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2006年04月28日

情報サービス構築メモ続き

昨日に続いて、メモ2だが、頭の整理とこれを読んでいる誰かが、有効なインプットをくれるのではないかと思いながら書いている。(皆様よろしく)

ニュースサイトの分類は、政治、社会、芸能、スポーツなど、どこもほとんど同じであり、所謂図書館分類法をその下敷きにしている。弊社のフレッシュアイNEWSWATCHというサービスもこの骨格を用いて6階層3800トピックにニュースとブログなど9万記事/日の新着情報を、9分更新で言語処理を行い分類している。

これは、これで凄いとおもうのだが、このあたりに常識の盲点があるような気がしている。つまり、9分間更新で3800トピックに分類するのは、情報提供者としての情報の整理方法であり、適切な表示方法ではないと思う。一旦、3800個の箱に、新着情報を分けて収納した後、ユーザーの情報ニーズに合わせて表示する方法は、もっと適切なものがあると思う。つまり、この分類された情報の再編集が必要と思うわけである。

また、ニュース=新着情報重要というのも、常識的な感覚であるが、情報種類によっては、過去情報が意味があるもの、時系列で並べて意味のあるもの、ブログと関連付けて意味があるものなど…必ずしも、新着が重要というわけでもない。

弊社ニュースサービスは一日9万記事あり、所謂既存媒体の記事はその中で2万記事あるのだが、Y!ニュースの2000~3000記事/日のほうが、よりボリューム感を感じるのは、徹底して記事をみせるという姿勢が濃厚であるからで、「分類」のほうに重きを置いている(意図したわけではなく、結果として)弊社サービスでは、トピックばかりが目立って、記事の圧倒的な量をアピールできていない。

どういう見せ方をするとユーザーにとって価値が高いか?というのが、最大の課題である。

例えば、新聞は見開きで、色々な記事を閲覧できる。新聞を開くまで、何も興味や、基礎知識があるわけではない情報がほとんどなのに、我知らず記事をチェックしていることが多々ある。様々な情報を俯瞰し、コンシャス&アンコンシャスなニーズを満足させていると言い換え可能か。(つまり、ウェブでいえば、沢山クリックしている状況)
また、記事本文を読むものが、何記事あるか?というと、大体は見出しをみるだけで終わるものが、ほとんどではないか?職業的な情報収集者でなければ、記事前文を数十記事/日読むことはない。(皆そんなに暇ではない)

Y!トピックスは、「これを読めば何が起こっているかわかる」という意味で、多くのユーザーの支持を受けている。最近1000トピックスをしげしげと眺めてみたが、記事の見出しをさらにコンパクトに、キャッチーにまとめているものが多い。この事実からも、多くの場合見出しがあれば充分…と推断する。

弊社は、法人向けニュースサービスを創業以来やっており、その経験から、より細分化したテーマで顧客の情報ニーズを満たし、更にユーザーニーズとしては、記事全文を把握することである…と認識しており、コンシューマー向けにも通用すると無意識に考えていたが、これはアプローチを誤っているのではないかと思う。

法人向けの商売に使う情報サービスと一般コンシューマー向けの情報サービスとは、その求められるものが、全然ちがうので、別の編集方法が必要であるというのが、ここ数日間考えた結論である。

まとめると
①6階層3800分類は、情報整理の方法であり、多様なメディアコンテンツをそれぞれ関係付ける方法である。適切な表示の方法は別にある。
②記事をより多くみせる。トピックをみせるのではない。
③記事表示は、多くの場合、見出しで充分
④バラエティにあふれる記事を、一覧でみせることもアンコンシャスな情報ニーズを満たすには重要
⑤新着情報を、より早く伝えることも重要だが、記事の内容によっては、時間軸を長くとったり、短くとったり、別コンテンツと関係性をもたせたほうが、いい領域がある。

①~⑤を原則として、ユーザーの情報取得パターンを考慮にいれて、どのように表示、ナビゲーションを図ることが、ユーザーの経験価値を極大化するのか~これが考察すべき課題と思われる。

行き当たりばったりに書いているうちに、かなりまとまってきました…こういうブログの使い方もありか?

情報サービス構築メモ

現在、マスユーザーに価値のある情報サービスとは何かを考えている。これまで情報サービスというと、既存媒体の情報をどうみせるかというところにフォーカスをすればよかった。情報サービスユーザー=新聞記事情報受信者という暗黙の了解があったから。

しかし、ブログユーザーが680万人を越え、SNSも大流行という事を考えると、情報サービスユーザーは、情報受信者であり情報発信者という2つの顔をもつと考えなくてはいけない。また、情報=新聞記事という図式ではなく、もっとバラエティある情報を考えなくてはいけない。

また情報受信者も、①受動的情報受信者(閲覧オンリー)、②能動的情報受信者(自らKWを入力して検索をしてみたり、何らかの方法で自ら情報をとろうとするユーザー)という2種類を考える必要がある。

トレンドとしては、情報発信をするユーザーが増え、賢く自分に必要な情報を得ようとする能動的情報受信者が増えている。こういう、ある種ユーザーの参加を前提/促進する情報サービスが、求められているといえるし、シンプルな意味でのWEB2.0型情報サービスとして、今後主流になっていくのであろうと思う。

また、もう一つのトレンドとしては、ユーザーが個としてバラバラに存在するのではなく、ユーザー同士が情報をシェアしたり、意見を開陳しあうといった,一種のコミュニティが無数に生まれている点であり、こういうコミュニティを何らかの形で包含することが、今後の情報サービスには求められる。

整理すると、
①バラエティある大量情報を収集する仕組み
②バラエティある大量情報を分かりやすく、興味を惹く形で表示する機能(コンシャスとアンコンシャスな情報取得ニーズを満たす仕掛け)
③ユーザー間のコミュニケーションを可能とする仕掛け
の三点が、非常に重要な要素と言える。また、①~③の仕掛け・機能・仕組みを、ユーザーの参加により自動的に進化・拡大させる機能をビルドインすることが必要といえる。

弊社のアプローチとしては、①~③をコアテクノロジーである、自然言語処理を用いて実現することを追求することである。

また、従来のマーケティングでは、「ユーザーのニーズを正しく理解し、それにミートするサービスを開発する」ということは、殆ど数学の定理のように妄信されていたが、我々が今考えている情報サービスに関して、このマーケットバック方式が全てを解決するとは思えない。

極言すれば、「ユーザーが自分の欲しいものを明確に分かっていない」というのが現状ではないか?従来のニュースカテゴリーにしろ、グーグルニュースにしろ、多くのユーザーがこれらを使っているのは、サービスの機能的なものに満足しているというより、その知名度・ブランド力に負うところもかなり大きいと思うし、単に慣れているので、惰性的につかっているだけかもしれない。

つまり、これまでのサービスとは違うオリジナリティある内容を検討しし、ユーザーを刺激し、新たなニーズを創出するような、マーケットイン、驚きと遊び心にあるサービスが求められていると思う。

新しく、独創的なサービスは、無から生まれるものではなくて、従来のサービスのコアファクターの分析、異なるサービスのアナロジーなど、模倣と工夫から多くは産まれる。独創的なサービスが生まれる余地が、まだまだ手付かずに残っているのがウェブ業界といえる。

色々な要素が複雑に絡み合っており、最適解を見つけるのは、かなり難しいのだが、解決のドアをこれまでのノウハウを使って、こじ開けなければ、弊社の将来はない。う~んたまらない。

2006年04月27日

スイカの名産地

寝ぼけて、色々なことを言うらしい。今日は、「スイカの名産地」という歌を寝ぼけて歌ったらしい。

余りにも、頓珍漢なことをいうので、いつも起こしに来た家族の、いいおもちゃにされているらしい。(こちらは、余り覚えていないが)

さて、このスイカの名産地だが、久しぶりにうたってみると、かなり変な歌だ。友達ができたよ♪みたいな、リードがあって、後はすべて「スイカの名産地♪」の連続。サビで転調し、若干スイカの名産地に関する説明があるのだが、すぐまた「スイカの名産地?」の大合唱。

何故「スイカの名産地」なのか?そもそも「スイカの名産地」とは何か?一切は、謎につつまれたままである。どんな歌詞でつっこまれても、「スイカの名産地~♪」で返せば、多少の違和感に折り合いさえつけば、対抗できる、かなり強いパワーのあるフレーズである。混沌とした、現代社会に対する、一つの警鐘ともいえるかもしれない、ある意味、逆に言えば。

さて、スイカの名産地以上にハッチャケているのが、カメハメハ大王。南の島の王様は、皆名前がカメハメハ…と言い切る。ハワイだけではなく、南太平洋、南大西洋すべての島は、カメハメハ王朝が君臨するという凄い話しで、つじつまがあわない場合は「カメハメハ、カメハメハ、カメハメ、カメハメハ」を繰りかしてお茶を濁す~かなり高圧的な歌でもある。

南北問題や、アメリカ主導のグローバリズムに一石を投じたものといえよう

2006年04月26日

人生は旅みたいなものか?

今日は、名古屋に出張。出張してもミーティングは1~2時間なので、行き返りにほとんどの時間を費やす。

一見、時間の浪費のようではあるが、お互いの意思を確認するにはフェイスTOフェイスが一番なので、特に弊社が継続的にお付き合いをいただいている新聞社様には、年に一度は訪問したいと思っている。(が、全国各地80社も契約媒体があるのでなかなかそういうわけにもいかない)

今、名古屋に向かう電車の中で、このブログを書いている。出張といえども、旅は旅である。そこには、新たな出会いが、新鮮な驚きが、心躍る冒険があってしかるべきであるが、実際には、到着して、食事して、訪問して、帰京するという繰り返しのみがあり、旅の風情などかけらもない。

非日常体験を旅とするならば、もうかなり長い間旅をしていない。子供のころ、例え小旅行であっても車窓からの見知らぬ風景は、いつもビビッドに心に響いた。二度と会わない人、二度と来ない町、走り去る風景の中に色々なものをみつけた。

10年前東京に来て以来、出張でシドニー、パリ、ロンドン、ニューヨーク、ワシントン、ボストン、ロチェスター、ニューオリンズ…と多くの街を訪れたし、国内でも、北海道、仙台、名古屋、京都、神戸、広島、福岡と行ってはいるのだが、心に焼きつく情景はごくわずかだ。

業務を離れ、非日常に遊ぶ旅空間が欲しいと思う。GWでは、まだ何の予定もたてていないが、何か小さな冒険をしてみたいと思う。(職場で大きな冒険はいつもしているのだが…)

2006年04月25日

線路変形

線路が変形してしまった為、山手線、湘南新宿ラインなど、止まってしまい、結果としてミーティングを一つ飛ばしてしまった。

僕の乗っていた湘南新宿ラインは、大崎で完全停止をしてしまい、遂に目的地の渋谷にはたどり着かなかったという哀しい話し。
実は、大崎で止まっている事に暫く気づかなかった。というのも「さらばミシシッピー」じゃなかった、「Love Addict」で激しくスイングしていたからで、ふと外をみると、ホームはイライラしたオッサン達で溢れ、携帯かけたり煙草をすったりしていた。

時間に関しては、以前書いたことあるが、以前の職場は「ギリギリ主義」で、締め切りギリギリにならないと燃えない人達の集団で、締め切りを過ぎることもあった。大学のクラブに遡ると、これはもう約束の時間など遅れるのが当然というタイプの人でマジョリティが占められていて、雪の中、待ち合わせ相手を待って2時間待ったことがあるし、同様にディベイトパートナーとの約束の時間に6時間遅れてきて平然としている人もいた。(この人は今高校教師です)

最近では、二度訪問した先であるにもかかわらず、道に迷って、30分遅れで到着して、「金田さんって方向音痴なんですね」と、訪問先の部長さんから哀れみの眼差しで見つめられたときには、ここから何とかドロンパできないものかと焦った。

先日、JALに乗って広島に出張したが、離陸のときに、「キキキィ~」という不気味な音がしたときは、まだ整備体制が整っていないのかと思って、かなりびびったが、今回は変形した線路を走って、事故に遭うより良かったと思うべきなんでしょう。

それにしても、広がりの無い文章だ。大体行き当たりばったりで書いているうちに、何か浮かぶものだが、徹夜明けではそれも期待できそうもない…ということで、これで終わろう。朝焼けがまぶしいぜ~頭の中では、カシオペアの「朝焼け」が鳴っている

2006年04月23日

ロハス、ロハス、ロハス

先日、友人と飲んだときロハスという言葉を初めてしった。ロハスというのは、Lifestyle of health and sustainabilityの略で、健康や環境問題に関心の高いライフスタイルを指す言葉らしい。

これは、元々USの社会学者が起業家が協力して開発したマーケティングコンセプトで、一般語のように感じるが、実は、日本では「ロハス」は登録商標で、この言葉を用いたライセンスビジネスが始まっているらしい。1業種1社のみが使える宣伝用ワードとなっている。

トドプレスという会社が、登録商標としており、三井物産と組んでライセンスビジネスを展開しているのが現状で、トドプレスの社長が代表をしている「ロハスクラブ」が、ロハス商品の「審査・承認」を行い、またこの6月には「ロハス・デザイン大賞」なども授与することとなっている。

ロハスというのは、マーケティングコンセプトであるので、実際健康や環境に対するインパクトよりも、どれだけこういうライフスタイルを持つ人間を購買活動に向かわせるかというところに重点が置かれるのは、当然である。またロハスそのものには、明確な定義はないので、マイナスイオン商品やリサイクル商品でもない商品をロハス商品と認定している例もある。

Sustainabilityは本来、地球の持続可能性というのが、本来の意味らしいのだが、個人の健康やロハス活動そのものの持続可能性などに拡大解釈して使っている場合も多く、前述定義の不明確さに拍車をかける形となっている。

要は、ロハスは商売のネタである。一般名詞化しているにもかかわらず、何故か商標登録され、しかも異業種1社にのみサブライセンス化し、前述ロハスクラブでは、理事に著名人を起用し(坂本龍一、長友啓典)、大手商社と環境庁と組む~仕組みとしては、まさにベタなモデルである。

別に、商売としては、OKだし、「健康と環境に優しい」というメッセージもあるセグメントには、有効なペネトレーションのツールとなるであろう。ロハスという、語感もいい。(僕は、何故か、「好きさ、好きさ、好きさ、I Love you」のカーナビーツの曲を思い出した。アイ高野さんのご冥福を心からお祈りします。)

問題は、「健康と環境に気遣うライフスタイルの伝播」などという、もっともらしい社会的意義を全面に出しているところで、商売なら商売で明確にすべきなのに、あたかも社会運動であるかのようなイメージを全面に打ち出すのは、反則かなあという気もする。

「ソトコト」という雑誌で、このライフスタイルは紹介され、日本では一般名詞になった(僕は知らなかったわけだけど)らしいのだが、この雑誌のオーナーが商標ビジネスを行っている人間と同一人物であるので、仕掛けは簡単で、みえみえ。

僕の知らないところでは、もしかすると「やっぱりロハス商品だよね」なんて言っているお姉ちゃん、お兄ちゃんもいるのかもしれないが、その人たちは...かなり賢いぞ!!

「ロハス、ロハス、ロハス、I love you~」
アイ高野と竹田和夫の「クリエーション」が「ロンリーハート」をリリースしたとき、まだ高校生だった。時の流れるのは、早い。

2006年04月22日

資本・事業提携後3週間経過して

弊社が、東芝子会社からヤフーの子会社になってはや3週間が経過しました。元々、東芝の新規事業がスピンアウトした会社であり、エンジニアの殆ども東芝出向者という会社です。

通常のベンチャー企業では、株主フォーメーションの変化というのは、そんなに珍しいことではないですが、弊社にとっては、清水の舞台から、イナバウアーをしながら飛び降りるくらいの大変な話し。弊社を、以前退職した方からは、「ニューズウォッチは大丈夫なの?」みたいな心配をされているらしいです。

客観的に見れば(社長が自社について客観的に見ることが可能であれば)、日本の非上場ITベンチャー企業の中で、こんなに有望なポジションにつけた会社は、殆どないと思う。勿論、様々なリスクはあるが、それを差し引いても、充分な成長を可能にする提携である...あくまで理論上ですが。

つい数週間前は、ディール成立にやきもきをしていたのだが、今では、絶対成功しなくてはいけない、早期IPOをし、それをステッピングボードにして更に成長を実現しなくては...というプレッシャーをガンガンに感じている。とはいえ、3週間は、バタバタするだけで終わってしまったし、目に見える形で早く提携効果をだしていかなくては...と焦りも感じます。ホント、経営者って因果な商売です。

堅実かつスピーディに、現実的かつアグレッシブに、焦る暇があったら手を動かそう...と自らを戒める今日この頃です。

この会社の社長になって4年半経過しました。この4年半もかなり大きな変化を重ねてきましたが、これまでとは、全く異質かつ飛びぬけて激しい変化が始まります。自分と会社が、どれだけの進化を遂げることが出来るか...大学に入学したときのような気持ちです~ワクワク、ドキドキ。

2006年04月20日

ネットでは新しい人格が生まれる

本日の日本経済新聞の夕刊に、平野啓一郎の以下のようなコメントが掲載されていた。

問題なのは主体に「ゆらぎ」が生じることでしょう。かつては、自分があって、ネットの世界があり、両者は切り離されていた。しかしその境がなくなり、現実と仮想現実が相互に浸透しあい、ネットの世界で書いてあることこそ本当の自分だという思い込みまで出てきた。そうなると、人間関係が希薄になっていきます。ブログなどのネットの言葉は面白いものもあるが、小説の表現としては限界があり、かなり懐疑的ですね。

「主体のゆらぎ」とは、現実と仮想現実の区別がつかなくなること。ブログで、実際とは違う人格として、自己表現をしているうちに、その人格が主体であるかのように、自ら思い込む状態を言っているのだろう。

 また、そういうリアルとバーチャルが倒錯すると、リアルの人間関係が希薄になるという事を述べている。

ここまでの彼の論理は、ステレオタイプここに極まれり...という感じ。ネット=仮想現実、not 現実という、二元論の成立が真理であるかのような偏見。ネットが日常になった、現在こういう見方をするとは信じ難い。ブログの世界があり、職場があり、コミュニティがあり、趣味の世界があり、複雑なファクターの中で、色々な人間を我知らず演じているというのが普通だし、それがTPOをわきまえた普通の生活である。ネットの世界だけを仮想現実として捉えているのが不自然。現実において、ネットはワンピースに過ぎず、様々なファクターが複雑に入り組んでおり、ネットだけを取り出して、その影響を論じるのは、的外れだ。

しかもかつては区切りがあったのに、今ではなくなったというような、社会的風潮として捉えているところには、何の根拠も無い。ステレオタイプのネット観をもとに言い切っているに過ぎない。

また、ある人間が、ブログでは別の人間を装う(性別、職業、性格などなど)ために、その仮想現実が本当だと信じ込んでしまうのであれば、その人は狂っており、極めて稀な存在にすぎない。「ネット社会の罠」などという、あたかも多くの人間に、インパクトがあるかのようなワーディングは不適切である。

「主体性のゆらぎ」ー①というものがあり、「人間関係の希薄化」ー②という現象が仮に認識されるとして、その2つにどんな因果関係があり、しかもその「主体性のゆらぎ」に、ネットがどう影響しているというのだろう?①と②も、前述したように、非常に怪しい話しであるし...

「ブログなどのネットの言葉」というのが、掲示板などで使われている隠語の類を指すのであれば、「小説の表現」としての有効性を問うのは、完全にお門違いであり、意味不明だが、前後の流れから言えば、それ以外の論旨は思いつかない。(この話し自体、前後の脈絡なく飛び出しており奇異)

平野氏は、原稿用紙に小説を書くのと、ブログで書くのでは、夫々別の表現方法があるとでもいうのだろうか?多くの優れた小説や短歌、俳句がネットや携帯で次々に産まれていることは、ご存知ないのであろうか。

気鋭の作家のコメントらしいのだが、箇条書きで論旨を書き直して欲しいと切に願う。(インタビュアーの問題だろうか)

2006年04月19日

新庄はホントに辞めちゃうの?

物心ついて以来の阪神ファン。僕の立場から言えば、新庄は、阪神がメジャーが頼むから貸してやったまでで、北海道でお前は何をやっとんじゃい、早く甲子園に戻ってこんか...というのが正直なところ。

彼は、阪神でも一度引退宣言をしており、その理由は時の藤田監督にミスをしたか何かを責められ、正座をさせられたとかいう、割とくだらない話であった。記者会見で「野球に自信がなくなったので辞めます」と言っていたが、阪神という球団のいい加減さなのか、監督が変わったら、また全然元気で活躍し始めた。敬遠のボールを打ってサヨナラ勝ちするは、いきなりピッチャーに転向するは、何回三振しても、フルスイングを続けるは...(新庄の右打ちってみたことない)、こんな阪神っぽい選手を他のチームにおいておく方が、無理がある。(最近の阪神にはどうもこのタイプがいなくなって、優等生集団で面白くないが...。骨が折れても出場するとか、新庄なら絶対しない)

つまり、今回の引退表明は、日ハムでは、つまらない...といっているんではなかろうか?Fun? or not?以外の基準で、彼が野球を継続してきたとは思えないから。奴をみていると、仕事は楽しんでやるものだし、苦しんでどうこうするなんて野暮なことはやめたほうがいいなあ...と思える。

本人曰く、「草野球でもメジャーでも打率は2割5部から2割8部」って、本当にそのとおりで、ジーンズがはけないので、下半身は強化しない。勝手に中日と移籍交渉をし、FAで誘われたときは、「名古屋が嫌いだから」と断る。始球式のボールはうつ。100メートル10秒台で走るのに盗塁はしない~理由は「嫌いだから」 イージーフライをジャンプしてとる練習をし、後輩の差し入れに、真っ赤なマイクロバスと甲子園の後部座席を潰して荷物入れを作った男。

奴は、ただ単に退屈しているだけだから、もっと刺激的な環境を彼に用意して欲しいと思う。(日ハムは二軍球団社長かなんかのポストを用意しているらしいが、新庄のことを全然理解していない。年俸2200万円のうち2000万円で外車を買い。本気で200万で生活しようとした人ですよ~税金を彼は知らなかった)

2006年04月18日

公立塾?

新聞報道によると、経済的理由などで塾に通えない子供を支援するために、文部科学省が、来年度より、放課後や土日に国語、算数・数学の補習授業を行うらしい。教えるのは教員OBで、団塊世代の教員が来年以降多数定年を迎えることから、彼らが主力の「塾講師」となる。

つまり、これは文部科学省が、小中の義務教育において、正式カリキュラムでは充分でないという認識を公式に示したということになる。言い換えれば、現状の義務教育を実施するにおいて、塾という存在が必要ということである。

実際2つの意味で、塾は現在必要不可欠な存在といえる。一つ目の要因は、国語、算数・数学における学力低下である。これは、ゆとり教育だけが犯人ではないにしろ、国語力、計算力が低下しているのは紛れもない事実である。国語力、計算力は、更に高度な学問を身に付ける上で、また実際社会にでて業務を遂行する上で、必要不可欠な要素であり、学習者としても勤労者としても、この基礎能力なくしてやっていくことはできない。勿論英語など外国語の習得を行うにしても、国語力がなければ話にならない。この、基礎的な力を育成する力を現在のカリキュラムが持ちえていないことへの抜本的な対策をうつ必要性を強く感じる。

もう一つは、上述内容とも関連するが、受験準備に必要な機能を現在公立中学校が果たしていないことが挙げられる。これは地域により、違いがあるのかもしれないが、僕の住んでいる地域では、中間、期末テストの各科目での得点は、度数分布表で示され、かつ所謂試験科目である5科目の合計では、度数分布表すら作成されない。
通常の、試験は5科目の合計と内申点の合計で評価される。また大学受験においても、センター試験においても、二次試験においても、各科目の合計で合否が決まるにも関わらず、「順位をつけない」というのが、方針のようである。漏れ聞くところによると、学力で順位をつけることが、差別につながるとの理由らしい。また、5科目合計での順位や度数分布を示さないことは、「みかんとリンゴとトマトを足しても意味がないから」だそうである。
生徒は塾でテストをうけ、その結果を総合的に判断しないと、自分がどの学校に合格可能なのか指標を得ることはできない。よって、殆どの生徒が塾に通っているというのが現状である。つまり、進路指導は、実質公立中学ではなく、塾で行われるのが現実。

走り幅跳びやソフトボール投げでは順位はつける・学力のみは順位をつけるのは差別につながるという歪み。実際受験では、国語、数学、理科、社会、英語の得点を合計して、合否を決めているのに、性格の違うものの得点をたしても意味がないと言い切る荒すぎるロジック。(本来、これらはジェネラルアーツに属するもので、夫々は、青少年の知的育成に総合的に役立つもので、りんごやトマトのアナロジーは成り立たないはず)義務教育の闇は、思いっきり深い。

本質的なところに手をつけず、「公立の塾」を作って対応しようという、文部科学省の方針は、団塊世代の雇用対策なのではないかと疑いたくなるほど、場当たり的な気がする。

2006年04月17日

ウェブユーザー

テクノラティの今最も検索されているキーワードは、以下のとおりらしい

1.ENDLICHERI
2.功名が辻
3.三人の侍
4.W-ZERO3
5.蒼井そら

事実だとすると、かなり空恐ろしい気がする。KIZASHIのランキングをみても、ジャニーズ関連アイドル、野球、娯楽番組などが常に上位。
これらが情報ニーズだったり情報発信ニーズの大半を占めている日本ウェブユーザーというのは、どういう人たちなんだろうと思ったわけです。(その癖、ブックのランキングでは、ウェブ進化論と国家の品格がず~っと上位だったりするアンバランスも凄い)
恐らく、明るい日本を将来創ってくれる、有望な若者たちなんでしょうね。

司馬遼太郎作品の中で、最もスペクタクル感の欠如した作品である「功名の辻」は、意外と面白くてほぼ毎週みている。何と言っても仲間由紀江の魅力によるものが大きい。というか、それが全て。「馬の話」「家康に自分の領地を差し出す話」の2つしか、山内一豊には見せ場がない。面白味のない男だったらしく艶聞もなく、大名になっても出世できなかったかつての同僚に、下馬して丁寧にお辞儀をする律儀さが、煙ったがられたというのが、辛うじてあるエピソード。

今回は、脚本家も非常に頭を絞って、お市の方と千代が仲良しとか、竹中半兵衛と千代が懇意とか、六平太(もちろん架空の人物)を原作より更にふくらましたりして(つまりこのあたりは、全て創作で、史実にはない)戦国の主役との関係性をもたせようとしているが、非常に無理がある。(山内一豊は、戦国時代のステイタスでいえばエキストラ程度の存在なので、その妻の社交性にも限界はある)

ストーリーの不自然さ、山内一豊の華のなさ...すべてを吹き飛ばすのが、仲間由紀江がとってもキュートなことで、もう難しいことはいいっこなしよ~んということで、仲間由紀江オンリーで最終回までぶっ飛ばす決意がありあり。(正しい戦略だ)

しかし、長澤まさみと仲間由紀江に惚れられるほどの男か?と非常に疑問を感じる山内一豊でありました。

2006年04月15日

親馬鹿って言われても気にしない

まるっきり私事ですが...と断るまでもなく、いつものように私事ですが、私の息子は中二で、完全な野球少年です。小学校1年から、地域の野球チームに入り、5~6年では、怪我で休んだ二試合を除き全試合全イニング出場しショートを守っていました。6年の時には、地域の大会で数回優勝し、紛れもなく鎌倉ナンバーワン遊撃手でした。(親が言うのだから間違いない)

彼は、守備は得意なのですが、バッティングは?。ただチームの犠打王であり四死球王。つまり、余り打撃力はないが、チームに貢献する術は良く知っている~使える奴です。2番もしくは6,7番に是非とも欲しい選手です(こちらも、親が言うのですから全く間違いはありません)

彼は、中学の野球部で、セカンドにポジションをかえましたが、レギュラーがとれずにこの一年間苦しんでいます。理由は打撃力を優先してレギュラーを選んでいるから。このチームは一試合平均2~3点しか取れず、一点差ゲームにからっきし弱い~どんな形であれ出塁でき、またランナーを次の塁に送れる選手ーつまり彼が必要なのです。(と、私は確信する)

ここ数ヶ月、練習を終え帰宅後、ランニング&腕立て、そして1時間以上素振りを自発的にしています。ある夜、思いつめた顔で、「父ちゃんバッティングをみてくれ」といわれたので、彼の素振りに付き合いました。練習で上手く打てずに悩んでいるとのこと。

素振りをみて、本当にびっくり。数ヶ月前とは、全然違う彼がいました。振ったときのブーンという音が凄い!!フルスイングしてもぶれない下半身。
「もしかすると、お前の打球って、三塁とショートへのぼてぼてゴロばっかりか?」「うん」

スイングスピードが速くなっているのに、以前のタイミングでふるため、凡ゴロしかうてなくなっていたのでした。「振り遅れるのを恐れず、球をひきつけて、ひっぱたけ」と指示。翌日から、練習でいい当たりが飛び始めたとのこと。

レギュラーになれなかった、ここ一年で、彼は試合にでられない選手の気持ちを痛いほど分かるようになりました。誰にも言われず黙々と練習をしてきました。とても、とても貴重な体験です。

しかし、もう充分。力はついたので、あとは結果を出して欲しいと無力な親はただ祈るだけです。

監督にお前の凄いところをみせてやれ、そして力づくでレギュラーをとれ...と心の中で叫ぶのでした。
親馬鹿とか言われるのは、全く気にもならない私です。

2006年04月14日

パワポの小人たち(その2)

「最近どうもアイツは粘りがないなあ」「そんなこと言っては可愛そうだよ。提携とか色々あって凄く忙しそうだよ」「そんなこたあ理由にならねえよ」「ありゃあ、糖尿病だな」最近、こき使われているパワポの小人たちは、ご主人様への不満が溜まっています。

「今日も午前4時に起きてプレゼン作るんじゃなかったの?もう午前4時半だぜ。明日の10時からの資料っていうのに…またコピペの嵐で、やっつけか?」

PCから、飛び出したパワポの小人たちは、喧々諤々の大騒ぎです。「こんなポスター貼っているから気合が入んないじゃねえか」と、小人が綾瀬はるか巨大ポスターをはがしにかかったその時です。

「奴が起きてきやがった」ご主人様が、一時間遅れで仕事を始めました。小人は一斉にPCに飛び込みました。足がまだ出ている奴もいましたが、寝ぼけているご主人様は気づきません。彼は、まずベランダにいってタバコをふかし、おもむろに「よし、まずプレゼンのストラクチャーを作ろう」とワードに、項目だけ打ち込み、プリントアウトをしました。

その時、あるある探検隊の西川君のように、突然彼は気絶してしまいました。
「だらしねえなあ、今日も俺たち頼みか」「もう、このままほったらかそうぜ。一度痛い目にあわせりゃあいいんだ」小人たちは、お怒りモードです。

「でも、寝顔は子猫ちゃんみたいにかわいいよ」確かに、毎日きったりはったりしている悪人には、とても見えない可愛らしい寝顔です。「しょうがねえなあ、何とかしてやるか」

何しろ、項目しかわからないのですが、長いお付き合いのご主人様です。「こいつのパワポは、最初にサマリーがきて、後のページは、夫々前のページと関連付けしてあるんだ」「ネガティブな項目は明確にかけよ。でも全体のトーンは明るく、前向きに」「エクセルは、演算式は、足し算だけにしろ」「馬鹿、矢印を赤くするな、太すぎる、目に痛い」などと、大騒ぎのうちに、プレゼン資料はできていくのでした。

午前7時過ぎに、彼の妻であるマーメイドエンジェルが、書斎にやってきました。(彼女は、42歳の誕生日を明日迎えますが、大変若く見えて、どう見ても41歳にしかみえません)ポカッ(後ろからぶたれた音)

彼は、大きく伸びをしました。PCの前には、綺麗にホッチキスで止められたプレゼン資料が数部おかれています。パワポの小人達はまたしても奇跡を起こしたのでした。

窓の外では、ピンク色をした綺麗な蝶が沢山飛んでいます。よく見ると、花吹雪が折からの風に舞い散っていたのでした。桜の季節は、もう終わりつつあります。めでたし、めでたし…とさ。

2006年04月12日

Burden of Proof

大学のときに英語クラブに入っていて、ディベイトを少しかじったことがある。ディベイトというゲームは、現状改革派と現状肯定派の2チームに分かれて、ロジックを競い合うわけだが、圧倒的に改革派が不利なゲーム。改革派は、現状を変えるプランを提案し、それが有効であることを証明しなくてはいけない。この原則を、Burden of Proofという~証明の重荷を背負えということ。

僕の友人が、ディベイト大会に出場した。彼は、とても誠意のある、エレガントなディベイターだった。試合では、現状肯定派に次々と狡猾なBurdenを背負わされ、それでも誠実にPROOFを続けたが、僅差で敗れた。コーチであった先輩は飲み会で、涙ながらに、「お前は美しい。美しすぎる。(もし今度機会があれば、今度は)Burdenを背負ったれ。(そして)返したれ」と言っていた。

これが、実は彼の最後の試合になった。先輩が言っていたのは、ディベイトの試合なのか、人生について言っていたのかは、よく分からない。

何故か、その当時のことを最近よく思い出す。

BURDENを背負うのは、全然割りに合わない。大抵、辛い目にあうし、恥をかいたり、格好悪いことになる。自分から、BURDENを背負うなんて、気が違っている。
BURDENを背負うかどうかというのは、定めみたいなものだ。BURDENを背負う覚悟と責任感のある人間だけが、甘受する運命だ。全然得はしない。

辛くて、格好悪いし、エネルギーは消耗するし、いいことなんて何もない。でも、潔く運命に立ち向かっている人を、「美しい」と表現するのは決して間違っていないと思う。心から尊敬する。

野茂、頑張れよ。(その他、全てのBURDENを背負っている人達も...負けんなよ)

2006年04月11日

人は見た目が9割...なんでしょうか?

ブログを書くようになって、しかも毎日書くと決めたところから、純粋なる読書が中々できずらくなっている。我知らず、浅ましいことながら、ブログのネタになりそうな本を読んでしまう。

「人は見た目が9割」<新潮新書 竹内一郎著>については、そういう弱い自分がいて、旭屋書店に山積みされていて、「いま話題の本」&「店長のお勧め」(アキバの量販店ののりか)なんていうポップに、つい引きずられるように買って、かなり後悔をした。

このブログを読まれている賢明な皆さんは、ご存知のように、もっともらしい新書を読むのは、飲み屋で薀蓄を語る以上の役に立たないのである。僕のブログは、飲み屋の与太話以上の意味はないので、まあいいのであるが。

この本は、ひと言で言うと(190ページもある本をひと言でいうというのも、ラフすぎるので恐縮だが)言語は不完全な表現手段であり、ノンバーバルコミュニケーション(非言語意思伝達って訳すんでしょう)のほうが、相手に対する表現量や効果が高い...とまあ当たり前のことを書いている。かなりみもふたも無い言い方だが。

紙媒体の売れ行きは、須らく下落している半面、活字文化は花盛り状態で、オフィスではメールが飛び交い、ブログは、10大運営社の新規エントリーは40万/日を越えている。携帯メールも多用している人は多いでしょう。活字量の増大に対して、実際に心と心が通じ合うようなコミュニケーションはどれ位あるのでしょう~何て言っても、それは良く分からないわけだが~意思伝達がスムーズに行われていないケースはよく見受けられる。

ということで、この本は、当たり前の内容なので、議論も展開しないわけで、上記のようなつまらないことを書いてしまうわけ。人は見た目が9割といわれても、「アホ、10割じゃ」と突っ込みたくなる今日この頃であった。

<追記>先日、金田さんのブログは過激だと言われて、3メートル以上のけぞったのだが、本日のブログのように、面白くないトピックを選んでしまった⇒書いてみると案の定つまらない⇒でも、かなり書いてしまって書き直す気力がない⇒え~い、適当に書いちゃえ...というパターンで書かれた文章のことを指すのではないかと今思いました。それと、著者の竹内さん、本当に悪い読者でごめんなさい。少なくとも、僕のブログの5万倍位は面白いし役に立ちます。

2006年04月10日

雑記

体調が全く悪く、土日の殆どを寝て暮らしておりました。「猫のアイシス」を、かなり意識して、ゴロゴロしていたわけですが、見た目には、それほど可愛くは見えないのが辛い。

日曜日、せきたてられるように家を出て、背広を作りました。実際、工場勤務が長かったせいか、背広のストックが少なく、先日も煙草の火でズボンに穴を空けてしまったため、背広購入強制指導があったわけです。帰りにCDを買ってきましたが、心身の調子が悪いことを反映したのか、選択したCDが、鬼束ちひろのシングルコレクション。

鬼束ちひろは最近全然、噂を聞きませんが、やはり心身不調のときに聴くには、ベストワンです。

血を流す心に...不愉快に冷たい壁...すべては狂っている...私の乾いた地面を雨が打つ...爆破して飛び散った心の破片...というようなフレーズに満ちた曲をずっと聴いているとかなりヘビーです。

よく存じ上げないのですが、彼女はとても孤独でやり場の無い悲しみをもった、正気と狂気の間をいったりきたりしている人なんだろうなあ...と思いました。

そのおどろおどろしい曲の中で、JR西日本の宣伝ソングだった「いい日旅立ち・西へ」は、原曲の「いい日旅立ち」を遥かに上回る優しい曲でした。この曲には、思い出が。

工場で勤務していたころ、退職者を送る会が食堂(7~800人は収容できる広さ)で開催され、最後にこの曲をブラスバンドが演奏して、ひな壇にあがっていた退職者が退場するのでした。あの頃は、この曲を聴くとやたら、憂鬱な気持ちになったものでした。鬼束ちひろの、鬼気迫る澄んだ声(どんな声じゃ)で、唄われる「いい日旅立ち・西へ」は、何故か瀬戸内の優しい風景を感じさせて、色々な感情の塊を溶かしてくれるようでした。少し泣けた。

2006年04月07日

シンガポール武道家一族

グレートカブキは、自分の父親でもある、空手の師匠を殴り殺して出奔し、流れ流れてUSのマットに登場した、血に飢えた東洋の悪魔という触れ込みだったような。(勿論、日本プロレスから観てる人には、直ぐに高千穂明久と分かるのだが)
毒霧殺法、トラースキック、黒いタイツ。彼の息子が、かのグレートムタ。(牟田貞三ではない)

何故、グレートカブキを思い出したかというと、例のシンガポールの空手家一族が、白神山地(世界遺産!!)で遭難という記事をみたから。

この事件の要点をおさえておくと(別におさえる必要もないが)
・シンガポールの老いた空手家が弟子に、「秘伝書」を盗まれてしまう
・死ぬ前に、彼は、「日本の青森県の相馬村に、秘伝の伝承者がいるので、秘伝書を譲り受けろ」と遺言
・遺言をうけて、息子と門人13人が、白神山地を、伝承者を探し歩くうち遭難し、県警に保護
・ただ実際には、相馬村には道場もなければ、当該空手家もいそうにない
・地元観光局は「全力で支援したい」と言っている

う~んさっぱりわからない。まず出だしの「秘伝書」って何?遺言も、いきなり日本の青森かよ。亜熱帯から豪雪ブナ林で遭難~まあ当然か。雪も見たこと無かったに違いないし...謎の伝承者。地元観光局は、何を支援するのだろう。(一緒に伝承者を探す?)

全てが、杜撰に書き込まれた劇画のように歪んでいる。嘘をつくなら、もっとマシな嘘をつくよなあ。
新聞報道によると、流派は極真らしいが、これが北斗神拳の誤りであれば、かなりつじつまは合う気もするようなしないような。(そろそろ南斗水鳥拳のレイの登場か?)

高千穂のときは、ころころ負けていたのに、カブキになったら、トラースキックとアッパーカットで大体KOという展開のようなリアリティのない事件でした。

2006年04月06日

ワンピース41巻を買いにいかなくては

意外とPVがあったためと僕のエントリー数が多いため、DBが壊れてしまい、二日間エントリーできませんでしたが、本日よりまた書き始めたいと思います。

私「ワンピースの41巻でたの知ってる?」息子「オ~ホント」私「もうネットでは話題沸騰よ」息子「マジ?マジヤベエ」という会話を、本日交わしたのですが、僕と息子が、本当に待ちわびた「ワンピース41巻」が発売されたようで、感動、絶賛、涙涙のブログが沢山書かれているようです。

「ワンピース」というのは、説明するまでもないのですが、尾田栄一郎が少年ジャンプに連載している漫画で、漫画史に残る傑作といっても過言ではありません(と言い切る)

テーマは、「友情」「仲間」「ロマン」「プライド」「夢」…で、余計な不純物は何もありません。

筋としては、ゴムゴムの実を食べてしまったゴム人間のルフィが船長で、剣豪のゾロ、コックのサンジ、航海士のナミ、射撃手のウソップ、船医のチョッパー、考古学者のロビンと海賊団をつくり、グランドラインにある「ワンピース:一つなぎの財宝」を目指して、冒険を続けるという話です(さっぱり意味わからない人がいそうな気がするな)

シナリオも荒唐無稽かつ複雑に伏線をはってあり、既に41巻なのですが、まだ航海は半ばにも行っていないし、謎も何も解明されていないので、完結するまでに確実に400巻位にはなりそうです。

日本の歴史上、初めて登場した友情のエピソードは、石田三成と大谷吉継の関係だと、司馬遼太郎は書いていて、そうすると日本ではまだ400年ちょっとなわけですが、この作品を読むたびに、友情ほど様々なバリエーションを発展させた関係・感情はないのでは…と思います。無私で美しい。

ワンピース読んで感動できない人は、どうかしている…と金田父子は、かなり激しく思っているのでした。

2006年04月03日

ブログを書き始めて、

ブログを書き始めて、はや4ヶ月が経過をしました。エントリー数も130を越えているようです。


3月の結果を見ると、特筆すべきは、PVが、以前より2~3倍に増えているということです。毎日、見ていただいている方もいるとお聞きしています。本当に、どうも有難う御座います。かなり、何度も申しあげているように、これ以上クオリ
ティが上がるとか、何か生活の役に立つ情報を得られるということは、決してありません。(まるで、煙草のパッケージの注意書きのようですが…健康には悪くありません)

また、アクセス数が多い時間も、2月は9時、12時という時間帯が図抜けていた感じですが、今月の結果では8時から24時までの時間帯で、満遍なく読んでいただいているようです。アクセス先も、RSSリーダー、検索エンジン経由という
のも増えていて、僕の親戚と友達、弊社の従業員では、既に構成されていないらしい…です。(でも、親戚と友達の存在は、かなりプレッシャーにはなる)

最近、実は姑息にもPVをあげようと、話題のトピックをとりあげたりしていますが、元々余り興味がないものもありまして、そういうときの中身の薄さは、目を覆うばかりです。

三月で、書いた話題は、イチロー、WEB2.0、白鵬、スタニスワフ・レム、下流社会、機械翻訳、ウェブ進化論、国家の品格、白夜行、民主党、シラク大統領、WBC,アンフェアー、村上春樹、麻生外務大臣、チロルチョコパン、野茂
英雄…という、まとまりのありそうで、なさそうな話題ですが、3月って色々あったのね…という感じです。

最近、コメントやTBを頂くのですが、凄く暖かいものが多くて、まず思うのは「知り合いとしたら、誰だろう?」ということですが…本当に有難う御座いました。まずは、少なくとも今年一年は継続していきたいと思っておりますので、よろしくお
願いします。

2006年04月01日

「春の歌」といったら

今夜、ミュージックステーションで「春うた111」という企画で、春といったらこの曲というリクエストを募って、ランキングにしていた。
何と驚く事に、僕が、「春と言ったら、この曲だろ」と思っている曲は、111位までに登場すらしなかった。信じられない…こともない。

はい、それでは、僕の「春といったらこの曲」(四曲あります~同率一位)を発表します。

まず、ユーミンの「最後の春休み」。春といったら、やっぱこの曲でしょう。高校の古い校舎の感じとか、春の少し暖かくて少し肌寒い感じとか、誰もいない教室の感じとか、切なくて哀しい全てのエッセンスが詰まった歌詞を、あのユーミンの声で歌うわけですよ。曲の終わり、サイゴノ ハ ル ヤ ス ミ~♪のところで号泣しますね、普通。

次、「いつの間にか少女は」井上陽水。 とにかく、哀しい歌です。この前まで、同じレベルで騒いでいた女の子が、静かで物憂げな大人になってしまうという歌です。出だしから、終わりまで一貫して哀しい。泣きっぱなし。

インストルメンタルでは、ラリーカールトンのIt's only yesterday.(邦題:昨日の夢)。これは、インストルメンタルなので、春かどうかはわからないが、春から初夏に映る季節の海辺に沈む夕陽を常にイメージして聴いていました。この曲を聴いて、ぐっと来ない奴は、人間ではない。全編「泣きのギター」で、心震える一品に仕上がっています。

最後は、スティービーワンダーの、Easy goin' evening (My Mama's call)。二枚組み+シングル一枚というアルバムの最後に入っている、ハーモニカの曲で、春の日が終わる、夕方の感じが、ちょっと気だるく、暖かく表現されていて、とてもダラダラ、リラックスした気持ちになれます。

番外としては、「赤いスイトピー」松田聖子。この曲だけは、ベスト20に入っていましたが、曲よし、歌詞よしの不朽の名作です。

因みに、夏の曲といえば、「渚のバルコニー」と山下達郎(曲は、どれでもいいのですが、あえて選べば、LOVELAND ISLANDかBIG WAVE)という感じでしょうか。

この曲を聴けば必ず感動するという曲があれば、教えてくださいませ