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2006年06月30日

恐怖&痛みとの戦い

歯医者は、子供のときから苦手。

ドリルが歯を削っている音や振動、耐え難い痛み、口を開け続けなくてはならない苦痛など、色々あるのだが、とにかく恐怖感が先にたってしまい、どうしても歯医者に行くことができなかった。

長期間、虫歯を放置したつけがまわってきて、かなり悪くなっている実感がある。エンジェルから「歯の毒が頭に廻って、今に脳みそも腐る」などと嫌がらせを言われる度に、実はマジで小さな胸を痛めていた。夜寝る前も、「神様、歯が痛くなりませんように、毒が頭にまわりませんように」と、真剣にお祈りをするのが日課。
 
歯医者に行く恐怖と行かないことによる恐怖...地獄のサンドイッチ状態。持ちうる全ての勇気を奮い起こして、遂に今日歯科の前に立つ。

レントゲンをとり、医師から説明をうける。二本抜き、なお数本の治療が必要らしい。おまけに酷く歯茎が腫れている。虫歯を10年以上放置すると、流石にこんなものか?「無痛治療をご希望なんですか?麻酔をすれば、痛くはありませんよ」どうやら、無痛治療(点滴をしながら治療。点滴のなかに、神経を麻痺させ、恐怖感を取り除く薬が入っている)を望む患者は多くないようだ。

俺は、医師を真っ直ぐ見つめ、「僕は、これまで恐くて歯医者にいくことができませんでした。何度かトライしましたが、どうしても続けることはできませんでした。でも、今度はキチンと治すまで、最後までやり遂げたいんです。そのためには、無痛治療でお願いします(キッパリ)」 余りの真剣さに、たじろぐ医師。(歯の治療をするくらいで、何故その緊迫感?...という戸惑いを隠せない様子)

ということで、来週から新しい戦いが始まる。虫歯よかかってきなさい! 「風がふけば私は揺れる。倒れはしない By Inoki」


2006年06月29日

かもめ食堂

うちのマーメイドが、先日あるメロディーを口ずさんでいた。

どこか懐かしげなフレイバーなのだが、音程が極めて不安定な為よくわからない。色々聞くと、観にいった「かもめ食堂」の中で使われた、井上陽水の曲らしい。

「それってもしかすると、白いカーネーション?」

「かもめ食堂」の舞台は、フィンランドのヘルシンキ。突き抜ける青空と暖かい心を持った人々、ゆったり過ぎる時間、凛とした主人公...そんなドラマらしい。

テーマ曲も、陽水で「クレージーラブ」。陽水の曲の中でも、とてもブルージーな一曲。(でも、あの声なので、渋くはならないんだけど)この曲をテーマに選択しただけで、センスのいい映画なんだろうなあ...と思う。

それにしても「白いカーネーション」 フィンランドの風景とあわせて聴くと、どんな感じなんだろう。陽水2枚目のアルバムにはいっている、とても優しくて、繊細な唄(でも、あくまであの声で歌う...)フワフワ青空に溶けてしまいそうなのかな?

数年前に、横浜で陽水のコンサートに行ったことがある。何故か、その時陽水は、ジャズにはまっていて、昔の代表曲をジャズアレンジで唄っていた。全くあわない。何しろ声がでかすぎる。伴奏は渋いのに、ボーカルはあの巻き込み唱法(トルネード唱法?)。

冷たい空気の中、澄み切った青空に、あの伸びる高音は、ぴったり合いそう...そんな気がする。

マーメイドのリクエストに応えて、「白いカーネーション」を30年ぶりくらいに唄ってみた。彼女は、激しく感動していたようにみえたのは、勘違いだろうか?


2006年06月28日

夜明けは美しい

ごそごそやっていたら、夜が白み始めている。

実際、やることは多いし、考えるべき事も多い。時は、瞬く間に過ぎていく。思うようには、進まないこともある。でも、全然煮詰らないのは、凄い。(と、自分で言ってどうする)

よく、20歳過ぎたら、人間は変わらない...などと言うが、一面正しくて、一面間違っている...と思う。ベースの部分は、20歳どころか、14歳くらいでほぼ決まり。中ニ位から、内面的には(言うことも)変わっていない。だけど、フリルの部分は、ここ5年間でも大きく変わった。

一番、自分で変わったと思うところは、時間が経過するのを待てるようになったことかと思う。時は、ロナウジーニョの杖と同じくらいの魔法で、同じ事象でも全然意味合いが変わってくる。そういう変化を、割と粘り強く待てるようになった。

また、ネガティブな感情の継続力が、年々落ちていて、最近では、どんなに長くても6時間ももたない。これは、生きていくのに、とても便利だ。

繊細で、ガラス細工のような性格なのだが、最近は、この上に「思いっきり開き直れる」という修飾語がつく。鯵の開きも、真っ青なくらいの、見事なまでの開き直りっぷりで、自分でも惚れ惚れするくらいだ。

せっかちで、人見知りする、歯医者が怖いのは、相変わらずで、克服できそうにない。

夜明けは、美しい。PCの前で、じたばたしながら見ても美しいなあ...と思うし、心安らか。会社も僕も、このままの努力を続けていたら、ある日パカッと陽が差し始めるように、違う風景が視界に広がってくるのではないかしら...と楽天的に未来を考えることができるのも、大きな変化かなあ

2006年06月26日

生活の中のアクセント

絶対この週末は、本屋に行き、CDを買い、映画を観ようと思っていたのに...。

やらなくてはいけない仕事が、思ったよりハードルが高く、結局寝るか、PCの前にいるか...で終わってしまった。そういえば、最近割と単調な生活になっていて、この日はこの番組を見るとか、お気に入りのアーチストのCD発売と同時に買いに行くとか、小さなイベントがない。コンサートなどにも当分行っていないので、平板な感じがする。

やはり、生活の中に何かアクセントがないと、疲れが溜まりやすい気もするし、長続きしない気もする。

長年の経験で、まずいなあと認識するのが、2~3週間に区切りがなく、まとめて過ぎてしまうような気がする時。メリハリなく忙しい時に起こり安いことだが、色々とミスをしやすいし、軽はずみな行動をとって失敗しやすい。1日、1週間という区切りを大切に、過ぎてゆく時を噛みしめるような、そんな毎日を送りたいと思う。

子供の頃思っていたサラリーマン像としては、会社帰りに、行きつけの小料理屋に行って、陰のある美しい女将(篠ひろ子みたいな)と艶っぽい関係になったり、わけありの板さんと、人生について話したりするんじゃないの?家には、板さんに作ってもらったオミヤを下げて...。と考えていた。(メガロポリス編としては、ショットバーで、初老のバーテンダーと昔話をする...というのもある)

現実は、全くかけ離れた生活をしているし、今後もそんな牧歌的なものとは、無縁で行きそうだ。う~ん、中々難しいものだ。

2006年06月25日

ブラジル戦が終わって思うこと

成功の絶頂にいるときは、どんな人間も勝利者のオーラを纏うことができる。

失敗した時、苦境に立った時、どういう行動をとるかによって、本質が明らかになる。

ブラジル戦の惨敗後、代表23名は、色々な軌跡をみせている。南アフリカでも、10番をつけてピッチに立つという俊輔。もっと上手くなりたいという巻。沈黙したままの、小野。

ヒデは、今後どうするのだろうか。報道によれば、代表引退という噂もあるらしい。インタビューでは、南アフリカ大会に関しては、「はい」と答えて、その場を立ち去った。ボルトンでは、出場機会に恵まれず、ブンデスリーグへの移籍も噂されている。(二個小鉢じゃない、ニココバチの後釜というのが、因縁を感じさせる)28という微妙な年齢。

ジーコが、変えたのはトルシエの奴隷型サッカー。自由を与え、プロフェッショナリズムを求めた。ブラジル戦前の練習で、戦術練習を一切しなかった所に、ジーコが如何に個人の力を尊重し、重視していたかがわかる。ガレー船底で足に鎖をつけて櫓をこいでいた奴隷が、いきなり民主国家を創ることは出来ないように、4年間は、成熟した個人主義を育成するには、余りにも短い時間だったのかもしれない。

もし報道が正しければ、次の監督はオシム。「賢く走るサッカー」「危険なサッカー」を標榜し、石ころにみえた素材を宝石に変え、多くの成功を弱小チームにもたらしてきた。ジーコのもつ哲学に、戦略と育成能力を兼ね備えた名将。

ジーコが変え、オシムが熟成させるであろう日本代表に必要なのは、ロールモデルになる本物のプロ。高い技量と自己管理能力、チームへの献身とプライドを持ち合わせた圧倒的な存在が必要。そういう意味では、ヒデ程求められている人材はいないのではないか。

ヒデは、チームの中で孤高の存在だった。それは、他チームメンバーが未成熟であることの裏返しでもある。4年後の南アフリカでは、多くのプロフェッショナルなメンバーとともに、サッカーを高いレベルで楽しむヒデを見てみたいと思う。

2006年06月24日

大学の選び方

余り深く考えることなく結婚し父親になった。

で、気付いてみると高校三年生。受験生である。というわけで、最近マーメイドと、「いかにして大学・学部を選択すべきなのか?」という話題になることが多い。

彼女の通っている高校は私立なので、進学指導には熱心。ただ、ちょっとどうかしらという事も少なくない。

自分の偏差値、その上位校、下位校あわせて8校位は受験しなさい...という指導があるらしい。8校も受験したら、それだけでバテテしまうし、行きたくない学校を敢えて受ける必要はないのでは?と思う。

また、大学も最近競争が激しく、学部やカリキュラムの独自性などをアピールする立派なパンフレットなども、揃っている。指導としては、これらの資料から、自分が興味をもてる学部を探そうという事らしい。それも、ちょっと違うなあ...という感じ。

自分のことを言えば、まず地元から外に出るための手段として大学に行こうと思ったし、高校卒業時点で、その時点の自分では社会で通用しないことは、何故か、かなりクールに認識をしていた。

文学部に行きたいと親に言ったら、就職がない...と脅され、「つぶしが利くのは経済か法科」といわれ、経済のほうが、傾向として偏差値が低そうだったので、経済を選んだ。つまり、かなりいい加減な、選択のしかたをしていた。

うちの親のいうことは乱暴だが、でも核心をついているところがある。例えば、小説を読むのが大好きとしよう。小説に興味があるから、文学部という選択は、大学は、職業選択との関連性が高いが故にかなり危険。この選択方法は、野菜が好きだから八百屋になる、音楽が好きだからレコード屋に勤めるというのと、余り変わらない。有効な議論ではない。

つまり、高校三年時点での興味や好き嫌いと、何を学ぶかについての関連性は、それほど重要ではないと思うわけである。うちの母親がいわんとすることは、特別な理由がなければ、実学系を選んでおいたほうが、怪我が少ない...という確率論としては、かなり優れた方法論と思える。

学問は、大体においてあるレベルまでは、面白くないものと思ったほうが妥当。基礎的知識やフレイムワークを修得した後、ぱっと開けるように、面白味が増すものであり、基礎の修得は、荒っぽく言えば、他者からか自分の意思かは別として、強制的なつめこみに、そのエッセンスがある。

そういう知的な下積みのない興味や好悪など、これから4年間(もしくは、それ以上)学ぶ領域の選択に重視する必要はない...と思うわけである。

ついでながら、食いっぱぐれがなく、今後有望で、知的好奇心も満たす学部は、法学部ではないかと思う。弁護士・検事を頂点とする、多様で実入りのよさそうな関連資格群、豊かな専門性、世の中の動きにシンクロするダイナミズム、やってみたけど興味がもてなかった場合でも、一般企業・その他職業への就職の門戸は開いている。しかも専門的技能の持ち主は、非常に希少価値である。
また、(門外漢が言うのはなんだが)特別にきらめくような才能がなくても、コツコツ努力すれば、何とかなりそうな学問ではある。

な~んて話は、まだ娘にはしていないのだが、話しをしたほうがいいのか、悪いのかは、判断に苦しむ。マーメイドの話では、「現時点での興味や好き嫌いを基準にしない場合、どうやって最終的に決めるわけ?」ということらしい。


う~ん、殊更左様に、進路を決めるのは、一筋縄ではいかない。

2006年06月22日

ブラジル戦を前に

あと4時間でブラジル戦である。それまでに、たまった仕事を終わらせて、心置きなく集中したいと思っている。

ヒデのホームページをみた。大事な一戦を前に、心境が率直で、真摯な言葉で綴られていた。

守るべき唯一のものは、”誇り”。

このセンテンスを見た時、何故ここまで感情移入をしてしまうのか、理解した。

個人的に、好きになってしまう、リスペクトしてしまう、憧れてしまう人たちがいる。性別、背格好、職業、知名度などは、ばらばらではあるが、共通点がある。それは、守るべき”誇り”をもち、勇気を持って、運命、環境に挑戦する姿勢。

午前4時、背筋を伸ばし、静かな気持ちで、TVの前に座りたいと思っている。

午後3時

午後3時、30度近い炎天下にわざわざ出て行くのは、よっぽどのことだ。ましてや、90分間も走り回るなんて、かなり常軌を逸した行為である。

日本戦が二試合とも、午後3時から開始だったのは、日本のテレビ局の要請だったらしい。このような、不利な時間帯で二試合を行ったのは、トーゴとコートジボアールのみ。この2チームは既に一次リーグ敗退が決まっている。

ジーコがいうまでもなく、「こんな時間に、サッカーをするのは間違っている」

クロアチアもオーストラリアも同じ条件ではないかという声もある。中田も気丈にも、天候や気温のせいではないとコメントをしている。しかし、彼らがこの時間帯で試合をしたのは、一試合だけ。過密日程の中、炎天下で二試合するのとは訳が違う。

クロアチア、オーストラリアの持ち味は、恵まれた体格を活かしてのパワープレイ。それに対して、肉体的には劣る日本チームの最大の武器は、速いパス回しと俊敏性、機動性。暑さによって、どちらの強みにネガティブなインパクトがあるかは明らか。

日本代表は、プロであり、サッカーはビジネスであることを否定するものではない。そういう意味では、視聴率を稼ぐ為に、午後10時の放送時間をキープしたいという気持ちは理解できる。しかし、ワールドカップは、全世界的イベントであり、国の威信をかけて戦う場である。自国チームの足を引っ張るような時間帯の試合を強要することと、秤にかければ、日本のテレビ局がとるべき道は明らかだったのではないか。

後半、動けなくなったクロアチア、オーストラリアのDFの裏を、俊敏な日本選手が、切り裂いていくはずだったのに、実際には、足に錘がついたように、同様に失速していった。

午後6時、9時からの試合であっても、勝てたかどうかはわからない。また、アレックスが、俊輔絶妙のフリーキックをケツに当ててしまうのかもしれない。柳沢は、今度はゴールキーパーにパスしてしまうかもしれない。しかし、重要なのは、サポーター、メディアを含めたチームジャパンが、勝つために最善を尽くしたかどうかだ。

恐らく絶望のどん底であったのに、選手の名誉を守ろうとしたジーコの人間としての品格には、心からの敬意を表したいし、日本代表の邪魔をし、ジーコのTV局批判部分だけ、同時通訳しなかった姑息な日本のテレビ局の皆さんには、控えめかつ婉曲表現を用いれば、「テポドン2号を発射したい」気持ちである。

2006年06月21日

職業選択の自由について

クロアチア戦の後急に発熱をして、ず~っと眠り込んでしまった。

お陰で、月曜日は休んでしまうし、仕事は溜まるし、踏んだり蹴ったり。

職業選択の自由は、万人に認められている。本人が、望めば俳優、歌手、宇宙飛行士...何を目指してもらっても構わない。ベンチャー企業経営者になりたいという、人身御供に近いご希望も、動機は理解できないがOKである。

重要なことは、人間向き不向きがある...ということ。船酔いするのに、船乗りになろうとするのは、かなり無謀だ。(船乗りの息子なのに、僕は船酔いをする。これはどうしようもない)音痴なのに、歌手になろうとするのは、かなりキツイ。

シュートを打つのができない人には、フォワードは向いていない。誤解を避けるために言うが、巷で言われているような、柳沢・玉田バッシングに与するわけではない。

柳沢選手は、加地選手からのパスを受け取った時、絶望的な気持ちになったに違いない。何故なら、パスをする先がなかったから。結果として、ラストパスを送った選手にパスをするという、意表をついた行動にでた。(明らかに、あれは加地選手へのパスだ)

キーパーと一対一になった玉田選手は、わき目もふらずに無人のスペースにパスをだした。シュートを打つという発想は、ヒトカケラもなかったのは明らかだ。

結論から言うと、彼らは、決してプレッシャーのかかった試合で、傲慢に、自信たっぷりにシュートを放つことはない。永久に無理だ。余りにも善人すぎる。

ストライカーは、傲慢で、ナルシスティックで、我儘で、目立ちたがり屋で、プライドの高い人種でないと無理だ。骨が折れているのに気付かずゴールを決めるゴン。「魂はフランスに置いて来た」なんて言ってしまうカズ。黒の背広に、黒のグラサンの釜本。

この面子は、言っていることはハチャメチャだ。しかし、運命は自分が切り開かなければいけないことを知っている。どんな角度のない場所からでも、シュートを狙うだろうし、ボールをもったらドリブルして、自分でシュートを決めに行くだろう。カズが、チャンスでパスする場面を想像することができるか?

ジーコが23人代表枠のお墨付きを最初に与えたのは、怪我が完治するか、その時点ではわからない柳沢選手だった。またフォワードの柱として期待したのは、二試合で一本もまともなシュートを打てない高原選手。要は、彼らのような「善い人」にフォワードを任せようとしたのは、監督の責任である。彼らが、極限状態に置かれたときに、どんな行動をとるかは自明だったのではないか。

さて、ブラジル戦。2対0で勝たなくてはいけない。幸運な事に、相手と競り合うと必ずファールをしてくれる宮本は、出場停止である。(アレックスと宮本ラインから、常に相手のチャンスは生まれているが、同時に、ジーコが一度も外したことのないメンバーでもある)
これから、ジェット団に喧嘩を仕掛けに行くときに誰がたよりになるかという前提で、先発を選ぶべし~大黒、巻、ヒデ、俊輔、稲本、小野、中澤、茂庭、加地、川口、ついでにアレックス。頼もしそうな面子ではないか

2006年06月17日

オンとオフ

オンとオフを上手に行って...という話を昔はよく聞いた。

オン=仕事、オフ=プライベイトということで、オンとオフの切り替えを上手くやって、人生を豊かに過ごそう...というのが、一般的なストーリーであったように記憶する。で、この手の話には、こう思う。

オンとオフが、何ぼのもんじゃ

先日の日経に、オンとオフの境目が、ウェブの影響などでなくなりつつある...という記事があった。その中で取材されている方が、「何故オンとオフで区切る必要があるのか?」とコメントされていた。

その通り。区切る必要性など皆無。

偏見或いは美しき誤解として、こういうのがある。
ワーカホリック⇒人間として偏りがあり、仕事しかできない可哀そうな人、青い血が流れているに違いない
プライベイトを大切にする人⇒家庭を大切にし、バランスがとれていて、円満なパーソナリティ

本当にそうか?高々会社の仕事もできない奴が、他に何ができるというのだろう?逆に言うと、仕事が出来れば、他の事もできる可能性は高いのではないか?ワーカホリックの奴ほどプライベイトも大切にできる...というのが真実ではないか?

個人的には、起きている時はずっとオン。仕事もするし、家族とも話しをするし、飲みに行くし、CDは聴くし、映画は観るし、親戚づきあいはするし、本は読むし、短歌は作るし(下手だけど)、マンションの理事会にも出席するし、散歩もする。全てに真剣かつ誠実。もっと正確に言えば、全部遊び。

誤解を恐れずにいうと、世の中は不平等にできている。平等なのは,どの人に与えられた時間も、等しく一日24時間ということだけ。この24時間を、より長く生きたいと思う。

オンオフ論の基礎になっている、時間を仕事と非仕事の2つに分けるという前提が、まず間違っていると思う。

仕事というのは、それ自体が何かを生み出すクリエイティブな活動である(べき)だし、色々なファクターが複雑に絡み合う、大規模な知恵の輪みたいなものに過ぎないではないか。ちょっとレベルの高い潜水艦ゲームくらいに思って正解では?

昔、会社の先輩とのみに行くと、仕事道みたいな精神論を聞かされることがあった。いつも、けっ、そんなに大層なことか?そんな深刻ぶって、やるほどのものか?と思っていた。で、結論としては、ぱ~っとやろうぜという感じである。これは決して手を抜くということではなく、真剣、一生懸命に、楽しんでやろうぜ...ということ。

もし、オンとオフという話があるとすれば、緊張と弛緩を短時間の中で繰り返して、無理なく、出来うる限り濃密な時間を過ごすということかなあ...と思う。仕事と非仕事の二元論では決してない様な気がする。

ついでに書くと、二元論は大抵胡散臭い。二つにぱっくり分かれるほど、単純な事象など余りない。まあ、オン・オフ論を信じてしまう人の頭の中身くらいだろうか...そんなに単純なのは。

コンセプトは「波紋」

さて「波紋」を呼ぶ...といえば、(またその話か、という感じでしょうが)前回のオーストラリア戦。

試合後、家族でミーティングを開いた。

ところで、サッカー選手のほうが、野球選手より垢抜けてみえるのは、使う言葉の違いではないか。例えば、試合に負けた時、野球選手は、「また明日は、打てるように、がんばります」~つまり「俺、やるっす!」的なことしかいわない。ボキャブラリーが非常に貧困。

これに対し、サッカー選手は、「システムの修正ポイントがあるので、ミーティングなどで、しっかり確認して、次の試合に臨みたい」てなことをいう。実際の内容に、それほどの違いがあるとは思えないが、とにかく、サッカー選手のほうが賢くみえる。(特に宮本は、賢そうだ)

で、言いたいのは、我が家で開いたミーティング。討議点は...
・今日負けたのは、我々の気持ちが弱かったのではないか、もっと誠心誠意、ジーコを信じ、強い心で応援すべきではなかったのか?

で、結論としては、

・クロアチア戦までには、気持ちを切り替え、今度は強い気持ちで、日本を応援しよう...ということになったのである。

討議内容の通り、前回の敗戦は、金田家のワールドカップへの取り組みが甘かったせいである。国民の皆様にお詫びしたい。ごめんなさい。

前回の放送で、かなり可笑しかったのは、アナウンサーの実況で、「柳沢が、やっとシュートをうってくれました」 世界広しといえど、シュートを放って、感謝されるフォワードは、柳沢だけではないか?(NHKのアナウンサーのノリとしては、「ご多忙中、シュートを打っていただき、誠に恐縮しております」という感じであった)

ブンデスリーグで、「チャンスを潰す男」という異名をもつ高原といい、日本のツートップは、本当にシュートを打たない。 オーストラリア戦でも、チャンスに、お互い、シュートを譲り合う麗しい光景が、何度かあった。感動のあまり、涙した人も多いだろう。まあ、怒りのあまり、テレビに何か投げつけた人の数は、その数万倍いると専門筋では睨んでいるが...。

日本代表の決定力不足は、頻繁に指摘される。最近では、日本人の特性として、シュートを決められないんだ...という、「日本人論的」ニュアンスさえ帯びる事もありがち。しかし、そうだろうか?

WBCでは、日本選手は、チャンスに滅法強く、勝負所では、凄い集中力をみせた。
その他の領域においても、日本人がここ一番に弱いというわけでもなさそうである。昨年名古屋での、高橋尚子のいきなりのスパートで、ぐんぐん加速していく姿は、鳥肌物であった。

大きな箱に、ボールを蹴り込む、シンプルなゲームであるにも関わらず、ボールを蹴り込むのは苦手。悲劇的なアイロニー。原因は、全くわからない。駒野が、何を狙ってクロスを打っているのか位、理解できない。相手のディフェンダーにパスしているのではないか...と疑いたくなるくらいであった。

一度機会があったら、宮本に質問をしてみたい。(賢そうだから、彼なら知っているのでは?「課題を整理、分析して、次の試合に活かしたい」とか言いそうだけど)

また、もし出来る事なら、柳沢には、じっくり話しを聞きたい。「小さい時に、怖い目にあった経験はないか?」「将来は、薔薇色の未来が広がると思っているのか」「ポスト小泉は誰が相応しいか?」「サッカーの試合中、哲学書を読みたくなるときはないか」など、質問は山のようにある。

とにかく、試合開始まで、もう40時間を切った。 身を清めて、静かに待ちたい。

2006年06月16日

フレッシュアイNEWSWATCHのリニューアル~コンセプトは「波紋」

フレッシュアイNEWSWATCHがリニューアルした

CNETでも、記事掲載されている。

ニュースを軸に話題のトピックを追う--フレッシュアイNewsWatchがリニューアル

コンセプトは、「波紋」。
話題を的確に伝え、そこから「波紋」が広がるように興味が展開する、また、湖に小石を投げ込むと、その都度様々な形の「波紋」が広がるように、ユーザーの閲覧状況を反映して、次々と表示内容が変わるような、そんなサイトを目指している。

自分で使ってみて、記事・ブログ中にある頻出ワードを表示したり、アクセス数の多いトピックが円グラフでだしてあったり、ランキングテーブルが表示されていたり、知らないうちに色々みてしまう~つまり「興味」が「波紋」シンドローム。どうぞ、あなたも波紋を楽しんでみて...。

さて波紋といえば...(次のエントリーに続く)

2006年06月15日

タバコの煙

タバコを吸い始めたのは、15歳の初秋から。もう30年近く過ぎたことになる。

高校一年の体育祭の打ち上げで、初めてタバコをすって以来。打ち上げに飲みに行こうと友達に誘われた。学生服のまま飲み屋(ジャズ喫茶が夜は飲み屋になる)に行って、飲みまくったことを覚えている。

元々、祖母が飲み屋を経営していたこともあり、幼い頃より飲み屋のカウンターで遊んでいたせいか、酒場の雰囲気は、何故かしっくり来る感じ。

とはいっても、15歳で当時160センチくらいの上背しかない少年が、学生服で、飲んでいたら普通は問題になりそうなものだが、今考えると江國香織の小説にでてきそうな、白いふわっとした綿のシャツを着た髪の長い、スレンダーな店のお姉さんが(勿論凄く綺麗)、「まあいいわよ」ってな感じで、ウイスキーを出してくれたり、話しをしてくれたりして、自然な感じで、グラスを空けていった。

誘った友人は、私服に着替え、首に赤いスカーフを巻き、ブランデーかなんかを気取って飲んでいた。今考えると、学生服より、高一のガキが、ブランデーグラスをくるくる回したうえに、赤いスカーフ首に巻くほうが、かなり妙だが、タバコをくゆらせている彼をみて、不覚にもこう思った。「カッコイイ、これが大人だ!!」 

別段タバコが旨かったわけでもない。何故か、とても大人になりたかったし、タバコを吸えば大人になれるような気がした。モダンジャズが大音量で流れる薄暗い店の中で、酔って大騒ぎをする男女、タバコの煙が、くるくると輪をえがいて、流れてゆく。未経験の妖しげな世界が、広がっていた。

この日を境に、真面目な高校生から、酒を飲みタバコを吸い授業を抜け出す、余り真面目とはいえない高校生になっていった。(その後は転落の一途である)

人生において、タバコを吸ってプラスになることなど、一つもない。(マイナスはやたらあるが) 

無駄なことばかりやっていた、エネルギーを持て余していた、好きな女の子に打ち明けられなかった、マイナスばかりのあの頃を、ほろ苦く、愛おしく思い出すことがある。その風景は、いつも暗い照明のなかフワフワ浮かぶタバコの煙に、縁取られる。

プラスになることばかりやっている人生なんて、どこが面白いのか?無駄なことに一生懸命になったり、遠回りしたりするから面白いんだろ...とタバコを吸いながら思ったりもする。

2006年06月13日

忘れ物

毎日ノートブックPCを持ち歩いて、いつでも、どこでも、暇な時間にはメイルをチェックしている。

リモートアクセスで、常にメイルをチェックしはじめるようになったのは、ここ5~6年だが、以前は、どのようにて仕事をしていたのかは、思い出せないくらい。携帯もノートPCも、なくても確かに仕事はできたし、余り支障なかったように思うのだが...。

本日は、その大事なPCを自宅に置き忘れてしまったため、日中全然メイルのチェックが出来なかった。

客先訪問が終わり、喫茶店で一服しながらメイルをチェックしようと、アイスコーヒーを飲んだところで、今日はPCを持っていない事に気付く。

また、「今からミーティングアジェンダを作成して送るから...」といった後で、またしてもPCを持っていないことに気付く。

横須賀線の中で、さあネットに繋ごうとPCを鞄から取り出そうとして、またまたPCを持っていない事に気付く。

それ以外にもふとした瞬間にメイルをチェックしたり、書いたり、書類をおくろうとして、ああ今日はPCを持っていない...と性懲りもなく気付く。

メイルを受送信する以上に、仕事でノートPCを使っている。あるときは、スクラッチペーパーとして、あるときは分析に、ブログを書き、情報を収集し、計算をし、お手紙の原稿をかき、プレゼン資料を作成する...また、色々複雑な要因が絡まったときは、思考を活性化するためのツールでもある。

体験的に感じるのは、ロジカルであることを必要とされる業務のときや、ある程度頭の中にイメージがあり、それを一気に吐き出すような仕事であれば、PCは役に立つが、クリエイティビティを必要とされる時には、PCの前では決していい考えが浮かんでこない...ということ。

大体、PCでもやもやした要因を整理した後、ベランダで紫煙をくゆらせながら、何となくアイディアが浮かぶことが多い。PCの前で、カチャカチャやっているときと、ぼーっと(しているように見えるらしい)考えている時は、使う脳の種類も確かに別の感じがしている。

少なくとも僕の場合は、ロジカルであることとクリエイティブであることは、コインの裏表であったり、一連の思考の流れのようなものであり、PCは、両者の媒介者のようなイメージでいる。

弊社リリース

オーストラリア戦のダメージから、全然立ち直れない。


後半39分まで、狙い通りの試合運びで、完全にオーストラリアはスタミナ切れ状態だったし、どうして負けたのか、よく理解できない。この、モヤモヤ感をどう晴らせばいいのでしょう。

ところで、弊社フレッシュアイラボが、今日カットオーバーし、CNETなどで記事掲載。
「Googleニュースを超える」--ニューズウォッチ、フレッシュアイラボを開設

「グーグルニュースを越える」なんて、かなり衝撃的な見出しになっており、少し恥ずかしい。けれど、「越えた」じゃなくて「越える」なので、いいか...とか思っているし、この課題は弊社の宿命的ミッションなんだろうなあ...と既に観念しているので、とにかくこのタイトル通りになるよう最善の努力をしたい。

ところで、ワールドカップに戻ると、前エントリーでは、ジーコジャパンがトルシエジャパンを超えるのは、歴史的必然であるとまで言い切ってしまったのに、オーストラリア戦敗戦で、早くも首の皮一枚の状態に。

「日本人は創造性に欠けるので、やっぱりフラットスリーでいかなくては」な~んて与太話を封じ込める為にも、クロアチア戦は何とかして欲しい。相手は、予選無敗らしいけど。ブラジル戦は引き分けで、1勝1敗1引き分けで、予選突破といかないだろうか?

旧ソビエト連邦では、超能力者を集めて、念動力で、米国の原子力潜水艦を沈めようとしたらしいが、日本政府も、恐山のイタコ、細木数子、江原君など、それっぽい人を集めて、クロアチアとブラジルを呪詛するくらいの気合が欲しい。(このブログを読んでいる方も、ドイツの方向に向かって、念を送って欲しい)

早くも、神頼みのモードに入っている私でした。

2006年06月11日

梅雨入りで鈍くなった頭での雑感

梅雨入りで、本日も一日中降ったり止んだり。

気温も、ちょっと肌寒かったり、湿気が多く、蒸し暑かったりと、過ごしにくいことこの上ない。

梅雨は、どうも苦手だ。体がだるかったり、頭の働きが悪かったり、眠かったり...。な~んにもする気が起こらない。以下、かなり鈍い雑感。

ドイツからの放送は、何故あんなに日の当たるところと影がくっきり二分化されているんだろう?影の部分では、背番号も見えない程暗い。

シンドラー社のエレベーターをどうして選択したんだろう。あんなに酷いトラックレコードを持っているのを誰も知らなかったのだろうか?シンドラー社のオフィスでは、シンドラー社製のエレベーターを使っているのだろうか?

山内一豊が、明智の使者を捕らえた、千代が機転を利かせて長浜城下の人々を救った...なんていうのは、流石に酷い捏造だと思うのだが...

メッツの松井稼頭夫が、ロッキーズへ。日本球界でナンバーワンの遊撃手が、メジャーで活躍できないのは何故だろう。井口は、あんなに活躍しているのに。

民主党は、自民党との対決姿勢を強めているが、何でもかんでも、自民が民主の案を丸呑みしても反対というのでは、どうしようもないのでは?駄目なものは駄目では、かつての社会党と同じではないか?

午後11時ごろNHKのアナウンサーが、あと日本時間で11時間後にオーストラリア戦ですといっていた。23時間後の間違いでしょ。(そうでないと、明日誰も出社しないのではないか?)

中国電力島根原発(松江市)の約2・5キロ南を東西に走る活断層を、中国電力が認めている長さ約10キロの東端からさらに約1キロ東の地点でも確認したと中田高広島工大教授(地形学)らが11日、松江市内で発表。マグニチュード7の地震が起こるかもしれないらしい。地震が起こったとき、原発にどんなことが起こるのかについては、何も言及がないのは、かなり怖い。

フランシスコ・ザビエルの親族の子孫が鹿児島に水上バイクで来たらしい。う~ん、それがどうした?としか言い様がないなあ。

札幌市のYOSAKOI祭が閉幕。4万5千人が参加したらしい。以前住んでいた場所でも、新しい祭の目玉がこのYOSAKOI。各チームみな、難しい漢字数文字連ねたチーム名で、メンバーもワイルドっぽい面子が揃っていて、コスチュームは、カラフルな特攻服。 トラックに、そのリーダーがのって先導するのだが、おどろおどろしい色で描かれた髑髏の旗とか振り回していた。勿論、札幌市の大会は、そんなことはないだろうと思いますが...優勝チーム名「新琴似天舞龍神」...。

さあ、新しい週が始まるね

組織と個の話し(2)

沢木耕太郎氏が、本日日経新聞のスポーツ欄上で、王とジーコについて書いていた。

ジーコと王を代表監督に持った我々は、奇跡的に幸運である。「疑惑の判定」の記者会見で王が見せた毅然たる、しかも節度のある態度。どんなに内容の悪い試合後でも、選手を非難することなく、常に明るい未来像を示してみせたジーコ。このように品格、品性の高い指揮官を持てたことを我々は、感謝すべきであると思う。

この二人の指揮官の共通点として、沢木氏があげているのが、選手に最大限の自由を与えていることである。実際にゲームを行うのは、監督ではなく選手である。自由な創意なくては、チャンスは活かせない。自由な発想なくては、不測のピンチに対応できない。この自由を支えるのは、選手の「自律」と「自立」であると。

ジーコのメッセージは、凄まじい変化に、旧来の組織が対応できなくなっている日本の社会全般に有効なものではないかと、沢木氏は論じる。

個人に自由を与えその才能を最大限に発揮させること、才能ある個人を組織的に有機的に結合すること~その2つが組織を活性化する最良の方法である...と。

沢木氏の論じるところは、正しいと思う。ただ、補足するとすれば、王とジーコの率いた集団には、イチローと中田という、絶対的な実力と組織への献身的な貢献のできるプロ中のプロがいたことを成功要因として、指摘できるのではないか。

組織の中で、独立した個として才能を発揮し、組織に貢献することは、「能力」「自律」を個人に要求することになる。ただ、組織に寄生し、飲み屋で上司の悪口を言っているほうが、格段に楽なのである。組織の中で、全てのイクスキューズを封殺するロールモデルとなりうる個人の存在が、王ジャパンとジーコジャパンを支えている~それがイチローと中田だと思うのである。

<高い能力と組織への献身、プライド>のない集団に自由を与えることは、単にカオスを生み出すだけである。日本の社会が、従来の個が組織に従属するモデルから、独立した個人の才能を有機的に統合するモデルへと進化するためには、成員に最大限の自由を許容する組織と「自立」「自律」した才能ある個人の誕生の両方が満たされる必要がある。

社会全般が変化していく為には、組織側にも個人側にも大きなハードルがある。しかし、野茂が切り拓いた後を、イチローや松井が続き、素晴らしい結果をあげつつあるように、勇気をもってリスクに挑戦する才能ある個人が、閉塞状況に風穴を開けていくに違いない...そんな風に思う。

トルシエジャパンは「フラットスリー」という型を強要し、選手の自由を認めなかった。俊輔の才能など、彼には無用のものだった。個人の才能と自由を尊重するジーコジャパンが、トルシエジャパンの結果を超えるのは、歴史的必然であると、信じている。

組織と個の話し(1)

長篠の戦いには、昔から大きな疑問がある。

長篠の戦いは、天正3年(1575年)5月、三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万5000人と武田勝頼軍1万5000人との間で行われた戦い。

この戦いで、大規模な柵と3000丁の鉄砲を用意した織田軍は、迫り来る武田騎馬軍団を粉砕した。有名な三段撃ちの話し。

第一陣が三段撃ちの餌食になったにもかかわらず、何故武田軍は自殺的ともいえる突撃を繰り返したのか?

季節は、旧暦の5月であり、つまり梅雨の時期なので、雨が降れば当時の火縄銃は使えない。わざわざ天気のいい日に総攻撃をかけなくても良かったのである。

また、広範囲に柵を作って、騎馬軍団の突進を待ち、三段撃ちにする作戦が成功するのは、唯一柵に向かって騎馬が突進を繰り返したときのみである。迂回する、相手が動くのを待つ等、柵と三段に構えた鉄砲隊を無力化することは、少し頭を働かせれば可能である。事実、所謂三段撃ちが、画期的な成功をあげたのは、長篠の戦い以後ない。

当時、武田騎馬軍団は、神格化されるほどの強さを誇っていた。2倍以上の兵力をもちながら、織田・徳川軍はかなりビビッていたに違いない。頼みの鉄砲3000丁が無力化されれば、結果は逆になっていたかもしれない。

自殺的な突進命令が下されたときに、盲目的にアタックを繰り返してしまう組織と個人の関係が、三段撃ちを成功させたのではないか?ある命令をうけて、一糸乱れず行動する組織は、美しくもあり、武田騎馬軍団の強みでもあり、伝説化するほどの成功を収めてきたのは事実。

しかし、待ち構える鉄砲3000丁と柵という、従来ない環境におかれた時には、過去の成功要因は、大きな失敗要因になった。本来、命令があれば勇気をもって突っ込み、相手を蹴散らすというパターンしかしらない組織には、不測の事態でアドリブを効かせることのできる「個」など存在しない。

組織の方針に盲従する個~この「組織とメンバーの関係」は、大日本帝国まで遡る必要はなく、カルト宗教集団、昨今の勝手に文書を偽造したり、データを偽造したり、人のハンコを捺印したりするお役所や大企業にも共通した問題点である。

プロとしてのスキルと(会社人ではなく)社会人としての常識・見識をもち、組織の成員として、変化に対応して、正しい方向に組織を導くことができる、独立した個の欠如こそが、武田騎馬軍団=現代の大組織の問題点であり、日本型組織(といえるかどうかわからないが...)の克服すべき点であると思う。

<予想をしているより長くなったので、次のエントリーに続く>

2006年06月09日

敗れざるもの

上手くいかない時は、誰にでもある。

でも、毎日、黙々と努力を続ける。

決してあきらめることはない。

誰かを非難することもなく、運命をのろうこともなく、環境のせいにすることもない。

過去を大切にする。本当の仲間を持っている。同じ夢をもつ若者を支援する。

変化を恐れない。大きな目標に、勇気をもって挑戦を続ける。

いつも、いつも誰の足跡もない、未開の地を切り拓いている。

野茂、Wソックス傘下チームが契約解除2006年06月09日09時52分
米大リーグ、ホワイトソックス傘下3Aシャーロットの野茂英雄投手(37)が、チームから契約を解除されたことが8日、わかった。 野茂投手の公式ホームページに、代理人の団野村氏が「このたび、野茂選手が自由契約となりました。今シーズン復帰を目指し、ひじの治療に専念していきます」とコメントを載せた...

「今シーズン復帰を目指す」という言葉を100%信じる。 彼は、もう一人の自分だから...

敗れざる者~野茂英雄...希望しか持たない男の旅に終点などない。


市民型メディアの陥穽

マーケットインかプロダクトアウトか...というのは、マーケティングの古典的問い。

マーケットインとは、企業が製品や商品、サービスの調達・開発・提供・販売を行うに際して、市場や顧客のニーズを汲み取った上でそれらの事業活動に取り込んでいく考え方。売れる物を作るということ。

これに対してプロダクトアウトとは、企業が製品や商品、サービスの調達・開発・提供・販売を行うに際して、企業の有する技術や優位性などを基本にそれらの事業活動に取り込んでいく考え方。
作ったものを売るという考え方。

新聞とは、究極のプロダクトアウト商品ではないかと思う。

製造業になぞらえて、記事を捉えると、取材対象の確定⇒取材⇒記事作成⇒編集・校正⇒新聞。これらの工程の中には、ユーザーである読者の意志が、直接的に反映されるところが、まるでない。また、出来上がったアウトプットへのユーザー評価が、何らかの形で、定量的・定性的に、フィードバックされるパスもない。つまり、各紙の強み、記者の経験、編集者のノウハウなど、情報の送り手側の意志が、最大限に活かされるプロセスである。

CGMの本質は、従来のプロセスをマーケットインの方向に変えようとしているということだと思う。

多くのコンシューマー向けの商品は、マーケットイン型である。当然ながら、全てのプロセスにユーザーが参加するわけではなく、ユーザーは商品コンセプト、ニーズなど、売れる商品を作るために必要な情報を提供したり、そのニーズに対する企業側の仮説が正しいか検証するための評価者として参加する。
つまり、コンセプト構築、デザイン、エンジニアリングなど専門性が必要とされる機能は、その道のプロが行うわけである。

新聞にマーケットインの手法を適用する場合でも、同じことが言えるのではないか。つまり、生活者の視点での取材テーマ、着想などは、ユーザーは参加可能。また最終的なアウトプットである記事そのものの評価者として参加することは可能であろう。記事生成の中間工程である<取材⇒記事作成⇒編集・校正>は、経験と技術をもったプロによってのみ行われ得る。

ブログを書く...ということと、記事を書く...は、根本的に別物。同じ日本語を使っての、情報発信という共通性を持つため、これらを混同しては、いないだろうか?市民メディア、参加型メディアというものが、余り面白くないのは、このあたりの誤解があるからではないか?

2006年06月08日

滝川クリステルには感服する

滝川クリステルは、前々から只者ではないと思っていた。

今晩のニュースジャパンで、その思いを強くした。

彼女の今日のいでたちは、濃いピンクのワンピースに、濃いピンクの上着。濃いピンクの上着の胸には、濃いピンクの薔薇の形をしたブローチ。しかも、耳には、直径が500円玉の倍はあるブローチ。

つまり、林家パーコと同じコスチュームに、ラテンのノリの異様にでかいイヤリングをしている状態。

しかし、それなのに、それなのに、上品で美しかった。キャスターとコメンテイターは、単に、彼女の美しさを引き立てるために、存在しているとしか思えない。

滝川クリステルという名前も謎めいている。滝川とクリステル...両方苗字のような感じがするし、国籍が不明だ。クリステルは、クリスタルの誤植ではないか...とも思う。滝川クリステルと聞いて、ユースケ・サンタマリアを思い出すのは、俺だけだろうか?

とにかく、滝川クリステルは、凄い。 濃いピンクで、トータルコーディネイトして、違和感がないのは、桜餅もシャッポを脱ぐだろう。

忘れえぬ人々

数年前、高校の同窓会があって参加したが、顔はわかるのだが、どうしても名前がでてこなかったり、顔すら、あまりに変貌を遂げていてわからなかったりした。人間の記憶というのは(というか自分の記憶が)随分あてにならないものだと思う。

ただ、高校時代の友達で、どうしても忘れられない人たちがいる。そしてそのことは、他の同窓生にとっても、恐らく同じ…。

彼らは、3名の方だが、高校を卒業して1年ちょっとの間に、死んでしまった。大学の空手部の寒稽古中、心臓麻痺で。オーストラリアにホームステイ中に、自動車事故で。下宿先で、病気にかかって、そのままあっさりと。

こちらは、40歳を超え、いつの間にか、いい大人みたいに振舞っている。(中身は、高校時代とあまり変わっていないのに) 一応、色々な社会のしきたりも覚え、腰も低くなり、生意気で、とんがった、アンちゃんとは、すぐにはわからないくらいの、変装術も身に着けた。同級生は、皆多少の幅はあっても、そんな感じで、落ち着いた生活をしているのだろう。

彼らだけは、永久にあの時のまま。有り余る時間と可能性を抱えたまま、この世を去っていった。

社長という仕事をし始めてから、プライベイトと仕事は明確に線を引かなくてはいけないと、脅迫観念のように思っていた。従業員は、僕にとって友人ではない。評価をする対象なのだ…と。でも、最近思うのは、そんなに頑なに考えることはないのでは?ということ。立場上、好むと好まざると、生活の深い部分にまで関わってしまうことは不可避だし、一緒に同じ場所で、同じ空気を吸っている仲間だと思えばいい…。

そんな簡単なことに気づくのに、人は(これも僕は…か)数年も必要とする。

死んだ彼らと生きている僕を分けたのは、偶然でしかない。生き続ける僕は、若者であり続ける彼らに、理不尽なジェラシーを感じてしまうこともある。
生きていくことは、奇麗事でも、格好いいことでもなく、誤りに気づかず遠回りすることも多い。だが、無様でも格好悪くても、懸命に生きていくことが、生かされた我々の使命なのではないか…そんなことを思ったりする。

2006年06月07日

ワールドカップの思い出

日韓共催のワールドカップから、もう四年。いや、まだ四年?

「金田さん ザ~ッ(何故か雑音) イングランド戦のチケットが取れまして ザ~ッ それではじゃあ」

もう既に、2週間近く行方不明になっていたサッカー狂CFOからの電話は、あっけなく切れた。

4年前の今頃、ワールドカップが始まると、急に社内の落ち着きがなくなった。間の悪いことに、日本対トルコ戦は、平日の昼間。朝から、自分も含め、仕事どころではない。しょうがないので、テレビをどこからか調達して、「全体会議をやるので、ポテトチップスとジュースをもって、会議室に集合」というメイルを全員に流した。

東芝では、ワールドカップを見るのはご法度だったらしく、わざわざこの「全体集会」に参加をした人もいて、狭い会議室に30人以上の人がこもって、観戦。でも、僕の好きな、神経質そうなサッカー少年を、ピッチ上にみつけることは出来なかった。三都主のフリーキックが、コーナーポストを叩き、日本は敗れた。

奴が、蹴っていたらどうだったんだろう。そんな思いが消えない。

あれから、もう四年。いや、まだ四年? Someone comes, someone goes. 幾人かが弊社に入社し、幾人かが去っていった。 サッカー狂のCFOも今は、別の会社に勤めている。まだ30代だった僕は、40歳を越え、小学生だった娘は高校生になり、東芝からヤフーに親会社が変わった。

あの気弱そうな、はにかんだ少年も、イタリア、スコットランドと旅を続けた。
でも、まもなく約束の地に戻ってくる。背番号10のユニフォームを着て。

子供の頃は、色々な記念日があり、節目があり、時間はゆるやかに過ぎていく。大人になると、区切れなく時間が過ぎていき、四年なんかあっという間だ。それでも、日韓からドイツまでの四年間は、自分にとっても、特別な期間だった。そして、今新しい何かが動き出すのを感じる。

全ては、中村俊輔のために、そして多くの時の旅人の為に。

しなやかなフォームで蹴られたボールが、美しい軌跡をえがきゴールネットを揺らすとき、失われた時は、また新たな時を刻み始める。

2006年06月06日

公立中高一貫校の求める生徒

最近、公立の中高一貫校というのが数多くできているらしい。

これは、個々の生徒の能力に合わせた教育をするためには、中学校と高等学校で全く別な教育をするよりも、一貫性を持たせた教育をした方がよいという考えから、全国的に創立されているようだ。

報道によれば、公立一貫校の入試(適性検査)は、所謂受験問題とは異なり、対策がたてにくいらしい。どの教科とは断定できない複合問題を意図的に出題しているため。求める生徒像は、受験テクニックに秀でているというよりも、学校行事などにも積極的に参加したり、スポーツに打ち込んだりという経験をもつということらしい。

インタビューで、ある一貫校の校長は、「受験対策をやって、型にはまった解答を書く子はいらない。独創的な答えを書ける子が欲しい」と答えているし、前述適性試験の傾向も、そういう学校側の方針からくるものであろう。

しかし、小学校6年生の段階で、独創的な答えをだすことが可能であろうか?また可能だとして、独創的であることを奨励することがいい事なのだろうか?少なくとも、小中というのは、知識や思考のフレイムワークがまだ出来上がっていない。よって、徹底的な暗記や模倣で、そういうフレイムワークを身に付けるべきなのではないか?

そうでなければ、真の独創やユニークな思考を行い得ないのではないか?独創的な小学校6年生というのは、よほどの天才でなければ、単に幼稚であったり、風変わりである事を意味し、個性とは言い難いのではないか?

学校行事やスポーツに打ち込む子は、(一貫校で必須らしい)面接試験や内申書で、非常にわかり易い形で、選考担当者にポジティブな印象を残せるだろう。しかし、そのことに如何程の価値があるというのだろうか?要は、プレゼンしやすいセールスポイントを持っているだけではないか?

一貫校で求める生徒像が、非常に皮相的な価値判断に基づいているように思えてならない。

2006年06月05日

女性戦力活用企業って何よ

20年前、日本の古い企業に就職したときの「ある違和感」は、今でも忘れられない。

事務管理改善委員会というのがあって、管理部門のメンバーが月に一度集まって、改善報告をするのだが、その会の方針が、「PCの活用」「女性の活用」。PCと女性は、同列で論じられていて、凄く違和感があった。実際、会社の業務ということに限定すれば、男女に能力差など、全くない。

会社の業務に限定しなければ、女性のほうが遥かに上なのは、言うまでもないことでは?恋愛経験が一回でもあれば、奴らのほうが、男なんかよりも、駆け引き上手なのは、痛感しているはずだし、子供も産めるし...。

大学のクラブにいた女性の先輩の中には、新興宗教の洗脳キャンプに行って、全員論破して、もう来ないで下さいと相手に言わせた人もいた。外資系に勤めていたときの本社側の上司は、旦那も子供もいたオバサンだったが、エネルギーの塊のような人で常に圧倒された。

彼女が、あるとき足だか腰だかの骨を折った。丁度その時に、ワシントンで、ワールドワイドのマーケティングミーティングがあって、次年度のマーケティング戦略を討議することに。流石の彼女も、入院中だし、(彼女のいる)ロチェスターからワシントンまでは、かなりあるし、出席できまい...と思っていたら...。ロチェスター時間で朝5時にもかかわらず、電話をスピーカーフォンにして、ガンガン指示出しをして、見事に仕切ってしまった。なにしろ、スピーカーフォンというのは、一人の人間が喋っているときは、他の音は認識しないので、ワシントンの30名は、彼女が話すのをただ拝聴するという目にあったのである。

報道によると、りそなホールディングス傘下のりそな銀行と埼玉りそな銀行は、女性を戦力として有効活用している「女性力企業」の株式を運用対象に組み入れた株式投資信託を発売した...とのこと。運用するファンドマネジャーやアナリスト6人もすべて女性らしい。

組み入れるのは約50社の株式。〈1〉実力主義での女性登用状況〈2〉産休後の職場環境の整備具合〈3〉女性向け商品の提供――などをチェックし、運用チームの女性が企業を訪問し、女性活用に対する考え方などを聞いて組み入れ株式を決定する...んだって。

思うに、まず女性、男性って言っていること自体が、ホンマかいなって思うくらい違和感がある。ファンドマネージャーやアナリストが全て女性というのも、何か男性が作った「女性向け」PRという感じで、クエスチョンマークがつく。大体、女性登用とか女性向け商品をもっていることが、ファンドの収益性と何の関係があるというのか?ファンドマネージャーを性別で決めるというのも、差別的だし、納得感がない。

「女性を戦力として有効活用」なんて言っている会社なんて、自ら男女差別をしていると、全国に公