Burden of Proof
大学のときに英語クラブに入っていて、ディベイトを少しかじったことがある。ディベイトというゲームは、現状改革派と現状肯定派の2チームに分かれて、ロジックを競い合うわけだが、圧倒的に改革派が不利なゲーム。改革派は、現状を変えるプランを提案し、それが有効であることを証明しなくてはいけない。この原則を、Burden of Proofという~証明の重荷を背負えということ。
僕の友人が、ディベイト大会に出場した。彼は、とても誠意のある、エレガントなディベイターだった。試合では、現状肯定派に次々と狡猾なBurdenを背負わされ、それでも誠実にPROOFを続けたが、僅差で敗れた。コーチであった先輩は飲み会で、涙ながらに、「お前は美しい。美しすぎる。(もし今度機会があれば、今度は)Burdenを背負ったれ。(そして)返したれ」と言っていた。
これが、実は彼の最後の試合になった。先輩が言っていたのは、ディベイトの試合なのか、人生について言っていたのかは、よく分からない。
何故か、その当時のことを最近よく思い出す。
BURDENを背負うのは、全然割りに合わない。大抵、辛い目にあうし、恥をかいたり、格好悪いことになる。自分から、BURDENを背負うなんて、気が違っている。
BURDENを背負うかどうかというのは、定めみたいなものだ。BURDENを背負う覚悟と責任感のある人間だけが、甘受する運命だ。全然得はしない。
辛くて、格好悪いし、エネルギーは消耗するし、いいことなんて何もない。でも、潔く運命に立ち向かっている人を、「美しい」と表現するのは決して間違っていないと思う。心から尊敬する。
野茂、頑張れよ。(その他、全てのBURDENを背負っている人達も...負けんなよ)
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コメント
確かにBURDENを背負うのは割りに合わない。
重くて苦しくて、辛い。
それなら、皆で背負えばいい。
BURDENは決して一人で背負わなければならないものではないのだから。
皆で背負って、重さや苦しさ、辛さを分かち合って。
誰かが辛いときにはそれを支えて。
自分が辛いときには支えてもらって。
そしてそれを跳ね除けた時の喜びを分かち合う。
そうやって生まれた人間関係や、
そのときの体験はきっと、
他には代えがたいものだろうと、そう思う。
あまり上手くはないのですが、ちょっと詩的にコメントしてみました^^;
投稿者: ねこまっしぐら | 2006年04月13日 09:49