脳の盟友関係って、そういう類のものなのか?...とかなりのクエスチョンが浮かんでくる。

エルビスだの、ステーキハウスで牛肉食ったリ...だけではなく、「地球規模的な日米同盟」に合意をしたというニュースも入ってきた。これは、勿論軍事同盟を含むのだろうが、憲法問題とかは、完全に越えた話しをしてよいのだろうか?

小泉首相がご機嫌なアメリカ旅行を満喫している間に、橋本元首相が亡くなった。この二人は、その思想や一匹狼的キャラクターなど非常ににている。改めて考えれば、瓜二つともいえる。それなのに、常に光と影のよう。総裁戦で二度戦い、一勝一敗。しかも、勝つ時は圧勝(負けるときは惨敗)

小泉首相が、首相としての最後の輝きをみせた米国訪問時に、かつてのライバルは、ひっそりとこの世を去る。運命の皮肉を感じる