« 2006年02月 | メイン | 2006年04月 »

2006年03月31日

イチローと教科書検定

イチローはWBCで、これまでのクールで孤独で、どちらかというとエゴイスティックな職人というイメージから、感情をむき出しにして、チームを鼓舞するリーダーへと変身をした。

「日の丸の重みを感じる」「マリナーズのユニフォームを着ていても、常に日の丸と誇りを背負っている」「野球の世界一は日本だ、アメリカではない」

彼の言葉は重い。首位打者を二回とっても、大リーグ記録を抜いても、彼は正当な評価を得ていないと感じているのかもしれない。低迷するチーム、人種差別、偏見、言葉の壁などなど、異国の地で、物凄いプレッシャーの中、全力で走り続けることへの疲れを感じた。

シアトルに行った当時の、野球少年が楽しくてしょうがないといった風情はもうない。

WBCは、イチローにとって、閉塞感に風穴を開けるような体験だったのではないか。「このチームで、大リーグを戦いたい」という彼の言葉は、心底本音であっただろうし、渇望感をみた。

それにしても、イチローのpatoriotismと、日の丸&君が代をタブー視する教育現場、未だに自虐史観と国粋主義の間で揺れる歴史観、現代史に対する思考停止状態の落差のなんと大きなことか

中国、韓国との軋轢は、我々が現代史を総括せず、その場しのぎでここまできたツケ以外の何物でもない。孤高の天才が、みせた純粋無垢なpatoriotismと、それに自然と共感する感情こそが、多くの懸案を解決するために必要なものであると思う。

WEB2.0という言葉に、大した意味などない

どうも、WEB業界は、カタカナが多くて、それもUS直輸入の用語を、ありがたがる傾向が強い気がしています。SEO、SEM、CGM、LOMG TAIL…そしてWEB2.0.


先日もご高名なコンサルタントから、「御社はWEB2.0的色彩が弱い」というようなことを言われました。「どうしてですか?」と質問をしたら、「WEB2.0企業というからには、成長率がもっと高くないといけない」とトンチンカンな回答をいただきました。WEB2.0っていつから成長性を担保するファクターになったのでしょう。へその皮がマジでよじれました。
ふわふわした存在で、かつての「マルチメディア」「リエンジニアリング」に似た、いかがわしさを感じるWEB2.0について、本日は考えてみたいと思います。

まず、WEB2.0の定義をチェックしてみます。

WIKIPEDIA

「Web 2.0」という用語は、World Wide Webの様々な点での進化を総称したものであり、アーキテクチャやアプリケーションを含んでいる。しかし、その意味について明確な合意が形成されているとは言い難い。

現在、以下のような言い方をされている。

ウェブサイトは、孤立した情報の貯蔵庫からコンテンツと機能の発信源へと変化し、ウェブアプリケーションを一般ユーザー向けに提供するプラットフォームとなりつつある。
Webコンテンツ自体を作成し配布しようとする社会現象は、開かれたコミュニケーション、権威の分散、共有と再利用の自由、会話の市場性などから性格づけられる。
Webの経済価値は1990年代末のITバブル期とほぼ同程度の潜在的価値を示しつつある。
最近開発された多くのコンセプトと技術は Web 2.0 をもたらす要素とみなされる。それには、ブログ、ウィキ、ポッドキャスティング、Webフィードのような多対多のパブリッシングが含まれる。また、ソーシャル・ソフトウェア、Web API、Web標準規格、Webサービス、Ajaxなども Web 2.0 を構成する要素である。これらを個別の現象と見ずに、進行しつつある Web アーキテクチャの成熟過程の一部として見た時に Web 2.0 と総称するのである。

現状の Web を Web 1.0 と称して対比させることもよく見受けられる。Web 1.0 として代表的に言われるのは、ホームページという概念、勝手にでしゃばってくるマーケティング関連サービス、サイトコンテンツの障壁、ブログの非互換による相互運用性の阻害などである。

まず、定義に関しては、明確な合意は形成されているわけではないのです。また、最新の技術やコンセプトは、真空ポケットに吸い込まれるようにWEB2.0に包含されていきます。つまり、話し手の好き勝手な思い込みで、「WEB2.0的だよね」といえるもので、社会科学的アプローチで~つまりある種の知的緊張状態から削ぎ落とされ、研ぎ澄まされたコンセプトとは、程遠いものです。ある種何か現状のWEB技術、コンセプトよりも進歩的な印象を想起させるシンボルみたいなものなんでしょう。

例えば、USの専門家が、これをEGGPLANTと名付ければ、EGGPLANTで全然差し支えない代物です。

さて、では巷では、どういう理解がされているのか

「ネット上の不特定多数の人々を受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」がその本質と私は考えている 「ウェブ進化論」梅田望夫著

積極的に巻き込む? 姿勢? 何に巻き込むの?姿勢って「心意気」ってこと?

「今までは、参入障壁とか、顧客の獲得とかを重視してきた。そうではなくて好きなソフトを使えるようにつなげよう、配信するルールを同じにしよう。このようにいかにみんなが一緒に繋がるかというのが、2002年ほどから動き出してきたWEB2.0の考え方だ」 「ブログの正体」伊藤穣一+デヴィッド・L・シフリー著

みんな一緒に手を繋ごう~ハンドインハンドだ!!ってアリスみたいだ。(滅茶苦茶荒っぽいなあ)

「今までのサイトに集めてビジネスするという集約型から分散型に。これがWEB2.0の概念であり思想である」「ブログの正体」伊藤穣一+デヴィッド・L・シフリー著

概念と思想はどう使い分けているのかしら? 集約型から分散型にっていわれてもなあ(説明が粗過ぎるんだよなあ)

あくまでも「おおよそ、このあたりのこと」という程度のゆるやかない共通理解を示す言葉…(中略)従来のインターネットのサービスとの基本的な違いは、ユーザーがサービスの一部に組み込まれていることにある。(中略)ユーザーがメリットを感じる形でサービスが提供され、多くのユーザーが利用することでデータが蓄積され、蓄積されたデータとユーザー要望からソフトもサービスも更に進化していく、という成長の概念が、この世界観の基本にある
「RSSマーケティング・ガイド」

コトラーも同じことを書いている。

つまり、WEB2.0とは何か?に関しては、答えが無数にある/全く無い(これ位荒っぽいと、無いと在るがほぼ同じ意味を示すから凄い)
「感覚的には」何となく、ユーザー参加型のサービスで、サービス消費仮定で生じる様々なデータとユーザーそのものの声が、あらたなサービスを産み出すという、ウェブ特性を活かしたダイナミックなビジネスモデルのバラエティを指す…ということなんでしょう。

つまり…
1.「WEB2.0」という用語は、現在ウェブ業界で起こっている変化の総称であり、言葉には意味が無い。別に、へちまと呼んでも一向に構わないし、トマトと呼んでもいい
2.また、ボスコンのマトリックスやポーターの競合分析図などのような、考え方を整理するフレイムワークではない。
3.また、ウェブ業界で起こっている変化に関しても、質的には従来のマーケティング理論を越えるものではない。
4.真に革命的なのは、従来のマーケ理論+ウェブの潜在能力⇒ダイナミックなモデルという、量的な変化である。(からくり+蒸気機関⇒蒸気機関車という関係に似ている)
5.またキーワードは、「ユーザー参加」「つながる」「広がる」

ということで、WEB2.0って最近よく聞くけど、意味が本当のところは分からないし、誰かに聞くのも恥ずかしいと思っていた皆さん、言葉自体に意味はないので気にしなくてもいいよ。

このウェブが有する化け物みたいな量的パワーを用いて、独自の言語で、独自の概念、ビジネスモデルを産み出すことが、業界人には求められていると思います。(頑張ります)

<おまけ>RSSマーケティングガイドの最終章のまとめが、一番分かりやすいし、クールで誠実に事実を捉えていると思います。この章の担当は渡辺聡さんです。さと坊は、やっぱり頭がいいなあ…と正直思いました。

2006年03月30日

雑記:白鵬

相撲界っていうのは、審判委員がビデオで確認して、勝敗を決したり、別に外国人枠を設けるでもなく、本当に大らかで、進歩的で素晴らしいと思います。

平成では15人目、21歳「大関白鵬」誕生へ  日本相撲協会は29日午前9時から、大阪府立体育会館で夏場所の番付編成会議と理事会を開き、東関脇白鵬(21)(本名ムンフバト・ダバジャルガル、モンゴル出身、宮城野部屋)の大関昇進を正式に決定する。 <以下略> (2006年3月29日0時10分 読売新聞

白鵬のインタビューを聞いて、その真面目さ、誠実さが伝わってきました。また、日本語がとても自然で、口語としてはほぼ完璧だったので、びっくりしました。21歳の若者らしく、謙虚で控えめで、先輩であり横綱である朝青龍をたてているところなど、好感もてます。魁皇に負けてしまうところなども、泣けてくるし。

しかし、横綱モンゴル人で、大関ブルガリア人とモンゴル人って構図は、何となくしっくりきませんね。このままワールドスポーツ化を遂げてしまうんでしょうか?

身辺雑記:昔の計画書がでてきた

「98年の反省と99年の抱負」という、僕が昔書いた計画書が、偶然でてきました。読んでみると、涙が出そうなくらい健気です。この計画書というのは、毎年正月に作成していましたが、年をおうごとに、簡易なものとなっていて、2006年初頭は、遂に何にも作成しませんでした。この99年度版は、A45ページにびっちり文字が並んでいました。

どうも98年というのは、様々なトラブルに巻き込まれた年だったらしく(既に忘却の彼方ですが)、そういうトラブルに巻き込まれたのは、自分の性格のせいであると総括しています。そのうえで、「本当のリーダーになれるように、全力を尽くす」と書いています。守るべき行動規範として、
・常に他人の気持ちを慮る
・人の話しを全身耳にして聞く
・誠実かつ率直である
・怒らない、絶望しない、他人を攻撃しない…(あと25位項目があるのですが、どれも大真面目)

悪いことは、全て自分に原因があり、それを人格を高めることにより克服しようと、当時は、純情かつ真剣に思いつめていた様子が、文章からにじみ出ています。(何て良い奴なんだ)

また「べからず集」みたいなものが多くて、よっぽどいつも怒ったり、絶望したりしていたんだなあ…と驚きます。今は、純情さ30%ダウンで図太さ&タフさが50%アップで、怒ったり絶望したりというのは、余りなし…という感じです。人間って、どんどん変わるんだなあ…ってつくづく思います。

この4月から、新しいフレイムワークのなかで、個人としても会社としても、チャレンジが始まりますが、能動的に自分を変えていきたい…なんて思っています。99年度の純粋さは、とても脆く危なげなものですが、買い!!かな?

2006年03月29日

スタニスワフ・レム死去

スタニスワフ・レムさんが、亡くなられたとのニュースを聞いた。この方は、ポーランドの作家、思想家で、かの有名な「惑星ソラリス」の原作者。

大学のとき、オールナイトでみた、「惑星ソラリス」だが、こんなことを書くと、知的水準を疑われそうだが、全然面白くなかった。というか、意味がよくわからなかった。とにかく、オールナイトで見終わった後、強烈に頭が痛かったのを覚えている。(筋は全然覚えていない)確か、「戦艦ポチョムキン」と「惑星ソラリス」の二本立てという、まあ壮絶な組み合わせで、何故わざわざ観にいったのか、理由が思いつかない。

またまた、凄く頭が悪そうで、恐縮だが(恐縮することでもないが)、娯楽映画でないと駄目みたい。以前、大阪で時間があって、ユーゴスラビア映画でジプシーを描いた不朽の名作(といわれている作品)を見たのだが、題名すら覚えていないし、画面の余りの寒々しさに、直ぐ後悔した。

好きな映画を挙げると、「ガンジー」「炎のランナー」「コーラスライン」「アンタッチャブル」、「シンドラーのリスト」、「Back to the future」という感じで、こうやって並べると本当にミーハーなのが良く分かる。邦画では、全く思い出せないけど「名探偵コナン」しか挙げる映画がないことが、哀しい。

このスタニスワフ・レム&「惑星ソラリス」という言葉にぶつかって、唐突に思い出したのは大学生活で、今考えると信じ難い事ながら、映画館のはしご…というのをやっていた。つまり、一本見終わって、次の映画を違う映画館に、同じ日に観にいくということだが…時間が有り余っていたのかなあ?

広島という街の映画館はまた、変てこな上映がされていて、ロッキー四本立て(ロッキー1,2,3,4をみせる)とか、仁義なき戦い3本立てとか、ラインナップが常識はずれ。ある愛の歌二本立てなんていうのもみた記憶がある。

しかし「惑星ソラリス」の著者が、スタニスワフ・レムって言う人だということを、初めて知りました。恐らく明日には忘れそうだが…

2006年03月27日

小学校で英語教育

この前、シラク大統領の事件で、英語は国際語か?という事を書きましたが、今日こんなニュースがありました。

小学校での英語「必修化」まとめる 中教審部会 <産経新聞>  小学校英語の充実を検討してきた中央教育審議会の外国語専門部会は27日、小学校で全国一律に英語を実施するよう事実上の必修化を求める審議報告をまとめた。報告では成績をつける教科としてではなく、5、6年で平均週1回の必修化を検討するよう要請した。31日の教育課程部会に報告する。

 現在、全国の小学校の96%超で歌やゲームなど何らかの「英語活動」が導入されている現状を踏まえ、国際コミュニケーション能力養成の一環として充実を図った。今後、中教審の教育課程部会で国語など他教科との兼合いを審議。最終決定後、文科省が学習指導要領の改訂に臨む見通し。

 審議報告では、高学年(5、6年)で「年間35単位時間(平均週1回)程度で共通の教育内容を設定するよう検討する必要がある」とした。ただ、児童を数値評定する「教科化」は「今後の課題とする」と慎重な表現にとどめ、まず「領域または総合学習として位置づける」とした。

 道徳や特別活動と同じ位置づけの「領域」の場合、指導要領に教育目標や内容を明示しつつも成績はつけない。「総合学習」なら指導要領で趣旨などを定め、教育内容は各校に任される。

 一方、中学年(3、4年)については「総合学習で英語教育充実をはかる必要がある」と指摘。低学年(1、2年)には「特別活動などを中心に」とし、大幅な充実化は見送った。

算数、国語などの学力低下が、話題になっているのにもかかわらず、週一回しかも各学校に任せての英語必修化に、どんな意味があるのでしょうか?

まず、他の授業に充てるべき時間数が目減りする、もしくは追加できた授業が減る。英語の初等教育に関してノウハウ、経験のある教師数が非常に少ないのに、「各学校に任せる」というのでは、レベルもかなり問題がありそうです。

また「国際コミュニケーション能力の養成」の一環ということですが、そもそも「国際コミュニケーション能力」って何でしょうか?自国の文化、歴史について、充分な理解と誇りをもち、かつ他国の文化、歴史にリスペクトをもつ…というのが出発点だと思います。英語ができるかどうか等、国際コミュニケーションの技術論の一つにしか過ぎないと思うのです。

英語ができることが、国際コミュニケーション能力で重要なファクターだとしたら、アメリカ人とイギリス人は、生まれついて国際化が進んでいるということでしょうか?

日本人が、どういう立場であれ、多国籍で構成されているグループに参加した際は、必ず「日本人として」「チーム日本として」「日本支社として」など…日本人としての見解をもとめられます。僕も、外資系にいたころ、当初は、「俺外務省の人間じゃないしなあ」とか思いましたが、段々、これこそが、所謂国際コミュニケーションという奴だとさとりました。

海外に出て何らかの生産的活動を行うならば、「日本人」であることは各個人についてまわりますし、「日本人」としての意見を求められたり、「日本市場」について説明を求められたりするのです。

英語を小学校に導入して、「国際コミュニケーション能力養成」と言っている人は、そういうEXPOSUREの経験がないのでは…と首を傾げざるを得ません。(勿論、英語ができることは、重要です)

2006年03月26日

眠れる森の

本日も、体のだるさと睡魔の為、ただただ食事と睡眠を繰り返しています。もう春だというのに、情けない限りです。

長時間眠ると、自分の体重の為、背中が痛くなったり、肩がこったりします。その他機能も、恐らくかなり弱ってしまうに違いないと思います。

ここ数ヶ月は、確かに無茶苦茶なスケジュールだったかもしれない…と反省をしております。やはり、規則正しい生活を継続しないとね。

それでは、皆様お休みなさい(また、寝てしまうのでした)

シラク大統領について

肉体的にも、精神的にも蓄積された疲れが、ドドド~~~~ットと来る感じです。微熱があって、体がだるくて、何をする気にもならないので、かなりの時間を布団の中で過ごしました。綾瀬はるかの「ピリオド」を30回は聴いて、その都度哀しくなっています。(失恋の歌なのよ)

シラク大統領、ショックで一時退席 EU臨時首脳会議 フランス人が国際会議で英語で話すなんて…(産経新聞)  【パリ=山口昌子】フランスのシラク大統領がブリュッセルで開かれた欧州連合(EU)臨時首脳会議で、フランス人が英語を使ったことにショックを受けて一時、退出するハプニングがあった。

 二十三日夕、首脳陣を前にフランス人のセリエ欧州経営機関会長(仏版経団連MEDEFの前会長)が欧州の経済情勢を英語で話し始めた際、ショックを受けたシラク大統領がブルトン財務相とドストブラジ外相の二人を伴って一時退出した。

 セリエ氏は大統領とはエリート校の国立行政学院(ENA)の同級生。同氏は「英語はビジネス用語だから」としきりに釈明したが、大統領は二十四日の会見で、「フランス人が(国際)会議で英語で説明することに強い衝撃を受けた」と告白。そのうえで、「明日の世界が、英語が唯一の言葉、すなわち唯一の文化という前提の上に築かれることはない」と述べ、英語支配を牽制(けんせい)した。

 首脳の大半は出入りの激しい全体会議中の出来事であったため、「誰かがトイレに行っても注意を払わない」(メルケル独首相)などと幸か不幸か注目度は低かった。

 EUでは公式文書は英仏独語の三カ国語を使用している。二〇〇四年には公式文書の62%がまず英語で発表され、仏語で最初に発表される文書は26%と英語の半分以下。一九九七年にはこの比率が45%対40%だったが、〇四年に中・東欧諸国が新規加盟し、英語使用の比重が増えた。

まず心情的には、シラク大統領の行動は良く分かるし、自国の言語対するプライドを、元首がもっていることについては、とても素晴らしいと思います。
英語=国際語、国際化=アメリカ化という図式は、あたかも自然な流れのように、常識化しつつあります。しかし、ちょっと待て、本当にそれでいいのか?という話です。英語が多くの人間に使われているのは、英国と米国の他国侵略の結果でしょう。つまりオリジンとしての、正当性はない。

言語としても、あんなに例外表現は多く、アルファベットと発音の一致しない言語が、「国際言語」として妥当なのかというと、絶対そんなことはない。

また、自国語か英語かという選択をしなくてはいけない場面というのは極めて少ない。つまり、国際会議などの機会でしょうから、そこで、殊更に英語を喋る必要はない~通訳を通せばいい…と思うのです。英語でコミュニケイトできる能力はは、必要ですが、使うかどうかは、別問題です。

日本には、「英語が喋れる=国際人⇒ポジティブな印象」という図式があるように感じるのですが、自国語にプライドをもち、きちんと喋れないのに、何が英語じゃ…と前々から思っていました。

流石にシラクは、大相撲のファンだけあって(関係ないけど、関空から大相撲観戦に駆けつけた後、首相とあったらしい)一本筋は通っているとおもうのでした。

2006年03月25日

白夜行

綾瀬はるかのファンです。今日発売のシングルCDも買ってしまった。書斎に、ポスターも貼ってしまった。早速聴いてみて、なんとびっくり。声がとても強くて良い。My Little Loverみたいだなあと思ったら、プロデュースが小林武史。

綾瀬はるか主演の「白夜行」が昨日最終回でしたが、色々忙しくてまだ見ていません。このドラマは、山田孝之と綾瀬はるかという、セカチューコンビ再現で、主題歌はやはり柴咲コウ。初回を観た時は、日本ドラマ史上最高傑作になるのでは、と思いましたが...。

東野圭吾の本、特に白夜行は、映像化には,余りに高いハードルだったような気がします。非常に緻密で、伏線張り巡らしたこの作品を、作品では描かれていない、主人公の行動を通して描くという、極めて意欲的な試みでしたが、山が高すぎた...というのが率直な感想です。

原作は完成度が高く、別の角度から描くと、全然違う話になってしまう。また、余りに凄惨で、異常な話の連続なので、どうしてもリアリティを欠いてしまう。純粋なラブストーリーにするのは、やはり無理があったような気がします。

しかし...この1~3月は、色々なことがあって、やたら忙しく、体調を立て直す時間もなかったのに、連続ドラマを二本みるし、WBCの準決勝と決勝は全イニングみるし、案外トリノオリンピックもみているし、ブログも書いているし、本も沢山読んでいるし...どうやって時間をひねり出したんでしょう。(しかも、細かい記憶が飛んでいる)
土日は、ネコちゃんみたいにゴロゴロして過ごしたいと思います。

2006年03月24日

ヤフー様との事業・資本提携に関して

既に、ニュースリリースがでておりますが、ヤフー様と弊社は、事業・資本提携を行うこととなりました。

この提携の結果、弊社はヤフーの連結子会社として、4月1日より、新たなスタートを切ることとなります。公式な見解としては、リリースをご参照いただければと思いますので、違った角度から本提携について申し上げたいと思います。

弊社は、知名度の高くない会社です。しかし、今後のウェブ上の情報マネジメントを変えていけるような、ユニークな技術を持った会社だと自負しています。今回の提携で、これまで培ったものを、大きなステージで発揮し、多くの方々に評価をしていただけるような会社に脱皮していきたいと考えております。

ある意味「地元じゃ負け知らず」の競走馬が、中央競馬にデビューするような気持ちでおります。(馬の気持ちは、よくわかりませんが)

現行の法人向けニュースサービス、サイト内検索ASPサービスは今後も拡販に努めますし、クライアント企業様、契約をさせていただいている媒体社様、巡回許諾を頂いているサイト様は、弊社にとって誇りうる宝物だと思っております。今後とも良好な関係を継続できるよう、全力を尽くして参ります。

会社創立以来10年目にあたる本年、ニューズウォッチは、勇気をもって、新たな一歩を踏み出しますので、今後ともご指導ご鞭撻のほう宜しくお願い致します。

                                           金田直之

村上春樹 カフカ賞受賞

カフカ賞って何よ?というくらい無知です。

 『【ウィーン23日共同】プラハからの報道によると、チェコのフランツ・カフカ協会は23日までに、プラハ出身の作家フランツ・カフカ(1883―1924年)にちなんだ文学賞「フランツ・カフカ賞」を、日本の作家、村上春樹氏(57)に贈ることを決めた。授賞式は10月30日にプラハの旧市庁舎で行われる予定。  同賞は2001年に創設、今年が6回目。これまで04年にオーストリアの女性作家エルフリーデ・イェリネク氏、05年には英国の劇作家ハロルド・ピンター氏が受賞。両氏はいずれもその年にノーベル文学賞を受賞した。  同賞は民族文化の重要性を喚起することなどに貢献した作家に贈られ、賞金は1万ドル(約120万円)。  地元紙プラーボは、村上氏の代表作として「ノルウェイの森」「国境の南、太陽の西」「海辺のカフカ」を挙げ、約20カ国語に翻訳されて世界でミリオンセラーとなっているなどと紹介した。』

ということで、ノーベル文学賞の前哨戦位の重みのある賞のようです。かつては、村上春樹のファンだった私ですが、最近はあまり熱心な読者ではありません。何故なら、既に彼の作品は、記号化、パターン化しているように感じられるからです。

青春三部作で感じた、瑞々しく、都会的な雰囲気や、パン屋再襲撃、世界の終わり…でみせた圧倒的な面白さから比べると、最近は、ちょっとねえ…という感じがするのですが…

2006年03月23日

WBCが織り成す色々なこと

中学校でサッカーのクラスマッチがあった。これに大村先生は、猛烈にいれこんでいたのだが、彼のクラスは、あっさり一回戦敗退してしまった。憤懣やるかたない彼は、優勝したチームに挑戦状をたたきつけ、午前7時キックオフという試合を強引に組んでしまった。結果は引き分けだったと思うが、余り定かではない。ただ、覚えているのは、その後、他のクラスもこの後優勝チームに挑戦しようとしたが、何故か却下されてしまったということ。大村先生の豪腕ぶりが光るとでもいえばいいのか...

何故、こんなことを書いているかというと

秋以降に日韓再戦を…韓国野球委総裁が希望 韓国野球委員会(KBO)の辛相佑総裁は22日の平和放送のラジオ番組で、プロ野球シーズン終了後の10月以降に日本で再度、日韓戦を行いたいとの考えを示した。

 辛総裁はWBCで日本が優勝したことについて「実質的には2対1(2勝1敗)で韓国に負けたと、日本もよく分かっている」とした。また、開催時期の気候的な問題から「(韓国には)ドーム球場がないために(再戦は)日本の意思が重要」と述べた。(共同)

韓国にも、大村先生のように、大人気ない人がいるのである。悔しいのは分かったけどさ、そこまでするか?これって、もう果たし状の世界ですよね。確かに、2回負けたけど、and so what? 最初から、勝率で強弱を問うというルールではないでしょう。中学校の我儘教師ならまだ笑えるけれど、韓国野球委総裁が言うとなあ...まあ笑えないことも無い話ではある。

韓国チームよ、3年後の第二回WBCで、かかってきなさい。(でも、韓国は、まじで強いのは確か)

書いていて昔のこと思い出したが、この大村先生は、体育の授業でサッカーの試合があると、飛び入り参加をしていた。うちのクラスは、丁度旨い具合に彼の空コマにあたるのか、必ずフォワードとして参加し中学生相手に、まじで球を競り合ったりしていた。考えれば、かなりヤバイ先生だったのかもしれない。

春は、必ず花見をしながら、死ぬほど飲んでいたのに...随分ご無沙汰な感じ。大学のときは、丁度一年生が、入部したてという頃合で、比治山公園という桜の名所に茣蓙をひいて、17時くらいから、延々夜遅くまで飲む。見事にライトアップされ、桜の花が舞い散るなか、ドンちゃん騒ぎをしたものである。

今考えると、学生の頃というのは、何も無かったし、孤独感や将来への不安などもあったので、何かをうずめる為に、あんなに頻繁に、大量に酒を飲んだのではないだろうか?(ただのアル中の一歩手前だったという説もある)

桜の下で、飲んでいると、物凄く大盛り上がりをしているのに、時々シンとした気持ちになって、桜の花がヒラヒラおちてくるのを、黙ってみつめるような瞬間があった。桜の花だけが形成できる不思議な空間がある。

西行が死ぬ前に詠んだ歌に、こんなのがある。

願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ

なんて、センチメンタル。でも、気持ちは判る。ちょっと肌寒い空気の中、月の光に照らされた満開の桜の木。このまま眠るように死ねたら、とても素敵~月と桜の組み合わせは、とても危険だ。

そう、月と桜の組み合わせは、とても危険。これに、杯をとれば、月見で一杯、花見で一杯。桐と鶴を加えれば四光...小さい時に、花札で鍛えられたということも思い出した、早春でした。

2006年03月22日

うっかり八兵衛

永田メール問題が民主党に教えたことは、何らかの疑惑が生じた際には、客観的証拠を示して説得力ある形で告発しなくてはいけない。憶測で物を言ってはいけない...という学級会並みの教訓であったと思うのに...

自民とライブドアの闇存在 民主・野田氏

 民主党の野田佳彦前国対委員長は19日、「送金指示」メール問題で国対委員長を辞任後、初めて自らの集会を地元の千葉県船橋市で開き「期待を裏切る結果となり申し訳ない」と支持者に謝罪した。その上で「今は反省し謹慎しないといけないが、自民党とライブドアの闇は存在すると思っている」と述べた。
 その上で「私は今回、うっかり八兵衛みたいなことをしてしまったが、今後は風車の弥七となって、渡部恒三国対委員長を支えたい」と語った。
 <以下略>  (共同通信)

政治的にどうこういうつもりはないが、野田さんは、現在完了進行形で「うっかり八兵衛」である。

「闇」が存在すると信じるのはOKだが、そのことを問う為には、客観的な証拠を積み上げるべきであるし、それは、国会議員であろうが、小学校の学級会であろうが、同じではないのか?ついこの前、謝罪したばかりではないのか?かなり、とほほな話し。

ついでにいうと、「風車の弥七」を名乗るなんて...全国1千万の水戸黄門ファンが、暴動を起こしそうだ。

2006年03月21日

アンフェアーなのは誰か?

アンフェアーなのは、誰か?

WBCで、5勝3敗の日本が優勝して、6勝1敗の韓国は、敗北した。アンフェアーではないのか?ボブ・デビッドソン審判員の度重なる誤審は、大きく勝敗を歪めた。アンフェアーではないのか?

今大会は、アメリカによるアメリカの為の大会であるはずだった。アメリカが、カリブ海の強国と準決勝であたらない為、同じ組の一位と二位が準決勝を行うという、誰が見てもおかしい組み合わせ。短期間に三度も日本と韓国が戦うことになった。デビッドソン審判員の誤審が、単なる技術の拙さによるものなのかは不明だが、常にアメリカ有利な誤審をしたことは、紛れも無い事実である。

MLBが、サッカーに対抗して、世界マーケットを狙う為に、WBCは必要な大会であろう。バリバリのプロが集まり真剣勝負をする大会が開催されたのは、素晴らしいと思うし、今後を期待したい。それにしても、アメリカでの、注目度の低さはどうであろうか。平均観客数1万8千人、米国国内の視聴率が1%とは...。お膝元の国では、WBCを国別の世界一決定戦と、本当に認識していたのか?

大リーグのナンバーワン決定戦をワールドシリーズと呼んで憚らない傲慢さを、叩き壊したWBCは、真の国際化・非アメリカ化を図る契機となって欲しいと思う。

全てのアンフェアーを乗り越えた、王ジャパンの勝利には心から祝福を。

余り好きではなかったイチローだったが、少し好きになった。9回のタイムリーヒットを打つ前、ベンチもランナーも(そしてTVの前のオーディエンスも)イチローは必ず打つと、信じきっている雰囲気が生じた。(川崎の本塁突入は、前もってイチローがヒットを打つと知っていたように確信に満ちていた)そんな中、計ったように一二塁間の真ん中にゴロを転がせるイチローには、鳥肌がたった。多少、鼻につくけど、やはり本物だ。

アンフェアーなのは、誰か?

犯人が、安藤というのは、フェアーな結末なのか?愛情と憎しみはnearly equalということか?最終回まで、犯人がわからなかった。(実は、あの人の良い爺さん刑事が犯人と思っていた)結末には、皆納得か?推理小説の密室殺人の禁じ手は、「実は、秘密の抜け道がありました」だが、それに近い肩透かし感はないか?
雪平刑事と同じコートを着れば、皆あんな感じに、クールで格好がいいのか?(そうであれば、俺も欲しい)テレビを観すぎて、仕事をする気力を失った俺は、不条理ではないのか?

アンフェアーなのは、誰か?

「下流社会」を読んで

「下流社会」(光文社新書 三浦展著)を読んでみました。「下流社会」というのは、「上流社会」に対する概念で、著者の造語です。

「下流社会」の著者による定義は、「単に所得が低いだけではなくて、総じて人生への意欲が低い。その結果、所得が上がらず、未婚のままである確率も高い」としており、いわゆる団塊ジュニアと呼ばれる現在の30代前半を中心とする若い世代において、この傾向が強くなってきていると指摘します。

この団塊ジュニアは、日本が総中流階級化して、生まれた初めての世代であり、そのため、物質的には恵まれているし、激しい貧富の差も見たことが無い。よって、上昇志向がかき立てられる事がなく(元々豊かだから)、ダラダラ生きていける...と思っている。

しかし、実際、この団塊ジュニアの放り込まれた世界というのは、低成長、成果主義で、上昇する意欲と能力があるものだけが、良い暮らしをして、そうでない者はどんどん下降していくという「自己責任に基づく競争社会」「ある種のゼロサム社会」

つまり、彼ら団塊ジュニアは、戦闘意欲がないまま、戦場の真っ只中にタイムスリップして登場してしまったような存在なのかもしれません。

このような階層格差が生じる原因として、コミュニケーション能力が指摘されていることを興味深く感じました。つまり、

・コミュニケーションが苦手と思った子供は、自らを「負け組」と定義しがちであり、コミュニケーションスキルの違いが延長された先に「引きこもり」等の事象がある

・学歴が高いほど、「自分の意見を人に説明する」「知らない人と自然に会話できる」というスキルが高くなるというデータがある...とのこと

著者によれば、「上流社会」(これは所得が極端に高いことを意味しておらず、中の上くらいのレベル)の男性は、人の好き嫌いが余りなく、人付き合いがよく、気配りが出来て、実行力があり、依存心が弱い...という特長をもつ。女性においても、依存心が弱く、人の能力や長所を伸ばすことが出来る...と考える傾向が強い。

この「上流」の特長は、そのまま仕事が出来る奴、友達にしたい奴、頼りになる奴...の特長でもあるのは、偶然の一致ではなさそうです。

また、下方に流れてゆく層のキーワードは「自分らしさ」の重視。著者が喝破しているように、この「自分らしさ」とは、依存心の強い自分、他者との交わりを恐れる自分、やる気のない自分を肯定するためのEXCUSEとして使われています。

個人的には、終身雇用など組織に個人が守られている時代が終焉し、「個」の時代が到来しているように感じています。「国家の品格」「ウェブ進化論」でも、前提とされているのは、独立し、何かに能動的に「参画する」個です。

著者は、様々なデータを駆使して、「下流社会」の特徴を分析していますが、言い換えれば非常にシンプルな事実を説明していると思うのです~「個人の意思が、人生の物質的、経済的、社会的な豊かさを決定する」

同じ場所に住み、同じ人間としか付き合わず、狭い社会に固定化された若者は、昔のムラに縛りつけられた農民と同じで、「新しい農民」ではないか...と著者は言います。

軋轢を恐れず、リスクをとり、色々な事柄に「参画する」個のみが、社会を旋回させる力になるのであろうと確信します。

2006年03月20日

広末涼子は素晴らしい

広末涼子が「愛と死をみつめて」をやると聞いたとき、「え~、いまどきヒロスエ?」「どうやって、高校生から21歳までを、やるわけ?」と言っていた皆さん、全員謝りなさい。

御免なさい。

スキャンダルにまみれようと、生活が乱れようが、出来ちゃった婚をしようが、子供がいようが、旦那に稼ぎがなかろうが、広末涼子さんは、本当に美しく、清らかで、素晴らしかったです。やっぱり、物が違うのかもしれないと思いました。

機械翻訳は、かなり深い

10年位前、外資系企業に勤務していたころ、英文資料が余りに多い事に音をあげた同僚が、英日翻訳を試したことがありましたが、Vice Presidentをいきなり「副将軍」と訳してしまう始末で、部内に笑いを提供する以上の効果は上げることが出来ませんでした。(副将軍という訳が成り立つ状況って、水戸光圀に英文レターを出す場合だけでしょう)

また、その時調子にのって、中国株の市場分析の文章を、中日のフリー翻訳ソフトをつかってみると...
「全ての値は、上または下に、揺れ、市場は旋回し、全ての門が閉ざされる時には。...」のような、巨大かつ荘厳な叙事詩が展開されていて、かなりのインパクトでした。(ノストラダムスの予言のようだ)

中国語自習帳というブログで、各サイトでの中日翻訳精度を比較しているのを見つけました。弊社の中日翻訳も評価対象になっています。全体評価は、以下のとおりです。

総評:Exciteを紙一重おさえてフレッシュアイが総合トップに輝きました。おめでとうございます。Exciteが良く言えばうまくまとまった、悪く言えばいい加減な訳をするのに対し、フレッシュアイはある時は鋭く、またある時はダメダメな訳をするムラっ気が見られました。それに対しYahoo!とinfoseekはまだまだ勉強が足りません。特にinfoseekは日本語をもっと勉強してきてください。

ということで、弊社の中日翻訳機能が、一番評価が高かったのですが、うちの翻訳機能の「ムラっ気」ぶりが、本当に可笑しい。例えば

問題  冰箱里放着两瓶雪碧。  採点 訳例  冷蔵庫にスプライトが2本入っています。  Excite  冷蔵庫の中で2本のスプライトを置いておく。  8点 Yahoo!  冷蔵庫の里放は両瓶の雪碧を着る。  0点 infoseek  冷蔵庫の中は両瓶の雪の青緑を放している。  3点 フレッシュアイ  冷蔵庫二瓶の雪碧を置いている。  6点

講評:最後は存現文です。その前に「雪碧」が難しかったようで、Exciteだけがスプライトを知っていました。Yahoo!とinfoseekは明らかに存現文をわかっていません。それからフレッシュアイは俳句を詠んでいるのですか?

「冷蔵庫 二瓶の雪碧 置いている」~確かに美しい五七五ですし、深い詠嘆も感じられる...文意がわからないことを除けば、かなり味わいがある句に、何故か仕上がっています。

また、他のエンジンもかなり可笑しくて、

問題  她结过两次婚。  採点 訳例  彼女は2度の結婚歴がある。  Excite  彼女は2度の婚姻を結んだことがある。  6点 Yahoo!  彼女は2度固まったことがある婚。  0点 infoseek  (彼女結ぶ二回結婚する )。   0点 フレッシュアイ  彼女は二度結婚したことがある。  10点

講評:離合詞「结婚」を見抜けるかどうかのテストでしたが、Yahoo!とinfoseekは見事に引っかかってくれました。infoseekはなぜか()付きの翻訳ですが、これは自信のなさを示しているのでしょうか?Exciteは離合詞がわかっているのかどうか怪しげですね。

Y!の「彼女は2度固まったことがある婚」っていうのは、全然意味は通じないけれど、結婚というのが、奇麗事ではなく、色々大変なんだなあ...ということを「固まったことがある婚」というユニークな配列で表現しています。これもかなり味わい深い。
infoseekの自信が無いと括弧書きにしてしまう、奥ゆかしさには、日本人の美質を見出しました。

中日翻訳ソフトには、翻訳を越えた何かを発信する能力があると思いました。恐らく、地球外生物に向けてメッセージを密かに送っているに違いないと僕は睨んでいます。

2006年03月19日

土曜日の深夜

小梅太夫的に言うと

♪新しいCD買おうと思ったけれど、起きたら深夜になってました♪チックショウ~
(中谷なんとかって言う人の、ビジネス訓と同じで、小梅太夫のネタは無限だな)

今日は、睡眠ボックスに入っていて、起きたらなんとこういう時間です。先週は、地元に帰ったり、仕事も忙しいかったりと、本当に疲れたみたい。

よく、「仕事とプライベイトを区別しろ」「女と仕事がかちあったら、躊躇わず女を取れ」「プライオリティをつけろ」などと、他の人には言うのですが、自分はそういうことは、気にせずやっています。これは、何かをしたいときには、別に仕事だろうがプライベイトなことだろが、プライオリティが低かろうと、どうしてもやってしまう性格なので、しょうがないか?と思っているからです。
人生における、プライオリティなど、実際のところ誰にもわからないですし...。まあ、そういうことで、夢中でやっているうちに、ゼンマイが切れちゃう時があります。今日が、まさにそういう日。

ということで、こんな時間にブログを書いております。

現在、考えてみたいなあ...と思っていることとしては...
・ソフトバンクのボーダフォン買収の戦略的意味
・ウェブ進化論と弊社戦略との関連性
・下流社会(今、読んでいる本です)
・10年後の日本(今、読んでいる本です)
・テクノラティのランキング...などです

どれも、どのテーマも、これから書くにはヘビーすぎるので、また明日以降にしたいと思います...とあっさり終わる⇒もう一回寝よう

2006年03月17日

雑記3:スタミナ切れ

本日は、心身ともにスタミナ切れという感じで、仕事をしても、ブログを書いても、まるで駄目という一日でした。こういう日は、早く寝て、明日の鋭気を養うべきなのですが、ところがどっこい。

どうも、不完全燃焼感が強く、何とか良い形まで持っていってから、眠りたい...なんて思って、じたばた色々やってみるうちに、こんな時間になってしまいました。

先日、ある有名なブロガーの方と弊社のVOICEWATCHに、今後投稿機能をつける...という企画の話しをしていたら、「イデオロギーに関しては、どういうご見解をおもちですか?」と聞かれて、う~んとうなってしまいました。(今日は、やたら、うなっていますが)現在の日本で、階級闘争とか暴力革命とか、そんな主張をお持ちの方がいるとは、思わなかったし、個人的に全然興味がないので、ちょっとつんのめったわけです。

イデオロギー 3 4 [(ドイツ) Ideologie] (1)社会集団や社会的立場(国家・階級・党派・性別など)において思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している観念・信条の体系。歴史的・社会的立場を反映した思想・意識の体系。観念形態。 (2)一般に、政治的・社会的な意見、思想傾向。 三省堂提供「大辞林 第二版」より

凄く難しそうです。一筋縄ではいきそうもありません。何の見解ももたずに、投稿機能はもてないのでしょうか?今日は、スタミナ切れなので、こういう抽象概念について考えるのは無理そうです。

そろそろ、ブログの小人も必要に感じる今日この頃でした。

雑記2:WBC

韓国に負けてしまって、準決勝には行けない可能性が濃厚になってきた。今回のWBCには、何故か、最初から心躍るところがない。

王ジャパンは、本当に今日本で一番強いチームなのか?という疑問。
投球数制限という、変てこなルール。
疑惑の審判。
プロ野球開幕前という、何故か中途半端な開催時期。
松井の欠場。野茂は候補にも入っていない。

う~んとうなってしまう。え~んとないてしまう。じょわ~とつぶやいてみる。

とにかく、何となく間が悪く、何となくすっきりしない感じなのでした。

雑記1:どうも昼食が満足できない

僕は、余り昼食をとりませんし、食べるときは、大抵ファーストキッチンで、海老かつバーガーセット(オレンジジュース+コンソメ味のフライドポテト)を食べています。

食べないのは、仕事の区切りがつかないことや、丁度お昼時分の打ち合わせが多いこと、また実際余り食欲が無いためです。

また、海老かつバーガーセットを食べているのは、別に旨いわけではなくて、惰性で食べているのでした。実際、正直言って、旨くは無い。油っぽいし、手はべとべとするし、良いことはまるで無いと言っていいくらいです。しかるに、午後3時くらいに、昼ごはんを食べてない事に気付いて、それから後は無意識のうちに、ファーストキッチンの前で並んでいたりしますので、かなり危ないかもしれない。

時々、妙に意識が遠のく感じがして、体に力が入らないので、何か病気かなあ...と思ったら、朝も昼も食事をしてなかった...なんてこともあるので、弱ったものです。

2006年03月16日

追加:お知らせ

僕のこのブログを、「BlogFan」の「著名人ブログ」にリンクしていただきました。

全然、著名でもないのに、著名人ブログはないだろうと思う人もいるでしょう。実は、僕もそう思います。最初は、ブログを書くのは、日記帳を公開するようで、恥ずかしかったのですが、最近は、感覚麻痺していて、何ともなくなりました。人は、こうやって恥知らずになるという、サンプルのようです。

やはり、公に情報を発信する畏れをもって、書かなくてはいけないと肝に銘じる午前二時半です。

ウェブ進化論を読んでみました

ウェブ進化論(ちくま書房 梅田望夫著)を読んでみました。凄く荒っぽい要約をすると...

・IT関連コストは劇的な低下を起こしており、「チープ革命」と呼んでも差し支えないレベルである
・そして、このチープ革命は、一般人に情報発信・表現の機会を与える
・こうやって発信された情報・表現は、技術革新により、それを必要とする誰かに届く
・この技術革新の中心に検索技術があり、この主役は、グーグルである
・グーグルは「検索の会社」ではなく、「増殖する地球上の膨大な情報を全て整理する」事を目指している
・つまり玉石混交のなかから、玉をより分けることである
・そのためには、検索といった能動的情報収集手段だけでは不充分で、自動秩序形成システムのようなものが、受動的情報収集を可能にするブレイクスルーが必要である
・もう一つの大きな流れを作っているのはオープンソース化である
・これらの潮流を前提にして、新しくネット上に生じたルールが、「全体を俯瞰する視点」「ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏⇒アフィリエイト、アドセンス」「これまで価値として認識されなかったはずの価値の集積⇒ロングテイル」
・こういうルールが生まれたウェブでおこる進化とは、つまり情報そのものに関する革命的変化のことである
・上述チープ革命、技術革新、ブログの普及により、不特定多数の人間が発信し、討議し、得られる知見に対し、高い信頼感をもち、ネット上で展開する知の営みが、WEB2.0の本質であり、ウェブ進化の方向性である
・社会的にみれば、これまで情報を発信してきた既存メディアのあり方、プロとアマの差異などに大きな影響をあたえていくであろう

とまあ、こんな感じです。これらの進化を支えている精神的バックボーンは、底抜けの楽天主義と行動主義であるとも論じています。
で...ここまで読んで、「それがどうしたちゅうねん?」突っ込みをいれた貴方、貴方は非常に正しい。この本は、ウェブ進化論と大仰なタイトルをつけている割に、現在ネット上で起こっている変化を切り取って説明したに過ぎません。もしかすると、既に「続ウェブ進化論」という原稿が、印刷されはじめているのかもしれませんが、ここで述べられているのは、2006年初頭のウェブ世界のスナップショットなのです。

恐らくこういう理解から、次に以下のような項目が、我々の考えるべき課題ではないかと思います。

・検索ワードを入力するという能動的な行動を起こさない、受動的情報収集者にとっての最適なシステムとは何なのか(この本でいうところの自動秩序形成システム)
・不特定多数の知見は、人間を豊かにする結論へと収斂するのか
・もし不特定多数の知見が、人間を豊かにする結論へと収斂するのであれば、その際の国家、社会のあり方は、どう変容するのか
・収斂しないのであれば、社会に与えるネガティブなインパクトは

これら疑問に共通なのは、不特定多数を構成する、個のあり方です。Individualismに対する信仰ともいえる楽天主義を貫くシリコンバレー的アプローチは、皆で百科事典を作ったり、プログラムを作ったりでは、大きな成果をあげていますが、その手法は政治、行政における諸問題にも有効なアプローチなのでしょうか?

『ウェブ進化論』が示唆する日本社会の未来』で砂田さんが、

藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書)が理想として描く日本の姿とは対極にあるのではないかと気づいた

と書かれていたのですが、実は僕は全く逆のことを感じました。つまり、この「不特定多数の知見が意味を持ちうる社会」においては、個が、独立した個人として高い見識と寛容さをもつ必要があるということ、そして、その規範になりうるのが、イギリスでは伝統であり、日本では「情緒と形」というものではないかと。非常に舌足らずなのですが、そういう成熟した個人が出現しない限り、テクニカルな議論以外の領域では、衆愚、ポピュリズム、極端な右傾化、左傾化など、ヒステリックで悲惨な結果を生む可能性を秘めていると思うのでした。つまり「国家の品格」で定義されている人間像こそが、ウェブ革命を真に革命足らしめる条件ではないかと。

判りにくかったでしょうか?ごめんなさい

2006年03月15日

市民メディアはマスコミに勝てない...のか?

ITmediaに、「市民メディアにマスコミは勝てない」という西村ひろゆき氏のコメントが紹介されていました。まず、1次情報に関して、事実認定をしていくという作業を考えると、会社組織として、充分なスタッフを備えた既存新聞社に対して、市民メディアの記者が、そのジャーナリスト活動を生業としていないということを前提にすると、勝つことはありえないと思います。

市民メディアが、既存メディアの対抗サービスであるならば、明確な差別化要因がないと駄目だと思うのです。つまり、現行マスメディアと同じアプローチで、同じ領域の事象を、市民記者と人的編集という機能のみで目指すのであれば、勝ち目がないという事だと思います。まず、そのあたりを戦略的に考える必要があります。

勝てる領域としては、本人もしくはその身辺で起こった事象に関する報道やマニアックな内容であろうと思います。新聞社が取り上げることが難しい、地域密着型、生活密着型、マニア領域の記事については、差別化のチャンスがあります。こういう観点から、世界的なネットワークを作れば、朝刊と夕刊しかない紙媒体と違い、即時性というネットならではの特性も生きてくると思います。

また、1次情報ではなく、1.5次、2次情報~つまり事実に対する評論、評価の領域であれば、充分特殊性を発揮できると考えます。こういう情報については、多種多様なバリエーションをカバーすることができ、充分現在の全国紙、週刊紙などの補完的存在になりえるのではないかと思っています。勿論、ここでも、事実認定や記事評価などに、時間がかかるようであれば、中々難しいこととなります。

もう一つの側面として、ブログ人口は、爆発的に増加をし、これまでとは桁外れの情報発信が行われているという事実があります。この情報量(全国紙が一日1000記事弱であるのに対し、日々のエントリーは、主要ブログ運営社だけでも、40万くらいあります)と多様性をいかに強みに変えていくかという視点が不可欠と思います。

これらブロガーにとって、必要なのはネット新聞という場ではなく、情報受信者に確かにリーチする方法。つまり、大量情報を、論理的整合性をもったツリー上のトピックに分類し、見やすい形で表示するアグリゲイター的アプローチと検索という、言語処理アプリこそ、求められているのではないかと思います。つまり、情報受信者と発信者を繋げる仕組みです。

所謂機械的編集機能ということですが、記事の信憑性や信頼性を評価するものではありません。ただ、このアプローチでは、同一事実に関して、異なった意見や取り扱いをした複数の情報を一まとめでユーザーに表示することができます。何を正しいと思い、何を支持するかの判断は、それら情報をみて、個人が判断をする事でよいのではないかと思います。所謂大新聞の報道を盲目的に信じるという姿勢から、クリティカルリーディングができる知的読み手へと進化させるインパクトを持ちうるのではないかと思っています。

NEWSWEEKの今週のカバーストーリーは「ブログは新聞を殺す」です。こちらに関しても、また考えてみたいと思います。

2006年03月14日

重なり合う人生

法事で帰郷していましたが、東京に戻っ