ネットでは新しい人格が生まれる
本日の日本経済新聞の夕刊に、平野啓一郎の以下のようなコメントが掲載されていた。
問題なのは主体に「ゆらぎ」が生じることでしょう。かつては、自分があって、ネットの世界があり、両者は切り離されていた。しかしその境がなくなり、現実と仮想現実が相互に浸透しあい、ネットの世界で書いてあることこそ本当の自分だという思い込みまで出てきた。そうなると、人間関係が希薄になっていきます。ブログなどのネットの言葉は面白いものもあるが、小説の表現としては限界があり、かなり懐疑的ですね。
「主体のゆらぎ」とは、現実と仮想現実の区別がつかなくなること。ブログで、実際とは違う人格として、自己表現をしているうちに、その人格が主体であるかのように、自ら思い込む状態を言っているのだろう。
また、そういうリアルとバーチャルが倒錯すると、リアルの人間関係が希薄になるという事を述べている。
ここまでの彼の論理は、ステレオタイプここに極まれり...という感じ。ネット=仮想現実、not 現実という、二元論の成立が真理であるかのような偏見。ネットが日常になった、現在こういう見方をするとは信じ難い。ブログの世界があり、職場があり、コミュニティがあり、趣味の世界があり、複雑なファクターの中で、色々な人間を我知らず演じているというのが普通だし、それがTPOをわきまえた普通の生活である。ネットの世界だけを仮想現実として捉えているのが不自然。現実において、ネットはワンピースに過ぎず、様々なファクターが複雑に入り組んでおり、ネットだけを取り出して、その影響を論じるのは、的外れだ。
しかもかつては区切りがあったのに、今ではなくなったというような、社会的風潮として捉えているところには、何の根拠も無い。ステレオタイプのネット観をもとに言い切っているに過ぎない。
また、ある人間が、ブログでは別の人間を装う(性別、職業、性格などなど)ために、その仮想現実が本当だと信じ込んでしまうのであれば、その人は狂っており、極めて稀な存在にすぎない。「ネット社会の罠」などという、あたかも多くの人間に、インパクトがあるかのようなワーディングは不適切である。
「主体性のゆらぎ」ー①というものがあり、「人間関係の希薄化」ー②という現象が仮に認識されるとして、その2つにどんな因果関係があり、しかもその「主体性のゆらぎ」に、ネットがどう影響しているというのだろう?①と②も、前述したように、非常に怪しい話しであるし...
「ブログなどのネットの言葉」というのが、掲示板などで使われている隠語の類を指すのであれば、「小説の表現」としての有効性を問うのは、完全にお門違いであり、意味不明だが、前後の流れから言えば、それ以外の論旨は思いつかない。(この話し自体、前後の脈絡なく飛び出しており奇異)
平野氏は、原稿用紙に小説を書くのと、ブログで書くのでは、夫々別の表現方法があるとでもいうのだろうか?多くの優れた小説や短歌、俳句がネットや携帯で次々に産まれていることは、ご存知ないのであろうか。
気鋭の作家のコメントらしいのだが、箇条書きで論旨を書き直して欲しいと切に願う。(インタビュアーの問題だろうか)
If you like this, Please send 1 click to BlogRanking or Bloking. Thank you-☆


コメント
平野啓一郎氏のプロフィールや、他のメッセージらしき文面を読む限り、同一人物が言ったこととは思えなですね。
金田さんのご指摘のようにインタビュアーの問題かもしれませんね。
もう少し奥深いことを言ったのに意味を汲み取れなかったとか。。。
投稿者: monchan | 2006年04月20日 20:32
うちの妻も同じことを言っていて、「芥川賞作家を切って捨てる貴方は何者?貴方がわからない、奥深い何かがあるに違いない」と言っていました。
でも、日経記事を読む限りでは、本当につまらないことを大袈裟にいうなあ...というのが正直な感想でして
投稿者: 金田 | 2006年04月22日 01:11