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孤独の肖像  このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリー参照しているはてなブックマーク このエントリーをdel.icio.usに追加

中島みゆきの曲に、孤独の肖像という、凄まじい曲がある。結局は、皆一人ぼっちで、海の底にいるようだ…という歌詞なのだが、最初に聴いたときの衝撃は忘れられない。

海の底にいるような孤独。東京に出てきてから、もう10年以上経過したが、この街に住み、働く人たちは、そんな孤独を感じているに違いないと思う。仕事をするにしても、生活するにしても、必ず多くの人と出会い、会話を交わし、毎日を過ごしている。でも、誰かを本当に感じ、自分のことを理解してもらえる瞬間がどれだけあるというのか?

ソーシャルブックマークやSNSは、前者が、他人が興味のあるものを自分も知りたいという欲望の発露であり、後者は細い糸を手繰るように他者との関係性を求める行為。

自分らしさや個性といった、ユニークネスを強く尊重するのに、他者との関係性を求め、失うことを極度に恐れる脆弱さは、全てのものから超然と出来る本来の意味での個性からは最も遠いところにある。

家で、ニュースアグリゲイションからソーシャルブックマークへの展開を話している時、エンジェルから「それは日本にとっていいことなのか?」「ソーシャルっていうが、どこがソーシャルなのか?」と質問されたときに、「孤独の肖像」を思い出した。

「海の底にいるような孤独」に蝕まれた人達は、自分が傷つくことのない、無菌室にいるような関係を作り続けるのだろうし、そういう集団をsocietyと称する時代がやってくるのかもしれない。それがいいことなのか、悪いことなのか、善悪の問題ではないのか、僕にはわからない。

ただ、社会に大きな質的変化が生じつつあるのは確か。円楽が、笑点の司会をやめるくらいだから、何が起こっても不思議はないが…

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コメント

> 円楽が、笑点の司会をやめるくらいだから、何が起こっても不思議はないが…

円楽やめちゃいましたね。私的には後継は楽太郎と見ていたのですが。。。

あるいは
1)ざぶとん山田が大抜擢
2)てんぷくトリオつながりで伊東四郎
というサプライズもあり得たのかもしれません。

円楽の言葉で、「いつか大喜利前の演芸コーナーに出てみたい」というものがありました。笑点のステータスとレベルの高さが伺えます。

楽太郎が後継というのは、見方としていかがなものかと。

やはり笑点の司会は、それなりの実力と品格がないと…

歌丸…悪くはないけど、後継者としては余りに年齢が…次後継者が必要では。

楽太郎説は、あくまで読みですので願望とは違います。

私としては伊東四朗、徳光和夫を強く押したい。

大喜利の司会って、町会長選ぶのとかわんないですね。古き良き時代の日本のコミュニティが息づいているような気がする。
そう言えばテリー伊藤が「笑点は全国民的な町内会の寄り合いだ。」というコラムを書いていたような。。。

笑点が始まった当初、談志は、大喜利メンバーである落語家にキャラをふるということをしたそうです。(小円遊→キザなエセインテリ、歌丸→下町の物知りご隠居など)

これって画期的ですよね。つまり、町内会を意識的につくったわけですよね。マンションの理事会に参加するようになって、その議事が悲劇的に可笑しい…ことを認識しました。これってどこでも共通なんでしょう

 以前、ある人と、そういった社会のあり方について議論したことがあります。

 争点は、それを「弱者の社会」と見るべきか、それとも「人に優しい社会」と見るべきかということでした。自分が主張したのは後者です。

 「ぼくがここにいると夢のようにささやいて」くれる人が、たとえPCの画面の向こうであれ、いてくれると思えることは幸せなことだと思うのです。そして、そうした無菌室のようなsocietyというのも、人びとの寂しさが生み出したもの、いわば時代の必然性から生まれたものだとも思うのです。

 よくも悪くも、ネットはそういう世界になっていくだろうし、そうした人びとの需要に応えられるサービスが生き残るのだと自分は思っています。

金田さん>
初耳でした。さすが談志!キャラ振った談志も凄いけど大喜利という時間内で演じきっていたメンバーも凄い!(自分の周りでもそれぞれのキャラって思い当たる人
いますよ!)
これって、Webのコミュニティの場合、それぞれのキャラ(アバター)を割り当てれば、ある程度町内会のような世界が現出するのでしょうか?

寝太郎さん>
ネットの優しい世界がリアルに反映した時に、初めてネットがパワーを持つのかもしれません。(で、パワーを持ったときに古老が「昔はそうやって長屋のみんなが助け合っていたんだよ。」という温故知新状態が。。。)

ある程度PCリテラシーのある団塊世代が地域コミュニティに帰ってくるここ2、3年って、リアルと連動したネット笑点型コミュニティってありなのかもしれない。(当然、アバターは他人が振るのね。)

中島みゆきさんといえば、「オールナイトニッポン」。2時間もの間、明るい声で笑い話が続く番組だったが、ラストの演出がとても見事だった。みゆきさんが「1通のお便り」を読んで「ご自身」の曲を流す設定なのだが、複雑に歪曲化していく社会の中で、「戸惑い続ける聞き役達」を「歌姫」や「ファイト」がやさしく励ましてくれていた。
「失恋した女の子」ばかりではなく「24時間体制のお父さん」、「背伸びしたがる中学生」からも圧倒的支持を集めている「悪女」である。

寝太郎さん

確かに、そういう孤独感と、それが故のバーチャルな(とはいえないかもしれないが、少なくともダイレクトで物理的接触をもたない)societyは、必然だし、多くのニーズをもつとは思います。また「優しい」という表現も適切かもしれません。

ただ、善悪の問題ではなく、嗜好の問題として、僕は、よりリアルで、生の関係性を求め、傷ついたり、怒ったりするほうを選ぶ気がします。

こういう関係を一応「リアル」と名づけた時、リアルなもののない生活って、どんな感じなんでしょうか

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